昭和29年、夏のこと。
釧路に、ある人がやってきた。 宿泊は、六園荘という宿。
夕食の後半に、蕎麦(そば)を食べることになった。
作るのは、2代目を継いだ徳治。
何日も前から、準備。 心を含めて。
食べていただくそばは、「蘭切り」と、決まった。
極上のそば粉に、新鮮な卵黄をつなぎとして、作る。
その時が来た。 8月16日の、夕方。
徳治は、ある心配をした。
六園荘で用意した食事は、12品に及んでいた。
その後、そばを食べることは出来るだろうか。
作る指示が来るのを、六園荘の調理場で待った。
長い時間に感じた。 やがて、作る指示が来た。
精魂を込めて作った蘭切りそばを、担当者は運んだ。
お腹いっぱいで、食べられないかも知れない。
大きな不安の中、出した。
ところが、その人は、残さずに食べた。
それを知った徳治は、大任を果たした喜びで、呆然と立ち尽くしていた。
肩の荷が下りた。 そば屋をやっててよかったと、本心、思った。
しかし、ことは、それでは終わらなかった。
その人は、大変美味しいと言って、お代わりを望んだ。
急いで作ってほしいと、注文が来た。
徳治は、大粒の涙を流しながら、渾身の蘭切りそばを、再び作った。
そうして、召し上がっていただいた。
徳治にとって、一世一代の喜びだった。
そばを召し上がっていたのは、誰でしょう。
それを書かないと、だめですね。
それは、昭和天皇でした。
昭和29年8月16日のこと。
(たまたま、その日は、私の4歳の誕生日)
昭和天皇は、巡幸で、北海道に来ていた。
(留辺蘂の駅に、天皇陛下を見に行った記憶がある。 おばさんに連れられて。 10日頃。)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
国道でなく、海側の道を通って、市街地に向かった。
この一帯は、釧路市の東側。 幣舞橋など、中心街は、右奥。
竹老園(ちくろうえん)は、春採湖のそば。
東屋というそば屋が、釧路市を中心に、たくさんある。
その総本店が、竹老園。
広い庭。
普通は、ここで食べる。
部屋で食べることもできる。 部屋代、300円。
久しぶりに、部屋で食べることに。 こっちに、入口。
昨年来たときは、休みだった。 その前は、混んでてあきらめた。
その前は、食べることが出来た。 根室にいた頃は、年に1度ほど。
1階のこの部屋に、案内された。
奥の方が、いいかなと思ったけど、ここでもいい。
部屋から庭が見えるのが魅力だけど、魅力は、もう1つ。
それは、骨董品があること。 絵なども、それなりのもの。
下の絵は、岸田麗子が描いた。
聞いたことのない名前だけど、「あれ!」て思う人は、絵に詳しい。
岸田劉生(きしだりゅうせい)の娘が、岸田麗子。
劉生が麗子を描いた絵がある。 有名な麗子立像。
絵のモデルの麗子が描いたのが、下の絵。
床の間の引き出し。 江村春暉という人。 有名ではないけど、画家。
値段表。 かしわそばの、肉の多いのを食べた。
以前来たときは、コースを注文。
これです。 鶏肉が軟くない。 歯ごたえがある。 これがいい。 味のいい肉。
下のは、以前食べた時の写真。
左は、かしわぬき。 これは、かしわそばの、スープだけ。
右は、そば寿司と茶そば。
冒頭に書いた、昭和天皇が食べたのは、これ。 蘭切りそば。
※ 卵切り、と書くところを、蘭切りにした。
天皇がお代わりしたということで、この店は、さらに有名になる。
店の紹介。 朝日新聞デジタルの記事。(2010年)
味を守り続ける、とある。 味が落ちたという評判がたったら、大変。
小樽、函館、釧路と動く。
創業者の伊藤文平は、鳥羽・伏見の戦いに参加。
旧幕府軍15000名の中にいた。 負けたため、武士を捨てて、北海道に渡る。
この戦いは、戊辰戦争のスタート。 戊辰戦争の最後は、函館戦争。
土方歳三(ひじかたとしぞう)は、最初から最後まで、戦いの中にいる。
土方歳三最期の地 ~函館市~ 他 (2011/7/29)
五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)
竹老園のあるこの場所は、2代目竹次郎の隠居の場所だった。
※ 父文平に手を引かれて北海道にやってきた、あの竹次郎。
「手を抜けば、失うものは大きい」の言葉が、目を引く。
竹老園のそばは、そばとして美味しいだけでなく、そばを離れた料理としても、美味しい。
食べ終わって会計を済ませ、あっちこっちの写真。
突き当り左に、厨房。 広いのが特徴。
庭。 橋を渡って、玄関に来る。
向こうにも部屋。 以前は、あっちで食べた。
上の写真の部屋へは、ここを通って。
絵があった。 作者は、牧野環(たまき)。 日本画家。
多くの皇族が、ここのそばを食べている。
