岩村町は、女城主ゆかりの城下町。
伝建地区の町並みが、残っていた。
女学生が最初に制服を着たのは、実践女子学園。(右上×で戻る)
そこの創設者は、下田歌子。
彼女は、岩村町の出身だった。
元々の名前は、鉐(せき)だったが、あることがあって、歌子となった。
(関係者は、昨日のブログに、登場しています)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
岩村町は、恵那市に。
空き地に停めて、町並みに向かった。
後で知ったが、この町は、観光客に駐車場は準備していた。
この姿勢は、まず来ていただく、というとっても大事な考えですね。
※ 昨日の大正村は、この考えを学んだ方が、いいのではと・・・。
昔の街道。 明智街道。 明智城に向かっている。 この辺りは、明治以降の建物。 奥に行くと、古くなる。
いわむら美術の館(やかた)。 無料。 ここで、地図をいただく。
地元の画家の絵を、展示していた。
窓に腰かけて、ビールを飲む。
下の通りを、八尾の盆踊りのようなのが通る。 そんな経験は、夢かな。
下田歌子。 初めて聞く名前。 なかなかの人でした。 後ほど。
建物には、美しい格子。
※ 2本ずつ長さが違う。 海野格子(うんのごうし)と呼ばれるものですね。
海野宿で、見ています。 飛騨に近いから、技術が高いのか。
電柱がない。 すっきりしている。
ここに、そのことが。 町づくりは、本気ですね。
岩村の町並みには、お店が多い。 楽しめます。
餅の周りに、餡(あん)やゴマだったかな。 作っているのが見えた。 美味しそうにも見えた。
道が、曲がって曲がって、向こうに行く。 町並みでよくある。 見通せないように。
升形(ますがた)と呼んでいる。
※ 攻める方は、向こうが見えないから、攻撃が鈍る。
曲がり終わって、再度真っ直ぐ。
地図の下の方から、歩き出した。 左上は、古い城下町のあった所。
この家に入ることが出来る。
風が通るように、必ず中庭がある。
北海道育ちの私は、こういう情緒のある、和風っぽい生活とは、無縁で育った。
三面、窓。 夏暑く、冬寒くないのかな。
暮らすなら、1日いっぱいそこにいても、退屈しない部屋がいい。
ベランダから、川が見えたり。 魚が釣れたら・・。 ぜいたく過ぎるか。
このように、歩いている人が、結構いる。
岩村町が考えているのは、城の復元ですね。 もちろん木造で。 こんなのです。
町並みの中に、ぜひ行ってみたい場所を考えるのもいいですね。
例えば、小路。 人は、そういう所に、行きたがる。 別世界の魅力をつくる。
※ 多くの町で、取り組んでいる。
取り組みの基本姿勢は、他から学んで、独自のアイディアを積み上げる。
水の流れ、花などが、キーワードになるでしょうか。
水で何かを動かす工夫も、面白い。
道沿いに小さな神社を作って、カラクリを置く。
これも、いい。 女城主の人形が、御神籤を運ぶとか。 ※ 京都の、錦天満宮を参考に。
ショウウインドウは、楽しいですね。
ガラスが汚れていらた、悲しいけど。
シマヘビが、ツバメの巣を襲った。
もう食べた後。 お腹の一部が、膨らんでいる。
城跡に向かう。
山道を1㌔。 ちょっと行って来る、という距離ではない。
※ 頂上に、駐車場がある。 車でも行ける。
句がある。 「釈尊や藩校 大き 門ひらき」
この近くに、岩村藩校知新館という、学校があった。
先ほど出てきた、下田歌子は、女であるという理由で、学べなかった。
学べないことを彼女は、大きな矛盾に感じる。
このことは、将来、彼女を動かす原点になっていく。
あと、700㍍。
奥に、下田歌子が学んだ部屋。
この像は、彼女の魅力を引き出しているでしょうか。
彼女は行動的で、文才もある。
和泉式部のような、女性としても魅力も兼ね備えている。 ※ 妖婦下田歌子と、云われたりも。
※ こんな写真が残っているので、別なのを作る時があれば、参考にしたらどうでしょう。
※ 製作者は、彼女の考えの全てを知らないと、表情は表現できないと思うのですが。
彼女は、実践女子学園をつくった。
