中山道の、江戸から数えて、25番目の宿場、望月宿(もちづき しゅく)
望月(もちづき)、滅多に聞かない、見ない、名前。
その望月宿を歩いた。
情報は何も持っていない。
望月歴史民俗資料館で、少し勉強して。
車の駐車場が分からないので、ここに停めさせてもらった。
望月という名前は、タイトルの歌にもあるように、馬に関係していた。
なかなか、面白い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
旧中山道は、国道142沿いに、諏訪湖に向かう。
望月宿は、伝建地区でもなく、観光地でもない。
望月宿は、25番目。 歌川広重は、こう描いた。
※ 江戸と京都の行き来には、どっちが使われたのだろう。 調べてみた。
まず、お互いの欠点は。
東海道は大きな川があって、天候次第では、渡れないときがある。
中山道は、山坂があって、たいへん。
一般的には、女の人は、中山道を選ぶことが多かった。 川は、いやということで。
中山道は、予定通り、進み、到着できる。
幕末に、和宮が京都から江戸に行ったときは、中山道。
その時の荷物は、東海道。
歴史民俗資料館。
立派です。 望月の歴史を大事にしているって、感じる。
※ 受付で、望月の名前はめずらしいね、って話をした。
九州のどこかで、出会ったことがあると伝えた。
それは、臼杵ですよと、教えてくれた。
後で、ブログを調べたけど、望月という名前に、触れてはいなかった。
望月という名前には、小さな出会いだったのかな。
ただ、その時、知ってる人の名前と同じだったので、記憶に残った。
本陣や脇本陣に、殿様とかは泊まる。
その時、この札を掲げる。
右は、お定め書きというのですね。
ここには、強訴(ごうそ)をしてはいかん、とか、書いてあります。
ちゃんと読めないが、どんな家があったか、分かっている。
幸せは何なんだろうと思って、読んでみた。
それは、生活の安定だった。
食べ物があって、病気をしないで、過ごせること。
今に生きる、私たちと、少し違う。
私たちは、贅沢(ぜいたく)を、すぐに、追い求めたくなる。
織物の講習会をしていた。
割いた布で、織っていた。
さあ、地図を見ながら、歩き始める。
右の家は、脇本陣と読める。 本陣が使われていたら、こっちを使う。
旅籠兼問屋の大和屋。 1765年の建物。 望月宿最古の建物。 国の重要文化財。
梁(はり)というか、出てる柱が、古いって分かる。
途中で曲がった。 橋の右向こうの山の上に、お城があった。
ここを治めていた、望月氏のお城。
下に、望月家の菩提寺、城光院。 山門が見えている。
参道。 石の上の○は、月でしょうか。 望月。 満月。
字の部分は、望月山 城光院、と何とか読めますね。 他は、梵字(ぼんじ)かな。
山門。
○の石に、寄付金の額が彫ってあった。 単位が、円なので、江戸時代の物でない。
こんなの初めて見る。
本堂。
庚申(こうしん)塔です。
ここにあるということは、本堂に集まって、何かを祈りながら、朝を迎えたのでしょうか。
※ 庚申信仰と関わるものなのですが、詳しくわかりません。 内容が、難しいです。
江戸時代に盛んで、大正時代から、急速に衰えたそう。
祈るしかない時代が、長く続きました。
庚申と、読めますね。
本堂前の、お地蔵様。
十王像。 写真中央に、10こ。
亡くなった人を裁く裁判官。 お前は、地獄へ行けとか。
※ 上に書いた臼杵に、国宝の石仏群がある。 その中に、十王像も。(2009年)
こんな表情。 かわいい感じもします。
山に登ります。 寺は、左の方に。
ウサギ10分。 カメ30分とある。
資料館の人に、どのくらいかかりますかと聞いた。
そうしたら、20分と言った。
私は、カメとウサギの中間に見えたと分かる。
※ 登ってみての感想。
走れば、5分で行けそう。 ただではイヤ。 ごほうびに、ラーメン。
トンボは、温かい面にしかとまらない。
ずるいと言ったら、賢いんですよ、って言われそう。
どんぐりの、帽子の部分が、ギザギザ。 荒っぽい。
頭のほとんどが、目玉。
適当に歩いていたら、着いた。 上から声が聞こえた。
展望台があって、高校生3人がいた。 女の子2名、そして男の子。
地元の、高校生。
サボって来たのって聞いたら、終わってから来たよって、言った。
町全体の風景を見て、こんないい所があるとは知らなかった、って感動していた。
これが、全景。 支所の建物が、大きすぎる。
トンボがいっぱいるので、みんなで、捕まえたりして遊んだ。
私の指にも。
※ どうしたら、こうできるか。
トンボがとまっていたら、その前に、そっと指を出す。
少しずつ、近づける。 トンボの前足に触れるように。
トンボは、いやな顔をする。
