おくの細道の旅は、大垣で終わった。
どうして、大垣なんでしょう。
北陸から下りてきて、中山道にぶつかった場所。
芭蕉は、伊勢にも行きたかった。
伊勢への道は、もう、奥の細道の雰囲気ではない。
そんなことで、終点を大垣にしたのか。
※ ずっと一緒だった曾良(そら)とも別れていた。
少し前の山中温泉で。 曾良が腹痛。
曾良と別れてからは、どこかで、奥の細道の旅はお終いと、考えていたかも・・。
立派な記念館があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大垣(おおがき)は、中山道の赤坂宿があったところ。
街道の、交差点に。
これを見て、大垣市が、芭蕉を大事にしていることが、見えてくるでしょうか。
奥の細道は、東北のイメージが強いので、旅の最後の方には、関心が弱かった。
芭蕉の句の秀作は、北方面に多い感じがする。
むすびの地と云う表現は、大垣市が考えたのかな。 最後の地と云う意味ですね。
上の写真の右側。 資料館は、広い。
入館料300円。
このような展示。 見る前に、15分ほどの映画を見た。 立体的に見える眼鏡をかけて。
奥の細道は、芭蕉が書いた旅行記。 みんな書き写すから、いろんなのが残っている。
芭蕉が書いたのは、左上。
ずっと行方不明だったのが、平成8年に発見されたとある。
芭蕉はいつも、推敲(すいこう)を重ねる。 芭蕉の句は、どんどん変わっていく。
「月日は百代の・・」で始まる、1ページ目。
上について、いくつか。
① 古人は、西行のこと。 他にもいるけど。
② 片雲は、ちぎれ雲のこと。 ちぎれ雲には、自由を感じるでしょうか。
下の歌が、大好きです。 久しぶりに聴きます。
③ 白河の関を越えたら、陸奥(むつ)。 陸奥は、おおざっぱには、東北かな。
能因法師の、「霞とともに たちしかど 秋風ぞ吹く 白川の関」を、意識してると説明にあった。
※ 能因(のういん)法師は、平安時代中期の人。
西行は、能因法師の歌を知って、東北を旅する。 平安後期。
芭蕉は、西行の500年後に、西行を追うように旅をする。
芭蕉を追う人は、数えきれない。
※ 百人一首の「あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり」は、能因法師の作。
④ 最後の方に、ひなの家とある。
手放した家に、新しい家族が住むけど、女の子がいたよう。
山寺の部分の説明。 何とか読めそうなので、載せます。
その句について、色々と。
※ この句を知ったのは、小学校の5年の時でした。 担任は、山形県の隣の秋田県出身。
山寺 ~人でいっぱい。 みんな、芭蕉のおかげ。 山形市山寺~ 他 (2011/10/18)
最上川です。 「五月雨を…」の句。 船に乗る前から、それなりの句は出来上がっていた。
芭蕉にとっては、よくあること。 行ったつもりになって、作ってしまうことも。
「はやし」は「すずし」だった。
最上川。 日本海に出る、少し前で上陸。 羽黒山に行くためかな。
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
むすびの地、大垣。
記念館が、どうしてこの場所なんだろ、と思っていた。
芭蕉は、この近くから船に乗って、大垣を去り、伊勢に向かったよう。
※ 芭蕉は伊勢に着いて、下の句を詠んだ。
伊勢神宮外宮。 古市参宮街道を通って、内宮へ。 おかげ横丁。~伊勢市~ 他 (2013/4/29)
隣の展示室。
奥の細道の最北の地は、象潟(きさかた)。
でも、象潟の資料は、何もなかった。 残念。
芭蕉が行った頃は、今と違って、松島のように、島がいいっぱいあった。
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)
西行500回忌に当たる元禄2年(1689年)に、奥の細道の旅に出る。
芭蕉、45歳。 亡くなるのが50歳。
これだけ歩くのだから、健康面は、まだ大丈夫だったんでしょうね。
こんな持ち物。 カッパがある。 文字を書く道具も。
芭蕉は、源氏物語を読んでいたんですね。
45歳より、年取って見える。 曾良は、40歳。
曾良の袋の中に、上の写真の、もろもろが入っている。
草鞋(わらじ)は、靴擦(くつず)れしないのだろうか。 草鞋ずれというか。
右の写真は、出発地点。
お土産コーナー。
祭りのときの、山車(だし)ですね。 デザインが、凝っている。
※ 動画があるので紹介。 子供が何人も乗っている。
この記念館には、地元の人の紹介もあって、それに関係する、別荘。
記念館のすぐ横。 芭蕉は、この近くから出発。
少し向こうに、芭蕉の像があることを、後で知った。
立派な記念館でした。
東北にも、同じようなのが出来ないかな。 天童市辺りに。
芭蕉が、奥の細道で、本当に行きたかったのは、あっちなんですから。
夜から雨。 台風の影響。
いつまで降るのでしょう。
【関連ブログ】 中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
松島 ~五大堂・観瀾亭・雄島・瑞巌寺~ 他 (2009/10/07)
山刀伐峠 封人の家 他 (2009/06/30)
奥の細道と尾花沢 芭蕉と義経 他 (2009/06/29)
良寛ゆかりの地、わしまと出雲崎を歩く ~妻入りの町並、荒海や佐渡によこたふ天の川・おけさ~ (2010/10/17)
【今日の歌】 プレスリーです。 彼は、全身で歌う。 心を躍らせるように。
ベサメ・ムーチョ(いっぱいキスして)。
曲名通りの画像が、数枚。
【道の駅】 池田温泉 ※ 新しい道の駅。
【明日の予定】 雨が強かったら、関ヶ原鍾乳洞。 止めば、関ヶ原を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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どうして、大垣なんでしょう。
北陸から下りてきて、中山道にぶつかった場所。
芭蕉は、伊勢にも行きたかった。
伊勢への道は、もう、奥の細道の雰囲気ではない。
そんなことで、終点を大垣にしたのか。
※ ずっと一緒だった曾良(そら)とも別れていた。
少し前の山中温泉で。 曾良が腹痛。
曾良と別れてからは、どこかで、奥の細道の旅はお終いと、考えていたかも・・。
立派な記念館があった。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大垣(おおがき)は、中山道の赤坂宿があったところ。
街道の、交差点に。
これを見て、大垣市が、芭蕉を大事にしていることが、見えてくるでしょうか。

