歌志内市にある、悲別ロマン座に行って欲しい。
長野県の須坂の東風さんから、リクエストが来ていた。
キャンピングカーは、今日明日、車検。
代車でひとっ走り。
廃屋があるだけと思っていたが、喫茶店になっていた。
中には、「昨日、悲別で」の写真が展示してあった。
歌志内は、三浦綾子が代用教員として、最初に赴任した地。
郷土館に、資料があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
21日の比布(ぴっぷ)での 集まりが終わったら、私は道東に。
その後は、再度こちらには来ないで、南下する。
歌志内に行けなくなるので、今日行くことに。
近道を通ると、途中に、新城(しんじょう)峠。 展望台と駐車場があった。
北海道は、地図に載ってる道は、どこもいい。
ジャガイモ畑が多い感じ。 花は7月。
白いところは、ソバ畑。 今が見ごろ。
旭川から1時間ほど走ったら、歌志内に入った。
一瞬、廃屋に見えた。
歌志内市は、昔、炭鉱で栄えた町だった。
石炭を運ぶ、トロッコ。
私は、向こうから来た。 すぐに、トンネル。
反対側。 向こうが中心街。
倉本聰の、「昨日、悲別で」のテレビドラマの舞台になっている。
1984年のこと。
上砂川と歌志内がロケ地。 架空の町、悲別町での出来事。
悲別駅 ~旧上砂川駅 上砂川町~ 他 (2011/8/14)
中は喫茶店だった。 写真を撮ってお終いと思っていたから、よかった。
外観は廃屋でも、中はちゃんとしている。 ビデオで、ドラマがいつも流れている。
この建物は、住友上歌志内炭鉱の職員福利厚生施設。
炭鉱マンの、憩いの場所。 劇場。 名前は、住友上歌会館、だった。
ここは、カウンター。
倉本聡。
天宮良、石田えり、布施博、斉藤慶子達が、出演した。
私は、このドラマは見ていない。
悲別(かなしべつ)という架空の地名が、印象に残っていただけ。
※ 本当にあるのかなと思って、探したことがある。
倉本 聰(くらもと そう)が富良野に住み始めたのは、1977年。
北の国からなどを、作り始める。
「昨日、悲別で」が1984年だから、もう30年も前のこと。
ロマンザと書いたカレーを食べた。
ロマン座は客が多く忙しいので、後でまた、寄ることに。
歌志内市の散策に出た。
ちょっと走って、左に、郷土館が見えてきた。
入ってみることに。 200円。
少女の像。 作者は、笹戸千津子(ささど ちづこ)。
彫刻家ですが、佐藤忠良のモデルを、30年やっていた。
以前のブログで、この人について、触れたことがある。
こんな像のモデル。 その① その②(これは、大好き)
仙台 ~広瀬川・青葉通・定禅寺通・佐藤忠良記念館 ~ 他 (2009/10/09)
旭川出身の作家、三浦綾子。
彼女は、作家になる前、教師をしたことがある。
最初の赴任地が、歌志内。 このことは知っていたけど、忘れていた。
彼女の下宿が、数年前まで残っていた。 火事で焼けた。 新聞に載った。
歌志内での経験は、銃口の小説の中で生かされる。
主人公の男性だったかな、その人が、歌志内の学校に勤める設定で。
彼女は、後列中央。 まだ17歳になっていない。
男の先生が、戦争にとられて、教師が足りなくなった。
代用教員として、教育大を出ていなくても、教師になれた。
子供との関わり方や、考え方が、二十四の瞳の大石先生に似ている。
若いころの経験は、その人の人生に、ずっと影響を与える。
下は、「雪をんな」を書いた、葛西善蔵。 この人は、若いころ歌志内に来たことがあった。
ブログで、2度ほど紹介している。
※ 雪をんなは、まだネット上で読めない。 今作業中なので、近い将来読めます。
その時は、載せますね。
イチイの巨木、黄金水松。 2つの流れが1つになる、夫婦滝。 葛西善蔵。~芦別市~ 他 (2012/9/28)
倉本聰は、富良野自然塾で、若い人を育てた。
何でもあった。 空調がいいのか、空気がよどんでいない。
歌志内市は、昔は、4万人以上いた。 今は、4千人。 日本一、小さな市。
山の中だけど、農業・林業はないといっていいほど。
経済がはっきりしない。 年金者が多いのか。
昔は、歌志内線があった。
神威駅(かもいえき)がみえる。
三浦綾子が勤めたのは、神威小。
閉校になった神威小の、記念誌と校章。
昔の通り。
貧しくとも、よかったなという時代。 炭鉱のある時は、裕福だった。
かわいい車。
子供たちの表情は、昔のほうが、いいのでは。
命がけの仕事。 空気が悪い。 炭塵がある。 肺を壊す。
地獄より、もっと深いところで、石炭を掘る。
これが、代車。 普段と、乗ってる感じが全く違う。 お尻をこすってる感じ。
今晩は、この車で過ごそうと思ったけど、世界陸上が見たかったので、戻った。
道の駅への途中で見た。神威岳。
神威地区。 神威小学校は、この近くに。
道の駅うたしないチロルの湯。
悲別ロマン座に戻った。 映写室に案内してくれた。 この向こうは、屋根がない。
ドイツ製のホルーゲル(HORUGEL)のピアノ。 日本で作られてる可能性も。
悲別ロマン座は、修復の計画があるそうです。
観光財産として、どう利用するのか、難しい。
過去を懐かしむことが、次の世代にも、引き継がれていくのか。
夕張など、昔炭鉱だったところは、どこも苦労している。
【今日の歌】 「昨日、悲別で」の中で、流れていた。
【停泊場所】 姉の家の前
【明日の予定】 車検の車を受け取る。 その前にどこか。
※ 車は、19日までかかることに。 代車でどこかに出かける。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、7位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
長野県の須坂の東風さんから、リクエストが来ていた。
キャンピングカーは、今日明日、車検。
代車でひとっ走り。
廃屋があるだけと思っていたが、喫茶店になっていた。
中には、「昨日、悲別で」の写真が展示してあった。
歌志内は、三浦綾子が代用教員として、最初に赴任した地。
郷土館に、資料があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
21日の比布(ぴっぷ)での 集まりが終わったら、私は道東に。
その後は、再度こちらには来ないで、南下する。
歌志内に行けなくなるので、今日行くことに。
近道を通ると、途中に、新城(しんじょう)峠。 展望台と駐車場があった。

