上杉景勝と、その家臣の直江兼続が、幼少期に学んだ寺、それが雲洞庵(うんとうあん)。
雲洞庵は、奈良時代から続く、曹洞宗の大きな寺。
参道の下には、法華経が書かれた石が、埋められている。
昔から、「雲洞庵の土踏んだか」、と言われるほど、ご利益があるとされた。
また、上杉謙信の家臣の、宇佐美定満の墓は、この寺にあった。
参拝者を信用し、写真の撮影は、全てOK。
見応えのある、寺だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
南魚沼市から、南に下ると、群馬県。 国道17で。 長野に下る道は、1本左の、国道117。
この辺りは、今は、南魚沼市。 合併する前は、六日町。
※ 六日町で、ちょっと変わったことが。
新潟市でも、札幌市でも、どこでも、市を取って、新潟、札幌と呼ぶことがある。
ところが、六日町は、町を取って、六日と呼ぶことはないそう。
取ると、おかしくなるかな。
六日に六日に行くって言ったら、どっちが日にちで、どっちが町か、分からない。
広い駐車場。 参拝料は、300円。 良心的な値段。
山門にあたる、赤門。 どうして赤門かって、難しい。
昔は、偉い人しか通れなかった。 いつもは、開(あ)かなかった。 だから、赤門、ではひどいか。
大きな草鞋。 赤門だから、仁王様も赤い。
赤門からの、参道。
「雲洞庵の土踏んだか」は、この石畳を歩いたか、の意味。
石畳の下には、有難い物が埋められている。
参道の両側には、お地蔵様。
雲洞庵のお地蔵さまは、みんな個性的。 人間の表情を見せている。
お地蔵様の表情は、見る人の、その時の心の状態で変わる。
悲しい時に見たら、お地蔵様は泣いている。
上とこのお地蔵さまは、少し微笑んでいる。 今の私の心と、同じ。
この灯篭は、宝暦11年に作られた。 1761年。
この年は、葛飾北斎が1歳。 江戸で評判の美人の、笠森お仙は、まだ10歳。
正面に本堂。 左に、鐘楼。 昔の古い鐘は、戦争に持っていかれたとあった。
本堂。 江戸時代の建物。
本堂の右。 向こうから入る。
中に入ると、ここは、大方丈。 何にでも使う部屋。
上杉景勝と直江兼続は、ここで学んだ。
大河ドラマでは、「わしは、こんなとこ、来とうはなかった」と叫んだ。
上の絵も、少し気が強そう。
何が不満で叫んだのか、忘れてしまった。
普通の武士は、ひらがな程度しか、書けなかったそう。
私利私欲が少ないのは、謙信に似ている。
本堂。 私は、昔よりは少し信心深くなって、手を合わせた。
彫刻がこのくらいなのは、新潟では、当たり前。 石川雲蝶がいたからか。 ※ 関連ブログで紹介。
正面の額は、景勝が後に、この寺に持ってきた。
元々は、他にあったもの。 ある天皇から贈られたもの。
説明があったのだが、覚えたつもりでメモしなかった。 自分を信用して、失敗。
本尊はここに。
座禅堂や観音堂を見た。 見える建物は、客殿。 1階も2階も、広い和室。
自由に、休んでいい。 あそこにのんびり座って、庭の花を見るのもいいかも。
ポットにお茶など、用意して。
観音堂の中、観音様。
本堂の、本尊の後ろに、この像。 先代の住職のよう。 右は、本堂の襖絵。
この形相。 山姥(やまんば)のようでも。
宝物殿の入り口に、客引観音。 しなっと、している。 この名前も、初めて。
景勝が書いた制札。 制札は、高札のようなもの。 どっちも、庶民に知らせるために。
左は消えてしまった。 墨の跡は、少しふくらんでいる。 右は、同じのを書いた。
怪獣だそう。 何で作ったのかな。
昔、カッパや怪獣を作るのは、珍しくなかった。 サルや鳥や木などを使って。
信玄が書いた文書。 本物。
勝頼。
ずっと後ろに、諏訪の娘が生んだとある。 大河ドラマでは、由布姫。
これは、景勝。 勝は読みやすいですね。
後陽成天皇からいただいた、袈裟(けさ)。
この天皇は、天下が、信長、秀吉、家康と移るのを、みんな見ている。
本堂は、出雲崎の大工が作ったとあった。 出雲崎は、日本海沿岸に。
出雲崎と言えば、良寛。 それで、下のお坊さんは、良寛かなと。
子供たちの生活が、少し見える。
本物がたくさんあって、そして、自由に写真が撮れる。
私にとって、一番好きなパターン。
宇佐美定満の墓は見学できなかったけど、境内、本堂、宝物殿は、見応えがありました。
面白い歴史を秘めていると、寺の魅力は、大きくなりますね。
いい一日でした。
【関連ブログ】 良寛ゆかりの地、わしまと出雲崎を歩く ~妻入りの町並、荒海や佐渡によこたふ天の川・おけさ~ (2010/10/17)
西福寺には、石川雲蝶の世界があった。~魚沼市~ ダルビッシュは「ダルビッシュ」になってから、アメリカへ。 (2012/1026)
荻ノ島環状茅葺集落 ~昔の風景が、今に残った。 柏崎市高柳町~ 他 (2010/10/21)
【今日の歌】 スラッグ渓谷の朝
【停泊場所】 直ぐ上に道の駅があると、朝になって分かった。 新しい道の駅。
右上に、雲洞庵。
【明日の予定】 清津峡。 いい所か、少し不安。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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雲洞庵は、奈良時代から続く、曹洞宗の大きな寺。
参道の下には、法華経が書かれた石が、埋められている。
昔から、「雲洞庵の土踏んだか」、と言われるほど、ご利益があるとされた。
また、上杉謙信の家臣の、宇佐美定満の墓は、この寺にあった。
参拝者を信用し、写真の撮影は、全てOK。
見応えのある、寺だった。
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南魚沼市から、南に下ると、群馬県。 国道17で。 長野に下る道は、1本左の、国道117。
この辺りは、今は、南魚沼市。 合併する前は、六日町。
※ 六日町で、ちょっと変わったことが。
新潟市でも、札幌市でも、どこでも、市を取って、新潟、札幌と呼ぶことがある。
ところが、六日町は、町を取って、六日と呼ぶことはないそう。
取ると、おかしくなるかな。
六日に六日に行くって言ったら、どっちが日にちで、どっちが町か、分からない。
広い駐車場。 参拝料は、300円。 良心的な値段。
山門にあたる、赤門。 どうして赤門かって、難しい。
昔は、偉い人しか通れなかった。 いつもは、開(あ)かなかった。 だから、赤門、ではひどいか。

