和歌山街道というのがある。 和歌山と松阪を結んでいる。
その道の、珍布(めずらし)峠という、古い峠道を歩いてみた。
映画監督の小津安二郎は、若い時1年だけ、この地で代用教員をしていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
特に、観光地はないので、山道を歩くことに。
下の地図の、上の方の街道は、伊勢本街道。 ※ 道は、三重県から出たら、消えてる。 県のHPからお借り。
御杖村で歩いたところは、青の○。 下の方の道が、和歌山街道。
昨日いた茶倉駅は、水色の○。 今日歩く飯高は、赤○。
道の駅飯高。
左の道を行って、直ぐに、右に曲がって、街道に入り、峠に向かう。
見える家並みは、宮前地区。 ※ 神社があるので、この地名か。
映画監督の小津安二郎は、宮前尋常高等小学校に代用教員として、来ている。
※ 三重師範学校の受験に失敗して、ここに。 1年間勤める。
頭が悪かったというのではなく、勤勉ではなく、映画ばかり見ていたよう。
彼は、松阪で暮らしていた。
地図の右の方に、来ている。
向こうに行く。 街道の感じが、残っている。
後ろの方に行ったら、小津安二郎の資料室があるので、行ってみる。
老人福祉センターだったか、そんな建物の中にあるんだが、今日は資料室は開けてないという。
仕方ないから、碑だけ撮影。
小津安二郎は、原節子を主役に多く使った。
原節子は、どんな映画でも、どこにいるかすぐ分かる。
他の女優さんに混ざっても、立ち姿が美しいので、後姿だけで分かる。
そんな女優さん。 ※ こんな写真があります。 右端に、小津監督。 東京物語のロケ。 (Wikipedia)
※ 最後に、もう一つ映画を紹介。 そこで、もう少し。
峠に向かって、出発。 向こうから、こっちに伊勢に向かう。 左に行く道は、枝道。
霊符山大陽寺(れいふさんたいようじ)と云って、大台町にある寺に寄って、伊勢に行く道。
軒先にシイタケ。 美味しそうに見える。 ※ 毎日みそ汁に入れてたら、飽きちゃったけど。
しばらく家並みが続く。
暑くもない、寒くもない、丁度いい。
峠道に入った。 道行谷(みちゆきだに)。
どうして、道行谷か。 義経が静御前が通ったとある。
吉野を逃れてとあるけど、義経は、吉野から北に向かって、北陸を通って、平泉に行く。
静御前は、捕まって、鎌倉に。 2人そろってここを通るのは、むずかしいですね。
※ 吉野へ行く時も、北からかな。 壇ノ浦から鎌倉に行けなかったから、吉野に。
さらに行くと、ここに、1人のお爺さんが住んでいたという。
石灰(いしばい)を作っていたとある。 石灰(せっかい)のことですね。
おアシが多いのに惚れた、とある。 アシは、お金のことかな。 アシが出たとか、使うので。
どうやって歌っていたか、聞いてみたいもんです。
珍布(めずらし)峠の頂上に着いた。 切り通しです。
苦労して作ったんですね。 それだけ通る人が多かった、ということでしょうか。
紀州の殿様が作ったのか。
昼なお暗いので、妖怪の話とかがあれば、面白い。
旅人が「昔ここで、妖怪が出たんだってさ」って言えば、「今も出るんだよ~」って、出て来る。
木のような石。
※ そう云えば、この和歌山街道は、中央構造線に沿って、あるんですね。
中央構造線は、四国の吉野川沿いを、九州の方までずっと。 佐田岬半島で海に沈む。
出てきたところに、峠の案内。
小さなお地蔵さまも。 でも、どうして、珍布(めずらし)峠と読むんでしょう。
布(ぬの)は、布(し)く、と読めますね。 また、「めずらし」は「珍し」と書く。
しの部分を、布にすると、珍布(めずらし)となる。
これで、いいでしょうか。
礫石(つぶていし)の伝説があるんですね。 この後、詳しい説明に出会う。
街道はまだ続くけど、下の道を行くことに。 川沿いの道に出る。 その道も、古そう。
白く見える花は、シャガ。 今日は、たくさん見た。
少し不気味でけばけばしい。 でも、美しい。 女優でいえば、誰でしょう。
下りてきました。 櫛田(くしだ)川。
川の中に、礫石(つぶていし)。
※ 礫は、石のことのよう。 無しの礫、って使う。 投げた石は、それでお終い。何も言って来ない。
こんな伝説。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢本街道も、和歌山街道も、どっちも通っているのか。
伊勢本街道でも彼女は登場した。
川沿いの道を、しばらく歩いて、常夜灯に。 お地蔵さまも。
集落を通って、小さな峠を越える。 茶畑の風景は、美しい。
山を下りて、橋を渡る。 櫛田川は、変化に富んでいる。
国道を横切って、北畠具教(きたばたけ とものり)の首塚を見る予定だった。
急に雨が降って、風が付いた。 道の駅に、戻った。
北畠具教は、この地を治めていたけど、信長にやられた。 信頼できる首塚。 ※ ネットの写真では、こうです。
珍布(めずらし)峠では、いろいろ出合えた。
また、道沿いの家並みも美しかった。
街道を歩く旅では、十分な楽しさですね。
【映画】 下の映画の中で、原節子はこう言う。
「私、40にもなって、まだ1人でぶらぶらしているような人って、あまり信用できないの」
この言葉は、実際に原節子が、話した言葉のよう。
小津監督が聞いて、台本に組み入れた。
この時、小津監督は、48才。 自分だけは、その中に入らないと、思ったよう。
小津安二郎は、1963年に60才で亡くなる。
彼女は、棺の前で、あたりをはばからず号泣していた、と云われる。
原節子43才。 その後、完璧に映画界から身を引く。 小津の死に、殉じるように。
今は、ひっそりと、鎌倉に住んでいるよう。 92才。
何が分かるかって、彼女は小津を、きっと好きでしたね。
彼女の力をもっとも認めた監督も、小津だった。
でも、本心を言うことはできなかった。 言えなかった。 理由は分からないが。
小津も生涯独身。 彼も言わなかった。
原節子の本心を聞けることは、ありえないでしょうね。
小津を弔う日々を、送っているのかも知れない。
大きな後悔の念を、消せずに。
女優の司葉子は、原の一番の魅力を、「清潔感」と指摘している。
そしてそれは、「演技では出せない生地の魅力」、と述べている。(Wikipedis)
日本の映画史上で、原節子が一番美しい。
次は、吉永小百合、夏目雅子、かな。
【その他】 史上最悪の放射能汚染をもたらした、旧ソ連チェルノブイリ原発事故から今日、27年たちました。
以前紹介した動画です。 この方は今、信州松本市の市長さんです。
プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス
【道の駅】 飯高駅
【明日の予定】 少し山奥に向かって、どこかを見る。 その後、伊勢に向かう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その道の、珍布(めずらし)峠という、古い峠道を歩いてみた。
映画監督の小津安二郎は、若い時1年だけ、この地で代用教員をしていた。
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特に、観光地はないので、山道を歩くことに。
下の地図の、上の方の街道は、伊勢本街道。 ※ 道は、三重県から出たら、消えてる。 県のHPからお借り。
御杖村で歩いたところは、青の○。 下の方の道が、和歌山街道。
昨日いた茶倉駅は、水色の○。 今日歩く飯高は、赤○。

