どこに行こうかと考えていたら、東風さんから電話。
近くに、安土城跡があるよ、って。
そう云えば、そこは、行くのを忘れていた場所。
信長は、家康と違って、家臣との結束が弱かったのか。
明智光秀に、裏切られる。
秀吉だって、何を考えていたか分からない。
本能寺には抜け道があったようだが、ふさいだのは、秀吉でないかと言われたりする。
天下が取れたなと思ったとき、「人間50年・・」と言って、本能寺でお終い。
今日は、信長の夢の跡に、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
安土城は、安土山の上に。
駐車場は500円。 ただ行ったとき、管理する時間が終わっていて、無料。
城跡に入るには、他に、500円。
※ 山全体は、寺の敷地。 それで、寺が料金を徴収。
このことで、安土城跡の管理が不十分と、予想つく。
春日山城や原城などの公的機関の管理と比べて、悲しいほどの差があると、後で知る。
※ 市は市で、安土城を利用して、収入を得たい。
雨が降ったら水たまりができる空地を、駐車場にして、料金を徴収。
城跡を、市民の憩いの場として、開放している自治体と比べて、大きな差。
安土城、そして信長が、可哀そうに感じた。
ここが、入り口。
城が出来たのは、1576年。
武田勝頼を負かした、長篠の戦いの次の年。
あの戦いは、天下を取るための、仕上げの戦いだったと、分かる。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)
昔は、安土山の南の部分だけが、陸地。 他は、琵琶湖に接していた。
干拓してこうなった。
ここから、20分。 少し登った右に、前田利家邸があったと云われている。
右に上がっていくけど、帰りは正面からの道で、ここに。
秀吉邸跡。 ここだけで、小さな城のよう。
上から見たら、このように。
城を作った時、同時に、寺も作った。 摠見寺(そうけんじ)。
今残っているのは、山門と三重塔。 本堂は、柱の跡だけ。
この建物は、後に作った本堂。 この場所に、家康邸があったと云われる。
城を、なぜこの地にしたかだが、ここは、交通の要衝の地と考えたんですね。
京都にも近い。 東西南北、どちらへの道もある。
石段は続く。
城を作る時、石なら、何でも利用した。 石仏も、このように。
信長は、あの世に極楽とか、ばちが当たるとか、まったく信心深くない。
※ 禅宗には、関心があったよう。
さっきの寺は、臨済宗(禅宗)の妙心寺派。
ここも、ある人の家の跡。 こんな場所はいっぱい。
だいぶ、上がってきた。
大きな石垣が、見え始めてきた。
右に、大きな石。
仏足石。 これも、どこかから持ってきた。
右奥に、信長の本廟。 お墓。 ただ、ここには骨とかはなく、刀などの遺品だそう。
天主の絵があった。 ※ 安土城では、天守と書かず、天主。
ただ、この絵は、正確かどうかは、分からない。
※ 正確に描かれたものがあるんだが、見つかっていない。
普通の天守の上に、もう1つ建物がある。
右は、本廟。
※ 信長の墓は、まず、本能寺にある。
亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
高野山にも。
奥の院には、歴史上の人物の墓がいっぱい ~高野町高野山~ コーヒーブルース(高田渡) 他 (2012/6/11)
それから、ここの寺は、妙心寺派なので、京都の妙心寺にも。
(妙心寺のは、供養塔。 公開していない塔頭と呼ばれる小さな寺にある。 妙心寺に行った時、気づかなかった)
ここを登ったら、天主跡。 安土山の頂上。
礎石が残っている。 周りに石垣。 石垣の高さから上が、1階部分。 その下は、地下。
読みにくいけど、資料として。 東の、山の方。
琵琶湖が見えている。
右は、信長の墓。
城全体は、このようだったと。(Wikipedia)
別の道を戻る。 三重塔と、下に仁王門。 どちらも、重要文化財。
廃寺にあるように見える。
1454年創建とある。 応仁の乱の1467年まで、あと少しの時代。
下から、仁王門。 金剛力士像も、重要文化財。
安土城跡を出て、信長の館に。 駐車場から見た、安土山。
