1689年5月13日。
芭蕉は、雨の中、中尊寺の坂道を上っていた。
しばらくして、左に、金色堂が見えてきた。
その美しさは、特別だった。
「 五月雨の 降残してや 光堂 」と歌った。
今日も、雨になった。
芭蕉が見たように、金色堂だけ、降り残してくれるのか。
写真で表現できるのか。
楽しみが出て来た。
傘をさして、私も、坂を上った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
気仙沼から、中に入ってきた。 盛岡が上に見える。
広い駐車場。 400円。
右から山に、上がっていく。
月見坂。 左に、八幡堂。 左の道を行ってみる。
お店があった。 盛岡市が近いから、わんこそば。
元の道に出た。 雨の日は、風景がしっとり。 小雨。
弁慶堂。 江戸時代の建物。 中に、義経と弁慶の像。
このように。
下には、衣川。 少し見えているのかな。
泰衡(やすひら)が、義経が住む衣川の館を、攻めた。
衣川の戦い。 それで芭蕉は、この句。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
杉林の道を、さらに行く。
傘の人は、写真に入ると、絵になる。
中尊寺の人気は、金色堂でもっている。
それを有名にしたのは、松尾芭蕉。
松尾芭蕉は、立石寺など、あっちこっちを、有名にした。
芭蕉は、観光大使のよう。
小さな寺やお店が続く。
中尊寺全体を有名にしたのは、義経。 そして、弁慶。
義経の魅力は大きすぎる。
義経と芭蕉に支えられた中尊寺は、鬼に金棒。
中尊寺はお寺だから、本堂がある。 山門。
中尊寺は平安時代の初めからあったが、大きな寺にしたのは、藤原清衡(きよひら)。
実質的な開基は、清衡。
清衡、基衡、秀衡、泰衡と、100年続く。
平安時代の終わりの末法の世に、この東北の地に、絢爛(けんらん)豪華な文化が花開いた。
あの世の極楽の世界を、今の世に作った。
それを代表する建物が、金色堂。
本堂。 お参りする人が、バスでやって来る。
時代の移り変わりを、静かに見つめている。
大震災を、どう考えているのでしょう。
それでも自然を、天を、恨まないでねって、言ってるかも。
※ もしそうなら、階上(はしかみ)中の卒業生代表の答辞と、同じです。 よければここに。
仏が、人に生き方を示さないで、何も考えていなかったら、仏はいらないかな。
不動堂です。 お不動様がいるのか。
白い服の人が、手を合わせるの撮りたかった。 時間がかかったので、あきらめ。
峯薬師堂。 目を治してくれる。
薬師如来の、向かって右手に、薬の入れ物(壺)を持っている。
何が入っているんでしょう。 目薬の木だったりして。
平安時代の終わりだから、武士の時代は、これから。
武士の時代に入っていたら、富は、自分を守る、城の造成につかった。
雨の日の写真は、光が飛び跳ねない。 落ち着く。
大日堂の仏様。
芭蕉が来た時も、雨だった。 だから、降り残してや・・、の句。
ただ、こうも思うんですね。
芭蕉は、ここに来る前に上の句は、出来上がっていた。
こういうことは、しょっちゅう。
「五月雨を集めて早し最上川」もそう。 現地で、涼しを早しに直しただけ。
だからって、芭蕉を馬鹿には出来ない。
金色堂は、ただの金色堂ではなく、中尊寺、そして平泉の象徴かも知れない。
長い歴史の中で、広い日本の中で、あの時代、この地に、光あふれる文化が、花開いた。
芭蕉の頭の中には、上のイメージがあったので、事前に下の句が作れた。
「五月雨の 降残してや 光堂」
上の話は、事前に作っていたとすればの、話しですが、この可能性の方が大きいような。
修学旅行生が、通り過ぎた。
この建物は、讃衡蔵(さんこうぞう)。 国宝館の感じ。
※ 衡は、つりあい、と言う意味。 讃衡は、どういう意味でしょう。
讃衡蔵と金色堂セットで、800円。
京都・奈良から離れて、国宝がこんなにある所は、他に知らない。 ※ この仏像は、国宝でない。
讃衡蔵の中には、国宝が、ずら~っと。 (写真は、パンフレットから)
右に、弁財天堂。 左奥に、白山神社。
弁財天堂。
宮沢賢治の詩碑。 義経と芭蕉がいるから、宮沢賢治が霞む。
※ もし、啄木が来たら、どんな歌をよんだろう。 じっと手を見ないで、何を見たろう。
何かに、関心を持ったろうか。
意味が難しいですね。
金色堂に、盗人がやってきて、盗もうとした。
でも、あまりのすばらしさに、畏敬の念をいだいて、逃げ去るしかなかった。
宮沢賢治の創作です。
大盗といってる盗人は、頼朝のことのようです。 詳しくはここに。
金色堂は、ここから入ります。 すぐ後ろにあります。
私にとっては、これで精いっぱい。
撮る場所を決め、どう切り取るか、ずいぶん考えました。
建物の周りをどうするか、それが、難しいです。
金色堂の上が、明るく見えますね。
これで、降り残して、ってしたいわけです。
どうでしょう。
「 五月雨の 降残してや 光堂 」
金色堂そのものは、鞘堂(さやどう)の中に入っている。
中が、少し見えている。 近づいて、撮ればよかった。 中では、撮れない。
ここから入る。
この部分は、全体の中央。(写真は、パンフレット)
全て、金箔。 仏像の下の壇の中には、今も、清衡のミイラが。
左側に、基衡。 右に、秀衡。 この2人のミイラも。
秀衡に向かって、義経のこと、ありがとう、って手を合わせて、お礼を言っておいた。
※ 基衡は、このようなミイラに。 秀衡は、このように。
説明で、金色堂は、国宝の建物の第1号と、あった。
これは、不正確。
※ 昭和51年に、37の建物が、国宝に認定された。
番号は、北にある物から、順に付けた。
その結果、金色堂は、通し番号の1になった。
※ 広隆寺の弥勒菩薩も、同じ。 通し番号の1。 一番北にあった。
不正確と分かっていても、そのような説明を、寺はよくする。
仏様が見ているとは、思わないのかな。
しばらく眺めて、出て来た。 そこに、芭蕉の句。
「 五月雨の 降残してや 光堂 」 1746年に作られた。 芭蕉は、江戸時代から有名。
こんなのが、見えた。 いいですね。 人が来るのを待った。
後で、お店で絵葉書を見たら、同じ構図のがあった。
少し歩くと、古い鞘堂(さやどう)。
手前に、また、芭蕉。
平成元年に、奥の細道300年を記念して。
鞘堂の中。
秀衡が義経を迎える絵。
中から外を。
ここを行ってみる。
能楽殿。
能楽殿と、左に、白山神社。
こうです。
釈迦堂。
坂道を戻る。
お店の、ショウウィンドウ。
展望台の所に、西行の句。
西行・義経を追って、500年後、芭蕉はここに来た。 芭蕉を追って、300年後に、私たちは・・・。
「きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは」
吉野の他に、こんな素晴らしい桜がと、驚いたよう。
月見坂をくだって、あと少し。
中尊寺は、見どころがいっぱい。
芭蕉も義経もいて、退屈しない。
神社仏閣は、雨の日の方が、情緒があっていい感じです。
中尊寺は、東北に、夢のように咲いて散っていった文化の、名残でしょうか。
それでも、輝くように、残っていました。
【関連ブログ】 毛越寺 ~浄土の世界をこの世に作った。 平泉町~ 他 (2011/7/21)
【今日の歌】 北上夜曲。 歌詞に、月の夜、とある。 中尊寺の坂は、月見坂です。
【停泊場所】 大崎市の北、35㌔にある、パーキング。
【明日の予定】 羽黒山公園で、彼岸花を見る。 その後、鎌先温泉かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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芭蕉は、雨の中、中尊寺の坂道を上っていた。
しばらくして、左に、金色堂が見えてきた。
その美しさは、特別だった。
「 五月雨の 降残してや 光堂 」と歌った。
今日も、雨になった。
芭蕉が見たように、金色堂だけ、降り残してくれるのか。
写真で表現できるのか。
楽しみが出て来た。
傘をさして、私も、坂を上った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
気仙沼から、中に入ってきた。 盛岡が上に見える。
広い駐車場。 400円。