私が写真を撮っていたら、お店の方が出てきた。 シャッターを押してあげるという。
聞くと、4代目の、伊藤正司社長さんだった。
自分の写真はいらないので、下の写真をお願いした。
天皇に出したそばのこと、庭のことなどを話した。
庭の木が育ちすぎていることは、社長さんも気にしていた。 私も感じていた。
鶏肉は、放し飼いのを使っている。 出る出汁(だし)が違うという。
竹老園は、材料の選定には、細かく気を使っている。 繊細に。
冊子と本を、いただいた。 本は、先代が書いたもの。
冒頭の文は、本で学んだことと、社長さんから聞いたことを元に、書いた。
※ 竹老園は有名なので、以前から知っていたことも、ある。
社長さんにお礼を言って別れ、庭を見た。
少し離れて。 左に、大仏。 1976年建立。
観音像も。 1971年建立。
多くの皇室が、ここのそばを食べている。 皇室の中で、口コミで評判になったのかも。
観音堂。 庭を作ったときは、すべてが、もっと小ぶりだった。
建物の反対側。 玉川一郎という、作家のような人が、昔いた。
旅をしていて、美味しいそばには、滅多に出会えない。
今日は、満足。
本当は、今日、磯分内(いそぶんない)に行く予定だった。
厚岸から向かったが、少し走って、電話した。 店は2時までだという。
間に合わない。
明日行くことにして、今日は、竹老園に来た。
お世話になった竹老園を後にして、まず、手前の、標茶(しべちゃ)に向かった。
雨で、ソーラーが十分に働かない。 走って、電気を作る。
途中にあった、シラルトロ湖。 釧路湿原の中。
釧路と弟子屈(てしかが)の間に、標茶。 磯分内は、その少し北に。
標茶駅。 SLのふるさと、とある。 どういうことでしょう。
道東の鉄道発祥の地と。
明治20年の話ですね。 釧路や根室に鉄道が通ったのは、明治30年ころ。
硫黄山の硫黄を運んだ、とある。 硫黄山は、こんな所。(2010年)
4代目の社長さんに親切にしていただき、ありがたかったです。。
美味しいものを作り上げて、それを守り通すことは、大変なこととと、知りました。
竹老園東屋総本店には、歴史がある。
それは、ただの歴史ではなく、栄光の歴史と言っていいほどの。
いつかまた、寄ってみますね。
【その他】 キム・ヨナの新しいプログラムについては、明日です。
時間が無くなったので。
【今日の歌】 鳥羽・伏見の戦いで、長州藩が陣地を敷いたのは、東福寺のそば。 ※ 食べるそばではなく。
東福寺は、京都駅の南東。 近い。
下の歌は、東福寺で歌っている。
【停泊場所】 標茶(しべちゃ)駅の駐車場。
【明日の予定】 磯分内に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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釧路に、ある人がやってきた。 宿泊は、六園荘という宿。
夕食の後半に、蕎麦(そば)を食べることになった。
作るのは、2代目を継いだ徳治。
何日も前から、準備。 心を含めて。
食べていただくそばは、「蘭切り」と、決まった。
極上のそば粉に、新鮮な卵黄をつなぎとして、作る。
その時が来た。 8月16日の、夕方。
徳治は、ある心配をした。
六園荘で用意した食事は、12品に及んでいた。
その後、そばを食べることは出来るだろうか。
作る指示が来るのを、六園荘の調理場で待った。
長い時間に感じた。 やがて、作る指示が来た。
精魂を込めて作った蘭切りそばを、担当者は運んだ。
お腹いっぱいで、食べられないかも知れない。
大きな不安の中、出した。
ところが、その人は、残さずに食べた。
それを知った徳治は、大任を果たした喜びで、呆然と立ち尽くしていた。
肩の荷が下りた。 そば屋をやっててよかったと、本心、思った。
しかし、ことは、それでは終わらなかった。
その人は、大変美味しいと言って、お代わりを望んだ。
急いで作ってほしいと、注文が来た。
徳治は、大粒の涙を流しながら、渾身の蘭切りそばを、再び作った。
そうして、召し上がっていただいた。
徳治にとって、一世一代の喜びだった。
そばを召し上がっていたのは、誰でしょう。
それを書かないと、だめですね。
それは、昭和天皇でした。
昭和29年8月16日のこと。
(たまたま、その日は、私の4歳の誕生日)
昭和天皇は、巡幸で、北海道に来ていた。
(留辺蘂の駅に、天皇陛下を見に行った記憶がある。 おばさんに連れられて。 10日頃。)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
国道でなく、海側の道を通って、市街地に向かった。
この一帯は、釧路市の東側。 幣舞橋など、中心街は、右奥。