彼女の歌った、歌碑。
「 たまくらは 花のふぶきに うづもれて うたたねさむし 春の夜の月 」
たまくらは、手枕で、意味は何となく分かりますね。
この歌は、明治5年、明治天皇の皇后の歌会の時に、「春月」の題で歌った。 ※ 昭憲皇太后の皇后時代。
昭憲皇太后は、才能があるから、歌子を名乗りなさいと言った。
以来、歌子に。 ※ 彼女は、宮中の女官になっていたので、歌う機会が。
雨模様になってきた。
規模の大きさを感じさせる、石垣。
蛇の骨を投げ入れたら、霧が出た。 それで、霧ヶ城とも。
中央に、本丸跡。
地図の左上の、旧城下町方向。
岩村城跡は、無くてもいい木がいっぱい。
城跡の美しさが分かるように、元々なかった木は、切ってしまう。 石垣全体が見えるように。
※ 例えば、兵庫県にある、竹田城跡のように。
本丸跡。
女城主と云われる、影任(かげとう)夫人は、信長の父の妹。 叔母になる。
最後に、武田方になる。 信長の怒りをかって、城は落とされ、殺される。 逆さの磔(はりつけ)。
※ こんな肖像画がある。
※ 女城主の夫の影任が亡くなって、信長は、息子の坊丸を城によこした。
坊丸がまだ子供だったので、女城主が生まれた。
※ 上に書いた坊丸は、森坊丸ではない。
また、岩村城には、坊丸の兄の森蘭丸がいたとも云われている。
ただこのことは、はっきりしない。
もし、いたのが確実なら、どれだけ、この城を有名にするでしょう。
森蘭丸も森坊丸も、本能寺で、信長と最後まで戦う。
下に、駐車場。
滑る石畳を、戻る。
初めて見た。 急速充電。 無料。
百草丸とある。 胃腸薬のよう。 原料は、キハダの樹皮。 正露丸とは、成分が違うよう。
似たようなので、陀羅尼助(だらにすけ)を吉野で見た。
町並みの様子。
町づくりに取り組んでいる人たちの、意気込みが感じられました。
数年後に、どのように変わったか、もう一度来てみたいです。
その時、城は、復元できているでしょうか。
※ 時間がかかっても、本物の復元ですね。
岐阜県の伝建地区は、他に、高山、白川郷、郡上八幡、など。
どこも、魅力あります。
【今日の歌】 オー・ソレ・ミオのまとめ。
イタリアの、ナポリ民謡ですね。
ナポリのそばには、ベスビオ火山。 昔、多くの人が、灰に埋まった。
悠久の歴史と云うか、何かそんなものを、メロディに感じます。
日本語訳の、歌詞を載せます。
晴れた日は何て素晴らしい、 嵐のあとの澄んだ空
まるで祭日のようなさわやかな空 晴れた日は何て素晴らしい
だけどもうひと方の太陽 なお一層輝かしい
私の太陽 きみの顔に輝く!
太陽、私の太陽 きみの顔に輝く! きみの顔に輝く!
夜が来て、太陽が沈みきったとき、 憂鬱がわだかまり始めた。
きみの窓の下に私は留まる 夜が来て、太陽が沈みきったとき。
だけどもうひと方の太陽 なお一層輝かしい
私の太陽 きみの顔に輝く!
太陽、私の太陽 きみの顔に輝く! きみの顔に輝く!
※ 明日からは、ベサメ・ムーチョ。 作曲者は、17歳の女性。 いいのを数曲見つけています。
【道の駅】 志野・織部
【明日の予定】 鬼岩公園かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
伝建地区の町並みが、残っていた。
女学生が最初に制服を着たのは、実践女子学園。(右上×で戻る)
そこの創設者は、下田歌子。
彼女は、岩村町の出身だった。
元々の名前は、鉐(せき)だったが、あることがあって、歌子となった。
(関係者は、昨日のブログに、登場しています)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
岩村町は、恵那市に。
空き地に停めて、町並みに向かった。
後で知ったが、この町は、観光客に駐車場は準備していた。
この姿勢は、まず来ていただく、というとっても大事な考えですね。
※ 昨日の大正村は、この考えを学んだ方が、いいのではと・・・。
昔の街道。 明智街道。 明智城に向かっている。 この辺りは、明治以降の建物。 奥に行くと、古くなる。