それでも、しつこく、指に触れる。
そうしたら、トンボは、分かった分かったって言いながら、載って来る。
※ 上のトンボの羽根は、傷んでいる。
もっと寒くなったら、命は、その時まで。
でも、トンボはそのことを知らないから、みんな幸せそうに、飛んでいる。
知らないというこが、いい時もある。
展望台は、あそこにあった。
振り返って、城跡の一番上は、このように。 本丸があったのか、何があったんだろう。
説明の中にある、本城を調べたら、本丸のことでした。 城の中心。 天守はない。
上がったらこう。
望月城は、信玄に攻め落とされて、望月氏は、信玄の配下になる。
勝頼が天目山で敗れ、武田氏が消滅するまで、家臣だった。
その後、生き延びた者は、隠れ住むように、身延山方面の山の中で暮らした。
「逢坂の 関の清水に 影見えて 今やひくらむ 望月の駒」 紀貫之(きのつらゆき)
解釈は、(ネットから)
逢坂の関のあたりの泉の水に、秋の明月の光が射していた。
その澄んだ水に、姿を映しながら、今引かれていることだろうか。
あの望月の牧の馬よ。
この馬は、皇室に送られる馬。 望月の地で、育てられていた。
下の地図の、大きな○の部分は、御牧原(みまきはら)台地。
この周辺で、育てられていた。
望月の地も、その1つ。
望月の駒と言われるほど、いい馬を生産していた。
山の反対側に道があった。
高校生に、あっちからも行けるかいと聞いた。
行けますよ。 全然きれいです。 と、教えてくれた。
めんこいもんです。
台地が続くのか、山の後ろは、畑だった。
しばらく歩いたら、坂が見えた。
後ろからここに来た。
中山道は、向こうから来て、下に降りる。 京都に向かう方向。
向こうに、石碑が見える。
明日は、茂田井宿。
石碑には、念仏百万遍塔、とある。
この前で、念仏を唱えるんだが、ほんとうに、百万遍唱えるんだろうか。
※ ちょっと計算してみたんですが、1秒館に1回唱えたとして、百万遍は100万秒。
1日8時間唱えたとしても、1ヶ月はかかります。
でも、何回唱えたか、どうやって、数えるんだろう。
百万遍は、いっぱいという、意味だろうが。
こんな道を。
長坂石仏群。 馬頭観音と道祖神。
馬頭観音。 先日、赤岩地区で見たのも、馬頭観音だった。 やっとわかった。
右は、道祖神。 これなんかは、行儀いい。
※ 道祖神は、行儀悪いのが、いっぱい。 草津にあったのを、2つ紹介。
写真は、恥ずかしくて、撮っていないので、ネットので紹介。
その① その② (どっちも、草津のお土産屋さん街に)
鹿曲(かくま)川。 千曲(ちくま)川に出る。
風鈴かな。 家の壁に。
宿場町に入って来た。 この町は、何でも漢字。
※ 望月は、比田井天来という書道の大家が、生まれた地。
※ そういえば、日展の話はひどい。 書道の「篆刻(てんこく)」。
他でもあるかも知れないので、日展は、もう信用しない。
細い花びらを見ると、嵯峨菊を思い出す。(嵐山駅)
昔の名残を感じます。
山の上を見たら、展望台が見えた。 探していた。
高校生は、みんな帰った。
観光地でない所を、どう歩くかは難しい。
魅力は、自分で探さなければならない。
旅の力が、問われる感じ。
こんな旅をしながら、中山道を、西に向かいます。
途中、知多半島に、寄る予定。
【今日の歌】 岩谷時子さんが亡くなりました。 この曲の訳詩は、彼女です。
百万本のバラの中では、大好きな曲の1つです。
この曲が原曲。
何度も出て来る女性が、歌っている、小田陽子さん。
画像の中の男の人が、作曲。 女の人が、最初に歌った人。
国は、ラトビア。 メリロディがロシアに伝わり、百万本のバラの歌詞が。
日本最初で歌ったのは、ニーナさん。 今は、札幌に。
【停泊場所】 みまき。 漢字で書くと、御牧。 上の記事と関係あり。
電話番号を間違って、隣の道の駅に、来てしまった。
【明日の予定】 茂田井宿。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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望月(もちづき)、滅多に聞かない、見ない、名前。
その望月宿を歩いた。
情報は何も持っていない。
望月歴史民俗資料館で、少し勉強して。
車の駐車場が分からないので、ここに停めさせてもらった。
望月という名前は、タイトルの歌にもあるように、馬に関係していた。
なかなか、面白い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
旧中山道は、国道142沿いに、諏訪湖に向かう。
望月宿は、伝建地区でもなく、観光地でもない。
望月宿は、25番目。 歌川広重は、こう描いた。