信長の館は、天主の部分を復元して、それを見せている。 500円。
復元したのは、天主の上の部分。
金箔は、本物。
1992年に、スペインで万国博覧会があった。 その時の日本の出品が、この天主。
それを、旧安土町が譲り受けた。
正面の壁に、この絵。 信心深くない信長だったが。
城造りの様子。
記録では、途方もなく大きな石が運ばれているのだが、どこにあるか、分からないそう。
「殺してしまえホトトギス」と云うように、信長は残忍だったと、云われる。
でも、武将は誰でもがそう。 殺すか殺されるかの世界。
1つ紹介。(Wikipedia)
天正6年(1578年)12月13日、尼崎近くの七松で、謀反を起こした荒木村重の一族郎党の婦女子122人を
磔、鉄砲、槍・長刀などで処刑した。
さらに女388人男124人を4つの家に押し込め、周囲に草を積んで焼き殺した。
信長の肖像画。 宣教師が描いたもの。 写実的なので、本物に近いかも。
信長の残忍性を、もう一つ。
元亀元年(1570年)5月6日、杉谷善住坊という鉄砲の名手が信長を暗殺しようとしたことがあったが
未遂に終わり、天正元年(1573年)に善住坊は捕らえられた。
信長は善住坊の首から下を土に生き埋めにし、切れ味の悪い竹製の鋸(のこ)で首を挽かせ、長期間激痛を与え
続ける拷問を科した。
一番上の階。
撮影できなかったが、天井はこのように。
信長と家康の関係は、主従ではなく、同盟の関係。
信長には、長篠の戦で活躍した家康に対しては、絶大な信頼を置き、感謝の気持ちがあった。
安土城に来てもらって、盛大にもてなした。
この時の、宴(うたげ)の責任者は、明知光秀。
信長は、光秀のやり方が気に入らなかった。
若い蘭丸は、信長の命で、光秀の頭を、多くの人の前で、引っぱたいた。
光秀は、この恥ずかしさによる恨みを、忘れることはなかった。
この家康をもてなした宴は、1582年の5月15日から6日間。
※ その前の、3月11日に、武田勝頼が、天目山で命を閉じている。
そうして、光秀の恨みが消えていない、2週間後の、6月2日に、本能寺の変が起きる。
家康は堺にいたが、光秀も秀吉も誰も信用せず、まっしぐらに岡崎に戻る。
この時の命の危険は、家康にとって、生涯最大の危機だったと云われる。
家康が信用していたのは、信長と家臣だけだった。
家康のために準備した、食事。
やっと安土城が、少し分かりました。
電話をくれた、東風さんのおかげかな。
【今日の歌】 『ベサメムーチョ』 (Bésame mucho) 桂銀淑
少しだけ、ベサメ・ムーチョ。 この人の魅力は、ハスキーな声。
【道の駅】 竜王かがみの里
【明日の予定】 日吉大社に寄って、亀岡の道の駅に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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近くに、安土城跡があるよ、って。
そう云えば、そこは、行くのを忘れていた場所。
信長は、家康と違って、家臣との結束が弱かったのか。
明智光秀に、裏切られる。
秀吉だって、何を考えていたか分からない。
本能寺には抜け道があったようだが、ふさいだのは、秀吉でないかと言われたりする。
天下が取れたなと思ったとき、「人間50年・・」と言って、本能寺でお終い。
今日は、信長の夢の跡に、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
安土城は、安土山の上に。
駐車場は500円。 ただ行ったとき、管理する時間が終わっていて、無料。
城跡に入るには、他に、500円。
※ 山全体は、寺の敷地。 それで、寺が料金を徴収。
このことで、安土城跡の管理が不十分と、予想つく。
春日山城や原城などの公的機関の管理と比べて、悲しいほどの差があると、後で知る。
※ 市は市で、安土城を利用して、収入を得たい。
雨が降ったら水たまりができる空地を、駐車場にして、料金を徴収。
城跡を、市民の憩いの場として、開放している自治体と比べて、大きな差。
安土城、そして信長が、可哀そうに感じた。
ここが、入り口。

