野尻湖を見たい。
魅力は何のか、どこから見たら、美しいのか。
散策コースはあるのか。
でも、情報誌にも、町のHPにもない。
そこには、何が載っているかというと、観光施設の案内。
それでも、行ってみることにした。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
長野県の最北部にやってきた。
中には琵琶島があって、宇賀神社が。
宇賀神社。
※ 後で知るが、島には、宇佐美定満の経塚がある。 鎧の一部の具足が埋まっているという。
彼は、謙信に仕えた戦国武将。
大河ドラマで、山本勘助が、彼につかまってしまった。
でも、助けてもらえた。
演じたのは、緒方拳。 よかった。 彼の遺作になった。
右の方。 湖岸には、釣りやボートなどの、レジャー施設が多い。
反対側に、妙高山。
高妻山に登った時、次の日行こうとしたが、雪渓が残っていて危険と分かり、行かなかった。
山の麓が、妙高高原。 明日行く。
ナウマンゾウ博物館。
一般の人たちで発掘したことで、野尻湖の発掘は知られている。
ここだけの見学は500円。 一茶記念館と一緒なら、800円。 これにした。
今日は、ナウマンゾウについて、少し勉強することに。
せっかく入ったから。
野尻湖で発掘された、実物大の、復元したナウマンゾウ。
オオツノシカも。
マンモスと違って、動物園のゾウに似ている。 大きさも。
骨などの展示。
ここの博物館には、不思議なことが。 それは、レプリカかどうかを、表示していない。
見える骨が、レプリカっぽいので、事務所に聞いてみた。
説明に来た人が、本物だという。 変だなと思った。
事務所に戻って、確認して、再度やって来た。 レプリカだった。
博物館は、どんな考えを持って、上のことを表示しないのか。
本物を見るのと、レプリカを見るのとは、全く違うのに。
※ 画家の絵を見るのと同じですね。 レプリカを見ても、感動は全く違う。
そう言えば、今、モスクワのプーシキン美術館展が、日本でやっていますね。
ルノワールの、ジャンヌ・サマリーの肖像(1877年)が来ている。
初めて見る絵です。 ピンクの絵。 テレビで見ました。
1頭分がまとまっては出ないで、バラバラで、出て来るんですね。
このように発掘。 1962年から、始まった。
発掘を希望する人は、講習を受けてから、参加する。
この発掘方法が、野尻湖の特徴。
ガラスケースの中。 これは、本物。 ナウマンゾウの臼歯。
最初に発見されたものに、湯たんぽと名前が付いた。 そのくらい大きい。
ナウマンゾウは、こうやって、人に襲われる。
人だって生きていかなければならない。
石や骨で作った刃物で、解体出来るんですね。
他から来た展示物も。
インドゾウ、アフリカゾウ、ナウマンゾウは、似ている。
先祖は一緒。
縄文時代の始まる、ずっと前に、絶滅している。
もし、ナウマンゾウが日本で生きていたら、ニホンゾウになる。 ニホンゾウだぞうって。
マンモスのように毛は無くても、寒い冬は、大丈夫なのか。
こっちの方にも、展示。
最初に見つかった、臼歯。
発掘は、このように進んで行った。
※ 多くの人で掘ったら、いっぱい出て来る。
これも出た、あれも出たって、集まる。
でも、それらの物が、ここから出た証拠は、どこにあるんだろう。
はっきりしない。
他から持って来て、見つかった、と言うことも出来る。
実際に、そういうことが起きた。
対策を考えた。 こうした。
見つかった時点て、掘り出さない。
その状況を記録し、写真にもとって、多くの人の目で確認し、それから掘り出す。
埋めたものでないことも、確認して。
この手順を経て、やっと、ここで掘り出されたと、はっきりする。
掘り出す途中は、このように。
縄文文化の少し前ですね。
気の遠くなる年月を、命をつないできたけど、人間が現れてお終い。
そういう動物はいっぱい。
1日でいいから、この時代に行ってみたい。
生きる一番の喜びは、何なのか。 子供たちの日々の楽しみは? 聞いてみたい。
発掘する人は、もし、そんなのが少しでも分かれば、展示してほしい。
でも、そのことに関心がなければ、発見することは出来ない。
※ 昔、骨と一緒に、たくさんの花の花粉が出て来た。
埋葬の時、花を添えたことが、それから分かる。
その時代に生きた人たちの「心」が、見えて来る。
※ 下手な小さな土器が、上手なのと一緒に出て来た。
このことから、親の真似をして、土器を作っている子供の姿が、見えて来る。
この後、市街地にある、一茶記念館に。
立派な記念館。
ロビー。 写真は、ここまで。
資料館では、彼がどんな一生を送ったかが、分かり易く展示してあった。
アニメもあった。
無かったものは、彼の作品の魅力の、くわしい解説。
そこが知れたら、一番うれしかったが。
スズメなど、力の弱い者への 愛情を表した句が多いのが、彼の句の特徴の一部かなと。
代表作を載せますね。
雪とけて村いっぱいの子どもかな
大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
蟻(あり)の道(みち)雲の峰よりつづきけん
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
名月をとってくれろと泣く子かな
一茶記念館は、一茶の墓の近くに建てた。
裏に墓があった。 建物の後ろに。
俳諧寺 一茶翁墓
入口から出て来た。 左に俳句。
ネコの句ばかり。
私は、芭蕉や山頭火が好き。 洗練された句が好き。
小林一茶については、魅力は、ちゃんと分からない。
書いてあること以上の、深いことが、自分には読み取れない。
分かる時が来るかも知れないけど。
一茶の生涯については、情報を公開しすぎかな。
書いた一茶に、責任はあるんだが。
あ~あって、思う部分も。
今後は、余程のことがない限り、博物館や資料館だけの見学の1日は、つくらない。
【今日の歌】 僕の胸でおやすみ
【停泊場所】 妙高市に入った、国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 妙高高原を歩く。 滝と池。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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魅力は何のか、どこから見たら、美しいのか。
散策コースはあるのか。
でも、情報誌にも、町のHPにもない。
そこには、何が載っているかというと、観光施設の案内。
それでも、行ってみることにした。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
長野県の最北部にやってきた。
中には琵琶島があって、宇賀神社が。