※ 江戸と京都の行き来には、どっちが使われたのだろう。 調べてみた。
まず、お互いの欠点は。
東海道は大きな川があって、天候次第では、渡れないときがある。
中山道は、山坂があって、たいへん。
一般的には、女の人は、中山道を選ぶことが多かった。 川は、いやということで。
中山道は、予定通り、進み、到着できる。
幕末に、和宮が京都から江戸に行ったときは、中山道。
その時の荷物は、東海道。
歴史民俗資料館。
立派です。 望月の歴史を大事にしているって、感じる。

※ 受付で、望月の名前はめずらしいね、って話をした。
九州のどこかで、出会ったことがあると伝えた。
それは、臼杵ですよと、教えてくれた。
後で、ブログを調べたけど、望月という名前に、触れてはいなかった。
望月という名前には、小さな出会いだったのかな。
ただ、その時、知ってる人の名前と同じだったので、記憶に残った。
本陣や脇本陣に、殿様とかは泊まる。
その時、この札を掲げる。
右は、お定め書きというのですね。
ここには、強訴(ごうそ)をしてはいかん、とか、書いてあります。


ちゃんと読めないが、どんな家があったか、分かっている。


幸せは何なんだろうと思って、読んでみた。
それは、生活の安定だった。
食べ物があって、病気をしないで、過ごせること。
今に生きる、私たちと、少し違う。
私たちは、贅沢(ぜいたく)を、すぐに、追い求めたくなる。

織物の講習会をしていた。

割いた布で、織っていた。

さあ、地図を見ながら、歩き始める。
右の家は、脇本陣と読める。 本陣が使われていたら、こっちを使う。

旅籠兼問屋の大和屋。 1765年の建物。 望月宿最古の建物。 国の重要文化財。
梁(はり)というか、出てる柱が、古いって分かる。


途中で曲がった。 橋の右向こうの山の上に、お城があった。
ここを治めていた、望月氏のお城。
下に、望月家の菩提寺、城光院。 山門が見えている。

参道。 石の上の○は、月でしょうか。 望月。 満月。
字の部分は、望月山 城光院、と何とか読めますね。 他は、梵字(ぼんじ)かな。


山門。

○の石に、寄付金の額が彫ってあった。 単位が、円なので、江戸時代の物でない。
こんなの初めて見る。

本堂。

庚申(こうしん)塔です。
ここにあるということは、本堂に集まって、何かを祈りながら、朝を迎えたのでしょうか。
※ 庚申信仰と関わるものなのですが、詳しくわかりません。 内容が、難しいです。
江戸時代に盛んで、大正時代から、急速に衰えたそう。
祈るしかない時代が、長く続きました。
庚申と、読めますね。


本堂前の、お地蔵様。

十王像。 写真中央に、10こ。
亡くなった人を裁く裁判官。 お前は、地獄へ行けとか。

※ 上に書いた臼杵に、国宝の石仏群がある。 その中に、十王像も。(2009年)
こんな表情。 かわいい感じもします。

山に登ります。 寺は、左の方に。
ウサギ10分。 カメ30分とある。
資料館の人に、どのくらいかかりますかと聞いた。
そうしたら、20分と言った。
私は、カメとウサギの中間に見えたと分かる。
※ 登ってみての感想。
走れば、5分で行けそう。 ただではイヤ。 ごほうびに、ラーメン。

トンボは、温かい面にしかとまらない。
ずるいと言ったら、賢いんですよ、って言われそう。
どんぐりの、帽子の部分が、ギザギザ。 荒っぽい。
頭のほとんどが、目玉。



適当に歩いていたら、着いた。 上から声が聞こえた。

展望台があって、高校生3人がいた。 女の子2名、そして男の子。
地元の、高校生。
サボって来たのって聞いたら、終わってから来たよって、言った。
町全体の風景を見て、こんないい所があるとは知らなかった、って感動していた。
これが、全景。 支所の建物が、大きすぎる。