竹老園(ちくろうえん)は、春採湖のそば。
東屋というそば屋が、釧路市を中心に、たくさんある。
その総本店が、竹老園。
広い庭。

普通は、ここで食べる。
部屋で食べることもできる。 部屋代、300円。

久しぶりに、部屋で食べることに。 こっちに、入口。

昨年来たときは、休みだった。 その前は、混んでてあきらめた。
その前は、食べることが出来た。 根室にいた頃は、年に1度ほど。

1階のこの部屋に、案内された。
奥の方が、いいかなと思ったけど、ここでもいい。

部屋から庭が見えるのが魅力だけど、魅力は、もう1つ。
それは、骨董品があること。 絵なども、それなりのもの。
下の絵は、岸田麗子が描いた。
聞いたことのない名前だけど、「あれ!」て思う人は、絵に詳しい。
岸田劉生(きしだりゅうせい)の娘が、岸田麗子。
劉生が麗子を描いた絵がある。 有名な麗子立像。
絵のモデルの麗子が描いたのが、下の絵。

床の間の引き出し。 江村春暉という人。 有名ではないけど、画家。

値段表。 かしわそばの、肉の多いのを食べた。
以前来たときは、コースを注文。

これです。 鶏肉が軟くない。 歯ごたえがある。 これがいい。 味のいい肉。

下のは、以前食べた時の写真。
左は、かしわぬき。 これは、かしわそばの、スープだけ。
右は、そば寿司と茶そば。


冒頭に書いた、昭和天皇が食べたのは、これ。 蘭切りそば。
※ 卵切り、と書くところを、蘭切りにした。
天皇がお代わりしたということで、この店は、さらに有名になる。

店の紹介。 朝日新聞デジタルの記事。(2010年)
味を守り続ける、とある。 味が落ちたという評判がたったら、大変。
小樽、函館、釧路と動く。
創業者の伊藤文平は、鳥羽・伏見の戦いに参加。
旧幕府軍15000名の中にいた。 負けたため、武士を捨てて、北海道に渡る。
この戦いは、戊辰戦争のスタート。 戊辰戦争の最後は、函館戦争。
土方歳三(ひじかたとしぞう)は、最初から最後まで、戦いの中にいる。
土方歳三最期の地 ~函館市~ 他 (2011/7/29)
五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)


竹老園のあるこの場所は、2代目竹次郎の隠居の場所だった。
※ 父文平に手を引かれて北海道にやってきた、あの竹次郎。
「手を抜けば、失うものは大きい」の言葉が、目を引く。


