峠を越えるのは、大変。
だから、トンネルを掘って、楽に行き来が出来るようにする。
しかし、碓氷(うすい)峠は、それが出来ない。
碓氷峠は、登るだけ登って、下らない。
トンネルを掘っても、山から出てくれない。
峠の字は、山を上って下るのに、碓氷峠は、山を上って上って、お終い。
変わった峠。 中山道の昔の道は、ちょっと下るけど。
江戸から善光寺に行く人は、みんなこの峠を越えた。
峠の入り口に、横川駅。
そこに、峠の釜めしがある。
人気の駅弁。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
前日、どこに停泊していたか、詳しい場所が分からなかった。
中山道の坂本宿の、そばだった。
横川の駅からは、3㌔ほど、離れていた。
鉄道跡が遊歩道になっていて、そこを歩いて、横川駅に。 碓氷峠を下っている。 ゆるい坂。
途中に、サルの家族がいた。
自然のサルの目つきは、厳しいと、東風さんが言った。 動物園とは違うって。
子ザルは、めんこい。 楽しみは、何でしょう。
トロッコ列車。
横川駅の近くの、文化村駅から、 車を停めていたところに、とうげのゆ駅があって、そこまで。
昨日も今日も、快晴。 三連休の真ん中なので、人が多い。
地図があった。 真ん中辺りから、下に歩いている。 最後は、上の方のめがね橋に。
右は、碓氷峠の鉄道の変遷。
今歩いている所は、明治26年から昭和41年まで使われた線路。
※ アプト式が特徴。 これについては、後ほど。
横川の駅の近くに来ている。
碓氷峠は、ここから始まる。 峠の入口に、碓氷関所があった。
おじぎ石という、石。
手形を出すとある。
※ 手形は、通行手形のことですね。
どこでもらえるかって、庶民の場合は、住んでいる所の町役人や村役人
または菩提寺に申請したら、手に入ったようです。
実際より、険しく描かれている。
横川駅。 高崎駅まで、線路がある。 信越本線。
※ 昔、信越本線は、高崎から長野経由で新潟までつながっていたけど、今は、つながっていない。
碓氷峠も、走っていない。
※ ただ、新幹線は、つながっている。
お腹が空いて、動けなくなる寸前。 東風さんは、朝を食べていない。
峠の釜めしを食べる。 ここで買う。 他でも、同じものは買える。
作っているのは、近くにある、大きな工場。
出来たて。 ほんのり温かい。 外にテーブルがあって、そこで。
具がいっぱい。 初めて。 日本一の人気と、言われたことも。
益子焼の釜は、戻さなくてもいい。 1000円。
お腹が空いていたので、美味しいかどうか考えているうちに、なくなった。
濃い味ではなく、体に優しい味。
お店の向かい側に、資料室。
1日、1万個以上売れている。 池内淳子と田村高廣。 2人とも、今はいない。
妙義山の、すぐ北を通る。
※ 鉄道は、碓氷峠を登り切ったら、長野県に入って、軽井沢。
東風さんたち信州の人々は、軽井沢に着いたら、戻って来たと感じるそう。
東風さんの母親は、水戸の人。 東風さんは、小さなころから、碓氷峠は、何度も通った。
大人になってからは、駅弁食べて、缶ビール。 そして、一眠り、これがいつもだった。
碓氷峠鉄道文化むらを見た。 500円。 体験型の鉄道テーマパーク。
浅間山のあさま。 軽井沢を通る時、浅間山が見える。
特急あさまは、こんな風に、動いていた。
アプト式鉄道について。 線路の真ん中に、ギザギザ。
機関車の下は、こう。
急な坂を、アプト式なら、登れる。
調べてみたら、大丈夫のよう。
右は、この後行く、めがね橋の様子。
右の2両が、アプト式の機関車。 後ろから、押している。
日本中を走り回った、D51。
蒸気機関車は、煙を出す。 碓氷峠はトンネルだらけ。 大変。
機関士の顔は、きっと、真っ黒。 客車の窓は、開けられない。
鉄道の模型が、走っていた。
めがね橋に向かって、歩き始めた。 5㌔ほど。
3㌔歩いて、とうげのゆ駅。
うすいね は、碓氷峯でいいのかな。
碓氷峠を下っていたら、山の南面になってきた。
上には雪が残っていても、南面になって、下るにしたがい、春の様子がはっきりしてくる。 春が深い感じに。
トンネルをいくつも、抜ける。 紅葉はまだ。
妙義山が見える。 ○の所に、昨日のブログの、丁須の頭 がある。
※ 丁須の頭は、ちょうすのかしら(あたま)。 岩が丁の字に似ている。
※ 須は何だ、となります。 須は、須弥山(しゅみせん)の須ですね。 多分です。
須弥山は、仏教の考えでは、世の中の中心の山。
ネット上に、解説はないです。 丁の意味は、上のリンクした写真の説明に。
どれだけの人が亡くなったのか。 実際の数は、記録にある数より、ずっと多いでしょうね。
碓氷湖。 ダム湖です。
碓氷峠の人気は、歩く楽しさがあるからですね。
この蝶の名前が、分からない。 見たことない美しさ。
※ 調べてみたら、アサギマダラに似ている。 人気の蝶のよう。 ふわふわ飛んだ。
このように、トンネルが続く。
着きました。
明治時代に、作った。 木を組んで、そこに人が乗って。
東風さんが言った。
昔は、木を組んでも、板はなかった。 どれだけの人が、落っこちたか。
向こうが作られて、こっちが使われなくなった。 向こうは、電車が走った。
下にも、人人。 足がすくむ。
右の方に走ると、軽井沢に。 旧道。 走りやすい、別の国道もある。 高速も。
反対側から見た。
下は明日通るから、行かないで、戻った。
こっちに行ったら中山道と、表示があった。
その表示を見て、小学生の子供が、こう言った。
「いってみて、いい?」って。
これは、どんな意味なんだろうと、思った。
みては、見るのか、行くだけ、って意味なのか。
※ 旧中山道は、麓は旧国道に近いけど、山に入ると、高い所を通る。
歩ける道があるよう。
とうげのゆ駅に戻って来た。 車は、近くに。
ここは、中山道。 今の場所は、坂本宿。
歩いた人は、坂本宿から軽井沢まで、もちろん、1日ですね。 登山です。
旧中山道は、最後に少し下る。
鉄道は、上って上って、お終い。 碓氷峠は、そんな峠。
トンネルの道を歩くだけで、楽しい。
めがね橋は、大きなおまけ。 峠の釜めしも、おまけ。
楽するより、少し苦労した方が、楽しみは増すようです。
【今日の歌】 たまに聴きたくなります。
【停泊場所】 峠の湯の駐車場。
【明日の予定】 須坂に向かいます。 途中、どこかに寄ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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だから、トンネルを掘って、楽に行き来が出来るようにする。
しかし、碓氷(うすい)峠は、それが出来ない。
碓氷峠は、登るだけ登って、下らない。
トンネルを掘っても、山から出てくれない。
峠の字は、山を上って下るのに、碓氷峠は、山を上って上って、お終い。
変わった峠。 中山道の昔の道は、ちょっと下るけど。
江戸から善光寺に行く人は、みんなこの峠を越えた。
峠の入り口に、横川駅。
そこに、峠の釜めしがある。
人気の駅弁。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
前日、どこに停泊していたか、詳しい場所が分からなかった。
中山道の坂本宿の、そばだった。
横川の駅からは、3㌔ほど、離れていた。
鉄道跡が遊歩道になっていて、そこを歩いて、横川駅に。 碓氷峠を下っている。 ゆるい坂。