奥の細道は、東北のイメージが強いので、旅の最後の方には、関心が弱かった。
芭蕉の句の秀作は、北方面に多い感じがする。
むすびの地と云う表現は、大垣市が考えたのかな。 最後の地と云う意味ですね。

上の写真の右側。 資料館は、広い。

入館料300円。

このような展示。 見る前に、15分ほどの映画を見た。 立体的に見える眼鏡をかけて。

奥の細道は、芭蕉が書いた旅行記。 みんな書き写すから、いろんなのが残っている。
芭蕉が書いたのは、左上。

ずっと行方不明だったのが、平成8年に発見されたとある。
芭蕉はいつも、推敲(すいこう)を重ねる。 芭蕉の句は、どんどん変わっていく。

「月日は百代の・・」で始まる、1ページ目。

上について、いくつか。
① 古人は、西行のこと。 他にもいるけど。
② 片雲は、ちぎれ雲のこと。 ちぎれ雲には、自由を感じるでしょうか。
下の歌が、大好きです。 久しぶりに聴きます。
③ 白河の関を越えたら、陸奥(むつ)。 陸奥は、おおざっぱには、東北かな。
能因法師の、「霞とともに たちしかど 秋風ぞ吹く 白川の関」を、意識してると説明にあった。
※ 能因(のういん)法師は、平安時代中期の人。
西行は、能因法師の歌を知って、東北を旅する。 平安後期。
芭蕉は、西行の500年後に、西行を追うように旅をする。
芭蕉を追う人は、数えきれない。
※ 百人一首の「あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり」は、能因法師の作。
④ 最後の方に、ひなの家とある。
手放した家に、新しい家族が住むけど、女の子がいたよう。
山寺の部分の説明。 何とか読めそうなので、載せます。

その句について、色々と。
※ この句を知ったのは、小学校の5年の時でした。 担任は、山形県の隣の秋田県出身。

山寺 ~人でいっぱい。 みんな、芭蕉のおかげ。 山形市山寺~ 他 (2011/10/18)
最上川です。 「五月雨を…」の句。 船に乗る前から、それなりの句は出来上がっていた。
芭蕉にとっては、よくあること。 行ったつもりになって、作ってしまうことも。

「はやし」は「すずし」だった。

最上川。 日本海に出る、少し前で上陸。 羽黒山に行くためかな。

最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
むすびの地、大垣。

記念館が、どうしてこの場所なんだろ、と思っていた。
芭蕉は、この近くから船に乗って、大垣を去り、伊勢に向かったよう。

※ 芭蕉は伊勢に着いて、下の句を詠んだ。

伊勢神宮外宮。 古市参宮街道を通って、内宮へ。 おかげ横丁。~伊勢市~ 他 (2013/4/29)
隣の展示室。

奥の細道の最北の地は、象潟(きさかた)。
でも、象潟の資料は、何もなかった。 残念。
芭蕉が行った頃は、今と違って、松島のように、島がいいっぱいあった。
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)
西行500回忌に当たる元禄2年(1689年)に、奥の細道の旅に出る。
芭蕉、45歳。 亡くなるのが50歳。
これだけ歩くのだから、健康面は、まだ大丈夫だったんでしょうね。




こんな持ち物。 カッパがある。 文字を書く道具も。


芭蕉は、源氏物語を読んでいたんですね。

45歳より、年取って見える。 曾良は、40歳。
曾良の袋の中に、上の写真の、もろもろが入っている。
草鞋(わらじ)は、靴擦(くつず)れしないのだろうか。 草鞋ずれというか。
右の写真は、出発地点。


お土産コーナー。

祭りのときの、山車(だし)ですね。 デザインが、凝っている。


※ 動画があるので紹介。 子供が何人も乗っている。
この記念館には、地元の人の紹介もあって、それに関係する、別荘。

記念館のすぐ横。 芭蕉は、この近くから出発。
少し向こうに、芭蕉の像があることを、後で知った。

立派な記念館でした。
東北にも、同じようなのが出来ないかな。 天童市辺りに。
芭蕉が、奥の細道で、本当に行きたかったのは、あっちなんですから。
夜から雨。 台風の影響。
いつまで降るのでしょう。
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松島 ~五大堂・観瀾亭・雄島・瑞巌寺~ 他 (2009/10/07)
山刀伐峠 封人の家 他 (2009/06/30)
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良寛ゆかりの地、わしまと出雲崎を歩く ~妻入りの町並、荒海や佐渡によこたふ天の川・おけさ~ (2010/10/17)
【今日の歌】 プレスリーです。 彼は、全身で歌う。 心を躍らせるように。
ベサメ・ムーチョ(いっぱいキスして)。
曲名通りの画像が、数枚。
【道の駅】 池田温泉 ※ 新しい道の駅。
【明日の予定】 雨が強かったら、関ヶ原鍾乳洞。 止めば、関ヶ原を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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