竹老園のそばは、そばとして美味しいだけでなく、そばを離れた料理としても、美味しい。
食べ終わって会計を済ませ、あっちこっちの写真。
突き当り左に、厨房。 広いのが特徴。

庭。 橋を渡って、玄関に来る。

向こうにも部屋。 以前は、あっちで食べた。

上の写真の部屋へは、ここを通って。

絵があった。 作者は、牧野環(たまき)。 日本画家。


多くの皇族が、ここのそばを食べている。

私が写真を撮っていたら、お店の方が出てきた。 シャッターを押してあげるという。
聞くと、4代目の、伊藤正司社長さんだった。
自分の写真はいらないので、下の写真をお願いした。

天皇に出したそばのこと、庭のことなどを話した。
庭の木が育ちすぎていることは、社長さんも気にしていた。 私も感じていた。
鶏肉は、放し飼いのを使っている。 出る出汁(だし)が違うという。
竹老園は、材料の選定には、細かく気を使っている。 繊細に。
冊子と本を、いただいた。 本は、先代が書いたもの。
冒頭の文は、本で学んだことと、社長さんから聞いたことを元に、書いた。
※ 竹老園は有名なので、以前から知っていたことも、ある。


社長さんにお礼を言って別れ、庭を見た。
少し離れて。 左に、大仏。 1976年建立。

観音像も。 1971年建立。

多くの皇室が、ここのそばを食べている。 皇室の中で、口コミで評判になったのかも。

観音堂。 庭を作ったときは、すべてが、もっと小ぶりだった。

建物の反対側。 玉川一郎という、作家のような人が、昔いた。


旅をしていて、美味しいそばには、滅多に出会えない。
今日は、満足。
本当は、今日、磯分内(いそぶんない)に行く予定だった。
厚岸から向かったが、少し走って、電話した。 店は2時までだという。
間に合わない。
明日行くことにして、今日は、竹老園に来た。
お世話になった竹老園を後にして、まず、手前の、標茶(しべちゃ)に向かった。
雨で、ソーラーが十分に働かない。 走って、電気を作る。
途中にあった、シラルトロ湖。 釧路湿原の中。

釧路と弟子屈(てしかが)の間に、標茶。 磯分内は、その少し北に。
標茶駅。 SLのふるさと、とある。 どういうことでしょう。

道東の鉄道発祥の地と。
明治20年の話ですね。 釧路や根室に鉄道が通ったのは、明治30年ころ。
硫黄山の硫黄を運んだ、とある。 硫黄山は、こんな所。(2010年)


4代目の社長さんに親切にしていただき、ありがたかったです。。
美味しいものを作り上げて、それを守り通すことは、大変なこととと、知りました。
竹老園東屋総本店には、歴史がある。
それは、ただの歴史ではなく、栄光の歴史と言っていいほどの。
いつかまた、寄ってみますね。
【その他】 キム・ヨナの新しいプログラムについては、明日です。
時間が無くなったので。
【今日の歌】 鳥羽・伏見の戦いで、長州藩が陣地を敷いたのは、東福寺のそば。 ※ 食べるそばではなく。
東福寺は、京都駅の南東。 近い。
下の歌は、東福寺で歌っている。
【停泊場所】 標茶(しべちゃ)駅の駐車場。
【明日の予定】 磯分内に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
老舗の味
Re: 老舗の味
門司のうどんを思い出します。
ごぼう天の肉うどん。
社長さんの人柄や、作る姿勢が、店の人に浸みるんですね。
竹老園では、それを感じました。
ごぼう天の肉うどん。
社長さんの人柄や、作る姿勢が、店の人に浸みるんですね。
竹老園では、それを感じました。
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老舗になるにはなるだけの努力なんですね。
きっと社長さんをはじめ、従業員の方達も感じの良い店なのでしょう。
値段のよろしい蕎麦屋は門司の近辺にもありました。
しかし、店を維持し続けることはたいへん困難だったのでしょう。
いつの間にか無くなっていました。
まだまだ 美味しい店の いい話を聞かせて下さい。