安芸市について、何も知らなかった。 ※ 安芸市~あきし
歩いてみたら、面白いことは、いっぱいあった。
また、伝建地区ではないが、ここだけの魅力的な町並みがあった。
昨晩のブログが遅くなって、お昼にやっと出発。
※ 平教経を調べるのに時間がかかった。 調べ始めたら、ブログを忘れることがある。
馬路の市街地を過ぎたら、道の先に、石橋のようなのが見えた。
※ 見えたのは、道がカーブしていたため。
パーキングがあったので、車を停めて、吊り橋の上から撮った。
どう見ても、昔の物だ。 丈夫なものだなと思う。
石橋の片側が、岩にくっ付いてるので、なお丈夫なのか。
※ 今は、石橋を車が通るのは、滅多にない。
大きさ日本一の石橋である、轟橋(九州、大野市)は、今も車が通っている。
とても美しい霊台橋(九州、美里町)は、隣に橋ができた。 霊台橋を残すことにした。
この吊り橋は、ゆれた。
安芸市に着いて、河川敷の駐車場に停めた。 町並みまで、500㍍程。
この方が、駐車場で苦労するより、ずっと楽。
安芸市は、高知市の少し右にある感じ。
地図の、真ん中右辺りを歩く。
この建物に、安芸市のシンボル、野良時計がある。 周りには畑もあって、田園っぽい。
明治20年頃のもの。 時計を独学で学んだ、畠中源馬(はたけなか げんま)という人が作った。
時計は停まっていた。 詳しい人がいないようだ。
昔は、畠中の櫓時計と言われていた。 ※ 櫓~やぐら
ところが、NHKが大晦日の「行く年来る年」で、野良時計と言った。 それ以来、野良時計になった。
※ 札幌時計台 道後温泉のカラクリ時計
ここからは、土居廓中。 土居は地名。 廓中(かちゅう)は、何かで囲った中、という意味。
昔は、誰でもが、武家屋敷のある、この一角には入れなかった。
丸っこい石が積まさっているのは、こっち方面の特徴ですね。
これは、曲碑という。 安芸市近辺に、10ヶ所程ある。
作曲家の、弘田龍太郎は、この町の出身。 それである。
ここのは、「叱られて」 他には、浜千鳥、春よ来い、靴が鳴る、雀の学校、鯉のぼりなど。
曲が流れる仕組みなんだが、壊れていた。
初音ミクが歌います。 こんな歌。
この塀は、瓦を積んである。 初めて見るように思う。
土居廓中の通りは、こんな感じが多い。
野村邸という所が、見学できた。 無料。 落ち着いたたたずまい。
特に立派でない、普通の所はこう。
石垣でなく、垣根も多い。 野村邸を覗いている。
色んな種類の垣根がある。 雨切り瓦が見える。
石垣もさっきの感じだから、武家屋敷の町並みにしては、雰囲気がやわらかい。
※ 竹田市殿町武家屋敷通り 福江島武家屋敷通り 出水麓武家屋敷群
左側に、安芸城跡。
石垣が残っていた。 左の山の上に城があったが、江戸時代の初めには、取り壊された。
石垣の向こうに、歴史民俗資料館と書道美術館があった。 後で、行く。
小山の上に、城の痕跡はなかった。
書道美術館の前に、古い井戸があった。
1569年、安芸城は長宗我部(ちょうそかべ)軍に取り囲まれた。
味方の中で裏切ったのがいた。 井戸に毒を投げ込んで、敵の陣に走った。 安芸軍は負けた。
城主の安芸国虎は、家来と領民の助命を条件に、腹を切った。
以来、落城を早めた毒井戸と呼ばれる。
歴史民俗資料館の壁に、こんな絵があった。
これについては、Wikipediaに、こう書いてある。
山内一豊は、天正元年(1573年)8月の朝倉氏との刀禰坂の戦いでは、顔に重傷を負いながらも、
敵将三段崎勘右衛門を討ち取った。
この戦闘の際、一豊の頬に刺さったとされる矢は、矢を抜いた郎党の五藤為浄の子孫が家宝とし、
現在、高知県安芸市の歴史民俗資料館に所蔵されている。
絵のそばに、同じような説明があった。
目の下から刺さった矢は、奥歯に届いていたという。
矢が抜けないので、顔を踏みつけて抜けと、一豊が言った。
その矢が、これ。 資料館にあった。 ※ 写真は、パンフレットから。
あっちこっち歩きながら、駐車場に戻った。
安芸市については、他に、
三菱財閥の創立者である岩崎弥太郎の出身地。
そして、阪神タイガースの春季キャンプの場所が、ここだった。
今日は、安芸市について、少しだけ分かった。
【道の駅】 やす
【明日の予定】 芸西村にお龍の像がある。 龍馬が死んだ後、1年程この村に住んだという。
高知市内のどこか。
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【動画】 道の駅 やす へ 曲は、池上線
歩いてみたら、面白いことは、いっぱいあった。
また、伝建地区ではないが、ここだけの魅力的な町並みがあった。
昨晩のブログが遅くなって、お昼にやっと出発。
※ 平教経を調べるのに時間がかかった。 調べ始めたら、ブログを忘れることがある。
馬路の市街地を過ぎたら、道の先に、石橋のようなのが見えた。
※ 見えたのは、道がカーブしていたため。
パーキングがあったので、車を停めて、吊り橋の上から撮った。