途中に、サルの家族がいた。
自然のサルの目つきは、厳しいと、東風さんが言った。 動物園とは違うって。
子ザルは、めんこい。 楽しみは、何でしょう。

トロッコ列車。
横川駅の近くの、文化村駅から、 車を停めていたところに、とうげのゆ駅があって、そこまで。
昨日も今日も、快晴。 三連休の真ん中なので、人が多い。

地図があった。 真ん中辺りから、下に歩いている。 最後は、上の方のめがね橋に。
右は、碓氷峠の鉄道の変遷。
今歩いている所は、明治26年から昭和41年まで使われた線路。
※ アプト式が特徴。 これについては、後ほど。


横川の駅の近くに来ている。
碓氷峠は、ここから始まる。 峠の入口に、碓氷関所があった。

おじぎ石という、石。
手形を出すとある。
※ 手形は、通行手形のことですね。
どこでもらえるかって、庶民の場合は、住んでいる所の町役人や村役人
または菩提寺に申請したら、手に入ったようです。

実際より、険しく描かれている。

横川駅。 高崎駅まで、線路がある。 信越本線。
※ 昔、信越本線は、高崎から長野経由で新潟までつながっていたけど、今は、つながっていない。
碓氷峠も、走っていない。
※ ただ、新幹線は、つながっている。

