近江商人は、天秤棒(てんびんぼう)を担いで、物を売った。
そして、多くの者が世に出ていく。
高島屋は、近江の高島出身の人の息子が、創業者。
ワコールのコーは、近江(おうみ)の江(こう)。
蒲団の西川産業の西川家は、近江八幡の御三家。
武田薬品の最初の屋号は、近江屋。
他にも、まだまだ。
近江商人は、商売に対する考え方が、優れていたのか。
だとすれば、それは、何だったんでしょう。
農業だけでは食べていけない、だから出稼ぎ。
スタートは、そこだった。
いくら商売に成功しても、五個荘の我が家は、そのままに。
それが、町並みとして、今に残った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日歩くのは、東近江市 五個荘町金堂。 ※ ごかしょうちょう こんどう。
東近江市は、数年前に合併した、新しい市。
※ 似た名前が、他にある。
○ 熊本の山の中に、五家荘(ごかのしょう)。 平家の落人部落。
○ 岐阜県に、五箇山(ごかやま)。 合掌造りの家。
車は、観光センターの駐車場に。 地図は、ここでいただく。
雨が小降りになるのを待ったが、降り続く。 仕方なく、歩き出した。
東に山があるので、豊かな水。
※ 田舎の湧水は、昔のままに出る。
でも、この地方のように、工場などが水をくみ上げると、枯れる湧水が出てくる。
五個荘の荘は、荘園の荘。 平安時代頃か、荘園が5つあったので、この名前。
コイを大事に育てている。
※ せっかくだから、恋が育つ(叶う)町にも、できないかな。
大きな立派なお寺。 檀家の力がないと、建てられない。 近江商人の力か。
1764年の建物。 重要文化財。
棟梁の、高木作右衛門但馬と云う人は、江戸時代の近江を代表する棟梁のよう。
※ 本願寺八幡別院表門など、今に残っている建物が、他にもある。
近江商人が何なのか、私は何も知らない。
三大商人と云うのがあるんですね。 大阪商人、近江商人、伊勢商人。
ここは、住宅地。
水が増えている。 ハスかな。
ここもお寺。
ほとんどが、昔風の家。 新しい家も、そうしているんですね。
このようにタバコを売って、商売になるのでしょうか。 懐かしいお店。
美しいお堂です。 看板がなければ、病院とは分からない。
蔵の戸の開け閉めは、この鉄の棒を使うんですね。
近江商人は、鎌倉時代に始まった。 そして、戦前まで。 ※ ただ、今でも使われることもあるよう。
感じのいい通り。
天秤棒を担ぐ商人の代表は、近江商人なんですね。
こんな恰好をして。 (写真は、近江商人博物館のHPからお借り)
仲間で歩けるときは、そうしたのかな。 盗賊だっているから。
ここは、中江準五郎邸。
百貨店を経営した時代があって、中国や朝鮮にも店があった。
※ 有料で見学ができるが、見学する家は決めていた。
家並みから離れた所にあって、車で行く。 行ったら、閉めた後だった。 4時半過ぎ。
だから、家の中は、どこも見られなかった。
天秤棒を担いで、何を売っていたかですね。 こんなのです。(どこにあった資料か、分からなくなった)
遠くは、江戸の方まで。
お蕎麦屋さん。 最近、外食はほとんどしていない。
店を構える商売と比較して、天秤を担ぐ商売に、有利な点はあるのか。
問題は、これですね。
歩くために、各地の情報が分かる。
その土地では、どんなものが、いくらで生産されているか。
ある物が、いくらで売られているか。
これが分かれば、どこで仕入れて、どこで売れば儲かるかが分かる。
