山の急な斜面の中ほどに、傾斜の緩い所があり、そこに、相倉集落。 相倉~あいのくら
菅沼集落より、少し大きく、20戸ほどの合掌造りが。
こきりこ節や麦屋節など、多くの民謡が生まれていた。
近くに、流刑小屋、お小夜塚もあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
白山連山の北の端の麓に、五箇山はある。 豪雪地帯。 3㍍くらいは、普通。
山の斜面に、少しだけ、平らな土地。 不思議。 相倉(あいのくら)集落の入り口。
最初に、全体が見える、山の上から。 左右と奥に、あと少しある。
切妻が基本。 中央奥に、入母屋造(いりもやづくり)。 後で分かるが、念仏堂。
白川郷より、全体に小さい。
産業は、養蚕、紙漉(す)き。 そして、火薬の材料の塩硝(えんしょう)づくり。
お店もあるけど、普通に生活している家も多い。
五箇山には、70の集落があるが、ここは山の中腹なので、車道ができるのが遅かった。
開発が遅れ、合掌造りが残った。
お寺。 入母屋造の屋根。 そして、石垣。
少し行って、振り返った。 右に、最初に紹介した、念仏堂。
畑の準備が、始まっている。 トマトやシシトウを植える。 一輪車に、苗が。
相倉民俗館。 小さい。 これは、2階まで。
おじいちゃん、おばあちゃ、夫婦、子供たちの家族が暮らす大きさ。 後で知る。
中はこう。 ビデオも見た。 1階には、元々は、広い土間、囲炉裏の部屋、2つの部屋。
先日も見た、髪飾りと、結う道具の笄(こうがい)も。
こういうのを見ると、女性が美しくなることが、夢ではなかったと分かる。 ほっとする。
※ あの世へ行く時の口紅が、生まれて最初で最後だった、ということがありますからね。
米があるので、お祝いの料理ですね。
塩分が多そうだけど、薄味なら、体に優しい食べ物ばかり。
これを見て、晩に、ワラビとアゲとコンニャクを煮て食べた。 ワラビの食感が好き。
小さな家は、こんな感じで作る。
ここの民俗館では、いろんなことを教えてもらった。
たとえ貧しくても、すべての家が、合掌造りだった。 知りたかったことが、分かった。
結(ゆい)という結びつきがあって、みんなで作った。
作られ始めたのは、江戸時代の中頃からのよう。
先日も見た、つぶら。 つぶらな目をした子が、つぶらに入っている。
※ つぶらは、円らと書くと思うけど、目をつぶらないは、瞑らない、と書くよう。
斜めの木を、合掌と呼ぶ。 木を組み合わせた形が、合掌の様なので、合掌造りだそう。
初めて知った。 出来上がった形が、合掌だと思っていた。
でも、どっちでもいいと思う。 柱がそうだから、全体の形が、そうなるんだから。
牛で、物を運んだ。
道は南への道。 加賀への道。
そして、城端(じょうはな)への道とある。 城端を通って、金沢に。
※ 明治に入って、城端まで鉄道が来るようになる。 北の高岡市から。 城端線。
南部牛追唄にはかなわないけど、でも、いいですよ。
これで、病人を背負う。
野麦峠でミネは、お兄ちゃんに背負われて、ふるさと飛騨を見た。 あの時も、これ。
※ 説明してくれた人が、こんな話を。
お父さんの姉が京都にいた。 病気になった。 お父さんは、迎えに行った。
汽車で、上に書いた城端(じょうはな)まできた。
お父さんは、上のを使って姉を背負い、城端から、山を越えて、ここまで来た。
右に、今いた民俗館。 山への道は、五箇山街道。 方向から、城端、そして、金沢への道。
道を行ったら、家が1軒。
元の道に戻って、少し奥の左に、別の民俗館。
ここでは、塩硝(えんしょう)の作り方を学んだ。
黒色火薬の7割ほどが、塩硝だというから、大事なもの。 鉄砲には、どうしても必要。
カイコの糞や尿などを土の中に混ぜて、待つ。
塩硝が土の中に生まれ、それを、水に溶かしたりして、取り出す。
詳しくは、下に。 塩硝の結晶は、これ。 こんなにいっぱい出来るのかな。
麦屋節は、平家と関係があった。 昔は、この一帯は、平村。 落ち武者伝説は、本当かも知れない。
円いのは、ささら。 小さな棒は、こきりこ。
ミニ動画(16秒) 少し暗いです。
※ 西条八十が編曲して、全国的に有名になったそう。 そういう面で、五木の子守唄に、似ている。
ここも小さいので、2階まで。
土間で、紙すきをした。 今では、こんな紙も作っている。
集落の奥に行ったら、人形山が見える。 方向は、真南。
悲しい、姉妹のお話。 中央の模様かな。
ワラビでしょうか。 山で採ってる人がいた。
屋根の横にも、窓。 民宿もやっている。 暑いですねと、お話。
向こうは、深い谷。 街があって、国道が通っている。
谷の方に行って、振り返って。
トカゲ。(33秒)
少しだけ走って、皆葎(かいむくら)地区。 ※ 難しい読み。
少し行って、左に行く。 橋を渡る。
流刑小屋。
場所はここ。
ここにも、昔は橋はなかった。 籠で渡っていた。
1人では、渡れないとある。 誰かに引っ張ってもらうんだ。 逃げられないために、そうした。
先日見たのは、こうだった。 どう動くか、不思議に思ったけど、分かった。
罪が重いと、一歩も出られない。
薄暗い中に、人がいた。 加賀騒動の、大槻伝蔵をイメージしているのかな。
お小夜塚を、やっと見つけた。 身投げしたところから、近かった。
右の家は、おさよ、とあった。
上の写真の、右上に、お小夜塚はあった。
五箇山に来たら、急に、歌や踊りが多くなる。
お小夜も、貢献したのか。 位の高い遊女は、教養がある。 ※ 金沢の茶屋街の今はこう。(2010年)
お小夜節。 地元の高校生。
説明の中に「恋に迷う、愛の絆(きずな)の苦悩」とある。 演歌の世界の表現。 今日の歌は、決まった。
彼女のために、小さな公園が作られていた。
※ お小夜はこんな人。
昨日のブログの、お小夜節の先頭の人が、このように踊っている。 ※ 左端の人。
あの人は、お小夜の甦(よみがえ)り。
相倉合掌集落は、そこに住む人の生活が、前面に出ている。
そのため、日本の原風景と云う感じではない。
そういう意味では、菅沼の小さな集落が、日本のなつかしい風景。
今後、観光と生活を、上手にまとめていく感じがします。
【今日の歌】 愛のきずな
【道の駅】 上平(かみたいら)
【明日の予定】 高速を少し走って、近道して、高山の北の古川に行く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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菅沼集落より、少し大きく、20戸ほどの合掌造りが。
こきりこ節や麦屋節など、多くの民謡が生まれていた。
近くに、流刑小屋、お小夜塚もあった。
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白山連山の北の端の麓に、五箇山はある。 豪雪地帯。 3㍍くらいは、普通。
山の斜面に、少しだけ、平らな土地。 不思議。 相倉(あいのくら)集落の入り口。