道の駅飯高。

左の道を行って、直ぐに、右に曲がって、街道に入り、峠に向かう。
見える家並みは、宮前地区。 ※ 神社があるので、この地名か。
映画監督の小津安二郎は、宮前尋常高等小学校に代用教員として、来ている。
※ 三重師範学校の受験に失敗して、ここに。 1年間勤める。
頭が悪かったというのではなく、勤勉ではなく、映画ばかり見ていたよう。
彼は、松阪で暮らしていた。

地図の右の方に、来ている。

向こうに行く。 街道の感じが、残っている。
後ろの方に行ったら、小津安二郎の資料室があるので、行ってみる。

老人福祉センターだったか、そんな建物の中にあるんだが、今日は資料室は開けてないという。
仕方ないから、碑だけ撮影。
小津安二郎は、原節子を主役に多く使った。
原節子は、どんな映画でも、どこにいるかすぐ分かる。
他の女優さんに混ざっても、立ち姿が美しいので、後姿だけで分かる。
そんな女優さん。 ※ こんな写真があります。 右端に、小津監督。 東京物語のロケ。 (Wikipedia)
※ 最後に、もう一つ映画を紹介。 そこで、もう少し。

峠に向かって、出発。 向こうから、こっちに伊勢に向かう。 左に行く道は、枝道。
霊符山大陽寺(れいふさんたいようじ)と云って、大台町にある寺に寄って、伊勢に行く道。

軒先にシイタケ。 美味しそうに見える。 ※ 毎日みそ汁に入れてたら、飽きちゃったけど。

しばらく家並みが続く。

暑くもない、寒くもない、丁度いい。

峠道に入った。 道行谷(みちゆきだに)。

どうして、道行谷か。 義経が静御前が通ったとある。
吉野を逃れてとあるけど、義経は、吉野から北に向かって、北陸を通って、平泉に行く。
静御前は、捕まって、鎌倉に。 2人そろってここを通るのは、むずかしいですね。
※ 吉野へ行く時も、北からかな。 壇ノ浦から鎌倉に行けなかったから、吉野に。

