足摺岬は、足摺半島の先っぽにあるが、ほんの少し、四国の最南端ではなかった。 ※ 足摺~あしずり
昔の人は、岬に関心はあったが、最南端には関心がなかった。
少しだけ広く、この辺り一帯を足摺岬とすれば、問題はない。
岬に、第38番札所の金剛福寺があった。
昔、和泉式部が来ていた。 式部の髪を埋めたと言う、宝篋(ほうきょう)印塔があった。
それは、逆修の塔と呼ばれていた。
途中にあった、大岐(おおき)海岸。 サーファーが、10人ほどいた。
(写真は、クリックしたら、大きくなります)
印の場所から、撮影。
この場所を、通り過ぎて、戻った。 先に、広い駐車場があるかと思った。
※ 右に、駐車場があって、そこに停泊。
背中は、ジョン万次郎の像。 ※ 万次郎~まんじろう
万次郎は、14歳の時、船で遭難して鳥島に着く。 1841年のこと。 ※ 鳥島
半年後、アメリカの船に助けられて、アメリカに行く。
1851年、たくさんの知識をお土産に、戻ってくる。
※ 江戸で最初に写真を撮ったのは、万次郎だそう。
下の地図の赤の○が、足摺岬。 左の黄色の○は、もうちょっと南にある。
歩いていて、ここは最南端の地という標識はなかった。 例えば、こんなの。
この近くの地図。
少し歩いたら、展望台。 そこから見た、灯台。
反対側。 天狗の鼻という展望台が見える。 後で行く。
小さな島で釣り。 時間を決めて、迎えに来てもらう。
お嬢さんが2人。 左の人は地元。 右の人は、東京。 2人は友達。
ここで、最南端の地はどこなんだろうね、って聞いたが、はっきりしなかった。
別の場所にあることは、晩に調べて分かった。
ここには、温泉街がある。 右に、金剛福寺の多宝塔の、上の方が見える。
足摺七不思議の一つ、地獄の穴。
穴にお金を入れたら、チリンチリンと音がして転がると言う。 穴は、金剛福寺の下まで、つながっていると。
お金を入れようと覗いたら、詰まっていた。
私は考えた。 こんなのを自分で作ってみたい。
お金がどこまでも転がって行ったら、御利益があると説明に書く。
転がったお金は、私の貯金箱に入るようにする。
相手は御利益、私はそのお金で晩酌。 お互いにいい。
弘法大師が、爪で石に、南無阿弥陀仏と彫った。 探したが、分からなかった。
田宮虎彦という作家の石碑。 足摺岬という題名の、短編小説を書いている。
こんな文が。
どんな小説か調べてみた。 あらすじは、こう。
時代は戦前。 主人公の大学生は、自殺しようと足摺岬へやってくる。
だが、肺の病がひどくなり、お遍路も泊まる近くの旅館に辿り着く。
そこで、遍路の老人や薬売りの商人に手当を受け、自死への道を踏みとどまる。
この宿で知り合い、赤い糸で結ばれた人と戦後になって、再びその地を訪れることに。
小説の中に、こんな文がある。 特攻に行って、生き延びた男が叫んだ。 面白い。
だれのためにおれは死にそこなったんだ、負けたもくそもあるか、おれはまだ負けておらんぞ、
おれに死ねといったやつはだれだ、おれはころしてやる、おれに死ね死ねといったやつは、
一人のこらずぶったぎってやる。
作者が、登場人物に言わせた。
ここを下りると、左に、白山洞門という穴がある。
海の波が削った。 海蝕洞と言うのかな。
この上に行く道があるのだが、鎖がないので危険とあった。 行きたかったが、やめた。 途中まで鎖は見えた。
ここは、国道。 左に、亜熱帯植物園。
金剛福寺。 さっきの人達に、また会った。
正面が本堂。
上がって、左手に、多宝塔が。 その右奥に、小さな宝篋印塔が見えた。 ※ 場所は、お寺の人に聞いていた。
昔、和泉式部がここに来ていた。
※、ここには、多くの皇族も来ていて、間違いなく式部は来ているようだ。
和泉式部が、自分の髪を埋めて供養した。 そして、そこに、宝篋印塔を建てた。
生きているうちに建てた供養塔は、逆修の塔と言うそうだ。 右の塔が、それ。 左は?
百人一首の、和泉式部の歌は、これですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな 」
意味は、
(わたしは)まもなく死ぬだろうが、死後のあの世の思い出に、もういちどぜひあなたにお会いしたいものだ。
※ 「あらざらむ」は、自分は生きていないであろう、の意味。 この世のほか は、あの世。
この人は、夫の赴任した地にある、天橋立に行った。 生野の道を通って。
※ その生野の道の現在はこう(細野峠)。 ☆
娘の、小式部内侍が、有名なこの歌を詠んだ。(百人一首)
「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」
※ 和泉式部恋の道が、京都の貴船にあった。 ここで作った歌が
「 もの思へば 澤のほたるも わがが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る 」 ※ 魂~たま
飛ぶホタルが、自分の体から抜けた、魂に見えたと詠んだ。 自分は今、抜け殻のようだと言っている。
和泉式部の魅力は、大きい。
雀が、石塔の上で遊んでる。
大師堂。
右に大師堂。
さっきの女性の一人が、いつの物か年代を調べていた。 色んなのを。 それを私に、大きな声で報告。
天狗の鼻に行った。 そこから灯台を。
ある調査で、この風景が、四国の風景のベストワンに選ばれたそう。
ビローの自生地。
四国を走り回って、ここまで来た。 今日来る時、こんなことを思った。
私が3週間ほど走った、ほとんどの道を、私のばあちゃんは、60数年前歩いた。
戦争に行った私の親父の無事を祈って、歩いた。
そのお陰で、私は生まれることが出来、今こうして旅をしている。
そのことを思った時、涙が出そうになった。
今度、お遍路さんの格好をして、一人で歩いているおばあちゃんを見たら、声をかけてみる。
もし、乗ってくれたら、どこまでも連れて行ってやる。
足摺岬は、温かいです。 気温が数度、上がりました。
※ 追記 おばあちゃんが四国を歩いた時の年齢を調べてみたら、今の私よりは若いようだ。
50歳の半ば。 おばあちゃんの命日は、8月15日。 自分は、8月16日。
【停泊場所】 足摺岬駐車場
【明日の予定】 この近くか、もう少し西。
【動画】
足摺岬へ 広い駐車場は先にあるかと思ったら、なかった。
ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は32位です。
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昔の人は、岬に関心はあったが、最南端には関心がなかった。
少しだけ広く、この辺り一帯を足摺岬とすれば、問題はない。
岬に、第38番札所の金剛福寺があった。
昔、和泉式部が来ていた。 式部の髪を埋めたと言う、宝篋(ほうきょう)印塔があった。
それは、逆修の塔と呼ばれていた。
途中にあった、大岐(おおき)海岸。 サーファーが、10人ほどいた。
(写真は、クリックしたら、大きくなります)

