今いる道の駅、飛騨白山は、白山の、東の麓。
でも、手前に山があるので、白山は、見えない。
雨が止まないので、車で見学することに。
見学場所は、平瀬温泉と、その周辺の地域。
木谷地区という所があって、そこから、幕末の力士が生まれていた。
名前は、白真弓肥太右衛門(しらまゆみ ひだえもん)。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
左に、白山が見えますね。 普通は、左下の石川県側から登ります。
でも、登山道は、こっちからもあり、白水の滝近くから、登ります。
頂上まで、5時間はかかる、大変な山。
頂上の下に、ホテルのような山小屋がある。 そこに泊まると、楽で、楽しい山。
白山への山道の入り口は、道の駅のすぐ近くにある。
この地図を、左回りに。 左端に、白真弓(しらまゆみ)の生家とある。
お世話になっている、道の駅飛騨白山。 向こう下に、温泉がある。
大白川温泉、しらみずの湯。 最後に入ることに。
ここも、平瀬温泉かと思ったら、違った。
大白川温泉は、上に書いた、白山の登山口にもある。
そこから流れてくる川が、大白川。 それで、大白川温泉と、言っている。
左を少し行ったら、道の駅。 平瀬温泉は、右側に。 白川郷では、メインの温泉地。
旅館は、10軒。
温泉街の入り口。 旧道と分かりますね。
湯治が出来そうな、温泉旅館です。
「白川郷平瀬温泉 内湯 旅篭(はたご) 白山館」
長いですね。
※ 内湯は、自分の所に温泉がありますよ、の意味。
昔、温泉街では、共同浴場のような外湯があって、旅館は、泊まるだけの所があった。
天然の湯とあります。 「かけながし」と受け取っていいでしょうか。
白山に黒百合の群落があります。 それでこの名前。 旅館は、左にあって、写っていない。
※ 白山に登る途中、この風景があります。
※ クロユリの匂いは、大変。 このユリは、きっと、お風呂に入ったことがない。
山の方への道です。 湧水があった。 2㍑の入れ物に3つ、水を入れました。
ものすごい勢いで吹き出している。 雨水も、湧水の仲間入りの感じ。
下の建物も、温泉かな。 川は、庄川。 向こうに流れている。 家並みは、川の左側に。
大きな家。 何の家かな。
道の駅が、遠くに。 道の駅は、バイパス沿いにある。 高台。
温泉街は、左の方に多い。
お地蔵様。 石碑の意味は、分からない。 ※ こういうのは、調べたり考えるのに、時間がかかる。
平瀬温泉には、川沿いに遊歩道があって、こんな可愛い橋も。 少し前は、桜が満開。
白山神社。 このように神社が現れたら、別の地区に入っている。 地区ごとに神社があるので。
浄楽寺。
谷が狭いため、国道は、覆道になっている。 覆道の左は、トンネル。 出口が見える。
※ 上の場所かなと思うのですが、道ができる前は、こんな道。
そして、平瀬温泉は、こうだった。
昔は、湯船は、建物より、低い所にあることが、多かった。
白弓スキー場です。 冬になると、このように。
上の方に行くと、正面に白山が見えるようです。
書き忘れていました。 写真はすべて、車の中から。 車から降りたのは、水の時だけ。
木谷地区です。 白真弓肥太右衛門の生家があるのですが、案内は見つかりません。
ただ、道の駅にあった地図には、生家は、茅葺の家になっていました。
1軒だけ見えます。 生家は、あの家かなと。
4階まであります。 大きいです。
この建物が江戸時代に出来ていたら、彼はこの家を見ています。
亡くなったのは、明治元年。
※ 白真弓肥太右衛門は、こんな力士です。(Wikipedia) 身長に、驚く。
・文政12年(1829年)- 明治元年11月9日(1868年12月22日)
飛騨国大野郡(現在の岐阜県大野郡白川村)出身の浦風部屋所属の元大相撲力士。
最高位は西前頭筆頭。本 名は東屋勇吉(後に奥右衛門)。
体格は208cm、150kg。
※ 詳しくは、ここに。
肖像画がいっぱいあって、みんなこんな顔。 がから、彼の顔は、間違いなくこの感じ。
※ 白真弓は、マユミ(真弓)という木の、白木で作った弓。
こんな歌が、万葉集にある。
「志らまゆみ 斐太の細江のすが鳥の 妹に恋ふれやいをねかねつる」
志らまゆみ(白真弓)は、 斐太(飛騨)の枕詞になっている。
解釈は、分かりません。 分かったら、追記で載せますね。
彼の名前は、この歌から作られたよう。
庄川を渡って、国道に向かっている。
川の下流の方から、平瀬温泉へ。
古い町並みが、少し残っている。
温泉は、向こうに多い。 静かな通り。
山の上から見えた橋。
最初に通った、くろゆり荘。
歩かないと、細かな発見が出来ない。 花など、小さなものが。
下は、しらみずの湯にあった、図です。 登山道の説明です。
山の中腹までは、車で行ける。 私の車では、無理と分かっています。
登山道です。 左は、自分が登ったコース。 右が、白川郷からのコース。 どっちも大変。
※ 泰澄(たいちょう)大師が山を開いたと言う。
でも、最初、どのように山の頂上まで行ったのでしょう。
1人では無理ですね。
弟子を数人と、マタギのような人が、いたでしょうね。
マタギは、山の全てを知っているので。
白川郷が、白山の麓にあると、ここに来て初めて知りました。
昨日、旧遠山家を見たけど、柱が太いのは、雪の重みに耐えるためとあった。
雪の写真を探したが、大雪のは、見つからなかった。
でも、温泉に、下の写真があった。
雪の下敷きになったら、大変。 サザエさんの、頭。
今日は、平瀬温泉と、その周辺を、車で動いてみました。
細かな集落が、たくさんありました。
【面白動画の紹介】 将棋の情報は、あるサイトで毎日見てますが、面白い動画が見つかったので、紹介。
橋本という人は、トップクラスの力です。
真似したんですね。 NHKの放送で流れています。
NHKもかたいことを言わないで、よく流しましたね。
もう1つ、別の面白いのも、見つかっています。 忘れなければ、明日。
【道の駅】 白川郷
【明日の予定】 合掌造りの集落を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、3位です。
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でも、手前に山があるので、白山は、見えない。
雨が止まないので、車で見学することに。
見学場所は、平瀬温泉と、その周辺の地域。
木谷地区という所があって、そこから、幕末の力士が生まれていた。
名前は、白真弓肥太右衛門(しらまゆみ ひだえもん)。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

