坂本龍馬の夢がかなった場所、それが、二条城なんですね。
1867年11月の、大政奉還。
ところが、大政奉還の後、命を狙われてしまう。
殺されたのは、1ヶ月後。
大政奉還のために、もし活躍していなかったら、きっと死ぬことはなかった。
正月の3日間だけ、二条城の庭が公開される。(2~4日)
せっかくだからと、行ってみた。
本丸庭園に、天守の跡が。
二条城は、確かに、城だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
駅からは遠いので、地下鉄かバス。
※ バスはいつも混む。 地下鉄は、混んでも乗ったら直ぐに着く。
上の地図で、京都御所に近いですね。
監視のために、幕府はここに建てたのかな、と思うけど、違うよう。
監視は、京都所司代というのがあって、少し北にあった。
地下鉄の駅から出たら、この風景。 目の前に。 向こうが北。
東大手門。 ここから入る。 400円。 人が多い。
中は、広い。 将軍が泊まる本丸御殿は、もう一度、お堀のなかに。
石垣やお堀を見たら、城かなって。
唐門。 ここを入って、二の丸御殿。
欄間彫刻というのか、絢爛豪華。 日光の匂いがする。
二の丸御殿。 ここの大広間で、大政奉還。 江戸幕府の時代が終わった。
1867年11月9日のこと。
龍馬は事の成り行きを見守っていたから、京都から出ていない。
二の丸御殿の続き。 この建物は、国宝。
二条城は、世界遺産。 二の丸御殿がなかったら、世界遺産には、なれていない。
※ 西本願寺には国宝の建物があって、世界遺産。 東本願寺には無いので、登録にならなかった。
左側が、大広間。
※ 中はこう。 大政奉還の時の様子。
将軍慶喜は、大政奉還について、大名から意見を聞いた。
龍馬の出た土佐藩だけが、大政奉還を勧めた。
素晴らしい決断は、後の世に残ると言って。
慶喜の意志は、固まった。
二の丸庭園の説明。 小堀遠州が関わっている。
新しい時代を夢見て、長州藩など、多くの人間が動いた。
でも、新しい時代になっての自分の居場所があるかなど、みんな、国より自分を大事にした。
幕府の各藩の武士に気を遣う者もいた。
龍馬はこう言った。
上(将軍)が無くなったら、下もなくなる。 武士をやめて、働けばいいと。
ごっつい感じのする庭。 天龍寺とかの庭とは、違う。
岩が多い。 寺の庭と違う、武士の庭か。
寒さに弱いソテツを、このように。 夏のソテツは、どこにでもある。
これを見る方がいい。
新選組から見たら、龍馬のおかげで、幕府はつぶれた。
また、薩長には、力づくで幕府を倒した方がいい、との考えもあった。
つまり、龍馬さえいなかったら、また、龍馬に主導権は握られたくない、と考える者達がいた。
大政奉還の後、この風潮が強まる。
内堀を渡って、本丸御殿に。
龍馬が、中岡慎太郎と共に、暗殺されたのは、1ヶ月後の、12月10日。
犯人は、新選組なのか薩摩藩なのか、今もはっきりしない。
でも、龍馬は、大政奉還を見届けたから、満足したかも知れない。
脱藩して、5年半経っていた。
龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
坂本龍馬脱藩の道を歩く 屋根のある御幸の橋 ~大洲市 川辺町~ 他 (2011/2/4)
中岡慎太郎の故郷、北川村を訪ねる。~生家 慎太郎館 遺髪墓地 他~ 他 (2011/1/6)
内堀。
二条城は、遠くから見ると、城なのか寺なのか、よく分からなかった。
中に入って、この石垣を見たら、城に間違いないと思う。
家康が建て始めて、家光で完成。
反対方向から。
本丸御殿。 元々の本丸御殿ではない。 火事で焼けた。
御所にあったある建物を、明治に入って移築している。
天守の石垣が見えた。 登れるようだ。
御常御殿
北側の内堀。
ここを登って来た。
天守跡の上。
この女の子は、外人さん。 歩くのが楽しいって、このように。
子供には城の魅力は、分からない。
楽しみは、自分で見つけなければならない。
虫でも石でも。 汚いから触るんでないって、邪魔する親がいる。
二条城は、実際は、そんなに使われなかった。
西側。
一応、本丸御殿。
内堀の外へ出て来た。
あの橋を渡って、外に出た。 右の建物は米蔵。(そう説明している人がいた)
東側にある庭。 清流園。 少し軽く。
北大手門。
ここを行って、東大手門。 元の所に。 左に、お土産屋さんも。
出て来ました。 正面に地下鉄の駅。
道は、堀川通。 1本左は、油小路。 昨日紹介した、油小路事件の場所。
右前方遠くに、京都駅。
正月は、普通京都にはいない。 寒いですから。
今回チャンスと思って、見てみました。
さすが幕府が建てた城。
全てに、規模の大きさを感じました。
【関連ブログ】
二条城ライトアップ。 桜の園、清流園、二の丸御殿、他。~京都市~ 他 (2013/3/31)
【今日の歌】 James Last - Gypsy Melodies
※ ジェームス・ラスト(1929年4月17日 - )は、ドイツ生まれの作曲家。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 間に合えば、八坂神社のかるた初め式。(13:00~)
その後、清水寺。 最近夜しか行っていない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、7位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
1867年11月の、大政奉還。
ところが、大政奉還の後、命を狙われてしまう。
殺されたのは、1ヶ月後。
大政奉還のために、もし活躍していなかったら、きっと死ぬことはなかった。
正月の3日間だけ、二条城の庭が公開される。(2~4日)
せっかくだからと、行ってみた。
本丸庭園に、天守の跡が。
二条城は、確かに、城だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
駅からは遠いので、地下鉄かバス。
※ バスはいつも混む。 地下鉄は、混んでも乗ったら直ぐに着く。
上の地図で、京都御所に近いですね。
監視のために、幕府はここに建てたのかな、と思うけど、違うよう。
監視は、京都所司代というのがあって、少し北にあった。
地下鉄の駅から出たら、この風景。 目の前に。 向こうが北。

