小樽市を、山の上から見たことがない。
それでまず、旭展望台に。
その後、天狗山に行こうとした。 ロープウェーで。
1100円かかる。 お金がかかるなと、思っていた。
名案が思い付いた。 自分の足で登ればいい。 丈夫になって、一石二鳥。
直ぐに分かっていいのに、時間がかかる。
シマリスなど、いろんなものに出会った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
小樽は、坂の街。 坂を上って、旭展望台に。
中央。 小樽運河は、こっちに。 観光客が一番多い。
右の方。 真ん中あたりに、フェリーターミナル。 新潟や舞鶴に行く。
S字で、函館本線。
山から見て、左の方。 水族館やニシン御殿は、半島の先。 見えていない。
(1分11秒)
展望台の駐車場に、樺太を偲ぶ、という石碑があった。
読みにくいので、書きますね。
かって日本最北端開発の雄図を抱いて樺太に渡り、風雪寒苦に耐えながら、
北辺の理想郷を造り上げた我らの父祖、更には彼の地に生を享け、かけがえ
のなし郷土とする数多くの同胞、且つ又、業を興し産業発展に寄与した、
幾多の企業にとって、樺太は永遠に忘れることができない。
引揚以来すでに二十有余年を経てなお、望郷の思い止み難く、今は全国に
別れ住む樺太関係者が力を合せて、此のゆかりの深い小樽の丘に、樺太を偲ぶ
記念の碑を建立して、後世に遺そうとするものである。
昭和四十八年九月十二日
ゆかりの深い小樽、とあるけど、どういうことでしょう。
こうなんですね。
小樽には、1万人以上の、引き揚げ者が住んでいた。
また、終戦直後に、三船殉難事故というのがあった。
樺太からの引き揚げ船、3隻が、留萌沖で、ソ連の潜水艦に撃沈された。 (1隻は、何とか留萌港に)
約1700名が犠牲になった。
3船が目指していた港は、小樽だった。
そういうことで、この地にかなと。
相撲の大鵬も、その時の、船に乗っていた。
たまたま、母親の体調が悪くなり、稚内で下船した。 助かった。
※ 北海太郎 引き揚げ船の悲劇 他 (2009/08/19)
※ 氷雪の門(稚内公園) 日本最北の地 宗谷岬 ~稚内市~ 幼い大鵬が運命の分かれ道にいた日 他 (2010/8/21)
小樽出身の小林多喜二の碑もあった。
多喜二は、警察の拷問で死亡した。 外国でなく、日本の警察。
若い時に、蟹工船を読んだことがある。 ※ ここで全部に読めます。
日本には、ひどい時代があった。 続いた。
私はそう思うけど、あれで良かったという人間も、いっぱいいる。
それがあるので、また戦争を起こさない保証はない。
多喜二は、坂の街小樽が、大好きだったんですね。
天狗山は、冬は、スキー場。
これを見て、登ることを思いついた。 2㌔ほどのコース。
登山道が、ずっとスキーのコースと云うのも、変だなと思っていた。
この辺で、右の森に、道は続いていた。 案内を見落とした。
でも、この道は、景色がいい。
振り返れば、いつも小樽。
クマの心配がどうなのかは、分からない。 蝶と虫。
中央向うは、運河。
(32秒)
花は、オオマツヨイグサ(月見草)でいいでしょうか。
これを見ると、いつも、月の沙漠の、御宿海岸を思い出す。
月の沙漠の舞台、御宿海岸 養老渓谷 ~御宿町・大多喜町~ 他 (2010/7/6)
ロープウェーの終点に着いた。 雲が見えてきたので、上には行かない。
ソリのような乗り物。
※ こんな乗り物。 ブレーキがある。 この人、飛ばし過ぎ。
急な斜面。 ずっとスキーに乗っていない。 スキーを履かないで斜面を見ると、おっかない。
山の上は、小さな観光地。 車でも来れるので、結構な人。
ここに、シマリスがいる。
めんこい。 驚かさなければ、寄ってくる。
シマリスは、食べ物の種を、地面に隠す。 埋めたと同じになる。
忘れられたのは、目を出す。 大事な動物。
(47秒) いそがしく動く。
(48秒) 人に慣れてる。
天狗山なので、天狗。 神社の祭神は、猿田彦大神。 猿田彦は天狗っぽい。 ※ 天孫降臨の先導。
※ 伊勢の猿田彦神社から、分霊。 猿田彦神社(今年撮影)
スキー資料館があった。
樺太アイヌのスキー。 間宮林蔵が描いた。 右は、日本にスキーを紹介した人。
女学生のスキー。 足、寒くないのかな。
小樽北照高校出身。 皆川 賢太郎。 テレビでよく見た。
彼のすごい所は、今は当たり前の、カービングスキーの良さを見抜いたこと。
それで、彼は、世界で知られている。
カービングスキーは、曲がり易い。 曲がりたいと思っただけで、曲がる。
自分の背くらいの長さでいい。
※ 皆川健太郎は、モーグルの上村愛子と結婚してる。
天狗もたくさん。 烏天狗も何天狗も、みんなあった。
岩場の展望台から。
帰りは、正規の登山道を下った。 道は乾いていないので、滑った。 地蔵さんがあった。
四国の24番札所は、室戸岬にある、最御崎寺(ほつみさきじ)。
室戸岬に行ったとき、近くに、洞窟の寺(御厨人窟(みくろど))があった。 そっちに行ってしまった。
四国東南端 室戸岬 吉良川の町並み ~室戸市~ 他 (2011/1/5)
スキー場に出てきた。
この後、また、旭展望台に行った。 夜景を見るため。
少し大きいカメラで、撮影。
北海道3大夜景。 他は、函館(2010年)と、札幌の藻岩山から(ネットの写真)。
小樽も函館と同じように、何回来ても飽きない町でしょうか。
坂のずっと上から、市街地を見てみました。
いろんなものに、出会いながら。
【その他】 今日は、オタモイ海岸に行く予定だった。
崖崩れで、道が封鎖。 行ける日がいつ来るか、分からない。
オタモイ海岸 北の岬について 他 (2009/8/25)
【今日の歌】 望郷。
【停泊場所】 小樽市の余市寄りの郊外。 コンビニのそばの空き地。
【明日の予定】 石狩挽歌の中の、朝里の浜を歩くのが、いいかな。 そばに、温泉もあるし。
その後、札幌のTさんの所へ。
明日札幌に入ることは、早くから決まっていました。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それでまず、旭展望台に。
その後、天狗山に行こうとした。 ロープウェーで。
1100円かかる。 お金がかかるなと、思っていた。
名案が思い付いた。 自分の足で登ればいい。 丈夫になって、一石二鳥。
直ぐに分かっていいのに、時間がかかる。
シマリスなど、いろんなものに出会った。
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小樽は、坂の街。 坂を上って、旭展望台に。
中央。 小樽運河は、こっちに。 観光客が一番多い。

