どうして、山の中腹に、宿場町があるのでしょう。
街道でもないのに。
身延山にお参りした人の中には、隣の山の、七面山に行く人がいる。
その山の上にも、お参りする寺がある。
遠いから、中間で、1泊。
その場所が、赤沢宿だった。
七面山の登山口に、白糸の滝。
滝のそばに、お万の方の像があった。 家康の側室。
何があったのでしょう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白糸の滝の、場所。
間違って、隣の道を入ってきた。
カーナビの画面を見ると、近くに滝があるので、見ることにした。
赤い橋が見える。 それを、渡るようだ。
橋の近くに来た。 地図があった。 この場所は、七面山への登山口だった。
左上に、身延山。 ここが中心。
右上に、七面山。 信仰の道は、このようにつながっていた。
初めて知った。
赤沢宿は、川の向こうの山の上だった。
上の方から撮った。 右に、登山道。 正面に、橋。
橋に行くと、滝が見えた。
白糸の滝。 左に、お万の方の像。
身延山は、日蓮宗。 彼女は、日蓮宗から、感謝されていた。
像の表情は、意志が強そう。
お万の方は、家康の側室。 秀忠を生んではいないが、2人の子供を生んでいる。
家康が信仰しているのは、浄土宗。 知恩院の浄土宗。
彼女は、日蓮宗だった。
家康は、日蓮宗の指導的立場にいた、日遠(にちおん)という僧を嫌っていた。
日蓮宗は、浄土宗をよく言わない。
家康は、日遠を殺すことにした。
お万の方は、もし日遠を殺すのなら自分も死ぬと、2人分の死装束を縫いだした。
これを見た家康は、困った。
日遠を、助けるしかなかった。
日蓮宗にとって、お万の方は、宗派にとって恩人となった。
※ お万の方は、養珠院(ようじゅいん)と呼ばれ、こんな人。 別の絵も。 若い時は、美しい。
白糸の滝に、どうして、彼女の像があるのか。
死装束は、白糸で縫うからか。
別の滝もあるというので。
ここは、雄瀧弁天堂。 そして、雄滝。 同じような滝。
戻っている。 土石流が流れると、川は、こうなってしまう。
赤沢宿へは、近道があるが、道が不安なので、一度山を下りて、別の道を登った。
昨日と、同じような急な道だった。 しかも細くて。
※ 動画を撮ったけど、カメラが変だった。 何か、おかしな操作をしたのか。 消えていた。
今使ってる小さなカメラが、運転席の前に、取り付けられると分かった。
今後、走ってる動画を、時々撮影。 以前のより、ずっとよく写る。
空き地に、車を置いて、歩き出す。
人に聞いて、上の方に行く。
下の方。 普通の家に見える。 右側に、高く、七面山。
この地図は、最後に発見した。
ここの道は、身延山と七面山を、行ったり来たりする、道だった。
車は、あそこに。
石畳は新しい。 古い写真を探したが、見つからない。
急で曲がりくねった道が、続く。
個人の家。
参拝者は疲れている。 心も休まるように景観を作ったのか。
上から下を。 水はきっと飲めた。 下の水でタオルを濡らして、汗を拭いた。
さらに登って、上から下。 庭の中を歩いている感じ。
左の建物は、閉まっていた。 昔は、人が多かった。 こんな写真が。
左は、宿。 昔は、9軒あった。 今は、営業しているのは、1軒。
軒先に、札。 後でまた。
地図に載ってる、妙福寺。
元々は真言宗だったけど、日蓮宗にならざるを得なかった。
赤沢には、信仰の道になる、鎌倉時代中頃の前から、人は住んでいた。
石碑もみんな古い。 だいぶ登ってきた。
今は茅葺(かやぶき)ではないが、大正時代の写真を見ると、茅葺。(上の上の写真の、石碑と門が写っている)
この家も、昔は、宿だった。 たくさん人が来ても、ここでいっぺんに靴が脱げる。
左の建物も、宿だった。
赤沢宿はにある宿は、講中宿(こうじゅうやど)と、呼ばれる。
講中は、同じ信仰を持つ人々の仲間の、呼び名。
各地の講中は、全員で来たり、代表が来たり、様々なよう。
下の写真の札は、マネギ板。 講中の名前が書いてある。
これは、宿が書いたもので、宣伝を兼ねているのかな。
今の、旅館やホテルも、入り口に書く。
※ マネギ板のマネギは、招木と書くよう。 招く、招き、などから生まれた。
深川や下谷(したや)は、東京。
西鳥越(にしとりごえ)三の西鳥越は、上越市。 謙信の春日山城の近く。
道はまだあるけど、家が無くなってきたので、戻る。
向こうの谷底に、さっきまでいた。 白糸の滝を見たり。
※ 七面山の写真を撮り忘れた。 地元の人と、あれが七面山ですね、と話したのに。
下の写真は、Wikipediaから、お借り。
5時間くらいかかるよう。 3時間くらいかなって、見えるんだけど。
駐車した場所より、低い石畳の道。
牧水。 この人は、どこにいってもいる。
「花ちさき 山あぢさゐの 濃き藍の いろぞ澄みたり 木の蔭に咲きて」
山アジサイは、こんな花。 確かに小さい。 濃い藍(あお)。
山でよく見ます。 花の形が違う。 色は、いろいろ。
道が大変だったけど、珍しい所に、行ってきました。
身延山から歩いてみたい。
赤沢宿を通り過ぎて、白糸の滝まで。 そして、戻る。
次の日、白糸の滝から、山に登る。
来年だな。 めんどうなことは。
【関連ブログ】 身延山久遠寺 身延山山頂奥ノ院 ~日本三急流富士川流域 山梨県身延町~ 他 (2010/6/27)
【今日の動画】 W杯出場、おめでとう。
本田が相手のハンドを誘い、自分でPKを決めた。
【道の駅】 とみざわ
【明日の予定】 三保の松原かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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街道でもないのに。
身延山にお参りした人の中には、隣の山の、七面山に行く人がいる。
その山の上にも、お参りする寺がある。
遠いから、中間で、1泊。
その場所が、赤沢宿だった。
七面山の登山口に、白糸の滝。
滝のそばに、お万の方の像があった。 家康の側室。
何があったのでしょう。
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白糸の滝の、場所。
間違って、隣の道を入ってきた。
カーナビの画面を見ると、近くに滝があるので、見ることにした。
赤い橋が見える。 それを、渡るようだ。