宇賀神社。
※ 後で知るが、島には、宇佐美定満の経塚がある。 鎧の一部の具足が埋まっているという。
彼は、謙信に仕えた戦国武将。
大河ドラマで、山本勘助が、彼につかまってしまった。
でも、助けてもらえた。
演じたのは、緒方拳。 よかった。 彼の遺作になった。

右の方。 湖岸には、釣りやボートなどの、レジャー施設が多い。

反対側に、妙高山。
高妻山に登った時、次の日行こうとしたが、雪渓が残っていて危険と分かり、行かなかった。
山の麓が、妙高高原。 明日行く。

ナウマンゾウ博物館。
一般の人たちで発掘したことで、野尻湖の発掘は知られている。
ここだけの見学は500円。 一茶記念館と一緒なら、800円。 これにした。

今日は、ナウマンゾウについて、少し勉強することに。
せっかく入ったから。
野尻湖で発掘された、実物大の、復元したナウマンゾウ。
オオツノシカも。
マンモスと違って、動物園のゾウに似ている。 大きさも。

骨などの展示。
ここの博物館には、不思議なことが。 それは、レプリカかどうかを、表示していない。
見える骨が、レプリカっぽいので、事務所に聞いてみた。
説明に来た人が、本物だという。 変だなと思った。
事務所に戻って、確認して、再度やって来た。 レプリカだった。

博物館は、どんな考えを持って、上のことを表示しないのか。
本物を見るのと、レプリカを見るのとは、全く違うのに。
※ 画家の絵を見るのと同じですね。 レプリカを見ても、感動は全く違う。
そう言えば、今、モスクワのプーシキン美術館展が、日本でやっていますね。
ルノワールの、ジャンヌ・サマリーの肖像(1877年)が来ている。
初めて見る絵です。 ピンクの絵。 テレビで見ました。