お腹が空いて、動けなくなる寸前。 東風さんは、朝を食べていない。
峠の釜めしを食べる。 ここで買う。 他でも、同じものは買える。
作っているのは、近くにある、大きな工場。

出来たて。 ほんのり温かい。 外にテーブルがあって、そこで。

具がいっぱい。 初めて。 日本一の人気と、言われたことも。
益子焼の釜は、戻さなくてもいい。 1000円。
お腹が空いていたので、美味しいかどうか考えているうちに、なくなった。
濃い味ではなく、体に優しい味。

お店の向かい側に、資料室。
1日、1万個以上売れている。 池内淳子と田村高廣。 2人とも、今はいない。


妙義山の、すぐ北を通る。
※ 鉄道は、碓氷峠を登り切ったら、長野県に入って、軽井沢。
東風さんたち信州の人々は、軽井沢に着いたら、戻って来たと感じるそう。
東風さんの母親は、水戸の人。 東風さんは、小さなころから、碓氷峠は、何度も通った。
大人になってからは、駅弁食べて、缶ビール。 そして、一眠り、これがいつもだった。

碓氷峠鉄道文化むらを見た。 500円。 体験型の鉄道テーマパーク。
浅間山のあさま。 軽井沢を通る時、浅間山が見える。

特急あさまは、こんな風に、動いていた。
アプト式鉄道について。 線路の真ん中に、ギザギザ。

機関車の下は、こう。

急な坂を、アプト式なら、登れる。

調べてみたら、大丈夫のよう。
右は、この後行く、めがね橋の様子。
右の2両が、アプト式の機関車。 後ろから、押している。


日本中を走り回った、D51。
蒸気機関車は、煙を出す。 碓氷峠はトンネルだらけ。 大変。
機関士の顔は、きっと、真っ黒。 客車の窓は、開けられない。

鉄道の模型が、走っていた。
めがね橋に向かって、歩き始めた。 5㌔ほど。
3㌔歩いて、とうげのゆ駅。

うすいね は、碓氷峯でいいのかな。
碓氷峠を下っていたら、山の南面になってきた。
上には雪が残っていても、南面になって、下るにしたがい、春の様子がはっきりしてくる。 春が深い感じに。

トンネルをいくつも、抜ける。 紅葉はまだ。

妙義山が見える。 ○の所に、昨日のブログの、丁須の頭 がある。
※ 丁須の頭は、ちょうすのかしら(あたま)。 岩が丁の字に似ている。
※ 須は何だ、となります。 須は、須弥山(しゅみせん)の須ですね。 多分です。
須弥山は、仏教の考えでは、世の中の中心の山。
ネット上に、解説はないです。 丁の意味は、上のリンクした写真の説明に。

どれだけの人が亡くなったのか。 実際の数は、記録にある数より、ずっと多いでしょうね。


碓氷湖。 ダム湖です。

碓氷峠の人気は、歩く楽しさがあるからですね。

この蝶の名前が、分からない。 見たことない美しさ。
※ 調べてみたら、アサギマダラに似ている。 人気の蝶のよう。 ふわふわ飛んだ。

このように、トンネルが続く。

着きました。

明治時代に、作った。 木を組んで、そこに人が乗って。
東風さんが言った。
昔は、木を組んでも、板はなかった。 どれだけの人が、落っこちたか。

向こうが作られて、こっちが使われなくなった。 向こうは、電車が走った。

下にも、人人。 足がすくむ。

右の方に走ると、軽井沢に。 旧道。 走りやすい、別の国道もある。 高速も。

反対側から見た。

下は明日通るから、行かないで、戻った。

こっちに行ったら中山道と、表示があった。
その表示を見て、小学生の子供が、こう言った。
「いってみて、いい?」って。
これは、どんな意味なんだろうと、思った。
みては、見るのか、行くだけ、って意味なのか。
※ 旧中山道は、麓は旧国道に近いけど、山に入ると、高い所を通る。
歩ける道があるよう。
とうげのゆ駅に戻って来た。 車は、近くに。
ここは、中山道。 今の場所は、坂本宿。

歩いた人は、坂本宿から軽井沢まで、もちろん、1日ですね。 登山です。

旧中山道は、最後に少し下る。
鉄道は、上って上って、お終い。 碓氷峠は、そんな峠。

トンネルの道を歩くだけで、楽しい。
めがね橋は、大きなおまけ。 峠の釜めしも、おまけ。
楽するより、少し苦労した方が、楽しみは増すようです。
【今日の歌】 たまに聴きたくなります。
【停泊場所】 峠の湯の駐車場。
【明日の予定】 須坂に向かいます。 途中、どこかに寄ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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