右から山に、上がっていく。

月見坂。 左に、八幡堂。 左の道を行ってみる。

お店があった。 盛岡市が近いから、わんこそば。

元の道に出た。 雨の日は、風景がしっとり。 小雨。

弁慶堂。 江戸時代の建物。 中に、義経と弁慶の像。

このように。

下には、衣川。 少し見えているのかな。
泰衡(やすひら)が、義経が住む衣川の館を、攻めた。
衣川の戦い。 それで芭蕉は、この句。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」

杉林の道を、さらに行く。

傘の人は、写真に入ると、絵になる。

中尊寺の人気は、金色堂でもっている。
それを有名にしたのは、松尾芭蕉。
松尾芭蕉は、立石寺など、あっちこっちを、有名にした。
芭蕉は、観光大使のよう。
小さな寺やお店が続く。

中尊寺全体を有名にしたのは、義経。 そして、弁慶。
義経の魅力は大きすぎる。
義経と芭蕉に支えられた中尊寺は、鬼に金棒。
中尊寺はお寺だから、本堂がある。 山門。

中尊寺は平安時代の初めからあったが、大きな寺にしたのは、藤原清衡(きよひら)。
実質的な開基は、清衡。
清衡、基衡、秀衡、泰衡と、100年続く。
平安時代の終わりの末法の世に、この東北の地に、絢爛(けんらん)豪華な文化が花開いた。
あの世の極楽の世界を、今の世に作った。
それを代表する建物が、金色堂。
本堂。 お参りする人が、バスでやって来る。

時代の移り変わりを、静かに見つめている。
大震災を、どう考えているのでしょう。
それでも自然を、天を、恨まないでねって、言ってるかも。
※ もしそうなら、階上(はしかみ)中の卒業生代表の答辞と、同じです。 よければここに。
仏が、人に生き方を示さないで、何も考えていなかったら、仏はいらないかな。