北海道は、地図に載ってる道は、どこもいい。
ジャガイモ畑が多い感じ。 花は7月。

白いところは、ソバ畑。 今が見ごろ。

旭川から1時間ほど走ったら、歌志内に入った。
一瞬、廃屋に見えた。

歌志内市は、昔、炭鉱で栄えた町だった。
石炭を運ぶ、トロッコ。

私は、向こうから来た。 すぐに、トンネル。

反対側。 向こうが中心街。

倉本聰の、「昨日、悲別で」のテレビドラマの舞台になっている。
1984年のこと。
上砂川と歌志内がロケ地。 架空の町、悲別町での出来事。
悲別駅 ~旧上砂川駅 上砂川町~ 他 (2011/8/14)

中は喫茶店だった。 写真を撮ってお終いと思っていたから、よかった。

外観は廃屋でも、中はちゃんとしている。 ビデオで、ドラマがいつも流れている。

この建物は、住友上歌志内炭鉱の職員福利厚生施設。
炭鉱マンの、憩いの場所。 劇場。 名前は、住友上歌会館、だった。
ここは、カウンター。

倉本聡。

天宮良、石田えり、布施博、斉藤慶子達が、出演した。

私は、このドラマは見ていない。
悲別(かなしべつ)という架空の地名が、印象に残っていただけ。
※ 本当にあるのかなと思って、探したことがある。

倉本 聰(くらもと そう)が富良野に住み始めたのは、1977年。
北の国からなどを、作り始める。
「昨日、悲別で」が1984年だから、もう30年も前のこと。


ロマンザと書いたカレーを食べた。


ロマン座は客が多く忙しいので、後でまた、寄ることに。
歌志内市の散策に出た。
ちょっと走って、左に、郷土館が見えてきた。
入ってみることに。 200円。

少女の像。 作者は、笹戸千津子(ささど ちづこ)。

彫刻家ですが、佐藤忠良のモデルを、30年やっていた。

以前のブログで、この人について、触れたことがある。
こんな像のモデル。 その① その②(これは、大好き)
仙台 ~広瀬川・青葉通・定禅寺通・佐藤忠良記念館 ~ 他 (2009/10/09)
旭川出身の作家、三浦綾子。
彼女は、作家になる前、教師をしたことがある。
最初の赴任地が、歌志内。 このことは知っていたけど、忘れていた。
彼女の下宿が、数年前まで残っていた。 火事で焼けた。 新聞に載った。