最初に、全体が見える、山の上から。 左右と奥に、あと少しある。

切妻が基本。 中央奥に、入母屋造(いりもやづくり)。 後で分かるが、念仏堂。
白川郷より、全体に小さい。

産業は、養蚕、紙漉(す)き。 そして、火薬の材料の塩硝(えんしょう)づくり。

お店もあるけど、普通に生活している家も多い。

五箇山には、70の集落があるが、ここは山の中腹なので、車道ができるのが遅かった。
開発が遅れ、合掌造りが残った。
お寺。 入母屋造の屋根。 そして、石垣。

少し行って、振り返った。 右に、最初に紹介した、念仏堂。
畑の準備が、始まっている。 トマトやシシトウを植える。 一輪車に、苗が。

相倉民俗館。 小さい。 これは、2階まで。
おじいちゃん、おばあちゃ、夫婦、子供たちの家族が暮らす大きさ。 後で知る。

中はこう。 ビデオも見た。 1階には、元々は、広い土間、囲炉裏の部屋、2つの部屋。

先日も見た、髪飾りと、結う道具の笄(こうがい)も。
こういうのを見ると、女性が美しくなることが、夢ではなかったと分かる。 ほっとする。
※ あの世へ行く時の口紅が、生まれて最初で最後だった、ということがありますからね。


米があるので、お祝いの料理ですね。
塩分が多そうだけど、薄味なら、体に優しい食べ物ばかり。
これを見て、晩に、ワラビとアゲとコンニャクを煮て食べた。 ワラビの食感が好き。

小さな家は、こんな感じで作る。
ここの民俗館では、いろんなことを教えてもらった。
たとえ貧しくても、すべての家が、合掌造りだった。 知りたかったことが、分かった。
結(ゆい)という結びつきがあって、みんなで作った。
作られ始めたのは、江戸時代の中頃からのよう。


