田舎の集落が、重伝建地区になるのは、珍しい。
赤岩地区は、養蚕農家の建物も、昔のまま残っている。
富岡製糸場との関係で、世界遺産の暫定リストに、入っている。
江戸末期、幕府を批判して投獄された、高野長英が、一時隠れ住んだという家があった。
※ このことを言ってるのは、中之条町だけ、という問題はあるけど。
神社や小さな祠(ほこら)が点在している風景は、懐かしい、日本の風景に見えた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
昨日いた吾妻渓谷からも、草津温泉へも、近いです。
下には、吾妻川の支流の、白砂川が流れている。
自慢してもいいくらいの、立派な渓谷。
川の向こうに、赤岩地区。 普通の集落に見えるので、ちょっと不安。
赤○の所を、歩くことになる。
駐車場があるようなので、集落に入ることに。 ※ 不安なら、ここから歩く。
右は、ふれあいの家。 ここで地図をいただいた。
水車小屋。 動いている。 実際に使える。
細い道を山に登ったら、上(かみ)の観音堂。
何気ないこの建物が、1764年の建物。 赤岩では、一番古い。
茅葺は、ここだけ。
中に仏像があるけど、見えなかった。 聖観音立像とか。
六面地蔵ですね。 たまに見ます。 六地蔵と同じ意味なんでしょうか。
住宅は、普通。 一目古くは見えないけど、古いのも。
家々の庭の隅には、このようなのが多い。
湯本家。 高野長英の隠れ家、と言われる家。
小説には、このように出て来る。 ※ いただいた資料に。
文中の、暮坂峠は、四万温泉に向かう途中、左の山に入ると、越える峠。
※ いつのことかですね。
高野長英や渡辺崋山は、幕府の鎖国的な考えに反対。
幕府は、言論を弾圧し、蛮社の獄で、彼らを捕まえて、投獄。
しかし、長英が入っていた伝馬町牢屋敷が、火事になる。 (長英の仕業とも)
1844年のこと。(弘化元年)
その翌年、逃亡の途中、この地の、湯本家に一時、かくまわれたという。
※ このことを言ってるのは、湯本家と、中之条町だけ。
第3者がどういっているか探したが、見つからない。
小説で言ってるので、可能性があるのかなと思う。
高野長英の研究者が言っていると、可能性は高いのだが。
※ なお、高野長英は、5年後の1850年に、江戸で捕まる。
その時の暴行で、亡くなったと言われる。
明治政府は、長英の名誉を回復している。
※ 湯本家には、長英の間が残されている。
ここは、少し歩いて、稚蚕飼育所跡。(ちさんしいくしょあと)
他にも、養蚕関係の建物は残っていて、これがあるので、世界遺産の候補に。
※ 世界遺産は、直ぐに登録されることはなく、一旦、候補に入ってから。
もし世界遺産になったら、ここは観光地。
重伝建地区としての整備が、一気に進む。
中の見学は出来ない。 ※ 出来る日はあるよう。
ポスターが貼ってあった。
人形の目に、物を言わすことが出来るんですね。 徳島で出会った浄瑠璃の人形は、私を見つめた。
上の所から、少し、山の上に、石垣があった。 諏訪神社跡。 立派な石垣。
明治の終わりに、他の神社と合わさって、赤岩神社として、山の上に。
後で行く。
青空に、柿の実。 柿が食べたくなってきた。 ※ ついでに、牡蠣(かき)も。 ポン酢で。 熱燗。
先に進む。 右に、はしご。 今は脚立だから、滅多に見ない。
赤岩全体を、この風景にする必要がありますね。 今は、全体の3分の1でしょうか。
寒くなって、菊の出番。 寒いから、押しくらまんじゅうのように、咲くのか。
枝道を、山の中腹に。 向城の観音堂。 むこんじょう。
元々の読みは、むこんではなく、むこうでないかな。
むこうが、むこんに。
※ そういえば、やつば(八つ場)は、やんば(八ッ場)になった。
似ている。
この地方は、言葉の発音が、「ん」に変化するのは、珍しくないのか。
1811年の建物。 昔は、茅葺だった。 中は、散乱していた。 小さな仏像が。
お堂の横に、転がっていた。 宝珠の形。 何の一部だろう。
石塔の上の部分かな。
今日の一番大変な所。 山の上に、赤岩神社。 ここから、15分。
荒れ気味。 昼なお、薄暗い。
供養塔。 四国 西国 坂東 秩父 供養塔。
四国以外は、巡礼地の数は、33。
全部お参りが終わって、それで、つくった。
宝暦11年の物。 1761年。 ※ 宝暦11年は、少し前にも出て来た。 北斎が1歳。
誰かが、柿を1つ。 右の石像が、変わっている。 後でまた会う。
山を上がって来た。 大変な状態。 工事中だった。
木の根は、力持ち。
紅葉です。
着きました。 ここは、木を切った。
ここは、世界遺産の候補。 このままなら、恥ずかしいということで。
下の谷に、集落がある。
この機械は、クレーン。 石段の石を持ち上げるのか。
山を下りた。 さっきの石仏の辺りで、柿を拾った。
上を見たら、大きな柿の木。 実がいっぱい。 周りにはたくさん落ちていた。
動物がかじったのもあった。 拾ったのは、飾っておく。
この花を、時々見た。 ※ 追記 アメジストセージって名前でした。 ある方に教えていただきました。
川の近くにある、東堂(ひがしどう)。 江戸時代の終わりか、明治の初めの建物。
よく見る、三界満霊塔。 右に、変わったのが。
念仏供養塔。 このお堂では、念仏を唱えていたんですね。
女人講中(こうじゅう)とあるので、女の人だけか。 ※ 講中は信者の集まり。
山の上で見た像と、同じ。 お堂の中。 中心に地蔵菩薩。 十王像も。
戻る途中に、毘沙門堂があった。
赤岩には、懐かしい風景や建物が、点在している。
工事していいる家が、数件。
少しずつ、元の昔に戻そうとしている。
数年後に来たら、きっと、今より良くなっている。
江戸時代の物が、当たり前にある。 そして、明治の養蚕の遺跡も。
懐かしい日本の風景が、残っている。
それは、赤岩の特徴でした。
【関連ブログ】 農村風景と言えば、ここでしょうか。 五箇山とか、白川郷もかな。
かやぶきの里 北村 ~南丹市~ 他 (2011/12/1)
【今日の歌】 昨日と同じ人。
【道の駅】 草津運動茶や公園
【明日の予定】 草津温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位、 旅行全体、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
赤岩地区は、養蚕農家の建物も、昔のまま残っている。
富岡製糸場との関係で、世界遺産の暫定リストに、入っている。
江戸末期、幕府を批判して投獄された、高野長英が、一時隠れ住んだという家があった。
※ このことを言ってるのは、中之条町だけ、という問題はあるけど。
神社や小さな祠(ほこら)が点在している風景は、懐かしい、日本の風景に見えた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
昨日いた吾妻渓谷からも、草津温泉へも、近いです。
下には、吾妻川の支流の、白砂川が流れている。
自慢してもいいくらいの、立派な渓谷。
川の向こうに、赤岩地区。 普通の集落に見えるので、ちょっと不安。