近江商人は、頭を使う商売をしていたと、分かりますね。
1つのことに知恵を使う習慣は、その人の中で、広まっていく。
商人として、賢くなっていく。
地図の、花筏(はないかだ)通り。 ※ 花筏は花の名前、こんな花。
近江商人としての知恵や考え方が、家訓とかによって、まとまっていく。
行動哲学と考えてもいいですね。 こんなのが。(Wikipedia)
○ 三方よし 「売り手よし、買い手よし、世間よし」
売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて
地域社会の発展や福利の増進に、貢献しなければならない。
売り手の姿勢ですね。
また、このように世間から見てもらえないと、売れないと考えるんですね。
もちろん、一番大事なのは、自分の利益だけど、それを見透かされたら、商売は失敗すると・・。
外村宇兵衛邸。 ここも、呉服商。
中です。
もう1つ教訓を。
○ 利真於勤 ※ 利は勤むるにおいて真なり、と読むよう。
利益は、その任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、
営利至上主義の諫め。
別の道を、戻っている。
勝海舟が、面白いことを言っている。
近江商人の心と云うか魂は、芭蕉が吹き込んだ、と云うんですね。
芭蕉の考える力は、単なる俳人ではなかった。
近江商人の隠居は、教養の1つとして、俳句をたしなんでいた。
芭蕉は、何度も近江を訪れている。
「近江商人は、芭蕉の教導訓示によりて出来たもの」と、勝海舟が言っている。
人間賢くなるために、師と仰ぐ人間がいても、おかしくない。
天秤は、肩に食い込む。 山道を歩くのは大変。
近江商人の誰もが、「てんびん千両、てんびん千両・・」とつぶやいながら、遠くに夢を見ていた。
車で、ここに来た。 藤井邸。
4時半を過ぎていて、閉まっていた。
ここは、糸店を経営。 小町糸を発売した。 1代で財を成したそう。
五個荘金堂は、伝建地区です。
出稼ぎに行くけど、屋敷は残っている。
そんな家並みを見ました。 初めてでした。
【今日の曲】 ベサメ・ムーチョ。 ギターと踊り。 女の人を扱うように、ギターを・・。
【道の駅】 竜王かがみの里
【明日の予定】 近くになければ、京都の方かな。 きっと、雨の一日。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
そして、多くの者が世に出ていく。
高島屋は、近江の高島出身の人の息子が、創業者。
ワコールのコーは、近江(おうみ)の江(こう)。
蒲団の西川産業の西川家は、近江八幡の御三家。
武田薬品の最初の屋号は、近江屋。
他にも、まだまだ。
近江商人は、商売に対する考え方が、優れていたのか。
だとすれば、それは、何だったんでしょう。
農業だけでは食べていけない、だから出稼ぎ。
スタートは、そこだった。
いくら商売に成功しても、五個荘の我が家は、そのままに。
それが、町並みとして、今に残った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日歩くのは、東近江市 五個荘町金堂。 ※ ごかしょうちょう こんどう。
東近江市は、数年前に合併した、新しい市。
※ 似た名前が、他にある。
○ 熊本の山の中に、五家荘(ごかのしょう)。 平家の落人部落。
○ 岐阜県に、五箇山(ごかやま)。 合掌造りの家。
車は、観光センターの駐車場に。 地図は、ここでいただく。

