1人の女性が、ある男を好きになったとします。
でも、何かがあって、別れます。
心底好きだったかは、本人も分からない。
別れた後、男は若くして、病気で亡くなる。
ところが、亡くなった後有名になり、大きな存在になっていく。
こんな時、女の人の、昔の男を思う気持ちに、変化が起きることは、あるのでしょうか。
啄木と小奴(こやっこ)の話です。
亡くなったことが、彼女に何かを気づかせたのでしょうか。
晩年、こんな歌を作った。
「六十路過ぎ 十九の春をしみじみと 君が歌集に残る思い出」
「ながらへて 亡き啄木を語るとき 我の若さも共になつかし」
もっと深いところの、彼女の気持ちが知れたらとも・・・。
久しぶりに、幣舞橋(ぬさまいばし)を渡ってみました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
ノロッコ号は、塘路(とうろ)駅から、釧路駅まで。
夏季限定の、観光列車。
塘路駅。 釧路駅まで、530円。
塘路から、湿原が始まる。 カヌーは、塘路湖から、釧路川に出ていく。 細岡まで。
出発まで弁当を食べてる人が多かった。 どの車両かに、売店がある。
釧路川が、線路から離れたり、くっ付いたりする。
2008年に、カヌーに乗った。 その時の写真。
静かに流れる。 風を感じて。
ノロッコ号が、ここを通るのに合わせて、カヌーはここに。
写真の撮りやっこ。
ここで上がる。 業者の車で戻る。
鹿はしょっちゅう。
昔は、広く海だった。 今は、湿原の乾燥化が進んでいる。 釧路湿原は、日本で最も広い。
釧路湿原駅。 平日でも、混んでいる。
台湾からの人もいる。
客車の床に、熊の足跡。
30分ほどで着いた。 行くところは、駅の他に、3ヶ所。
釧路駅。 釧路は、道東の中心地。 札幌から遠い。 根室は、さらに120㌔。
和商市場に向かった。
全体の感じ。(写真が、失敗)
カニ。 秋サケが、獲れ始めている。
今年は釣らないで、早めに南下。 一昨年、こんなのを。 90㌢。
魚屋さんが、多い。
地元の人が買いに来ていたら、安いと言える。 その辺は、はっきりしない。
これを買って、ご飯の上に載せて食べる。 勝手丼。
私は、サンマを焼いた定食を食べたかった。 なかった。 ホッケやニシンならあったけど。
幣舞橋に向かう。 北大通。 根室にいたころは、年に何回か来た。
見えてきた。
下を流れるのは、釧路川。
幣舞橋には、春・夏・秋・冬の像がある。
写真中央の春の像は、よかった。 こんな像。
作者は、舟越 保武(ふなこし やすたけ) 佐藤忠良と仲が良かった。
田沢湖にある、有名な辰子像は、彼の作品。 こんな像。(今年の夏に撮影。 どしゃ降り)
さらに進む。 次の像は、夏。
通り過ぎて撮影。 佐藤忠良作。 体型が少し気になる。
向こうに見える建物は、フィッシャーマンズワーフ。
彼の像に、この表情はいっぱいある。 モデルは、笹戸千津子の若い時と思う。
向こうから来た。 橋の右向こうが、釧路の歓楽街。
橋を渡って、海の方に行くと、港文館(こうぶんかん)。 石川啄木の資料がある。
啄木が勤めていた、旧釧路新聞社を、復元した。
※ この新聞社は、釧路新聞社とは関係なく、北海道新聞の旧釧路新聞社。
※ ここから、100㍍程離れた所に、実際の建物はあった。 このように。
完成したのは、明治41年1月20日。 引っ越しも終わる。
啄木は、次の21日に、釧路に来る。
(啄木が亡くなるのは、明治45年。 牧水たちが看取る。 墓は立待岬に(2010年撮影))
(節子は、次の年に亡くなる。 2人とも、結核。)
1階は喫茶店。 2階が資料室。 無料。
中央に、妻節子と。 一緒に暮らしていない時が、多い。 子供2人。
このように展示。
この後出てくる、小奴(こやっこ)が書いた。 彼女は文才があり、達筆だった。
明治41年1月21日、釧路駅を出た時の歌ですね。
「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」
啄木も、小奴を歌っている。
「小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり」
耳朶は、みみたぶ。 やわらかいかどうかは、触らなければ分からない。
2人は、どんな関係だったんだろう。
女性には、男にはない、一種の鋭い、人を見抜く感覚を持っている。
この人間は、将来、大物になるかどうかなど。
酒を飲みながらだって、見抜ける。
※ 余談になるが、スナックのママさんなんかも、人を見る目は鋭い。
世の中のこと、何でも知っている。
八戸の「山き」のママさんも、根室の杏奈のママも同じ。
昔から言われている。 話して面白いのは、飲み屋のママさん。
私もそう思う。
小奴は、東京へ出る啄木に、餞別を渡している。
2人のことより、彼の将来に夢を感じ、それを大事にした。 好きだったとしても。
啄木に妻がいたことも、大胆な行動を取らせなかった理由かも、知れない。
ただ、本当に好きなら、全てが見えなくなることもあるんだが。
啄木の周りにいた女性。
彼は、どれほどの給料をもらっていたのでしょう。
みんな遊びに使ったのか。