赤○の所を、歩くことになる。
駐車場があるようなので、集落に入ることに。 ※ 不安なら、ここから歩く。

右は、ふれあいの家。 ここで地図をいただいた。

水車小屋。 動いている。 実際に使える。

細い道を山に登ったら、上(かみ)の観音堂。
何気ないこの建物が、1764年の建物。 赤岩では、一番古い。
茅葺は、ここだけ。
中に仏像があるけど、見えなかった。 聖観音立像とか。

六面地蔵ですね。 たまに見ます。 六地蔵と同じ意味なんでしょうか。

住宅は、普通。 一目古くは見えないけど、古いのも。

家々の庭の隅には、このようなのが多い。

湯本家。 高野長英の隠れ家、と言われる家。



小説には、このように出て来る。 ※ いただいた資料に。
文中の、暮坂峠は、四万温泉に向かう途中、左の山に入ると、越える峠。

※ いつのことかですね。
高野長英や渡辺崋山は、幕府の鎖国的な考えに反対。
幕府は、言論を弾圧し、蛮社の獄で、彼らを捕まえて、投獄。
しかし、長英が入っていた伝馬町牢屋敷が、火事になる。 (長英の仕業とも)
1844年のこと。(弘化元年)
その翌年、逃亡の途中、この地の、湯本家に一時、かくまわれたという。
※ このことを言ってるのは、湯本家と、中之条町だけ。
第3者がどういっているか探したが、見つからない。
小説で言ってるので、可能性があるのかなと思う。
高野長英の研究者が言っていると、可能性は高いのだが。
※ なお、高野長英は、5年後の1850年に、江戸で捕まる。
その時の暴行で、亡くなったと言われる。
明治政府は、長英の名誉を回復している。
※ 湯本家には、長英の間が残されている。
ここは、少し歩いて、稚蚕飼育所跡。(ちさんしいくしょあと)