どう見ても、昔の物だ。 丈夫なものだなと思う。
石橋の片側が、岩にくっ付いてるので、なお丈夫なのか。
※ 今は、石橋を車が通るのは、滅多にない。
大きさ日本一の石橋である、轟橋(九州、大野市)は、今も車が通っている。
とても美しい霊台橋(九州、美里町)は、隣に橋ができた。 霊台橋を残すことにした。
この吊り橋は、ゆれた。

安芸市に着いて、河川敷の駐車場に停めた。 町並みまで、500㍍程。
この方が、駐車場で苦労するより、ずっと楽。
安芸市は、高知市の少し右にある感じ。
地図の、真ん中右辺りを歩く。

この建物に、安芸市のシンボル、野良時計がある。 周りには畑もあって、田園っぽい。

明治20年頃のもの。 時計を独学で学んだ、畠中源馬(はたけなか げんま)という人が作った。
時計は停まっていた。 詳しい人がいないようだ。
昔は、畠中の櫓時計と言われていた。 ※ 櫓~やぐら
ところが、NHKが大晦日の「行く年来る年」で、野良時計と言った。 それ以来、野良時計になった。

※ 札幌時計台 道後温泉のカラクリ時計
ここからは、土居廓中。 土居は地名。 廓中(かちゅう)は、何かで囲った中、という意味。
昔は、誰でもが、武家屋敷のある、この一角には入れなかった。
丸っこい石が積まさっているのは、こっち方面の特徴ですね。

これは、曲碑という。 安芸市近辺に、10ヶ所程ある。
作曲家の、弘田龍太郎は、この町の出身。 それである。
ここのは、「叱られて」 他には、浜千鳥、春よ来い、靴が鳴る、雀の学校、鯉のぼりなど。

曲が流れる仕組みなんだが、壊れていた。
初音ミクが歌います。 こんな歌。
この塀は、瓦を積んである。 初めて見るように思う。

土居廓中の通りは、こんな感じが多い。

野村邸という所が、見学できた。 無料。 落ち着いたたたずまい。

特に立派でない、普通の所はこう。

石垣でなく、垣根も多い。 野村邸を覗いている。

色んな種類の垣根がある。 雨切り瓦が見える。
石垣もさっきの感じだから、武家屋敷の町並みにしては、雰囲気がやわらかい。

※ 竹田市殿町武家屋敷通り 福江島武家屋敷通り 出水麓武家屋敷群
左側に、安芸城跡。

石垣が残っていた。 左の山の上に城があったが、江戸時代の初めには、取り壊された。
石垣の向こうに、歴史民俗資料館と書道美術館があった。 後で、行く。

小山の上に、城の痕跡はなかった。

書道美術館の前に、古い井戸があった。
1569年、安芸城は長宗我部(ちょうそかべ)軍に取り囲まれた。
味方の中で裏切ったのがいた。 井戸に毒を投げ込んで、敵の陣に走った。 安芸軍は負けた。
城主の安芸国虎は、家来と領民の助命を条件に、腹を切った。
以来、落城を早めた毒井戸と呼ばれる。

歴史民俗資料館の壁に、こんな絵があった。

これについては、Wikipediaに、こう書いてある。
山内一豊は、天正元年(1573年)8月の朝倉氏との刀禰坂の戦いでは、顔に重傷を負いながらも、
敵将三段崎勘右衛門を討ち取った。
この戦闘の際、一豊の頬に刺さったとされる矢は、矢を抜いた郎党の五藤為浄の子孫が家宝とし、
現在、高知県安芸市の歴史民俗資料館に所蔵されている。
絵のそばに、同じような説明があった。
目の下から刺さった矢は、奥歯に届いていたという。
矢が抜けないので、顔を踏みつけて抜けと、一豊が言った。

その矢が、これ。 資料館にあった。 ※ 写真は、パンフレットから。

あっちこっち歩きながら、駐車場に戻った。

安芸市については、他に、
三菱財閥の創立者である岩崎弥太郎の出身地。
そして、阪神タイガースの春季キャンプの場所が、ここだった。
今日は、安芸市について、少しだけ分かった。
【道の駅】 やす
【明日の予定】 芸西村にお龍の像がある。 龍馬が死んだ後、1年程この村に住んだという。
高知市内のどこか。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で9位です。 放浪の旅は30位です。
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【動画】 道の駅 やす へ 曲は、池上線
コメント
安芸
Re: 安芸
手結港は近くですね。 歩いてみます。
今日時間がなければ、明日にでも。
今は、この近くの細かな情報を集めています。
今日時間がなければ、明日にでも。
今は、この近くの細かな情報を集めています。
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道の駅やすに居るようですが海沿いを手結岬の方へ少し走ると手結港(野中兼山という人が作った掘込港)や珍しい可動橋なんかがありますよ。