トンボがいっぱいるので、みんなで、捕まえたりして遊んだ。
私の指にも。
※ どうしたら、こうできるか。
トンボがとまっていたら、その前に、そっと指を出す。
少しずつ、近づける。 トンボの前足に触れるように。
トンボは、いやな顔をする。
それでも、しつこく、指に触れる。
そうしたら、トンボは、分かった分かったって言いながら、載って来る。

※ 上のトンボの羽根は、傷んでいる。
もっと寒くなったら、命は、その時まで。
でも、トンボはそのことを知らないから、みんな幸せそうに、飛んでいる。
知らないというこが、いい時もある。
展望台は、あそこにあった。

振り返って、城跡の一番上は、このように。 本丸があったのか、何があったんだろう。

説明の中にある、本城を調べたら、本丸のことでした。 城の中心。 天守はない。

上がったらこう。

望月城は、信玄に攻め落とされて、望月氏は、信玄の配下になる。
勝頼が天目山で敗れ、武田氏が消滅するまで、家臣だった。
その後、生き延びた者は、隠れ住むように、身延山方面の山の中で暮らした。

「逢坂の 関の清水に 影見えて 今やひくらむ 望月の駒」 紀貫之(きのつらゆき)
解釈は、(ネットから)
逢坂の関のあたりの泉の水に、秋の明月の光が射していた。
その澄んだ水に、姿を映しながら、今引かれていることだろうか。
あの望月の牧の馬よ。
この馬は、皇室に送られる馬。 望月の地で、育てられていた。

下の地図の、大きな○の部分は、御牧原(みまきはら)台地。
この周辺で、育てられていた。
望月の地も、その1つ。
望月の駒と言われるほど、いい馬を生産していた。

山の反対側に道があった。
高校生に、あっちからも行けるかいと聞いた。
行けますよ。 全然きれいです。 と、教えてくれた。
めんこいもんです。
台地が続くのか、山の後ろは、畑だった。
しばらく歩いたら、坂が見えた。
後ろからここに来た。
中山道は、向こうから来て、下に降りる。 京都に向かう方向。
向こうに、石碑が見える。

明日は、茂田井宿。

石碑には、念仏百万遍塔、とある。
この前で、念仏を唱えるんだが、ほんとうに、百万遍唱えるんだろうか。
※ ちょっと計算してみたんですが、1秒館に1回唱えたとして、百万遍は100万秒。
1日8時間唱えたとしても、1ヶ月はかかります。
でも、何回唱えたか、どうやって、数えるんだろう。
百万遍は、いっぱいという、意味だろうが。

こんな道を。


長坂石仏群。 馬頭観音と道祖神。

馬頭観音。 先日、赤岩地区で見たのも、馬頭観音だった。 やっとわかった。
右は、道祖神。 これなんかは、行儀いい。


※ 道祖神は、行儀悪いのが、いっぱい。 草津にあったのを、2つ紹介。
写真は、恥ずかしくて、撮っていないので、ネットので紹介。
その① その② (どっちも、草津のお土産屋さん街に)
鹿曲(かくま)川。 千曲(ちくま)川に出る。

風鈴かな。 家の壁に。

宿場町に入って来た。 この町は、何でも漢字。

※ 望月は、比田井天来という書道の大家が、生まれた地。
※ そういえば、日展の話はひどい。 書道の「篆刻(てんこく)」。
他でもあるかも知れないので、日展は、もう信用しない。
細い花びらを見ると、嵯峨菊を思い出す。(嵐山駅)

昔の名残を感じます。

山の上を見たら、展望台が見えた。 探していた。

高校生は、みんな帰った。

観光地でない所を、どう歩くかは難しい。
魅力は、自分で探さなければならない。
旅の力が、問われる感じ。
こんな旅をしながら、中山道を、西に向かいます。
途中、知多半島に、寄る予定。
【今日の歌】 岩谷時子さんが亡くなりました。 この曲の訳詩は、彼女です。
百万本のバラの中では、大好きな曲の1つです。
この曲が原曲。
何度も出て来る女性が、歌っている、小田陽子さん。
画像の中の男の人が、作曲。 女の人が、最初に歌った人。
国は、ラトビア。 メリロディがロシアに伝わり、百万本のバラの歌詞が。
日本最初で歌ったのは、ニーナさん。 今は、札幌に。
【停泊場所】 みまき。 漢字で書くと、御牧。 上の記事と関係あり。
電話番号を間違って、隣の道の駅に、来てしまった。
【明日の予定】 茂田井宿。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、3位、 旅行全体、4位です。
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