雨が小降りになるのを待ったが、降り続く。 仕方なく、歩き出した。

東に山があるので、豊かな水。
※ 田舎の湧水は、昔のままに出る。
でも、この地方のように、工場などが水をくみ上げると、枯れる湧水が出てくる。

五個荘の荘は、荘園の荘。 平安時代頃か、荘園が5つあったので、この名前。

コイを大事に育てている。
※ せっかくだから、恋が育つ(叶う)町にも、できないかな。

大きな立派なお寺。 檀家の力がないと、建てられない。 近江商人の力か。

1764年の建物。 重要文化財。
棟梁の、高木作右衛門但馬と云う人は、江戸時代の近江を代表する棟梁のよう。
※ 本願寺八幡別院表門など、今に残っている建物が、他にもある。


近江商人が何なのか、私は何も知らない。
三大商人と云うのがあるんですね。 大阪商人、近江商人、伊勢商人。
ここは、住宅地。

水が増えている。 ハスかな。

ここもお寺。

ほとんどが、昔風の家。 新しい家も、そうしているんですね。

このようにタバコを売って、商売になるのでしょうか。 懐かしいお店。

美しいお堂です。 看板がなければ、病院とは分からない。

蔵の戸の開け閉めは、この鉄の棒を使うんですね。

近江商人は、鎌倉時代に始まった。 そして、戦前まで。 ※ ただ、今でも使われることもあるよう。
感じのいい通り。

天秤棒を担ぐ商人の代表は、近江商人なんですね。
こんな恰好をして。 (写真は、近江商人博物館のHPからお借り)


仲間で歩けるときは、そうしたのかな。 盗賊だっているから。
ここは、中江準五郎邸。
百貨店を経営した時代があって、中国や朝鮮にも店があった。
※ 有料で見学ができるが、見学する家は決めていた。
家並みから離れた所にあって、車で行く。 行ったら、閉めた後だった。 4時半過ぎ。
だから、家の中は、どこも見られなかった。


天秤棒を担いで、何を売っていたかですね。 こんなのです。(どこにあった資料か、分からなくなった)
遠くは、江戸の方まで。

お蕎麦屋さん。 最近、外食はほとんどしていない。

店を構える商売と比較して、天秤を担ぐ商売に、有利な点はあるのか。
問題は、これですね。
歩くために、各地の情報が分かる。
その土地では、どんなものが、いくらで生産されているか。
ある物が、いくらで売られているか。
これが分かれば、どこで仕入れて、どこで売れば儲かるかが分かる。
近江商人は、頭を使う商売をしていたと、分かりますね。
1つのことに知恵を使う習慣は、その人の中で、広まっていく。
商人として、賢くなっていく。
地図の、花筏(はないかだ)通り。 ※ 花筏は花の名前、こんな花。

近江商人としての知恵や考え方が、家訓とかによって、まとまっていく。
行動哲学と考えてもいいですね。 こんなのが。(Wikipedia)
○ 三方よし 「売り手よし、買い手よし、世間よし」
売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて
地域社会の発展や福利の増進に、貢献しなければならない。
売り手の姿勢ですね。
また、このように世間から見てもらえないと、売れないと考えるんですね。
もちろん、一番大事なのは、自分の利益だけど、それを見透かされたら、商売は失敗すると・・。
外村宇兵衛邸。 ここも、呉服商。

中です。

もう1つ教訓を。
○ 利真於勤 ※ 利は勤むるにおいて真なり、と読むよう。
利益は、その任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、
営利至上主義の諫め。
別の道を、戻っている。

勝海舟が、面白いことを言っている。
近江商人の心と云うか魂は、芭蕉が吹き込んだ、と云うんですね。
芭蕉の考える力は、単なる俳人ではなかった。
近江商人の隠居は、教養の1つとして、俳句をたしなんでいた。
芭蕉は、何度も近江を訪れている。
「近江商人は、芭蕉の教導訓示によりて出来たもの」と、勝海舟が言っている。
人間賢くなるために、師と仰ぐ人間がいても、おかしくない。

天秤は、肩に食い込む。 山道を歩くのは大変。
近江商人の誰もが、「てんびん千両、てんびん千両・・」とつぶやいながら、遠くに夢を見ていた。

車で、ここに来た。 藤井邸。
4時半を過ぎていて、閉まっていた。
ここは、糸店を経営。 小町糸を発売した。 1代で財を成したそう。

五個荘金堂は、伝建地区です。
出稼ぎに行くけど、屋敷は残っている。
そんな家並みを見ました。 初めてでした。
【今日の曲】 ベサメ・ムーチョ。 ギターと踊り。 女の人を扱うように、ギターを・・。
【道の駅】 竜王かがみの里
【明日の予定】 近くになければ、京都の方かな。 きっと、雨の一日。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1076-13b32794