印の場所から、撮影。
この場所を、通り過ぎて、戻った。 先に、広い駐車場があるかと思った。
※ 右に、駐車場があって、そこに停泊。
背中は、ジョン万次郎の像。 ※ 万次郎~まんじろう

万次郎は、14歳の時、船で遭難して鳥島に着く。 1841年のこと。 ※ 鳥島
半年後、アメリカの船に助けられて、アメリカに行く。
1851年、たくさんの知識をお土産に、戻ってくる。
※ 江戸で最初に写真を撮ったのは、万次郎だそう。
下の地図の赤の○が、足摺岬。 左の黄色の○は、もうちょっと南にある。
歩いていて、ここは最南端の地という標識はなかった。 例えば、こんなの。

この近くの地図。

少し歩いたら、展望台。 そこから見た、灯台。

反対側。 天狗の鼻という展望台が見える。 後で行く。

小さな島で釣り。 時間を決めて、迎えに来てもらう。

お嬢さんが2人。 左の人は地元。 右の人は、東京。 2人は友達。
ここで、最南端の地はどこなんだろうね、って聞いたが、はっきりしなかった。
別の場所にあることは、晩に調べて分かった。
ここには、温泉街がある。 右に、金剛福寺の多宝塔の、上の方が見える。

足摺七不思議の一つ、地獄の穴。
穴にお金を入れたら、チリンチリンと音がして転がると言う。 穴は、金剛福寺の下まで、つながっていると。
お金を入れようと覗いたら、詰まっていた。
私は考えた。 こんなのを自分で作ってみたい。
お金がどこまでも転がって行ったら、御利益があると説明に書く。
転がったお金は、私の貯金箱に入るようにする。
相手は御利益、私はそのお金で晩酌。 お互いにいい。