少なくても、女性が、啄木の話術か何かに魅力を感じなければ、寄っては行かないでしょうね。
啄木の魅力は、何だったんでしょう。 この頃はまだ、ただの人間。
※ 伝わっているほど、もてていない可能性も。 話は膨らむから。
小奴ですね。 美人そのものではない。
でも、女性には、口を開けば魅力倍増という人がいる。 そのタイプかも知れない。
知的な人は、特に。
※ どんな人がいるかって、古いけど、江利チエミ。
※ 反対の人もいますね。 軽いことを、ペラペラと。 ずっと口を開かないでって、願ったりする。
小奴と、同じ料亭にいた女性たちですね。 みんな美人。 竹久夢二の絵に出てきそう。
林芙美子が来ていた。
調べたら、昭和10年。 北海道に来て、釧路に寄った。
摩周湖紀行に、下の文。
啄木の唄った女のひとは昔小奴と云ったが、いまは近江じんさんと云って、角大という宿屋を営んでいた。
新らしくて大きい旅館で、旧市街と新市街の間のようなところにあった。
おじんさんは四十五歳だと云っていた。
小奴と云う女のひとを現在眼の前にすると、啄木もそんなに老けてはいない年頃だったと思ふ。
生きていたら、たしか五十歳位ででもあったろう。
※ 尾道にある、林芙美子の像。(昨年撮影)
坂・寺・文学の街、尾道を歩く。 林芙美子、千光寺、文学のこみち、など。~尾道市~ 他 (2012/12/31)
ジンさんに人が来るということは、ジンさんを通して、啄木のことが分かるからか。
映画のロケで来たんですね。 知人岬は、釧路港の南にある、小さな岬。
後ろの、山高帽。
函館で、作ったよう。 自分を、カニだと思っているのか。
外にある、像。
サンマを獲るのか、イカを獲るのか。 灯りをこうこうと点けて。
幣舞橋の下のトンネル。 トンネルの向こうは、いつも明るい世界。
こういう世界に行けるときは、くるのか。
釧路川は、もう、海のよう。
河口まで少し。
フィッシャーマンズワーフに入ってみた。
こんな食べ物。 ここは、観光地としては、魅力が足りないかな。
桜木紫乃さんです。
風葬に出てくる、涙香岬(ルイカミサキ)で、何度も触れています。
氷平線も面白い。
この近くに、ラーメンの銀水と、イワシの鮨の店があった。
観光案内所で聞いたら、寿司屋さんは辞めていた。 銀水は、移転していた。
昔、この2つに行きたくて、紋別から、釧路の付属小の研究会に来たことがある。
私の研究会への参加は、いつもこうだった。
野球が見たい時だけ、札幌の研究会。
こうだから、私は信用がなかった。
何しに行くのって、聞かれる。
失礼なこと聞くなよな、って言っても、重みがない。
駅前にこんな建物。 教会か。
釧路駅。
※ 啄木が、「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」
と読んだ時の駅は、こう。
15時50分で、戻る。
1両編成。 ノロッコ号ではない。
細岡駅で、カヌーを背負った人が、乗った。
鹿が飛び出るから、ゆっくり。
塘路駅に、着きました。
啄木の歌に魅力がなければ、誰も相手にしない。
こんな歌も。
「しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」
小奴の思った通り、啄木は大きな人になった。
啄木が亡くなって、小奴は、自分の啄木への気持ちが、はっきり分かった。
後悔する部分も、きっとあった。
そんなことを思うけど、小奴の本心は、分からない。
小奴は、自分の心の底を語ることは、なかったんだろうか。
知れるものなら、知ってみたい。
思い出と共に生きたように、見える。
【今日の歌】
【その他】 晩に、標茶のKさんという方が、遊びに来ました。 酪農している方。
釣や旅の話。 話が楽しくて、遅くまでお話。
Kさんが釣ったマスの卵の、しょうゆ漬けをいただきました。
これで、暖かいごはんで食べたら、たまらなく美味しい。
【停泊場所】 標茶駅駐車場
【明日の予定】 釧路市動物園
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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でも、何かがあって、別れます。
心底好きだったかは、本人も分からない。
別れた後、男は若くして、病気で亡くなる。
ところが、亡くなった後有名になり、大きな存在になっていく。
こんな時、女の人の、昔の男を思う気持ちに、変化が起きることは、あるのでしょうか。
啄木と小奴(こやっこ)の話です。
亡くなったことが、彼女に何かを気づかせたのでしょうか。
晩年、こんな歌を作った。
「六十路過ぎ 十九の春をしみじみと 君が歌集に残る思い出」
「ながらへて 亡き啄木を語るとき 我の若さも共になつかし」
もっと深いところの、彼女の気持ちが知れたらとも・・・。
久しぶりに、幣舞橋(ぬさまいばし)を渡ってみました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
ノロッコ号は、塘路(とうろ)駅から、釧路駅まで。
夏季限定の、観光列車。
塘路駅。 釧路駅まで、530円。

