勘助は、討ち死にするしかなかった。
きつつき戦法は、謙信に見抜かれていた。
作戦は、失敗。
それを考えた勘助は、生きて陣地には、戻れなかった。
川中島の戦いのメインは、第4次の八幡原(はちまんぱら)の戦い。
信玄が陣を置いた場所が、八幡原史跡公園として、整備されていた。
公園の後ろに千曲川。 その対岸に、山本勘助の墓があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
八幡原は、長野市街の少し南に。
ここは、川中島古戦場。 また、八幡原史跡公園とも呼んでいる。
信玄の本陣が、ここにあった。
国道18号の近く。 駐車場があるので、寄りやすい。 人気の場所。
1561年の9月10日。 両軍合わせて、3万3千人。 死者6千。
この場所から、南西にかけての一帯は、修羅場となり、千曲川は血に染まった。
よく見る場面。 謙信が、信玄を襲った。
戦いは、このように。
武田の別働隊が、謙信のいる妻女山を、後ろから攻めて、追い出そうとした。
それで、きつつき戦法。
別働隊が行った時は、もぬけの空(から)。 作戦は失敗。
信玄側は、少ない人数で、戦いを始めるしかなかった。
再び、この像。
あら、少しがっかり。 いい像ではなかった。 心の中が、読めない、見えない。
きつつき戦法について。 信玄が襲われた時のも。
八幡原の戦いは、信玄と謙信の戦い。
でも、ここの公園は、信玄中心に戦いを見ている。 信玄の領地だったからか。
八幡社。(何を祀っていたか、確認を忘れた。 分かったら、後で書きます)
執念の石。
家来の一人が、あと少しで、謙信を槍(やり)で仕留めることが出来た。
失敗して悔しくて、この石を突き刺した。 穴が開いた。
と云うことだけど、ここまで話を作ると、やり(槍)過ぎ。
弁慶の伝説に似てくる。
※ 突き刺した後、このやろうって、この石を投げた。 妻女山まで飛んだ。
見つけて拾ってきて、ここに置いた。(これは、私が考えた)
この辺りが、謙信が襲ってきた場所、という。
神社の周りは、広く公園。 博物館もある。
この山は、松代方向。 信玄は、ここに来る前、むこうの海津城にいた。
典厩寺(てんきゅうじ) 信玄の弟の武田信繁の墓がある。 場所は、最初の地図に。
※ 大きな像に夢中になって、墓の写真を撮り忘れた。 こんな墓。
閻魔堂。
大きな像があると、東風さんが教えてくれた。
お前は地獄に行け、と審判するのが、閻魔様。 大きい。 天井につかえそう。
戦死者6千名の供養のために、建てた。 江戸時代の終わりの話だけど。
地獄の絵。 庶民は、虫けらのように描かれている。 天井に絵。
絵はいっぱい。 よごれてしまったけど。
小さな資料館があった。 勘助。
※ 山梨の方で勘助の墓を見た。 そこの人は、勘助に、そっくりだった。
信玄像。 信玄と勘助がいなくなったら、武田家の行き着く先が、見えてきた。 右は、雪村筆。 本物なら、価値が高い。
少し走って、勘助の墓を見に。
駐車場がある。 そこから、5分ほど歩く。 最初の地図の、○の所。
堤防に中にある。 洪水は、心配ないのか。
上の道は、善光寺街道。 上田にあった善光寺街道は、ここにつながる。
武田軍は、ここを通って、川の向こうの陣地に行った。
勘助の墓。
この木は、勘助を演じた、内野聖陽(うちのまさあき)が植えた。
墓を管理する人がいて、説明してくれた。 市のボランティアガイドもしている人。
勘助の戒名は、天徳院武山道鬼居士。 墓の3面に、文字がびっしり。
この墓が勘助の墓である根拠を聞いたが、はっきりしない。
骨があること、墓に勘助の墓であると書いてあることなどを、言った。
でも、それは、根拠にはならない。
それでも、一番可能性が高いのは、ここなのかな。
北杜(ほくと)市高根町にも、墓はあるけど。
※ NHKは、大河ドラマを作る前、両方に行っている。
昔は、ここにお堂があった。
そのお堂を作った人の子孫が、説明してくれた人。
このようにあった。 この図の、墓だけが、今残っている。
ここには、いつか来たいと思っていた。
目をつむれば、敵陣に突き進む勘助が見える、と書きたいところ。
八幡原は、信玄・謙信・勘助の、夢の跡だった。
【関連ブログ】
山本勘助生誕の地を、歩く。~富士宮市山本~ 他 (2011/11/6)
武田信玄の菩提寺、恵林寺 武田氏と縁の深い雲峰寺 ~甲州市~ 他 (2011/11/1)
山本勘助の魔利支天像 他 (2009/11/15)
山本勘助の墓 ~山梨県北杜市高根町~ 峠越え 他 (2009/10/25)
雪の山道 他 いろいろ (11月23日)
BOSE のスピーカー 勘助と由布姫 続き 他 (11月24日)
【今日の歌】 彼女は、1日だけ、私より年下。
【その他】 夜、私の車で、東風さんと、お酒を飲みました。
※ 少しの写真と、文は、後ほど。 時間が無くなりました。
【停泊場所】 須坂の動物園の近くの駐車場。 目の前に川。
【明日の予定】 須坂の町を歩く。 東風さんと。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事
【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
きつつき戦法は、謙信に見抜かれていた。
作戦は、失敗。
それを考えた勘助は、生きて陣地には、戻れなかった。
川中島の戦いのメインは、第4次の八幡原(はちまんぱら)の戦い。
信玄が陣を置いた場所が、八幡原史跡公園として、整備されていた。
公園の後ろに千曲川。 その対岸に、山本勘助の墓があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
八幡原は、長野市街の少し南に。