他にも、養蚕関係の建物は残っていて、これがあるので、世界遺産の候補に。
※ 世界遺産は、直ぐに登録されることはなく、一旦、候補に入ってから。
もし世界遺産になったら、ここは観光地。
重伝建地区としての整備が、一気に進む。
中の見学は出来ない。 ※ 出来る日はあるよう。
ポスターが貼ってあった。
人形の目に、物を言わすことが出来るんですね。 徳島で出会った浄瑠璃の人形は、私を見つめた。


上の所から、少し、山の上に、石垣があった。 諏訪神社跡。 立派な石垣。
明治の終わりに、他の神社と合わさって、赤岩神社として、山の上に。
後で行く。

青空に、柿の実。 柿が食べたくなってきた。 ※ ついでに、牡蠣(かき)も。 ポン酢で。 熱燗。

先に進む。 右に、はしご。 今は脚立だから、滅多に見ない。

赤岩全体を、この風景にする必要がありますね。 今は、全体の3分の1でしょうか。

寒くなって、菊の出番。 寒いから、押しくらまんじゅうのように、咲くのか。

枝道を、山の中腹に。 向城の観音堂。 むこんじょう。


元々の読みは、むこんではなく、むこうでないかな。
むこうが、むこんに。
※ そういえば、やつば(八つ場)は、やんば(八ッ場)になった。
似ている。
この地方は、言葉の発音が、「ん」に変化するのは、珍しくないのか。
1811年の建物。 昔は、茅葺だった。 中は、散乱していた。 小さな仏像が。

お堂の横に、転がっていた。 宝珠の形。 何の一部だろう。
石塔の上の部分かな。

今日の一番大変な所。 山の上に、赤岩神社。 ここから、15分。

荒れ気味。 昼なお、薄暗い。

供養塔。 四国 西国 坂東 秩父 供養塔。
四国以外は、巡礼地の数は、33。
全部お参りが終わって、それで、つくった。
宝暦11年の物。 1761年。 ※ 宝暦11年は、少し前にも出て来た。 北斎が1歳。
誰かが、柿を1つ。 右の石像が、変わっている。 後でまた会う。

山を上がって来た。 大変な状態。 工事中だった。
木の根は、力持ち。

紅葉です。

着きました。 ここは、木を切った。
ここは、世界遺産の候補。 このままなら、恥ずかしいということで。

下の谷に、集落がある。

この機械は、クレーン。 石段の石を持ち上げるのか。

山を下りた。 さっきの石仏の辺りで、柿を拾った。
上を見たら、大きな柿の木。 実がいっぱい。 周りにはたくさん落ちていた。
動物がかじったのもあった。 拾ったのは、飾っておく。

この花を、時々見た。 ※ 追記 アメジストセージって名前でした。 ある方に教えていただきました。

川の近くにある、東堂(ひがしどう)。 江戸時代の終わりか、明治の初めの建物。

よく見る、三界満霊塔。 右に、変わったのが。

念仏供養塔。 このお堂では、念仏を唱えていたんですね。
女人講中(こうじゅう)とあるので、女の人だけか。 ※ 講中は信者の集まり。

山の上で見た像と、同じ。 お堂の中。 中心に地蔵菩薩。 十王像も。


戻る途中に、毘沙門堂があった。

赤岩には、懐かしい風景や建物が、点在している。
工事していいる家が、数件。
少しずつ、元の昔に戻そうとしている。
数年後に来たら、きっと、今より良くなっている。
江戸時代の物が、当たり前にある。 そして、明治の養蚕の遺跡も。
懐かしい日本の風景が、残っている。
それは、赤岩の特徴でした。
【関連ブログ】 農村風景と言えば、ここでしょうか。 五箇山とか、白川郷もかな。
かやぶきの里 北村 ~南丹市~ 他 (2011/12/1)
【今日の歌】 昨日と同じ人。
【道の駅】 草津運動茶や公園
【明日の予定】 草津温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位、 旅行全体、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1209-ffe77551