京都の子供たちは決して、二年坂や三年坂を、走って下らない。
もし転んだら、大変。 寿命が、2年また3年、縮まるから。
ひどい時は、2年、3年経ったら、死んでしまうとも。
東山には、坂が多い。 落ち着いた生活をしないと、怪我をする。
八坂神社の南楼門から続く、下河原通(しもがわらどおり)を歩いてみた。
目的地は、八坂の塔。
庶民の生活の中に溶け込んでいた。
一年坂があるのを、初めて知った。
今年も残すところ、あと2日。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
東山にバスで行こうとしたら、長い行列。
地下鉄で、四条まで行くことに。
2㌔ほど歩けば、八坂神社に着く。
四条通と、河原町通りの交差点。
ここが、京都で一番の繁華街の、中心。
左に少し行ったら、龍馬が襲われた場所がある。
松葉杖で歩いているが、どうであろうが、歩けるのは楽しい。
気分は、どこまでも行けそう。 ※ 今まで、松葉杖の人に、一度も会ったことがない。
鴨川。 天気がいいので、座っている人も。
今年も、あと少し。
流れる水は、今年中に、海に出る。 それがどうしたって、聞かれたら困るが。
祇園の花見小路通り。 年末でも、いつものように観光客はいる。
真っ直ぐ行って、建仁寺。 今日行く八坂の塔は、同じ仲間。
左に、一力亭。 大石内蔵助は、ここだ遊んでいたとも。 カモフラージュですね。 何も考えていないと言う。
京の街には、着物を来慣れている人が、歩いている。
八坂神社。 西楼門。 東山への入り口の感じがする。
この神社の祭りが、祇園祭。 拝観無料だから、気楽に通り抜ける。
地図があった。
赤〇を歩く。 オレンジの〇を、戻る。 地下鉄の東山駅から、二条駅に戻って、JRに。
みんな今年最後のお参りか。 初詣の準備をしている。
いつもは、東側(山側)に向かって、円山公園に行く。
そこから、右に行ったり、左に行ったり。
その道は、東山の、メインストリート。
今日は、南楼門から出る。 この門が、本当は正面の門。
出て真っ直ぐの道が、下河原通。 このように、お店がある。
入って眺めたら、お茶とお菓子をごちそうになった。
小路がこのように。 ただの裏道ではない。
ここは、石塀小路。 行ったら、高台寺の下に出る。 この小路も伝建地区に入っているので、見応え十分。
これも、石塀小路。 上の小路と合流する。
道は細くなった。 もう少し行ったら、突き当り。
下から上がってくる、八坂道に出た。 左に曲がって、八坂の塔。 正面に、金剛寺。
八坂の塔。 道沿いにある。 道をずっと行くと、三年坂。 手前で左に曲がって、二年坂。
この道が、八坂道。 人気の道。
正式名は、金剛寺。 京都の人は、八坂庚申(こうしん)堂って言う。
くくり猿が、ぶら下がっている。
飛騨の高山では、さるぼぼ、って呼んでいた。 意味は、サルの赤ちゃん。
サルは、災いが去るで、縁起がいいとされている。
東山には、このように、小さなお堂がいっぱい。 楽しめる。
松葉杖で松葉亭に行ったら、どうなるんだろう。
さあ、八坂の塔です。
重要文化財だけど、塔の内部を公開している。
いつでもは、公開していない。 行ってみないと、分からないようだ。
見たいもんです。 中はこのよう。
塔以外は、小さな建物しかない。
正式名は、法観寺(ほうかんじ)。 五重塔そのものが、お寺。 こんなのって、他に知らない。
592年に、最初に建てられた。(寺伝)
法隆寺の五重塔は、706年なので、一番古いと。
赤〇を歩いている。 オレンジの〇は、一年坂。 初めて知った。
別の方角から。 外人さんの和服。