いわむら美術の館(やかた)。 無料。 ここで、地図をいただく。
地元の画家の絵を、展示していた。


窓に腰かけて、ビールを飲む。
下の通りを、八尾の盆踊りのようなのが通る。 そんな経験は、夢かな。
下田歌子。 初めて聞く名前。 なかなかの人でした。 後ほど。


建物には、美しい格子。
※ 2本ずつ長さが違う。 海野格子(うんのごうし)と呼ばれるものですね。
海野宿で、見ています。 飛騨に近いから、技術が高いのか。

電柱がない。 すっきりしている。

ここに、そのことが。 町づくりは、本気ですね。

岩村の町並みには、お店が多い。 楽しめます。

餅の周りに、餡(あん)やゴマだったかな。 作っているのが見えた。 美味しそうにも見えた。

道が、曲がって曲がって、向こうに行く。 町並みでよくある。 見通せないように。
升形(ますがた)と呼んでいる。
※ 攻める方は、向こうが見えないから、攻撃が鈍る。

曲がり終わって、再度真っ直ぐ。

地図の下の方から、歩き出した。 左上は、古い城下町のあった所。

この家に入ることが出来る。
風が通るように、必ず中庭がある。
北海道育ちの私は、こういう情緒のある、和風っぽい生活とは、無縁で育った。


三面、窓。 夏暑く、冬寒くないのかな。
暮らすなら、1日いっぱいそこにいても、退屈しない部屋がいい。
ベランダから、川が見えたり。 魚が釣れたら・・。 ぜいたく過ぎるか。

このように、歩いている人が、結構いる。

岩村町が考えているのは、城の復元ですね。 もちろん木造で。 こんなのです。
町並みの中に、ぜひ行ってみたい場所を考えるのもいいですね。
例えば、小路。 人は、そういう所に、行きたがる。 別世界の魅力をつくる。
※ 多くの町で、取り組んでいる。
取り組みの基本姿勢は、他から学んで、独自のアイディアを積み上げる。
水の流れ、花などが、キーワードになるでしょうか。
水で何かを動かす工夫も、面白い。
道沿いに小さな神社を作って、カラクリを置く。
これも、いい。 女城主の人形が、御神籤を運ぶとか。 ※ 京都の、錦天満宮を参考に。
ショウウインドウは、楽しいですね。
ガラスが汚れていらた、悲しいけど。


シマヘビが、ツバメの巣を襲った。
もう食べた後。 お腹の一部が、膨らんでいる。

城跡に向かう。
山道を1㌔。 ちょっと行って来る、という距離ではない。
※ 頂上に、駐車場がある。 車でも行ける。
句がある。 「釈尊や藩校 大き 門ひらき」
この近くに、岩村藩校知新館という、学校があった。
先ほど出てきた、下田歌子は、女であるという理由で、学べなかった。
学べないことを彼女は、大きな矛盾に感じる。
このことは、将来、彼女を動かす原点になっていく。