右の方。 真ん中あたりに、フェリーターミナル。 新潟や舞鶴に行く。
S字で、函館本線。

山から見て、左の方。 水族館やニシン御殿は、半島の先。 見えていない。

(1分11秒)
展望台の駐車場に、樺太を偲ぶ、という石碑があった。
読みにくいので、書きますね。
かって日本最北端開発の雄図を抱いて樺太に渡り、風雪寒苦に耐えながら、
北辺の理想郷を造り上げた我らの父祖、更には彼の地に生を享け、かけがえ
のなし郷土とする数多くの同胞、且つ又、業を興し産業発展に寄与した、
幾多の企業にとって、樺太は永遠に忘れることができない。
引揚以来すでに二十有余年を経てなお、望郷の思い止み難く、今は全国に
別れ住む樺太関係者が力を合せて、此のゆかりの深い小樽の丘に、樺太を偲ぶ
記念の碑を建立して、後世に遺そうとするものである。
昭和四十八年九月十二日


ゆかりの深い小樽、とあるけど、どういうことでしょう。
こうなんですね。
小樽には、1万人以上の、引き揚げ者が住んでいた。
また、終戦直後に、三船殉難事故というのがあった。
樺太からの引き揚げ船、3隻が、留萌沖で、ソ連の潜水艦に撃沈された。 (1隻は、何とか留萌港に)
約1700名が犠牲になった。
3船が目指していた港は、小樽だった。
そういうことで、この地にかなと。
相撲の大鵬も、その時の、船に乗っていた。
たまたま、母親の体調が悪くなり、稚内で下船した。 助かった。
※ 北海太郎 引き揚げ船の悲劇 他 (2009/08/19)
※ 氷雪の門(稚内公園) 日本最北の地 宗谷岬 ~稚内市~ 幼い大鵬が運命の分かれ道にいた日 他 (2010/8/21)
小樽出身の小林多喜二の碑もあった。