歌志内での経験は、銃口の小説の中で生かされる。
主人公の男性だったかな、その人が、歌志内の学校に勤める設定で。

彼女は、後列中央。 まだ17歳になっていない。
男の先生が、戦争にとられて、教師が足りなくなった。
代用教員として、教育大を出ていなくても、教師になれた。
子供との関わり方や、考え方が、二十四の瞳の大石先生に似ている。
若いころの経験は、その人の人生に、ずっと影響を与える。

下は、「雪をんな」を書いた、葛西善蔵。 この人は、若いころ歌志内に来たことがあった。
ブログで、2度ほど紹介している。
※ 雪をんなは、まだネット上で読めない。 今作業中なので、近い将来読めます。
その時は、載せますね。


イチイの巨木、黄金水松。 2つの流れが1つになる、夫婦滝。 葛西善蔵。~芦別市~ 他 (2012/9/28)
倉本聰は、富良野自然塾で、若い人を育てた。

何でもあった。 空調がいいのか、空気がよどんでいない。

歌志内市は、昔は、4万人以上いた。 今は、4千人。 日本一、小さな市。
山の中だけど、農業・林業はないといっていいほど。
経済がはっきりしない。 年金者が多いのか。
昔は、歌志内線があった。
神威駅(かもいえき)がみえる。
三浦綾子が勤めたのは、神威小。

閉校になった神威小の、記念誌と校章。


昔の通り。

貧しくとも、よかったなという時代。 炭鉱のある時は、裕福だった。

かわいい車。

子供たちの表情は、昔のほうが、いいのでは。

命がけの仕事。 空気が悪い。 炭塵がある。 肺を壊す。

地獄より、もっと深いところで、石炭を掘る。

これが、代車。 普段と、乗ってる感じが全く違う。 お尻をこすってる感じ。
今晩は、この車で過ごそうと思ったけど、世界陸上が見たかったので、戻った。

道の駅への途中で見た。神威岳。

神威地区。 神威小学校は、この近くに。

道の駅うたしないチロルの湯。

悲別ロマン座に戻った。 映写室に案内してくれた。 この向こうは、屋根がない。

ドイツ製のホルーゲル(HORUGEL)のピアノ。 日本で作られてる可能性も。

悲別ロマン座は、修復の計画があるそうです。
観光財産として、どう利用するのか、難しい。
過去を懐かしむことが、次の世代にも、引き継がれていくのか。
夕張など、昔炭鉱だったところは、どこも苦労している。
【今日の歌】 「昨日、悲別で」の中で、流れていた。
【停泊場所】 姉の家の前
【明日の予定】 車検の車を受け取る。 その前にどこか。
※ 車は、19日までかかることに。 代車でどこかに出かける。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、7位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
悲別ロマン座
Re: 悲別ロマン座
いい形で、残っていましたね。
若い時の思い出は、消えない。
少し前のは、忘れたりするけど。
昨年よりは、早めの南下になりそうです。
若い時の思い出は、消えない。
少し前のは、忘れたりするけど。
昨年よりは、早めの南下になりそうです。
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1133-7cc19fa6
「昨日 悲別で」のドラマは、私が22才の頃だったと思います。当時このドラマが大好きでどうしても北海道に行きたくなり、丁度今頃の時期に無理をしてオートバイで北海道へ渡りました。懐かしい思い出です。
上砂川駅と炭住、歌志内のロマン座を見学し、滝川へ出て稚内まで走りました。
当時のロマン座は、このような喫茶施設もなく荒れ果てた廃屋でした。
地域の方々が町おこしでしょうか、このように当時のままの姿で維持していることを嬉しく思います。
いつかは、北海道へ行きたいな。と思っています。
当時、オートバイは廻った所へは是非行ってみたい。
ありがとうございました。
秋にまたお会いしましょう!