高知城は、空襲を逃れたと言うが、実際はアメリカが残したのではないだろうか、
京都の寺や姫路城を焼かなかったと同じように。
きっと、名城であることが、海の向こうに伝わっていた。
城に向かって歩いていたら、将棋をやっていた。 こういうのは、青空将棋か。
城のことを忘れて、30分程ながめていた。
右上に、天守閣。
ある人のを見ていた。 両方とも、実力はアマチュアの2、3段くらい。
こんな場面になった。
本当は、すぐに気づいていいのだが、そこは実戦。 見落としていた。
手前の人は、赤の所に桂馬を打って金を上げさせる。 そうしたら、3・1の金をずらして王手でお終い。
でも、気づかなかったので、負けてしまった。
久しぶりに将棋を見た。 夢中になったのは、青春の前の時代。
私は、自分がもし将棋に出会わなかったら、人生が変わったように思っている。 多くの時間を使ってしまった。
ボランティアで案内してくれる人がいた。 お願いした。
一豊の像。 ここから撮ったらいいよと、教えてくれた。
城は、一豊が建てたが焼けた。 再度同じのを建てたのが残っている。
追手門が、入り口。
千代の像。 千代の、心の中が見えるものではなかった。 ※ よごれていたからかもしれない。
※ こういう像で良かったのは、「月の沙漠」の像です。 御宿海岸のの像 ① ② ③ (千葉県)
千代と言う名前は、司馬遼太郎が使ったので、一般的になってしまった。
彼女の出身は、近江と言われていたが、郡上八幡が、最近は有力となっている。 ※ 郡上踊り 2人の像 郡上八幡城
石垣の石は、そのままの石。 高知は雨が多い。 隙間が多い方がいい。
二の丸や藩主の住まいは、この辺りにあった。 天守へは、ここから。
入って直ぐ。 廊下門と言うのかな。 高知は台風が来る。 だから、横の「はり」が太く重い。
ここから、有料。
資料室があって、案内の人が、これを見せてくれた。
三菱財閥の創業者、岩崎家の紋は、右。 ひし形が、3つ。 山内家の紋は、左。
2つが合わさって、今の三菱のマーク。 知らなかった。
大河ドラマ、功名が辻で、仲間由紀恵 が着た衣装があった。
そばに行ったら、彼女の匂いが残っていた。(?)
殿様が、家来や客を迎える部屋。 万が一に備えて、左奥から、いつでも家来が飛び出せる。
その部屋がここ。 最低3人はいる。 2人が戸を開ける。 最強の家来が飛び出す。
左の引き戸は、一枚板。 杉の板。
どこの杉かは、当ててもいいと思う。 もちろん、先日行った魚梁瀬(やなせ)の杉。
この人が千代。 一豊が亡くなったあと、京都の妙心寺に入った。 名は見性院。
高台寺にいた、ねねとも親しかったと言う。 ※ 説明の方の話し。 ※ 高台寺、ライトアップ。
※ なぜ、妙心寺か。 調べたら、こうだった。(Wikipediaより)
千代には、子供がいたが、災害で亡くしてしまう。
育て子として、「拾」のちの妙心寺住職の湘南宗化がいる。
この拾は、ある場所で、見性院に拾われたとの言い伝えがある。
と言うことは、千代は、「拾」を我が子のように思っていたということか。
「拾」のいる妙心寺を、安住の地とした。
千代の最後を看取ったのも「拾」 (妙心寺は、金閣寺の少し南に)
天守閣の最上階。
右手前は、県庁。 お堀の内側。 その向こうは、市役所。 行政の中心が集まっている。
黄色の建物の、少し右が、はりまや橋。 ※ はりまや橋。
オレンジの○の向こうが、昨日行った植物園。
西方向か。
真下。 天守は高い。
案内の人が、ひろめ市場を教えてくれた。
飲食店とお土産やさんがある。 庶民的な雰囲気。 昼間から、みんなお酒を飲んでいる。
私は、カツオのたたきの定食を食べた。
※ 一豊が、カツオの刺身は食中毒を起こすからと、禁止にした。
庶民は、周りを焼いて刺身でなくした。 それが、たたきになった。
ひろめ市場を出た所。 城と反対側。 左に600㍍行って、右に少し行ったら、はりまや橋。
高知城は、全国に12しかない、昔のままの天守閣。
本物を見るのは、いい。
※ 城の中は、撮影禁止にしない。 資料があっても。 それもいい。
いつかは見なければと思っていた城を、今日は見ました。
【道の駅】 かわうその里すさき
【明日の予定】 この近辺。
【動画】 高知城へ
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で9位です。 放浪の旅は33位です。
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京都の寺や姫路城を焼かなかったと同じように。
きっと、名城であることが、海の向こうに伝わっていた。
城に向かって歩いていたら、将棋をやっていた。 こういうのは、青空将棋か。
城のことを忘れて、30分程ながめていた。
右上に、天守閣。