先日も見た、つぶら。 つぶらな目をした子が、つぶらに入っている。
※ つぶらは、円らと書くと思うけど、目をつぶらないは、瞑らない、と書くよう。


斜めの木を、合掌と呼ぶ。 木を組み合わせた形が、合掌の様なので、合掌造りだそう。
初めて知った。 出来上がった形が、合掌だと思っていた。
でも、どっちでもいいと思う。 柱がそうだから、全体の形が、そうなるんだから。
牛で、物を運んだ。
道は南への道。 加賀への道。
そして、城端(じょうはな)への道とある。 城端を通って、金沢に。


※ 明治に入って、城端まで鉄道が来るようになる。 北の高岡市から。 城端線。
南部牛追唄にはかなわないけど、でも、いいですよ。
これで、病人を背負う。
野麦峠でミネは、お兄ちゃんに背負われて、ふるさと飛騨を見た。 あの時も、これ。

※ 説明してくれた人が、こんな話を。
お父さんの姉が京都にいた。 病気になった。 お父さんは、迎えに行った。
汽車で、上に書いた城端(じょうはな)まできた。
お父さんは、上のを使って姉を背負い、城端から、山を越えて、ここまで来た。
右に、今いた民俗館。 山への道は、五箇山街道。 方向から、城端、そして、金沢への道。

道を行ったら、家が1軒。


元の道に戻って、少し奥の左に、別の民俗館。

ここでは、塩硝(えんしょう)の作り方を学んだ。
黒色火薬の7割ほどが、塩硝だというから、大事なもの。 鉄砲には、どうしても必要。



カイコの糞や尿などを土の中に混ぜて、待つ。
塩硝が土の中に生まれ、それを、水に溶かしたりして、取り出す。


詳しくは、下に。 塩硝の結晶は、これ。 こんなにいっぱい出来るのかな。





麦屋節は、平家と関係があった。 昔は、この一帯は、平村。 落ち武者伝説は、本当かも知れない。

円いのは、ささら。 小さな棒は、こきりこ。

ミニ動画(16秒) 少し暗いです。
※ 西条八十が編曲して、全国的に有名になったそう。 そういう面で、五木の子守唄に、似ている。
ここも小さいので、2階まで。

土間で、紙すきをした。 今では、こんな紙も作っている。

集落の奥に行ったら、人形山が見える。 方向は、真南。

悲しい、姉妹のお話。 中央の模様かな。

ワラビでしょうか。 山で採ってる人がいた。

屋根の横にも、窓。 民宿もやっている。 暑いですねと、お話。

向こうは、深い谷。 街があって、国道が通っている。

谷の方に行って、振り返って。

トカゲ。(33秒)
少しだけ走って、皆葎(かいむくら)地区。 ※ 難しい読み。

少し行って、左に行く。 橋を渡る。

流刑小屋。

場所はここ。
ここにも、昔は橋はなかった。 籠で渡っていた。
1人では、渡れないとある。 誰かに引っ張ってもらうんだ。 逃げられないために、そうした。
先日見たのは、こうだった。 どう動くか、不思議に思ったけど、分かった。


罪が重いと、一歩も出られない。
薄暗い中に、人がいた。 加賀騒動の、大槻伝蔵をイメージしているのかな。


お小夜塚を、やっと見つけた。 身投げしたところから、近かった。
右の家は、おさよ、とあった。

上の写真の、右上に、お小夜塚はあった。

五箇山に来たら、急に、歌や踊りが多くなる。
お小夜も、貢献したのか。 位の高い遊女は、教養がある。 ※ 金沢の茶屋街の今はこう。(2010年)

お小夜節。 地元の高校生。
説明の中に「恋に迷う、愛の絆(きずな)の苦悩」とある。 演歌の世界の表現。 今日の歌は、決まった。
彼女のために、小さな公園が作られていた。


※ お小夜はこんな人。
昨日のブログの、お小夜節の先頭の人が、このように踊っている。 ※ 左端の人。
あの人は、お小夜の甦(よみがえ)り。
相倉合掌集落は、そこに住む人の生活が、前面に出ている。
そのため、日本の原風景と云う感じではない。
そういう意味では、菅沼の小さな集落が、日本のなつかしい風景。
今後、観光と生活を、上手にまとめていく感じがします。
【今日の歌】 愛のきずな
【道の駅】 上平(かみたいら)
【明日の予定】 高速を少し走って、近道して、高山の北の古川に行く。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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