弘法大師が、爪で石に、南無阿弥陀仏と彫った。 探したが、分からなかった。

田宮虎彦という作家の石碑。 足摺岬という題名の、短編小説を書いている。

こんな文が。

どんな小説か調べてみた。 あらすじは、こう。
時代は戦前。 主人公の大学生は、自殺しようと足摺岬へやってくる。
だが、肺の病がひどくなり、お遍路も泊まる近くの旅館に辿り着く。
そこで、遍路の老人や薬売りの商人に手当を受け、自死への道を踏みとどまる。
この宿で知り合い、赤い糸で結ばれた人と戦後になって、再びその地を訪れることに。
小説の中に、こんな文がある。 特攻に行って、生き延びた男が叫んだ。 面白い。
だれのためにおれは死にそこなったんだ、負けたもくそもあるか、おれはまだ負けておらんぞ、
おれに死ねといったやつはだれだ、おれはころしてやる、おれに死ね死ねといったやつは、
一人のこらずぶったぎってやる。
作者が、登場人物に言わせた。
ここを下りると、左に、白山洞門という穴がある。

海の波が削った。 海蝕洞と言うのかな。
この上に行く道があるのだが、鎖がないので危険とあった。 行きたかったが、やめた。 途中まで鎖は見えた。

ここは、国道。 左に、亜熱帯植物園。

金剛福寺。 さっきの人達に、また会った。

正面が本堂。

上がって、左手に、多宝塔が。 その右奥に、小さな宝篋印塔が見えた。 ※ 場所は、お寺の人に聞いていた。

昔、和泉式部がここに来ていた。
※、ここには、多くの皇族も来ていて、間違いなく式部は来ているようだ。
和泉式部が、自分の髪を埋めて供養した。 そして、そこに、宝篋印塔を建てた。
生きているうちに建てた供養塔は、逆修の塔と言うそうだ。 右の塔が、それ。 左は?

百人一首の、和泉式部の歌は、これですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな 」
意味は、
(わたしは)まもなく死ぬだろうが、死後のあの世の思い出に、もういちどぜひあなたにお会いしたいものだ。
※ 「あらざらむ」は、自分は生きていないであろう、の意味。 この世のほか は、あの世。
この人は、夫の赴任した地にある、天橋立に行った。 生野の道を通って。
※ その生野の道の現在はこう(細野峠)。 ☆
娘の、小式部内侍が、有名なこの歌を詠んだ。(百人一首)
「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」
※ 和泉式部恋の道が、京都の貴船にあった。 ここで作った歌が
「 もの思へば 澤のほたるも わがが身より あくがれいずる 魂かとぞ見る 」 ※ 魂~たま
飛ぶホタルが、自分の体から抜けた、魂に見えたと詠んだ。 自分は今、抜け殻のようだと言っている。
和泉式部の魅力は、大きい。
雀が、石塔の上で遊んでる。

大師堂。

右に大師堂。
さっきの女性の一人が、いつの物か年代を調べていた。 色んなのを。 それを私に、大きな声で報告。

天狗の鼻に行った。 そこから灯台を。
ある調査で、この風景が、四国の風景のベストワンに選ばれたそう。

ビローの自生地。

四国を走り回って、ここまで来た。 今日来る時、こんなことを思った。
私が3週間ほど走った、ほとんどの道を、私のばあちゃんは、60数年前歩いた。
戦争に行った私の親父の無事を祈って、歩いた。
そのお陰で、私は生まれることが出来、今こうして旅をしている。
そのことを思った時、涙が出そうになった。
今度、お遍路さんの格好をして、一人で歩いているおばあちゃんを見たら、声をかけてみる。
もし、乗ってくれたら、どこまでも連れて行ってやる。
足摺岬は、温かいです。 気温が数度、上がりました。
※ 追記 おばあちゃんが四国を歩いた時の年齢を調べてみたら、今の私よりは若いようだ。
50歳の半ば。 おばあちゃんの命日は、8月15日。 自分は、8月16日。
【停泊場所】 足摺岬駐車場
【明日の予定】 この近くか、もう少し西。
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足摺岬へ 広い駐車場は先にあるかと思ったら、なかった。
ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は32位です。
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コメント
足摺岬
この辺りだと竜串と大月町の柏島・大堂海岸なんかが綺麗ですね。
Re: 足摺岬
ありがとうございます。
寄ってみますね。
こっちに来たら、夜の気温が違いました。
寄ってみますね。
こっちに来たら、夜の気温が違いました。
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