明治に入って、北海道の開拓は進んだ。
それは、同時に、アイヌを悲惨な状況に、追いやることになった。
その状況を伝える人が、アイヌの中から出てくる。
まず、知里幸恵(ちりゆきえ)。 短い生涯だったが、アイヌ神謡集を著す。
「銀の滴 降る降る まはりに、 金の滴 降る降る まはりに。」と書いた。
有珠の地に、バチェラー八重子という人がいた。
アイヌの視線で、歌った。
「漕げよ漕げ うき世の浪の 荒くとも 腕(かひな)たゆまず 男の子等よ漕げ」
彼女は、宣教師のバチェラー夫妻の養女となっていた。
有珠に、バチラー夫妻記念堂 があったので、行ってみた。
近くに、アルトリ岬。
有珠山が崩れて出来た、岬だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
道の駅あぷたから、南の方を。 駒ヶ岳は、見えない。
海の名前は噴火湾だけど、噴火した後のカルデラに海水が溜まったとは、証明されていない。
港にある丸いのは、定置網に使う浮き。 それが、目立つ。
今日は伊達のKさんに会う。 雄武の沢木で一緒だった人。
伊達に何かないか、ネットで探してみた。
バチラー夫妻記念堂と、アルトリ岬に行くことに。
駅に案合図があるかと、行ってみた。 なかった。 再度ネットで調べた。
ここは、室蘭本線。 北方面。
バチラー夫妻記念堂は、駅の近くにあった。 ※ バチェラーは、バチラーとも表記。
バチラー八重子の歌碑。
閑古鳥は、カッコーのこと。
※ カッコーの鳴き声は、寂しいのか、例えに、閑古鳥が鳴く、がある。
コタンは、集落のこと。
有珠山に登ると、駒ヶ岳が見える。
記念堂は、教会だった。
この教会は、昭和12年に建てられた。 有珠山の石で。
教会は、信者の集まりのある日だけ、開いている。
駐車場に車がなかったから、今日は閉まっていると思っていた。
上の説明を読んでいる時、教会の入り口から、声がした。
男の人が、声をかけてくれた。
案内と、説明をしてくれた。
教会は、天草で見て以来。
床は新しいけど、他は、昔のまま。 机も。
2階に、資料室。
バチェラーという人は、神父さん。
この人は、布教以外にも、アイヌのために尽くした。
学校や診療所のようなのを、作ったりも。
晩年は、北海道庁の社会課で働いた。
八重子は、元々は、向井八重子。
バチェラーの養子になって、バチェラー八重子に。
八重子が、バチェラーの下で学びたいと願って、そうなった。
聡明な子だった。
知里真志保(ちり ましほ)が、八重子と一緒に写っている。
彼は、アイヌの言語学者。 文学博士。
そうして、最初に書いた、知里幸恵の弟。
彼女の歌は、「若きウタリに」という本に、にまとめられている。 ※ ウタリは、同胞、仲間。
その中に、こんな歌も。
「適度なる 野心家であれ ウタリの子等 欲の無い者 間抜けて見ゆる」
下の幻灯機で、スライドを映した。
朝日新聞デジタルに、「コタンのマリア」 バチェラー八重子、の記事がある。
その中に、こんな歌。
「くるしさに 壁に頭を うちつけて 果てなんかなど 幾度思ひし」
下は、記念堂の落成式。 右は、八重子の年譜。
説明してくれた人が、天気が良ければ、アルトリ岬から、駒ヶ岳が見えると言った。
お礼を言って、岬に向かった。 下は、花壇の花。
岬は、記念堂から近い。
アルトリ岬は、小高い丘の上。 遠くに、有珠山。
※ 2010年に、Kさんと登った。 有珠山 外輪山からの風景 ~伊達市~ 他 (2010/8/6)
7000年前に、有珠山が崩れて、土砂が流れてきた。
この場所は、その時にできた、島だった。 それが今は、繋がっている。 陸繋島(りくけいとう)。
海の中は、岩礁だらけ。 船は、すぐにぶつかりそう。
全部流れてきた岩。 流れ山と呼んでいる。
駒ヶ岳もそうだったが、この辺の山は、崩れやすいのか。
どこの山も、そんなには崩れない。
山の上にウィンザーホテル。 洞爺湖サミットの舞台。
円空の最終目的地だった有珠善光寺は、正面森の中にある。
有珠善光寺は、円空の蝦夷地の旅、最終目的地だった。~伊達市~ 広島原爆の日 他 (2011/8/6)
岬の北側は、恋人海岸。
バチェラー八重子という人は、全く知りませんでした。
気になったので、行ってみました。
※ 北海道には、元々、アイヌが住んでいた。
北方領土も、同じ。
だから、ロシアも日本も、自分の国の物だとは、大きな顔して言えない。
半分ずつすればいいのかな。。
【関連ブログ】 アイヌ記念館 知里幸恵が遺した「アイヌ神謡集」~旭川市~ 他 (2011/9/5)
【その他】 晩は、伊達のKさんに会いました。 食事とお酒。
車に戻って、遅くまで。
【今日の歌】 ピアノで。
【道の駅】 だて歴史の杜
【明日の予定】 有珠山を見に、かな。 天気は、ずっと良くない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それは、同時に、アイヌを悲惨な状況に、追いやることになった。
その状況を伝える人が、アイヌの中から出てくる。
まず、知里幸恵(ちりゆきえ)。 短い生涯だったが、アイヌ神謡集を著す。
「銀の滴 降る降る まはりに、 金の滴 降る降る まはりに。」と書いた。
有珠の地に、バチェラー八重子という人がいた。
アイヌの視線で、歌った。
「漕げよ漕げ うき世の浪の 荒くとも 腕(かひな)たゆまず 男の子等よ漕げ」
彼女は、宣教師のバチェラー夫妻の養女となっていた。
有珠に、バチラー夫妻記念堂 があったので、行ってみた。
近くに、アルトリ岬。
有珠山が崩れて出来た、岬だった。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
道の駅あぷたから、南の方を。 駒ヶ岳は、見えない。
海の名前は噴火湾だけど、噴火した後のカルデラに海水が溜まったとは、証明されていない。
港にある丸いのは、定置網に使う浮き。 それが、目立つ。