寺の説明。 何度も焼けている。
小さなお堂が見える。 薬師堂か何か。
八坂道の上から。
絵を描いている人がいた。 自転車で旅をしている人。
交差点に出た。 左に二年坂。 直ぐに下る。
真っ直ぐ行くと、三年坂。 八坂道と三年坂の境目が、はっきりしない。
※ 京都の観光案内所に聞いたが、分からない。
感じとしては、交差点から向こうは、三年坂と言ってよさそう。
狭い意味での三年坂は、ずっと行った、石段の坂。
伝建地区に指定されている三年坂は、ずっと左の、高台寺の下まで。 二年坂もみんな含む。
曲がるとこのように。 二年坂。
竹久夢二の店。 この家に、夢二が住んでいた時がある。
説明があった。 読みにくい。 下に書きますね。
明治、大正、昭和の3代にわたり、波乱の人生を送った不世出の詩人、画家、竹久夢二は大正3年秋頃
笠井彦乃と出会い、運命的な恋に落ちた。
彦乃は東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父は、後継者であった娘の恋に反対であった。
大正4年に結ばれた二人は互いに「山」「川」と呼びあいつつ、人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついには大正5年
京都に逃れた。
夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短くも至福の日々をこの地で送ったのである。
夢二は彦乃が訪れるまでの数ヶ月間をこの家で過ごしている。
彦乃と一緒だった時が、夢二は一番幸せだったよう。
一番幸せだった時は、人それぞれ、長さが違う。
今が一番幸せ、という人は、幸せ。
1年坂。 真っ直ぐ行って、右に曲がる。 全部で、20㍍程。
有名になるでしょうか。 新しい店が出来ている。
東大路通を歩いて、北へ。
知恩院の最初の門。 奥に、大きな山門が見える。
地下鉄の東山駅から、二条駅に行った。
そこから、JRで、亀岡に戻った。
今日歩いた距離は、5㌔ほどでしょうか。
豆が出来ました。 右手の掌(てのひら)に。
歩き方や、他の工夫をしたら、もっと歩けそう。
少し時間はかかるけど、新しい年に入ったら、今まで通り見学できそうです。
今日は、それが分かりました。
登山だけ、走るのを、のぞいて。
【今日の歌】 暦(こよみ)はもう少しで 今年も终りですね。
雪国に中に、上の歌詞があるので。
【停泊場所】 道の駅 ガレリアかめおか
【明日の予定】 出かけません。 年越しの準備。 大したことはないけど。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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もし転んだら、大変。 寿命が、2年また3年、縮まるから。
ひどい時は、2年、3年経ったら、死んでしまうとも。
東山には、坂が多い。 落ち着いた生活をしないと、怪我をする。
八坂神社の南楼門から続く、下河原通(しもがわらどおり)を歩いてみた。
目的地は、八坂の塔。
庶民の生活の中に溶け込んでいた。
一年坂があるのを、初めて知った。
今年も残すところ、あと2日。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
東山にバスで行こうとしたら、長い行列。
地下鉄で、四条まで行くことに。
2㌔ほど歩けば、八坂神社に着く。
四条通と、河原町通りの交差点。
ここが、京都で一番の繁華街の、中心。
左に少し行ったら、龍馬が襲われた場所がある。