塘路から、湿原が始まる。 カヌーは、塘路湖から、釧路川に出ていく。 細岡まで。

出発まで弁当を食べてる人が多かった。 どの車両かに、売店がある。

釧路川が、線路から離れたり、くっ付いたりする。
2008年に、カヌーに乗った。 その時の写真。


静かに流れる。 風を感じて。


ノロッコ号が、ここを通るのに合わせて、カヌーはここに。
写真の撮りやっこ。


ここで上がる。 業者の車で戻る。

鹿はしょっちゅう。


昔は、広く海だった。 今は、湿原の乾燥化が進んでいる。 釧路湿原は、日本で最も広い。

釧路湿原駅。 平日でも、混んでいる。

台湾からの人もいる。

客車の床に、熊の足跡。

30分ほどで着いた。 行くところは、駅の他に、3ヶ所。

釧路駅。 釧路は、道東の中心地。 札幌から遠い。 根室は、さらに120㌔。

和商市場に向かった。

全体の感じ。(写真が、失敗)

カニ。 秋サケが、獲れ始めている。
今年は釣らないで、早めに南下。 一昨年、こんなのを。 90㌢。


魚屋さんが、多い。
地元の人が買いに来ていたら、安いと言える。 その辺は、はっきりしない。

これを買って、ご飯の上に載せて食べる。 勝手丼。
私は、サンマを焼いた定食を食べたかった。 なかった。 ホッケやニシンならあったけど。

幣舞橋に向かう。 北大通。 根室にいたころは、年に何回か来た。

見えてきた。

下を流れるのは、釧路川。

幣舞橋には、春・夏・秋・冬の像がある。
写真中央の春の像は、よかった。 こんな像。
作者は、舟越 保武(ふなこし やすたけ) 佐藤忠良と仲が良かった。
田沢湖にある、有名な辰子像は、彼の作品。 こんな像。(今年の夏に撮影。 どしゃ降り)

さらに進む。 次の像は、夏。

通り過ぎて撮影。 佐藤忠良作。 体型が少し気になる。
向こうに見える建物は、フィッシャーマンズワーフ。

彼の像に、この表情はいっぱいある。 モデルは、笹戸千津子の若い時と思う。

向こうから来た。 橋の右向こうが、釧路の歓楽街。

橋を渡って、海の方に行くと、港文館(こうぶんかん)。 石川啄木の資料がある。
啄木が勤めていた、旧釧路新聞社を、復元した。
※ この新聞社は、釧路新聞社とは関係なく、北海道新聞の旧釧路新聞社。

※ ここから、100㍍程離れた所に、実際の建物はあった。 このように。
完成したのは、明治41年1月20日。 引っ越しも終わる。
啄木は、次の21日に、釧路に来る。
(啄木が亡くなるのは、明治45年。 牧水たちが看取る。 墓は立待岬に(2010年撮影))
(節子は、次の年に亡くなる。 2人とも、結核。)
1階は喫茶店。 2階が資料室。 無料。

中央に、妻節子と。 一緒に暮らしていない時が、多い。 子供2人。

このように展示。

この後出てくる、小奴(こやっこ)が書いた。 彼女は文才があり、達筆だった。
明治41年1月21日、釧路駅を出た時の歌ですね。
「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」
啄木も、小奴を歌っている。
「小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり」
耳朶は、みみたぶ。 やわらかいかどうかは、触らなければ分からない。
2人は、どんな関係だったんだろう。