1頭分がまとまっては出ないで、バラバラで、出て来るんですね。

このように発掘。 1962年から、始まった。
発掘を希望する人は、講習を受けてから、参加する。
この発掘方法が、野尻湖の特徴。

ガラスケースの中。 これは、本物。 ナウマンゾウの臼歯。
最初に発見されたものに、湯たんぽと名前が付いた。 そのくらい大きい。

ナウマンゾウは、こうやって、人に襲われる。
人だって生きていかなければならない。
石や骨で作った刃物で、解体出来るんですね。


他から来た展示物も。

インドゾウ、アフリカゾウ、ナウマンゾウは、似ている。
先祖は一緒。
縄文時代の始まる、ずっと前に、絶滅している。
もし、ナウマンゾウが日本で生きていたら、ニホンゾウになる。 ニホンゾウだぞうって。
マンモスのように毛は無くても、寒い冬は、大丈夫なのか。

こっちの方にも、展示。

最初に見つかった、臼歯。

発掘は、このように進んで行った。

※ 多くの人で掘ったら、いっぱい出て来る。
これも出た、あれも出たって、集まる。
でも、それらの物が、ここから出た証拠は、どこにあるんだろう。
はっきりしない。
他から持って来て、見つかった、と言うことも出来る。
実際に、そういうことが起きた。
対策を考えた。 こうした。
見つかった時点て、掘り出さない。
その状況を記録し、写真にもとって、多くの人の目で確認し、それから掘り出す。
埋めたものでないことも、確認して。
この手順を経て、やっと、ここで掘り出されたと、はっきりする。
掘り出す途中は、このように。

縄文文化の少し前ですね。
気の遠くなる年月を、命をつないできたけど、人間が現れてお終い。
そういう動物はいっぱい。

1日でいいから、この時代に行ってみたい。
生きる一番の喜びは、何なのか。 子供たちの日々の楽しみは? 聞いてみたい。
発掘する人は、もし、そんなのが少しでも分かれば、展示してほしい。
でも、そのことに関心がなければ、発見することは出来ない。
※ 昔、骨と一緒に、たくさんの花の花粉が出て来た。
埋葬の時、花を添えたことが、それから分かる。
その時代に生きた人たちの「心」が、見えて来る。
※ 下手な小さな土器が、上手なのと一緒に出て来た。
このことから、親の真似をして、土器を作っている子供の姿が、見えて来る。

この後、市街地にある、一茶記念館に。

立派な記念館。

ロビー。 写真は、ここまで。

資料館では、彼がどんな一生を送ったかが、分かり易く展示してあった。
アニメもあった。
無かったものは、彼の作品の魅力の、くわしい解説。
そこが知れたら、一番うれしかったが。
スズメなど、力の弱い者への 愛情を表した句が多いのが、彼の句の特徴の一部かなと。
代表作を載せますね。
雪とけて村いっぱいの子どもかな
大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
蟻(あり)の道(みち)雲の峰よりつづきけん
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
名月をとってくれろと泣く子かな
一茶記念館は、一茶の墓の近くに建てた。
裏に墓があった。 建物の後ろに。

俳諧寺 一茶翁墓


入口から出て来た。 左に俳句。

ネコの句ばかり。

私は、芭蕉や山頭火が好き。 洗練された句が好き。
小林一茶については、魅力は、ちゃんと分からない。
書いてあること以上の、深いことが、自分には読み取れない。
分かる時が来るかも知れないけど。
一茶の生涯については、情報を公開しすぎかな。
書いた一茶に、責任はあるんだが。
あ~あって、思う部分も。
今後は、余程のことがない限り、博物館や資料館だけの見学の1日は、つくらない。
【今日の歌】 僕の胸でおやすみ
【停泊場所】 妙高市に入った、国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 妙高高原を歩く。 滝と池。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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