松葉杖で歩いているが、どうであろうが、歩けるのは楽しい。
気分は、どこまでも行けそう。 ※ 今まで、松葉杖の人に、一度も会ったことがない。
鴨川。 天気がいいので、座っている人も。
今年も、あと少し。
流れる水は、今年中に、海に出る。 それがどうしたって、聞かれたら困るが。

祇園の花見小路通り。 年末でも、いつものように観光客はいる。
真っ直ぐ行って、建仁寺。 今日行く八坂の塔は、同じ仲間。
左に、一力亭。 大石内蔵助は、ここだ遊んでいたとも。 カモフラージュですね。 何も考えていないと言う。
京の街には、着物を来慣れている人が、歩いている。

八坂神社。 西楼門。 東山への入り口の感じがする。
この神社の祭りが、祇園祭。 拝観無料だから、気楽に通り抜ける。

地図があった。
赤〇を歩く。 オレンジの〇を、戻る。 地下鉄の東山駅から、二条駅に戻って、JRに。

みんな今年最後のお参りか。 初詣の準備をしている。

いつもは、東側(山側)に向かって、円山公園に行く。
そこから、右に行ったり、左に行ったり。
その道は、東山の、メインストリート。
今日は、南楼門から出る。 この門が、本当は正面の門。

出て真っ直ぐの道が、下河原通。 このように、お店がある。

入って眺めたら、お茶とお菓子をごちそうになった。

小路がこのように。 ただの裏道ではない。

ここは、石塀小路。 行ったら、高台寺の下に出る。 この小路も伝建地区に入っているので、見応え十分。

これも、石塀小路。 上の小路と合流する。

道は細くなった。 もう少し行ったら、突き当り。

下から上がってくる、八坂道に出た。 左に曲がって、八坂の塔。 正面に、金剛寺。

八坂の塔。 道沿いにある。 道をずっと行くと、三年坂。 手前で左に曲がって、二年坂。
この道が、八坂道。 人気の道。

正式名は、金剛寺。 京都の人は、八坂庚申(こうしん)堂って言う。
くくり猿が、ぶら下がっている。
飛騨の高山では、さるぼぼ、って呼んでいた。 意味は、サルの赤ちゃん。
サルは、災いが去るで、縁起がいいとされている。

東山には、このように、小さなお堂がいっぱい。 楽しめる。
松葉杖で松葉亭に行ったら、どうなるんだろう。

さあ、八坂の塔です。

重要文化財だけど、塔の内部を公開している。
いつでもは、公開していない。 行ってみないと、分からないようだ。
見たいもんです。 中はこのよう。
塔以外は、小さな建物しかない。
正式名は、法観寺(ほうかんじ)。 五重塔そのものが、お寺。 こんなのって、他に知らない。

592年に、最初に建てられた。(寺伝)
法隆寺の五重塔は、706年なので、一番古いと。

赤〇を歩いている。 オレンジの〇は、一年坂。 初めて知った。

別の方角から。 外人さんの和服。

寺の説明。 何度も焼けている。

小さなお堂が見える。 薬師堂か何か。

八坂道の上から。

絵を描いている人がいた。 自転車で旅をしている人。

交差点に出た。 左に二年坂。 直ぐに下る。
真っ直ぐ行くと、三年坂。 八坂道と三年坂の境目が、はっきりしない。
※ 京都の観光案内所に聞いたが、分からない。
感じとしては、交差点から向こうは、三年坂と言ってよさそう。
狭い意味での三年坂は、ずっと行った、石段の坂。
伝建地区に指定されている三年坂は、ずっと左の、高台寺の下まで。 二年坂もみんな含む。

曲がるとこのように。 二年坂。
竹久夢二の店。 この家に、夢二が住んでいた時がある。

説明があった。 読みにくい。 下に書きますね。

明治、大正、昭和の3代にわたり、波乱の人生を送った不世出の詩人、画家、竹久夢二は大正3年秋頃
笠井彦乃と出会い、運命的な恋に落ちた。
彦乃は東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父は、後継者であった娘の恋に反対であった。
大正4年に結ばれた二人は互いに「山」「川」と呼びあいつつ、人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついには大正5年
京都に逃れた。
夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短くも至福の日々をこの地で送ったのである。
夢二は彦乃が訪れるまでの数ヶ月間をこの家で過ごしている。
彦乃と一緒だった時が、夢二は一番幸せだったよう。
一番幸せだった時は、人それぞれ、長さが違う。
今が一番幸せ、という人は、幸せ。
1年坂。 真っ直ぐ行って、右に曲がる。 全部で、20㍍程。
有名になるでしょうか。 新しい店が出来ている。

東大路通を歩いて、北へ。
知恩院の最初の門。 奥に、大きな山門が見える。

地下鉄の東山駅から、二条駅に行った。
そこから、JRで、亀岡に戻った。
今日歩いた距離は、5㌔ほどでしょうか。
豆が出来ました。 右手の掌(てのひら)に。
歩き方や、他の工夫をしたら、もっと歩けそう。
少し時間はかかるけど、新しい年に入ったら、今まで通り見学できそうです。
今日は、それが分かりました。
登山だけ、走るのを、のぞいて。
【今日の歌】 暦(こよみ)はもう少しで 今年も终りですね。
雪国に中に、上の歌詞があるので。
【停泊場所】 道の駅 ガレリアかめおか
【明日の予定】 出かけません。 年越しの準備。 大したことはないけど。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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