ここは、川中島古戦場。 また、八幡原史跡公園とも呼んでいる。
信玄の本陣が、ここにあった。

国道18号の近く。 駐車場があるので、寄りやすい。 人気の場所。
1561年の9月10日。 両軍合わせて、3万3千人。 死者6千。
この場所から、南西にかけての一帯は、修羅場となり、千曲川は血に染まった。


よく見る場面。 謙信が、信玄を襲った。

戦いは、このように。
武田の別働隊が、謙信のいる妻女山を、後ろから攻めて、追い出そうとした。
それで、きつつき戦法。
別働隊が行った時は、もぬけの空(から)。 作戦は失敗。
信玄側は、少ない人数で、戦いを始めるしかなかった。

再び、この像。

あら、少しがっかり。 いい像ではなかった。 心の中が、読めない、見えない。


きつつき戦法について。 信玄が襲われた時のも。

八幡原の戦いは、信玄と謙信の戦い。
でも、ここの公園は、信玄中心に戦いを見ている。 信玄の領地だったからか。


八幡社。(何を祀っていたか、確認を忘れた。 分かったら、後で書きます)

執念の石。

家来の一人が、あと少しで、謙信を槍(やり)で仕留めることが出来た。
失敗して悔しくて、この石を突き刺した。 穴が開いた。
と云うことだけど、ここまで話を作ると、やり(槍)過ぎ。
弁慶の伝説に似てくる。
※ 突き刺した後、このやろうって、この石を投げた。 妻女山まで飛んだ。
見つけて拾ってきて、ここに置いた。(これは、私が考えた)


この辺りが、謙信が襲ってきた場所、という。

神社の周りは、広く公園。 博物館もある。
この山は、松代方向。 信玄は、ここに来る前、むこうの海津城にいた。

典厩寺(てんきゅうじ) 信玄の弟の武田信繁の墓がある。 場所は、最初の地図に。
※ 大きな像に夢中になって、墓の写真を撮り忘れた。 こんな墓。

閻魔堂。
大きな像があると、東風さんが教えてくれた。

お前は地獄に行け、と審判するのが、閻魔様。 大きい。 天井につかえそう。

戦死者6千名の供養のために、建てた。 江戸時代の終わりの話だけど。

地獄の絵。 庶民は、虫けらのように描かれている。 天井に絵。


絵はいっぱい。 よごれてしまったけど。

小さな資料館があった。 勘助。
※ 山梨の方で勘助の墓を見た。 そこの人は、勘助に、そっくりだった。


信玄像。 信玄と勘助がいなくなったら、武田家の行き着く先が、見えてきた。 右は、雪村筆。 本物なら、価値が高い。


少し走って、勘助の墓を見に。
駐車場がある。 そこから、5分ほど歩く。 最初の地図の、○の所。

堤防に中にある。 洪水は、心配ないのか。

上の道は、善光寺街道。 上田にあった善光寺街道は、ここにつながる。
武田軍は、ここを通って、川の向こうの陣地に行った。

勘助の墓。

この木は、勘助を演じた、内野聖陽(うちのまさあき)が植えた。

墓を管理する人がいて、説明してくれた。 市のボランティアガイドもしている人。

勘助の戒名は、天徳院武山道鬼居士。 墓の3面に、文字がびっしり。


この墓が勘助の墓である根拠を聞いたが、はっきりしない。
骨があること、墓に勘助の墓であると書いてあることなどを、言った。
でも、それは、根拠にはならない。
それでも、一番可能性が高いのは、ここなのかな。
北杜(ほくと)市高根町にも、墓はあるけど。
※ NHKは、大河ドラマを作る前、両方に行っている。
昔は、ここにお堂があった。
そのお堂を作った人の子孫が、説明してくれた人。


このようにあった。 この図の、墓だけが、今残っている。

ここには、いつか来たいと思っていた。
目をつむれば、敵陣に突き進む勘助が見える、と書きたいところ。
八幡原は、信玄・謙信・勘助の、夢の跡だった。
【関連ブログ】
山本勘助生誕の地を、歩く。~富士宮市山本~ 他 (2011/11/6)
武田信玄の菩提寺、恵林寺 武田氏と縁の深い雲峰寺 ~甲州市~ 他 (2011/11/1)
山本勘助の魔利支天像 他 (2009/11/15)
山本勘助の墓 ~山梨県北杜市高根町~ 峠越え 他 (2009/10/25)
雪の山道 他 いろいろ (11月23日)
BOSE のスピーカー 勘助と由布姫 続き 他 (11月24日)
【今日の歌】 彼女は、1日だけ、私より年下。
【その他】 夜、私の車で、東風さんと、お酒を飲みました。
※ 少しの写真と、文は、後ほど。 時間が無くなりました。
【停泊場所】 須坂の動物園の近くの駐車場。 目の前に川。

【明日の予定】 須坂の町を歩く。 東風さんと。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事

【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1088-9697df87
ケノーベルからリンクのご案内(2013/07/07 09:12)
長野市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。