大河ドラマ、風林火山で、真田幸隆を演じたのは、佐々木蔵之介。
今日、多くの場面を思い出していた。
真田の地を追われて、信玄の家臣になった。 ※ 真田の地は、上田の近く。
最後は、再び、この地に戻ってくる。
山本勘助も、そのために、力を尽くした。 ※ 勘助は 内野聖陽。
嬉しそうだった。
幸隆、妻の忍芽(しのめ)、勘助の3人で喜ぶ場面があった。
※ 忍芽を演じたのは、清水美砂。
幸隆の息子の真田昌幸が、上田城を築く。
そして、今の上田市の基礎を作り上げる。
この昌幸の息子が、誰もが知ってる、戦の上手な、真田幸村。
大河ドラマの主人公になれそうな、人物。
信州上田は、真田3代の郷(さと)だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
上田市は、長野県で3番目に大きい。 長野市、松本に次いで。
長野新幹線が通っている。 高崎から、上田、長野、と。
※ 来年、金沢まで伸びる。 名前でもめている。 決まっていたのは、北陸新幹線。
この名前では、大阪から北陸に行くのか、名古屋から行くのか、よく分からない。
長野県は、北陸長野新幹線にしてほしいと、JR に言っている。
二の丸橋。 ここから入る。 中は、広く公園。 駐車場も中に。 無料。
右の下の方から、入る。 右は、城の説明。 徳川軍から、2度攻められたが、守り切った。
お濠(ほり)を渡って、本丸跡に。
右は北櫓(やぐら)。 左は、南櫓。 他に、西櫓がある。
※ これらは、移築して復元。
明治になって、城が払い下げられたとき、他に行っていた。
真ん中の櫓門は、復元したもの。
入った直ぐに、真田神社。 真田氏の家紋は、六文銭。
六文は、三途の川の渡し銭とある。
最後に、地獄だろうが、陥る覚悟あり、とある。
戦いのときの、気持ちの強さは、これから生まれているのか。
向こうから、来た。 西矢倉。 最初の櫓は、後で中を見るが、ここは入れない。
入り口から、少しも登ってないが、左は崖。
少し高い所があっても、山はない。 天守もない。 城跡の真ん中辺りが、本丸跡。
右の詩碑は、シベリアに抑留された人が、作った。 マイナス40度の世界。
市の博物館に入った。
左は、上田紬(つむぎ)。 紬は紬糸で作るそう。
※ 紬糸は、屑繭(くずまゆ)または真綿からつむいだ、絹糸。
※ より(ひねり)をかけているから、丈夫だと、辞書にはある。
絹織物でも、ツルツルしていないのか。
真田幸村に仕えた10人の家臣が、真田十勇士(じゅうゆうし)。 後の世に作られた、話。
10人の中に、筧 十蔵(かけい じゅうぞう)がいる。
そのモデルが、この男。 ※ 左上の名前は、風林火山に出ていた、真田幸隆の通称。
右は、武田二十四将(たけだにじゅうししょう)。
真田幸隆が、源太左衛門で、載っている。
左隣は、次男の真田昌輝。 ※ 家督を継いで城を建てる昌幸は、3男。
下の方に、山本勘助がいる。 右目はつむっている。 風林火山では、左目だった。
ここは、お濠。
入り口に戻ってきた。 この人たちは、真田十勇士か。
一緒に写真を撮ってくれる。 パフォーマンスは、土日とかのよう。
目つきは、成り切っている。
門の前の石垣に、大きな石。 こういうの、よく見る。 「どうだっ!」って感じで置く。
目の前の女性は、この後も、ていねいに説明を読んでいた。
きっと、いい旅に・・。
真田十勇士のキャラクター。 猿飛佐助もいる。 真田家3代が、右に。 真ん中に、縦に3人。
真田幸村。 豊臣方に付いた。 右は、夏の陣。 この戦いで、死ぬ。
明治5年当時の、上田城。 石垣は、今と同じなのでしょうか。
さっき撮った写真と、比べてみた。 よく見たら、間違いなく、同じのよう。
北櫓の一番上。 移築復元だから、昔のまま。 それがいい。
広い窓はない。 狭い所から、この写真。
最後の城主、松平 忠礼(まつだいら ただなり)。 上田藩最後の藩主。 どの写真も、中央に。
この人は、幕末に、政府側に付く。
明治に入って、藩知事になったり、子爵になったり、うまく世の中を渡ったよう。
写真を見る限り、大丈夫か、って感じ。
外から撮影。 長野新幹線が、目の前を。
城を出て、柳町通りに向かう。
真田十勇士のキャラクター。
六文銭ののぼりは、どこにでもある。 真田幸村の大河ドラマを望んでいる。
商家の町並み。 昔の街道。 広くはないけど、残っている。
城からここまで、10分はかかる。
もう少し工夫したら、来るだけの価値はあるでしょうか。
どこからどこまでが、魅力があるとする柳町通りなのか、はっきりしない。
ここのお店にも、六文銭。
左に井戸。 保命水とあった。
こんな像が。 雑なようだけど、違うんですね。
城に戻ってきた。
二の丸橋から、このように。
お城を後にした。 上田駅の前を通った。
上田市は、真田氏と関係があると、思っていたが、何も知らなかった。
信州上田は、真田氏3代の郷(さと)、ということでした。
【その他】 町を歩いていたら、消防署の前で、はしご付消防車の訓練。
はしごが伸びた。(36秒)
【関連ブログ】 山本勘助の墓 ~山梨県北杜市高根町~ 峠越え 他 (2009/10/25)
【ブログの紹介】 霧ヶ峰高原 美ヶ原高原 ~2つとも日本百名山、信州ビーナスライン~ 他 (2010/6/25)
【今日の歌】 森田童子です。
【道の駅】 みまき
【明日の予定】 天気が良くないので、この近くのどこか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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今日、多くの場面を思い出していた。
真田の地を追われて、信玄の家臣になった。 ※ 真田の地は、上田の近く。
最後は、再び、この地に戻ってくる。
山本勘助も、そのために、力を尽くした。 ※ 勘助は 内野聖陽。
嬉しそうだった。
幸隆、妻の忍芽(しのめ)、勘助の3人で喜ぶ場面があった。
※ 忍芽を演じたのは、清水美砂。
幸隆の息子の真田昌幸が、上田城を築く。
そして、今の上田市の基礎を作り上げる。
この昌幸の息子が、誰もが知ってる、戦の上手な、真田幸村。
大河ドラマの主人公になれそうな、人物。
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上田市は、長野県で3番目に大きい。 長野市、松本に次いで。
長野新幹線が通っている。 高崎から、上田、長野、と。
※ 来年、金沢まで伸びる。 名前でもめている。 決まっていたのは、北陸新幹線。
この名前では、大阪から北陸に行くのか、名古屋から行くのか、よく分からない。
長野県は、北陸長野新幹線にしてほしいと、JR に言っている。
二の丸橋。 ここから入る。 中は、広く公園。 駐車場も中に。 無料。