左に、白山が見えますね。 普通は、左下の石川県側から登ります。
でも、登山道は、こっちからもあり、白水の滝近くから、登ります。
頂上まで、5時間はかかる、大変な山。
頂上の下に、ホテルのような山小屋がある。 そこに泊まると、楽で、楽しい山。
白山への山道の入り口は、道の駅のすぐ近くにある。
この地図を、左回りに。 左端に、白真弓(しらまゆみ)の生家とある。

お世話になっている、道の駅飛騨白山。 向こう下に、温泉がある。


大白川温泉、しらみずの湯。 最後に入ることに。
ここも、平瀬温泉かと思ったら、違った。
大白川温泉は、上に書いた、白山の登山口にもある。
そこから流れてくる川が、大白川。 それで、大白川温泉と、言っている。

左を少し行ったら、道の駅。 平瀬温泉は、右側に。 白川郷では、メインの温泉地。

旅館は、10軒。

温泉街の入り口。 旧道と分かりますね。

湯治が出来そうな、温泉旅館です。
「白川郷平瀬温泉 内湯 旅篭(はたご) 白山館」
長いですね。
※ 内湯は、自分の所に温泉がありますよ、の意味。
昔、温泉街では、共同浴場のような外湯があって、旅館は、泊まるだけの所があった。

天然の湯とあります。 「かけながし」と受け取っていいでしょうか。

白山に黒百合の群落があります。 それでこの名前。 旅館は、左にあって、写っていない。
※ 白山に登る途中、この風景があります。
※ クロユリの匂いは、大変。 このユリは、きっと、お風呂に入ったことがない。