橋の近くに来た。 地図があった。 この場所は、七面山への登山口だった。

左上に、身延山。 ここが中心。
右上に、七面山。 信仰の道は、このようにつながっていた。
初めて知った。
赤沢宿は、川の向こうの山の上だった。

上の方から撮った。 右に、登山道。 正面に、橋。

橋に行くと、滝が見えた。

白糸の滝。 左に、お万の方の像。

身延山は、日蓮宗。 彼女は、日蓮宗から、感謝されていた。
像の表情は、意志が強そう。



お万の方は、家康の側室。 秀忠を生んではいないが、2人の子供を生んでいる。
家康が信仰しているのは、浄土宗。 知恩院の浄土宗。
彼女は、日蓮宗だった。
家康は、日蓮宗の指導的立場にいた、日遠(にちおん)という僧を嫌っていた。
日蓮宗は、浄土宗をよく言わない。
家康は、日遠を殺すことにした。
お万の方は、もし日遠を殺すのなら自分も死ぬと、2人分の死装束を縫いだした。
これを見た家康は、困った。
日遠を、助けるしかなかった。
日蓮宗にとって、お万の方は、宗派にとって恩人となった。
※ お万の方は、養珠院(ようじゅいん)と呼ばれ、こんな人。 別の絵も。 若い時は、美しい。
白糸の滝に、どうして、彼女の像があるのか。
死装束は、白糸で縫うからか。
別の滝もあるというので。

ここは、雄瀧弁天堂。 そして、雄滝。 同じような滝。


戻っている。 土石流が流れると、川は、こうなってしまう。

赤沢宿へは、近道があるが、道が不安なので、一度山を下りて、別の道を登った。
昨日と、同じような急な道だった。 しかも細くて。
※ 動画を撮ったけど、カメラが変だった。 何か、おかしな操作をしたのか。 消えていた。
今使ってる小さなカメラが、運転席の前に、取り付けられると分かった。
今後、走ってる動画を、時々撮影。 以前のより、ずっとよく写る。
空き地に、車を置いて、歩き出す。
人に聞いて、上の方に行く。

下の方。 普通の家に見える。 右側に、高く、七面山。

この地図は、最後に発見した。

ここの道は、身延山と七面山を、行ったり来たりする、道だった。


車は、あそこに。

石畳は新しい。 古い写真を探したが、見つからない。

急で曲がりくねった道が、続く。

個人の家。

参拝者は疲れている。 心も休まるように景観を作ったのか。

上から下を。 水はきっと飲めた。 下の水でタオルを濡らして、汗を拭いた。

さらに登って、上から下。 庭の中を歩いている感じ。

左の建物は、閉まっていた。 昔は、人が多かった。 こんな写真が。

左は、宿。 昔は、9軒あった。 今は、営業しているのは、1軒。
軒先に、札。 後でまた。


地図に載ってる、妙福寺。
元々は真言宗だったけど、日蓮宗にならざるを得なかった。
赤沢には、信仰の道になる、鎌倉時代中頃の前から、人は住んでいた。

石碑もみんな古い。 だいぶ登ってきた。

今は茅葺(かやぶき)ではないが、大正時代の写真を見ると、茅葺。(上の上の写真の、石碑と門が写っている)

この家も、昔は、宿だった。 たくさん人が来ても、ここでいっぺんに靴が脱げる。

左の建物も、宿だった。

赤沢宿はにある宿は、講中宿(こうじゅうやど)と、呼ばれる。
講中は、同じ信仰を持つ人々の仲間の、呼び名。
各地の講中は、全員で来たり、代表が来たり、様々なよう。
下の写真の札は、マネギ板。 講中の名前が書いてある。
これは、宿が書いたもので、宣伝を兼ねているのかな。
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※ マネギ板のマネギは、招木と書くよう。 招く、招き、などから生まれた。
深川や下谷(したや)は、東京。
西鳥越(にしとりごえ)三の西鳥越は、上越市。 謙信の春日山城の近く。

道はまだあるけど、家が無くなってきたので、戻る。

向こうの谷底に、さっきまでいた。 白糸の滝を見たり。

※ 七面山の写真を撮り忘れた。 地元の人と、あれが七面山ですね、と話したのに。
下の写真は、Wikipediaから、お借り。
5時間くらいかかるよう。 3時間くらいかなって、見えるんだけど。

駐車した場所より、低い石畳の道。

牧水。 この人は、どこにいってもいる。
「花ちさき 山あぢさゐの 濃き藍の いろぞ澄みたり 木の蔭に咲きて」
山アジサイは、こんな花。 確かに小さい。 濃い藍(あお)。
山でよく見ます。 花の形が違う。 色は、いろいろ。

道が大変だったけど、珍しい所に、行ってきました。
身延山から歩いてみたい。
赤沢宿を通り過ぎて、白糸の滝まで。 そして、戻る。
次の日、白糸の滝から、山に登る。
来年だな。 めんどうなことは。
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本田が相手のハンドを誘い、自分でPKを決めた。
【道の駅】 とみざわ
【明日の予定】 三保の松原かな。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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