女性には、男にはない、一種の鋭い、人を見抜く感覚を持っている。
この人間は、将来、大物になるかどうかなど。
酒を飲みながらだって、見抜ける。
※ 余談になるが、スナックのママさんなんかも、人を見る目は鋭い。
世の中のこと、何でも知っている。
八戸の「山き」のママさんも、根室の杏奈のママも同じ。
昔から言われている。 話して面白いのは、飲み屋のママさん。
私もそう思う。
小奴は、東京へ出る啄木に、餞別を渡している。
2人のことより、彼の将来に夢を感じ、それを大事にした。 好きだったとしても。
啄木に妻がいたことも、大胆な行動を取らせなかった理由かも、知れない。
ただ、本当に好きなら、全てが見えなくなることもあるんだが。

啄木の周りにいた女性。
彼は、どれほどの給料をもらっていたのでしょう。
みんな遊びに使ったのか。
少なくても、女性が、啄木の話術か何かに魅力を感じなければ、寄っては行かないでしょうね。
啄木の魅力は、何だったんでしょう。 この頃はまだ、ただの人間。
※ 伝わっているほど、もてていない可能性も。 話は膨らむから。

小奴ですね。 美人そのものではない。
でも、女性には、口を開けば魅力倍増という人がいる。 そのタイプかも知れない。
知的な人は、特に。
※ どんな人がいるかって、古いけど、江利チエミ。
※ 反対の人もいますね。 軽いことを、ペラペラと。 ずっと口を開かないでって、願ったりする。

小奴と、同じ料亭にいた女性たちですね。 みんな美人。 竹久夢二の絵に出てきそう。
林芙美子が来ていた。
調べたら、昭和10年。 北海道に来て、釧路に寄った。
摩周湖紀行に、下の文。
啄木の唄った女のひとは昔小奴と云ったが、いまは近江じんさんと云って、角大という宿屋を営んでいた。
新らしくて大きい旅館で、旧市街と新市街の間のようなところにあった。
おじんさんは四十五歳だと云っていた。
小奴と云う女のひとを現在眼の前にすると、啄木もそんなに老けてはいない年頃だったと思ふ。
生きていたら、たしか五十歳位ででもあったろう。


※ 尾道にある、林芙美子の像。(昨年撮影)
坂・寺・文学の街、尾道を歩く。 林芙美子、千光寺、文学のこみち、など。~尾道市~ 他 (2012/12/31)
ジンさんに人が来るということは、ジンさんを通して、啄木のことが分かるからか。
映画のロケで来たんですね。 知人岬は、釧路港の南にある、小さな岬。


後ろの、山高帽。

函館で、作ったよう。 自分を、カニだと思っているのか。

外にある、像。

サンマを獲るのか、イカを獲るのか。 灯りをこうこうと点けて。

幣舞橋の下のトンネル。 トンネルの向こうは、いつも明るい世界。
こういう世界に行けるときは、くるのか。

釧路川は、もう、海のよう。

河口まで少し。

フィッシャーマンズワーフに入ってみた。

こんな食べ物。 ここは、観光地としては、魅力が足りないかな。

桜木紫乃さんです。
風葬に出てくる、涙香岬(ルイカミサキ)で、何度も触れています。
氷平線も面白い。


この近くに、ラーメンの銀水と、イワシの鮨の店があった。
観光案内所で聞いたら、寿司屋さんは辞めていた。 銀水は、移転していた。
昔、この2つに行きたくて、紋別から、釧路の付属小の研究会に来たことがある。
私の研究会への参加は、いつもこうだった。
野球が見たい時だけ、札幌の研究会。
こうだから、私は信用がなかった。
何しに行くのって、聞かれる。
失礼なこと聞くなよな、って言っても、重みがない。
駅前にこんな建物。 教会か。

釧路駅。

※ 啄木が、「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」
と読んだ時の駅は、こう。
15時50分で、戻る。

1両編成。 ノロッコ号ではない。

細岡駅で、カヌーを背負った人が、乗った。

鹿が飛び出るから、ゆっくり。
塘路駅に、着きました。

啄木の歌に魅力がなければ、誰も相手にしない。
こんな歌も。
「しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」
小奴の思った通り、啄木は大きな人になった。
啄木が亡くなって、小奴は、自分の啄木への気持ちが、はっきり分かった。
後悔する部分も、きっとあった。
そんなことを思うけど、小奴の本心は、分からない。
小奴は、自分の心の底を語ることは、なかったんだろうか。
知れるものなら、知ってみたい。
思い出と共に生きたように、見える。
【今日の歌】
【その他】 晩に、標茶のKさんという方が、遊びに来ました。 酪農している方。
釣や旅の話。 話が楽しくて、遅くまでお話。
Kさんが釣ったマスの卵の、しょうゆ漬けをいただきました。
これで、暖かいごはんで食べたら、たまらなく美味しい。

【停泊場所】 標茶駅駐車場
【明日の予定】 釧路市動物園
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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