あと、700㍍。

奥に、下田歌子が学んだ部屋。

この像は、彼女の魅力を引き出しているでしょうか。
彼女は行動的で、文才もある。
和泉式部のような、女性としても魅力も兼ね備えている。 ※ 妖婦下田歌子と、云われたりも。
※ こんな写真が残っているので、別なのを作る時があれば、参考にしたらどうでしょう。
※ 製作者は、彼女の考えの全てを知らないと、表情は表現できないと思うのですが。
彼女は、実践女子学園をつくった。


彼女の歌った、歌碑。
「 たまくらは 花のふぶきに うづもれて うたたねさむし 春の夜の月 」
たまくらは、手枕で、意味は何となく分かりますね。
この歌は、明治5年、明治天皇の皇后の歌会の時に、「春月」の題で歌った。 ※ 昭憲皇太后の皇后時代。
昭憲皇太后は、才能があるから、歌子を名乗りなさいと言った。
以来、歌子に。 ※ 彼女は、宮中の女官になっていたので、歌う機会が。


雨模様になってきた。

規模の大きさを感じさせる、石垣。

蛇の骨を投げ入れたら、霧が出た。 それで、霧ヶ城とも。


中央に、本丸跡。

地図の左上の、旧城下町方向。

岩村城跡は、無くてもいい木がいっぱい。
城跡の美しさが分かるように、元々なかった木は、切ってしまう。 石垣全体が見えるように。
※ 例えば、兵庫県にある、竹田城跡のように。
本丸跡。

女城主と云われる、影任(かげとう)夫人は、信長の父の妹。 叔母になる。
最後に、武田方になる。 信長の怒りをかって、城は落とされ、殺される。 逆さの磔(はりつけ)。
※ こんな肖像画がある。


※ 女城主の夫の影任が亡くなって、信長は、息子の坊丸を城によこした。
坊丸がまだ子供だったので、女城主が生まれた。
※ 上に書いた坊丸は、森坊丸ではない。
また、岩村城には、坊丸の兄の森蘭丸がいたとも云われている。
ただこのことは、はっきりしない。
もし、いたのが確実なら、どれだけ、この城を有名にするでしょう。
森蘭丸も森坊丸も、本能寺で、信長と最後まで戦う。
下に、駐車場。

滑る石畳を、戻る。

初めて見た。 急速充電。 無料。

百草丸とある。 胃腸薬のよう。 原料は、キハダの樹皮。 正露丸とは、成分が違うよう。
似たようなので、陀羅尼助(だらにすけ)を吉野で見た。

町並みの様子。
町づくりに取り組んでいる人たちの、意気込みが感じられました。
数年後に、どのように変わったか、もう一度来てみたいです。
その時、城は、復元できているでしょうか。
※ 時間がかかっても、本物の復元ですね。
岐阜県の伝建地区は、他に、高山、白川郷、郡上八幡、など。
どこも、魅力あります。
【今日の歌】 オー・ソレ・ミオのまとめ。
イタリアの、ナポリ民謡ですね。
ナポリのそばには、ベスビオ火山。 昔、多くの人が、灰に埋まった。
悠久の歴史と云うか、何かそんなものを、メロディに感じます。
日本語訳の、歌詞を載せます。
晴れた日は何て素晴らしい、 嵐のあとの澄んだ空
まるで祭日のようなさわやかな空 晴れた日は何て素晴らしい
だけどもうひと方の太陽 なお一層輝かしい
私の太陽 きみの顔に輝く!
太陽、私の太陽 きみの顔に輝く! きみの顔に輝く!
夜が来て、太陽が沈みきったとき、 憂鬱がわだかまり始めた。
きみの窓の下に私は留まる 夜が来て、太陽が沈みきったとき。
だけどもうひと方の太陽 なお一層輝かしい
私の太陽 きみの顔に輝く!
太陽、私の太陽 きみの顔に輝く! きみの顔に輝く!
※ 明日からは、ベサメ・ムーチョ。 作曲者は、17歳の女性。 いいのを数曲見つけています。
【道の駅】 志野・織部
【明日の予定】 鬼岩公園かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1072-11d3ccca