城が出来たのは、1576年。
武田勝頼を負かした、長篠の戦いの次の年。
あの戦いは、天下を取るための、仕上げの戦いだったと、分かる。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)


昔は、安土山の南の部分だけが、陸地。 他は、琵琶湖に接していた。
干拓してこうなった。

ここから、20分。 少し登った右に、前田利家邸があったと云われている。

右に上がっていくけど、帰りは正面からの道で、ここに。

秀吉邸跡。 ここだけで、小さな城のよう。


上から見たら、このように。

城を作った時、同時に、寺も作った。 摠見寺(そうけんじ)。
今残っているのは、山門と三重塔。 本堂は、柱の跡だけ。
この建物は、後に作った本堂。 この場所に、家康邸があったと云われる。

城を、なぜこの地にしたかだが、ここは、交通の要衝の地と考えたんですね。
京都にも近い。 東西南北、どちらへの道もある。

石段は続く。

城を作る時、石なら、何でも利用した。 石仏も、このように。
信長は、あの世に極楽とか、ばちが当たるとか、まったく信心深くない。
※ 禅宗には、関心があったよう。
さっきの寺は、臨済宗(禅宗)の妙心寺派。


ここも、ある人の家の跡。 こんな場所はいっぱい。

だいぶ、上がってきた。

大きな石垣が、見え始めてきた。

右に、大きな石。

仏足石。 これも、どこかから持ってきた。

右奥に、信長の本廟。 お墓。 ただ、ここには骨とかはなく、刀などの遺品だそう。

天主の絵があった。 ※ 安土城では、天守と書かず、天主。
ただ、この絵は、正確かどうかは、分からない。
※ 正確に描かれたものがあるんだが、見つかっていない。
普通の天守の上に、もう1つ建物がある。
右は、本廟。


※ 信長の墓は、まず、本能寺にある。
亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
高野山にも。
奥の院には、歴史上の人物の墓がいっぱい ~高野町高野山~ コーヒーブルース(高田渡) 他 (2012/6/11)
それから、ここの寺は、妙心寺派なので、京都の妙心寺にも。
(妙心寺のは、供養塔。 公開していない塔頭と呼ばれる小さな寺にある。 妙心寺に行った時、気づかなかった)
ここを登ったら、天主跡。 安土山の頂上。

礎石が残っている。 周りに石垣。 石垣の高さから上が、1階部分。 その下は、地下。

読みにくいけど、資料として。 東の、山の方。


琵琶湖が見えている。

右は、信長の墓。


城全体は、このようだったと。(Wikipedia)

別の道を戻る。 三重塔と、下に仁王門。 どちらも、重要文化財。
廃寺にあるように見える。


1454年創建とある。 応仁の乱の1467年まで、あと少しの時代。

下から、仁王門。 金剛力士像も、重要文化財。

安土城跡を出て、信長の館に。 駐車場から見た、安土山。

信長の館は、天主の部分を復元して、それを見せている。 500円。

復元したのは、天主の上の部分。
金箔は、本物。

1992年に、スペインで万国博覧会があった。 その時の日本の出品が、この天主。
それを、旧安土町が譲り受けた。
正面の壁に、この絵。 信心深くない信長だったが。

城造りの様子。
記録では、途方もなく大きな石が運ばれているのだが、どこにあるか、分からないそう。


「殺してしまえホトトギス」と云うように、信長は残忍だったと、云われる。
でも、武将は誰でもがそう。 殺すか殺されるかの世界。
1つ紹介。(Wikipedia)
天正6年(1578年)12月13日、尼崎近くの七松で、謀反を起こした荒木村重の一族郎党の婦女子122人を
磔、鉄砲、槍・長刀などで処刑した。
さらに女388人男124人を4つの家に押し込め、周囲に草を積んで焼き殺した。

信長の肖像画。 宣教師が描いたもの。 写実的なので、本物に近いかも。


信長の残忍性を、もう一つ。
元亀元年(1570年)5月6日、杉谷善住坊という鉄砲の名手が信長を暗殺しようとしたことがあったが
未遂に終わり、天正元年(1573年)に善住坊は捕らえられた。
信長は善住坊の首から下を土に生き埋めにし、切れ味の悪い竹製の鋸(のこ)で首を挽かせ、長期間激痛を与え
続ける拷問を科した。

一番上の階。

撮影できなかったが、天井はこのように。

信長と家康の関係は、主従ではなく、同盟の関係。
信長には、長篠の戦で活躍した家康に対しては、絶大な信頼を置き、感謝の気持ちがあった。
安土城に来てもらって、盛大にもてなした。
この時の、宴(うたげ)の責任者は、明知光秀。
信長は、光秀のやり方が気に入らなかった。
若い蘭丸は、信長の命で、光秀の頭を、多くの人の前で、引っぱたいた。
光秀は、この恥ずかしさによる恨みを、忘れることはなかった。
この家康をもてなした宴は、1582年の5月15日から6日間。
※ その前の、3月11日に、武田勝頼が、天目山で命を閉じている。
そうして、光秀の恨みが消えていない、2週間後の、6月2日に、本能寺の変が起きる。
家康は堺にいたが、光秀も秀吉も誰も信用せず、まっしぐらに岡崎に戻る。
この時の命の危険は、家康にとって、生涯最大の危機だったと云われる。
家康が信用していたのは、信長と家臣だけだった。
家康のために準備した、食事。

やっと安土城が、少し分かりました。
電話をくれた、東風さんのおかげかな。
【今日の歌】 『ベサメムーチョ』 (Bésame mucho) 桂銀淑
少しだけ、ベサメ・ムーチョ。 この人の魅力は、ハスキーな声。
【道の駅】 竜王かがみの里
【明日の予定】 日吉大社に寄って、亀岡の道の駅に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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