不動堂です。 お不動様がいるのか。
白い服の人が、手を合わせるの撮りたかった。 時間がかかったので、あきらめ。

峯薬師堂。 目を治してくれる。

薬師如来の、向かって右手に、薬の入れ物(壺)を持っている。
何が入っているんでしょう。 目薬の木だったりして。

平安時代の終わりだから、武士の時代は、これから。
武士の時代に入っていたら、富は、自分を守る、城の造成につかった。
雨の日の写真は、光が飛び跳ねない。 落ち着く。

大日堂の仏様。

芭蕉が来た時も、雨だった。 だから、降り残してや・・、の句。
ただ、こうも思うんですね。
芭蕉は、ここに来る前に上の句は、出来上がっていた。
こういうことは、しょっちゅう。
「五月雨を集めて早し最上川」もそう。 現地で、涼しを早しに直しただけ。
だからって、芭蕉を馬鹿には出来ない。
金色堂は、ただの金色堂ではなく、中尊寺、そして平泉の象徴かも知れない。
長い歴史の中で、広い日本の中で、あの時代、この地に、光あふれる文化が、花開いた。
芭蕉の頭の中には、上のイメージがあったので、事前に下の句が作れた。
「五月雨の 降残してや 光堂」
上の話は、事前に作っていたとすればの、話しですが、この可能性の方が大きいような。
修学旅行生が、通り過ぎた。

この建物は、讃衡蔵(さんこうぞう)。 国宝館の感じ。
※ 衡は、つりあい、と言う意味。 讃衡は、どういう意味でしょう。
讃衡蔵と金色堂セットで、800円。

京都・奈良から離れて、国宝がこんなにある所は、他に知らない。 ※ この仏像は、国宝でない。
讃衡蔵の中には、国宝が、ずら~っと。 (写真は、パンフレットから)


右に、弁財天堂。 左奥に、白山神社。

弁財天堂。

宮沢賢治の詩碑。 義経と芭蕉がいるから、宮沢賢治が霞む。
※ もし、啄木が来たら、どんな歌をよんだろう。 じっと手を見ないで、何を見たろう。
何かに、関心を持ったろうか。

意味が難しいですね。
金色堂に、盗人がやってきて、盗もうとした。
でも、あまりのすばらしさに、畏敬の念をいだいて、逃げ去るしかなかった。
宮沢賢治の創作です。
大盗といってる盗人は、頼朝のことのようです。 詳しくはここに。


金色堂は、ここから入ります。 すぐ後ろにあります。

私にとっては、これで精いっぱい。
撮る場所を決め、どう切り取るか、ずいぶん考えました。
建物の周りをどうするか、それが、難しいです。
金色堂の上が、明るく見えますね。
これで、降り残して、ってしたいわけです。
どうでしょう。
「 五月雨の 降残してや 光堂 」

金色堂そのものは、鞘堂(さやどう)の中に入っている。
中が、少し見えている。 近づいて、撮ればよかった。 中では、撮れない。

ここから入る。

この部分は、全体の中央。(写真は、パンフレット)
全て、金箔。 仏像の下の壇の中には、今も、清衡のミイラが。
左側に、基衡。 右に、秀衡。 この2人のミイラも。
秀衡に向かって、義経のこと、ありがとう、って手を合わせて、お礼を言っておいた。

※ 基衡は、このようなミイラに。 秀衡は、このように。
説明で、金色堂は、国宝の建物の第1号と、あった。
これは、不正確。
※ 昭和51年に、37の建物が、国宝に認定された。
番号は、北にある物から、順に付けた。
その結果、金色堂は、通し番号の1になった。
※ 広隆寺の弥勒菩薩も、同じ。 通し番号の1。 一番北にあった。
不正確と分かっていても、そのような説明を、寺はよくする。
仏様が見ているとは、思わないのかな。
しばらく眺めて、出て来た。 そこに、芭蕉の句。

「 五月雨の 降残してや 光堂 」 1746年に作られた。 芭蕉は、江戸時代から有名。

こんなのが、見えた。 いいですね。 人が来るのを待った。
後で、お店で絵葉書を見たら、同じ構図のがあった。

少し歩くと、古い鞘堂(さやどう)。
手前に、また、芭蕉。

平成元年に、奥の細道300年を記念して。


鞘堂の中。

秀衡が義経を迎える絵。


中から外を。

ここを行ってみる。

能楽殿。

能楽殿と、左に、白山神社。

こうです。


釈迦堂。

坂道を戻る。

お店の、ショウウィンドウ。

展望台の所に、西行の句。
西行・義経を追って、500年後、芭蕉はここに来た。 芭蕉を追って、300年後に、私たちは・・・。

「きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは」
吉野の他に、こんな素晴らしい桜がと、驚いたよう。


月見坂をくだって、あと少し。

中尊寺は、見どころがいっぱい。
芭蕉も義経もいて、退屈しない。
神社仏閣は、雨の日の方が、情緒があっていい感じです。
中尊寺は、東北に、夢のように咲いて散っていった文化の、名残でしょうか。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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