右の下の方から、入る。 右は、城の説明。 徳川軍から、2度攻められたが、守り切った。


お濠(ほり)を渡って、本丸跡に。
右は北櫓(やぐら)。 左は、南櫓。 他に、西櫓がある。
※ これらは、移築して復元。
明治になって、城が払い下げられたとき、他に行っていた。
真ん中の櫓門は、復元したもの。

入った直ぐに、真田神社。 真田氏の家紋は、六文銭。

六文は、三途の川の渡し銭とある。
最後に、地獄だろうが、陥る覚悟あり、とある。
戦いのときの、気持ちの強さは、これから生まれているのか。

向こうから、来た。 西矢倉。 最初の櫓は、後で中を見るが、ここは入れない。
入り口から、少しも登ってないが、左は崖。


少し高い所があっても、山はない。 天守もない。 城跡の真ん中辺りが、本丸跡。
右の詩碑は、シベリアに抑留された人が、作った。 マイナス40度の世界。


市の博物館に入った。
左は、上田紬(つむぎ)。 紬は紬糸で作るそう。
※ 紬糸は、屑繭(くずまゆ)または真綿からつむいだ、絹糸。
※ より(ひねり)をかけているから、丈夫だと、辞書にはある。
絹織物でも、ツルツルしていないのか。
真田幸村に仕えた10人の家臣が、真田十勇士(じゅうゆうし)。 後の世に作られた、話。
10人の中に、筧 十蔵(かけい じゅうぞう)がいる。
そのモデルが、この男。 ※ 左上の名前は、風林火山に出ていた、真田幸隆の通称。
右は、武田二十四将(たけだにじゅうししょう)。
真田幸隆が、源太左衛門で、載っている。
左隣は、次男の真田昌輝。 ※ 家督を継いで城を建てる昌幸は、3男。
下の方に、山本勘助がいる。 右目はつむっている。 風林火山では、左目だった。



ここは、お濠。

入り口に戻ってきた。 この人たちは、真田十勇士か。
一緒に写真を撮ってくれる。 パフォーマンスは、土日とかのよう。
目つきは、成り切っている。

門の前の石垣に、大きな石。 こういうの、よく見る。 「どうだっ!」って感じで置く。
目の前の女性は、この後も、ていねいに説明を読んでいた。
きっと、いい旅に・・。


真田十勇士のキャラクター。 猿飛佐助もいる。 真田家3代が、右に。 真ん中に、縦に3人。


真田幸村。 豊臣方に付いた。 右は、夏の陣。 この戦いで、死ぬ。


明治5年当時の、上田城。 石垣は、今と同じなのでしょうか。
さっき撮った写真と、比べてみた。 よく見たら、間違いなく、同じのよう。



北櫓の一番上。 移築復元だから、昔のまま。 それがいい。

広い窓はない。 狭い所から、この写真。

最後の城主、松平 忠礼(まつだいら ただなり)。 上田藩最後の藩主。 どの写真も、中央に。
この人は、幕末に、政府側に付く。
明治に入って、藩知事になったり、子爵になったり、うまく世の中を渡ったよう。
写真を見る限り、大丈夫か、って感じ。


外から撮影。 長野新幹線が、目の前を。

城を出て、柳町通りに向かう。

真田十勇士のキャラクター。
六文銭ののぼりは、どこにでもある。 真田幸村の大河ドラマを望んでいる。


商家の町並み。 昔の街道。 広くはないけど、残っている。

城からここまで、10分はかかる。
もう少し工夫したら、来るだけの価値はあるでしょうか。


どこからどこまでが、魅力があるとする柳町通りなのか、はっきりしない。
ここのお店にも、六文銭。

左に井戸。 保命水とあった。

こんな像が。 雑なようだけど、違うんですね。


城に戻ってきた。

二の丸橋から、このように。

お城を後にした。 上田駅の前を通った。

上田市は、真田氏と関係があると、思っていたが、何も知らなかった。
信州上田は、真田氏3代の郷(さと)、ということでした。
【その他】 町を歩いていたら、消防署の前で、はしご付消防車の訓練。
はしごが伸びた。(36秒)
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【明日の予定】 天気が良くないので、この近くのどこか。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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