大きな草鞋。 赤門だから、仁王様も赤い。

赤門からの、参道。
「雲洞庵の土踏んだか」は、この石畳を歩いたか、の意味。

石畳の下には、有難い物が埋められている。

参道の両側には、お地蔵様。

雲洞庵のお地蔵さまは、みんな個性的。 人間の表情を見せている。

お地蔵様の表情は、見る人の、その時の心の状態で変わる。
悲しい時に見たら、お地蔵様は泣いている。
上とこのお地蔵さまは、少し微笑んでいる。 今の私の心と、同じ。

この灯篭は、宝暦11年に作られた。 1761年。
この年は、葛飾北斎が1歳。 江戸で評判の美人の、笠森お仙は、まだ10歳。

正面に本堂。 左に、鐘楼。 昔の古い鐘は、戦争に持っていかれたとあった。

本堂。 江戸時代の建物。

本堂の右。 向こうから入る。

中に入ると、ここは、大方丈。 何にでも使う部屋。
上杉景勝と直江兼続は、ここで学んだ。
大河ドラマでは、「わしは、こんなとこ、来とうはなかった」と叫んだ。
上の絵も、少し気が強そう。
何が不満で叫んだのか、忘れてしまった。

普通の武士は、ひらがな程度しか、書けなかったそう。
私利私欲が少ないのは、謙信に似ている。

本堂。 私は、昔よりは少し信心深くなって、手を合わせた。

彫刻がこのくらいなのは、新潟では、当たり前。 石川雲蝶がいたからか。 ※ 関連ブログで紹介。
正面の額は、景勝が後に、この寺に持ってきた。
元々は、他にあったもの。 ある天皇から贈られたもの。
説明があったのだが、覚えたつもりでメモしなかった。 自分を信用して、失敗。

本尊はここに。

座禅堂や観音堂を見た。 見える建物は、客殿。 1階も2階も、広い和室。
自由に、休んでいい。 あそこにのんびり座って、庭の花を見るのもいいかも。
ポットにお茶など、用意して。

観音堂の中、観音様。

本堂の、本尊の後ろに、この像。 先代の住職のよう。 右は、本堂の襖絵。


この形相。 山姥(やまんば)のようでも。

宝物殿の入り口に、客引観音。 しなっと、している。 この名前も、初めて。


景勝が書いた制札。 制札は、高札のようなもの。 どっちも、庶民に知らせるために。
左は消えてしまった。 墨の跡は、少しふくらんでいる。 右は、同じのを書いた。

怪獣だそう。 何で作ったのかな。
昔、カッパや怪獣を作るのは、珍しくなかった。 サルや鳥や木などを使って。


信玄が書いた文書。 本物。

勝頼。

ずっと後ろに、諏訪の娘が生んだとある。 大河ドラマでは、由布姫。

これは、景勝。 勝は読みやすいですね。

後陽成天皇からいただいた、袈裟(けさ)。
この天皇は、天下が、信長、秀吉、家康と移るのを、みんな見ている。


本堂は、出雲崎の大工が作ったとあった。 出雲崎は、日本海沿岸に。
出雲崎と言えば、良寛。 それで、下のお坊さんは、良寛かなと。
子供たちの生活が、少し見える。

本物がたくさんあって、そして、自由に写真が撮れる。
私にとって、一番好きなパターン。
宇佐美定満の墓は見学できなかったけど、境内、本堂、宝物殿は、見応えがありました。
面白い歴史を秘めていると、寺の魅力は、大きくなりますね。
いい一日でした。
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西福寺には、石川雲蝶の世界があった。~魚沼市~ ダルビッシュは「ダルビッシュ」になってから、アメリカへ。 (2012/1026)
荻ノ島環状茅葺集落 ~昔の風景が、今に残った。 柏崎市高柳町~ 他 (2010/10/21)
【今日の歌】 スラッグ渓谷の朝
【停泊場所】 直ぐ上に道の駅があると、朝になって分かった。 新しい道の駅。
右上に、雲洞庵。
【明日の予定】 清津峡。 いい所か、少し不安。
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