山の方への道です。 湧水があった。 2㍑の入れ物に3つ、水を入れました。
ものすごい勢いで吹き出している。 雨水も、湧水の仲間入りの感じ。

下の建物も、温泉かな。 川は、庄川。 向こうに流れている。 家並みは、川の左側に。

大きな家。 何の家かな。

道の駅が、遠くに。 道の駅は、バイパス沿いにある。 高台。
温泉街は、左の方に多い。

お地蔵様。 石碑の意味は、分からない。 ※ こういうのは、調べたり考えるのに、時間がかかる。


平瀬温泉には、川沿いに遊歩道があって、こんな可愛い橋も。 少し前は、桜が満開。

白山神社。 このように神社が現れたら、別の地区に入っている。 地区ごとに神社があるので。

浄楽寺。

谷が狭いため、国道は、覆道になっている。 覆道の左は、トンネル。 出口が見える。

※ 上の場所かなと思うのですが、道ができる前は、こんな道。

そして、平瀬温泉は、こうだった。
昔は、湯船は、建物より、低い所にあることが、多かった。

白弓スキー場です。 冬になると、このように。
上の方に行くと、正面に白山が見えるようです。

書き忘れていました。 写真はすべて、車の中から。 車から降りたのは、水の時だけ。
木谷地区です。 白真弓肥太右衛門の生家があるのですが、案内は見つかりません。
ただ、道の駅にあった地図には、生家は、茅葺の家になっていました。
1軒だけ見えます。 生家は、あの家かなと。

4階まであります。 大きいです。
この建物が江戸時代に出来ていたら、彼はこの家を見ています。
亡くなったのは、明治元年。

※ 白真弓肥太右衛門は、こんな力士です。(Wikipedia) 身長に、驚く。
・文政12年(1829年)- 明治元年11月9日(1868年12月22日)
飛騨国大野郡(現在の岐阜県大野郡白川村)出身の浦風部屋所属の元大相撲力士。
最高位は西前頭筆頭。本 名は東屋勇吉(後に奥右衛門)。
体格は208cm、150kg。
※ 詳しくは、ここに。
肖像画がいっぱいあって、みんなこんな顔。 がから、彼の顔は、間違いなくこの感じ。


※ 白真弓は、マユミ(真弓)という木の、白木で作った弓。
こんな歌が、万葉集にある。
「志らまゆみ 斐太の細江のすが鳥の 妹に恋ふれやいをねかねつる」
志らまゆみ(白真弓)は、 斐太(飛騨)の枕詞になっている。
解釈は、分かりません。 分かったら、追記で載せますね。
彼の名前は、この歌から作られたよう。
庄川を渡って、国道に向かっている。


川の下流の方から、平瀬温泉へ。

古い町並みが、少し残っている。


温泉は、向こうに多い。 静かな通り。

山の上から見えた橋。

最初に通った、くろゆり荘。

歩かないと、細かな発見が出来ない。 花など、小さなものが。

下は、しらみずの湯にあった、図です。 登山道の説明です。
山の中腹までは、車で行ける。 私の車では、無理と分かっています。

登山道です。 左は、自分が登ったコース。 右が、白川郷からのコース。 どっちも大変。

※ 泰澄(たいちょう)大師が山を開いたと言う。
でも、最初、どのように山の頂上まで行ったのでしょう。
1人では無理ですね。
弟子を数人と、マタギのような人が、いたでしょうね。
マタギは、山の全てを知っているので。
白川郷が、白山の麓にあると、ここに来て初めて知りました。
昨日、旧遠山家を見たけど、柱が太いのは、雪の重みに耐えるためとあった。
雪の写真を探したが、大雪のは、見つからなかった。
でも、温泉に、下の写真があった。
雪の下敷きになったら、大変。 サザエさんの、頭。

今日は、平瀬温泉と、その周辺を、車で動いてみました。
細かな集落が、たくさんありました。
【面白動画の紹介】 将棋の情報は、あるサイトで毎日見てますが、面白い動画が見つかったので、紹介。
橋本という人は、トップクラスの力です。
真似したんですね。 NHKの放送で流れています。
NHKもかたいことを言わないで、よく流しましたね。
もう1つ、別の面白いのも、見つかっています。 忘れなければ、明日。
【道の駅】 白川郷
【明日の予定】 合掌造りの集落を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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