今日は伊達のKさんに会う。 雄武の沢木で一緒だった人。
伊達に何かないか、ネットで探してみた。
バチラー夫妻記念堂と、アルトリ岬に行くことに。
駅に案合図があるかと、行ってみた。 なかった。 再度ネットで調べた。
ここは、室蘭本線。 北方面。


バチラー夫妻記念堂は、駅の近くにあった。 ※ バチェラーは、バチラーとも表記。
バチラー八重子の歌碑。

閑古鳥は、カッコーのこと。
※ カッコーの鳴き声は、寂しいのか、例えに、閑古鳥が鳴く、がある。
コタンは、集落のこと。
有珠山に登ると、駒ヶ岳が見える。



記念堂は、教会だった。

この教会は、昭和12年に建てられた。 有珠山の石で。

教会は、信者の集まりのある日だけ、開いている。
駐車場に車がなかったから、今日は閉まっていると思っていた。
上の説明を読んでいる時、教会の入り口から、声がした。
男の人が、声をかけてくれた。
案内と、説明をしてくれた。
教会は、天草で見て以来。

床は新しいけど、他は、昔のまま。 机も。

2階に、資料室。

バチェラーという人は、神父さん。
この人は、布教以外にも、アイヌのために尽くした。
学校や診療所のようなのを、作ったりも。
晩年は、北海道庁の社会課で働いた。

八重子は、元々は、向井八重子。
バチェラーの養子になって、バチェラー八重子に。
八重子が、バチェラーの下で学びたいと願って、そうなった。
聡明な子だった。


知里真志保(ちり ましほ)が、八重子と一緒に写っている。
彼は、アイヌの言語学者。 文学博士。
そうして、最初に書いた、知里幸恵の弟。


彼女の歌は、「若きウタリに」という本に、にまとめられている。 ※ ウタリは、同胞、仲間。
その中に、こんな歌も。
「適度なる 野心家であれ ウタリの子等 欲の無い者 間抜けて見ゆる」
下の幻灯機で、スライドを映した。


朝日新聞デジタルに、「コタンのマリア」 バチェラー八重子、の記事がある。
その中に、こんな歌。
「くるしさに 壁に頭を うちつけて 果てなんかなど 幾度思ひし」
下は、記念堂の落成式。 右は、八重子の年譜。


説明してくれた人が、天気が良ければ、アルトリ岬から、駒ヶ岳が見えると言った。
お礼を言って、岬に向かった。 下は、花壇の花。

岬は、記念堂から近い。
アルトリ岬は、小高い丘の上。 遠くに、有珠山。

※ 2010年に、Kさんと登った。 有珠山 外輪山からの風景 ~伊達市~ 他 (2010/8/6)


7000年前に、有珠山が崩れて、土砂が流れてきた。
この場所は、その時にできた、島だった。 それが今は、繋がっている。 陸繋島(りくけいとう)。

海の中は、岩礁だらけ。 船は、すぐにぶつかりそう。
全部流れてきた岩。 流れ山と呼んでいる。
駒ヶ岳もそうだったが、この辺の山は、崩れやすいのか。
どこの山も、そんなには崩れない。

山の上にウィンザーホテル。 洞爺湖サミットの舞台。
円空の最終目的地だった有珠善光寺は、正面森の中にある。
有珠善光寺は、円空の蝦夷地の旅、最終目的地だった。~伊達市~ 広島原爆の日 他 (2011/8/6)

岬の北側は、恋人海岸。

バチェラー八重子という人は、全く知りませんでした。
気になったので、行ってみました。
※ 北海道には、元々、アイヌが住んでいた。
北方領土も、同じ。
だから、ロシアも日本も、自分の国の物だとは、大きな顔して言えない。
半分ずつすればいいのかな。。
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【その他】 晩は、伊達のKさんに会いました。 食事とお酒。
車に戻って、遅くまで。
【今日の歌】 ピアノで。
【道の駅】 だて歴史の杜
【明日の予定】 有珠山を見に、かな。 天気は、ずっと良くない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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