多喜二は、警察の拷問で死亡した。 外国でなく、日本の警察。
若い時に、蟹工船を読んだことがある。 ※ ここで全部に読めます。
日本には、ひどい時代があった。 続いた。
私はそう思うけど、あれで良かったという人間も、いっぱいいる。
それがあるので、また戦争を起こさない保証はない。
多喜二は、坂の街小樽が、大好きだったんですね。



天狗山は、冬は、スキー場。
これを見て、登ることを思いついた。 2㌔ほどのコース。

登山道が、ずっとスキーのコースと云うのも、変だなと思っていた。
この辺で、右の森に、道は続いていた。 案内を見落とした。
でも、この道は、景色がいい。

振り返れば、いつも小樽。

クマの心配がどうなのかは、分からない。 蝶と虫。


中央向うは、運河。

(32秒)
花は、オオマツヨイグサ(月見草)でいいでしょうか。
これを見ると、いつも、月の沙漠の、御宿海岸を思い出す。
月の沙漠の舞台、御宿海岸 養老渓谷 ~御宿町・大多喜町~ 他 (2010/7/6)


ロープウェーの終点に着いた。 雲が見えてきたので、上には行かない。
ソリのような乗り物。


※ こんな乗り物。 ブレーキがある。 この人、飛ばし過ぎ。
急な斜面。 ずっとスキーに乗っていない。 スキーを履かないで斜面を見ると、おっかない。

山の上は、小さな観光地。 車でも来れるので、結構な人。

ここに、シマリスがいる。

めんこい。 驚かさなければ、寄ってくる。
シマリスは、食べ物の種を、地面に隠す。 埋めたと同じになる。
忘れられたのは、目を出す。 大事な動物。


(47秒) いそがしく動く。
(48秒) 人に慣れてる。
天狗山なので、天狗。 神社の祭神は、猿田彦大神。 猿田彦は天狗っぽい。 ※ 天孫降臨の先導。
※ 伊勢の猿田彦神社から、分霊。 猿田彦神社(今年撮影)

スキー資料館があった。
樺太アイヌのスキー。 間宮林蔵が描いた。 右は、日本にスキーを紹介した人。


女学生のスキー。 足、寒くないのかな。

小樽北照高校出身。 皆川 賢太郎。 テレビでよく見た。
彼のすごい所は、今は当たり前の、カービングスキーの良さを見抜いたこと。
それで、彼は、世界で知られている。
カービングスキーは、曲がり易い。 曲がりたいと思っただけで、曲がる。
自分の背くらいの長さでいい。
※ 皆川健太郎は、モーグルの上村愛子と結婚してる。

天狗もたくさん。 烏天狗も何天狗も、みんなあった。

岩場の展望台から。

帰りは、正規の登山道を下った。 道は乾いていないので、滑った。 地蔵さんがあった。

四国の24番札所は、室戸岬にある、最御崎寺(ほつみさきじ)。
室戸岬に行ったとき、近くに、洞窟の寺(御厨人窟(みくろど))があった。 そっちに行ってしまった。
四国東南端 室戸岬 吉良川の町並み ~室戸市~ 他 (2011/1/5)

スキー場に出てきた。

この後、また、旭展望台に行った。 夜景を見るため。
少し大きいカメラで、撮影。

北海道3大夜景。 他は、函館(2010年)と、札幌の藻岩山から(ネットの写真)。

小樽も函館と同じように、何回来ても飽きない町でしょうか。
坂のずっと上から、市街地を見てみました。
いろんなものに、出会いながら。
【その他】 今日は、オタモイ海岸に行く予定だった。
崖崩れで、道が封鎖。 行ける日がいつ来るか、分からない。
オタモイ海岸 北の岬について 他 (2009/8/25)
【今日の歌】 望郷。
【停泊場所】 小樽市の余市寄りの郊外。 コンビニのそばの空き地。
【明日の予定】 石狩挽歌の中の、朝里の浜を歩くのが、いいかな。 そばに、温泉もあるし。
その後、札幌のTさんの所へ。
明日札幌に入ることは、早くから決まっていました。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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