さらに行くと、ここに、1人のお爺さんが住んでいたという。

石灰(いしばい)を作っていたとある。 石灰(せっかい)のことですね。
おアシが多いのに惚れた、とある。 アシは、お金のことかな。 アシが出たとか、使うので。
どうやって歌っていたか、聞いてみたいもんです。

珍布(めずらし)峠の頂上に着いた。 切り通しです。
苦労して作ったんですね。 それだけ通る人が多かった、ということでしょうか。
紀州の殿様が作ったのか。
昼なお暗いので、妖怪の話とかがあれば、面白い。
旅人が「昔ここで、妖怪が出たんだってさ」って言えば、「今も出るんだよ~」って、出て来る。

木のような石。
※ そう云えば、この和歌山街道は、中央構造線に沿って、あるんですね。
中央構造線は、四国の吉野川沿いを、九州の方までずっと。 佐田岬半島で海に沈む。


出てきたところに、峠の案内。

小さなお地蔵さまも。 でも、どうして、珍布(めずらし)峠と読むんでしょう。
布(ぬの)は、布(し)く、と読めますね。 また、「めずらし」は「珍し」と書く。
しの部分を、布にすると、珍布(めずらし)となる。
これで、いいでしょうか。

礫石(つぶていし)の伝説があるんですね。 この後、詳しい説明に出会う。

街道はまだ続くけど、下の道を行くことに。 川沿いの道に出る。 その道も、古そう。
白く見える花は、シャガ。 今日は、たくさん見た。

少し不気味でけばけばしい。 でも、美しい。 女優でいえば、誰でしょう。


下りてきました。 櫛田(くしだ)川。

川の中に、礫石(つぶていし)。
※ 礫は、石のことのよう。 無しの礫、って使う。 投げた石は、それでお終い。何も言って来ない。

こんな伝説。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢本街道も、和歌山街道も、どっちも通っているのか。
伊勢本街道でも彼女は登場した。

川沿いの道を、しばらく歩いて、常夜灯に。 お地蔵さまも。

集落を通って、小さな峠を越える。 茶畑の風景は、美しい。

山を下りて、橋を渡る。 櫛田川は、変化に富んでいる。

国道を横切って、北畠具教(きたばたけ とものり)の首塚を見る予定だった。
急に雨が降って、風が付いた。 道の駅に、戻った。
北畠具教は、この地を治めていたけど、信長にやられた。 信頼できる首塚。 ※ ネットの写真では、こうです。

珍布(めずらし)峠では、いろいろ出合えた。
また、道沿いの家並みも美しかった。
街道を歩く旅では、十分な楽しさですね。
【映画】 下の映画の中で、原節子はこう言う。
「私、40にもなって、まだ1人でぶらぶらしているような人って、あまり信用できないの」
この言葉は、実際に原節子が、話した言葉のよう。
小津監督が聞いて、台本に組み入れた。
この時、小津監督は、48才。 自分だけは、その中に入らないと、思ったよう。
小津安二郎は、1963年に60才で亡くなる。
彼女は、棺の前で、あたりをはばからず号泣していた、と云われる。
原節子43才。 その後、完璧に映画界から身を引く。 小津の死に、殉じるように。
今は、ひっそりと、鎌倉に住んでいるよう。 92才。
何が分かるかって、彼女は小津を、きっと好きでしたね。
彼女の力をもっとも認めた監督も、小津だった。
でも、本心を言うことはできなかった。 言えなかった。 理由は分からないが。
小津も生涯独身。 彼も言わなかった。
原節子の本心を聞けることは、ありえないでしょうね。
小津を弔う日々を、送っているのかも知れない。
大きな後悔の念を、消せずに。
女優の司葉子は、原の一番の魅力を、「清潔感」と指摘している。
そしてそれは、「演技では出せない生地の魅力」、と述べている。(Wikipedis)
日本の映画史上で、原節子が一番美しい。
次は、吉永小百合、夏目雅子、かな。
【その他】 史上最悪の放射能汚染をもたらした、旧ソ連チェルノブイリ原発事故から今日、27年たちました。
以前紹介した動画です。 この方は今、信州松本市の市長さんです。
プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス
【道の駅】 飯高駅
【明日の予定】 少し山奥に向かって、どこかを見る。 その後、伊勢に向かう。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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