ある人のを見ていた。 両方とも、実力はアマチュアの2、3段くらい。
こんな場面になった。
本当は、すぐに気づいていいのだが、そこは実戦。 見落としていた。
手前の人は、赤の所に桂馬を打って金を上げさせる。 そうしたら、3・1の金をずらして王手でお終い。
でも、気づかなかったので、負けてしまった。
久しぶりに将棋を見た。 夢中になったのは、青春の前の時代。
私は、自分がもし将棋に出会わなかったら、人生が変わったように思っている。 多くの時間を使ってしまった。

ボランティアで案内してくれる人がいた。 お願いした。
一豊の像。 ここから撮ったらいいよと、教えてくれた。

城は、一豊が建てたが焼けた。 再度同じのを建てたのが残っている。
追手門が、入り口。

千代の像。 千代の、心の中が見えるものではなかった。 ※ よごれていたからかもしれない。
※ こういう像で良かったのは、「月の沙漠」の像です。 御宿海岸のの像 ① ② ③ (千葉県)
千代と言う名前は、司馬遼太郎が使ったので、一般的になってしまった。
彼女の出身は、近江と言われていたが、郡上八幡が、最近は有力となっている。 ※ 郡上踊り 2人の像 郡上八幡城

石垣の石は、そのままの石。 高知は雨が多い。 隙間が多い方がいい。

二の丸や藩主の住まいは、この辺りにあった。 天守へは、ここから。

入って直ぐ。 廊下門と言うのかな。 高知は台風が来る。 だから、横の「はり」が太く重い。

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資料室があって、案内の人が、これを見せてくれた。
三菱財閥の創業者、岩崎家の紋は、右。 ひし形が、3つ。 山内家の紋は、左。
2つが合わさって、今の三菱のマーク。 知らなかった。

大河ドラマ、功名が辻で、仲間由紀恵 が着た衣装があった。
そばに行ったら、彼女の匂いが残っていた。(?)

殿様が、家来や客を迎える部屋。 万が一に備えて、左奥から、いつでも家来が飛び出せる。

その部屋がここ。 最低3人はいる。 2人が戸を開ける。 最強の家来が飛び出す。
左の引き戸は、一枚板。 杉の板。
どこの杉かは、当ててもいいと思う。 もちろん、先日行った魚梁瀬(やなせ)の杉。

この人が千代。 一豊が亡くなったあと、京都の妙心寺に入った。 名は見性院。
高台寺にいた、ねねとも親しかったと言う。 ※ 説明の方の話し。 ※ 高台寺、ライトアップ。
※ なぜ、妙心寺か。 調べたら、こうだった。(Wikipediaより)
千代には、子供がいたが、災害で亡くしてしまう。
育て子として、「拾」のちの妙心寺住職の湘南宗化がいる。
この拾は、ある場所で、見性院に拾われたとの言い伝えがある。
と言うことは、千代は、「拾」を我が子のように思っていたということか。
「拾」のいる妙心寺を、安住の地とした。
千代の最後を看取ったのも「拾」 (妙心寺は、金閣寺の少し南に)

天守閣の最上階。

右手前は、県庁。 お堀の内側。 その向こうは、市役所。 行政の中心が集まっている。

黄色の建物の、少し右が、はりまや橋。 ※ はりまや橋。
オレンジの○の向こうが、昨日行った植物園。

西方向か。

真下。 天守は高い。

案内の人が、ひろめ市場を教えてくれた。
飲食店とお土産やさんがある。 庶民的な雰囲気。 昼間から、みんなお酒を飲んでいる。
私は、カツオのたたきの定食を食べた。
※ 一豊が、カツオの刺身は食中毒を起こすからと、禁止にした。
庶民は、周りを焼いて刺身でなくした。 それが、たたきになった。

ひろめ市場を出た所。 城と反対側。 左に600㍍行って、右に少し行ったら、はりまや橋。

高知城は、全国に12しかない、昔のままの天守閣。
本物を見るのは、いい。
※ 城の中は、撮影禁止にしない。 資料があっても。 それもいい。
いつかは見なければと思っていた城を、今日は見ました。
【道の駅】 かわうその里すさき
【明日の予定】 この近辺。
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コメント
やはり現存しているお城はいいですね。正月に熊本城に行きましたが宇土櫓(現存)は靴を脱いで入りますが天守閣の方はピカピカのコンクリートなので当然靴は履いたまま。なんかガクッときましたね。
Re: タイトルなし
高知城は、いろんな話があって、退屈しない。
それもいいです。
宇和島城にも寄ってみようと思っていますよ。
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