東大手門。 ここから入る。 400円。 人が多い。

中は、広い。 将軍が泊まる本丸御殿は、もう一度、お堀のなかに。

石垣やお堀を見たら、城かなって。

唐門。 ここを入って、二の丸御殿。

欄間彫刻というのか、絢爛豪華。 日光の匂いがする。

二の丸御殿。 ここの大広間で、大政奉還。 江戸幕府の時代が終わった。
1867年11月9日のこと。
龍馬は事の成り行きを見守っていたから、京都から出ていない。

二の丸御殿の続き。 この建物は、国宝。
二条城は、世界遺産。 二の丸御殿がなかったら、世界遺産には、なれていない。
※ 西本願寺には国宝の建物があって、世界遺産。 東本願寺には無いので、登録にならなかった。
左側が、大広間。

※ 中はこう。 大政奉還の時の様子。
将軍慶喜は、大政奉還について、大名から意見を聞いた。
龍馬の出た土佐藩だけが、大政奉還を勧めた。
素晴らしい決断は、後の世に残ると言って。
慶喜の意志は、固まった。
二の丸庭園の説明。 小堀遠州が関わっている。

新しい時代を夢見て、長州藩など、多くの人間が動いた。
でも、新しい時代になっての自分の居場所があるかなど、みんな、国より自分を大事にした。
幕府の各藩の武士に気を遣う者もいた。
龍馬はこう言った。
上(将軍)が無くなったら、下もなくなる。 武士をやめて、働けばいいと。
ごっつい感じのする庭。 天龍寺とかの庭とは、違う。

岩が多い。 寺の庭と違う、武士の庭か。

寒さに弱いソテツを、このように。 夏のソテツは、どこにでもある。
これを見る方がいい。

新選組から見たら、龍馬のおかげで、幕府はつぶれた。
また、薩長には、力づくで幕府を倒した方がいい、との考えもあった。
つまり、龍馬さえいなかったら、また、龍馬に主導権は握られたくない、と考える者達がいた。
大政奉還の後、この風潮が強まる。
内堀を渡って、本丸御殿に。

龍馬が、中岡慎太郎と共に、暗殺されたのは、1ヶ月後の、12月10日。
犯人は、新選組なのか薩摩藩なのか、今もはっきりしない。
でも、龍馬は、大政奉還を見届けたから、満足したかも知れない。
脱藩して、5年半経っていた。
龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
坂本龍馬脱藩の道を歩く 屋根のある御幸の橋 ~大洲市 川辺町~ 他 (2011/2/4)
中岡慎太郎の故郷、北川村を訪ねる。~生家 慎太郎館 遺髪墓地 他~ 他 (2011/1/6)
内堀。

二条城は、遠くから見ると、城なのか寺なのか、よく分からなかった。
中に入って、この石垣を見たら、城に間違いないと思う。

家康が建て始めて、家光で完成。
反対方向から。

本丸御殿。 元々の本丸御殿ではない。 火事で焼けた。
御所にあったある建物を、明治に入って移築している。

天守の石垣が見えた。 登れるようだ。

御常御殿

北側の内堀。

ここを登って来た。

天守跡の上。
この女の子は、外人さん。 歩くのが楽しいって、このように。
子供には城の魅力は、分からない。
楽しみは、自分で見つけなければならない。
虫でも石でも。 汚いから触るんでないって、邪魔する親がいる。

二条城は、実際は、そんなに使われなかった。
西側。

一応、本丸御殿。

内堀の外へ出て来た。

あの橋を渡って、外に出た。 右の建物は米蔵。(そう説明している人がいた)

東側にある庭。 清流園。 少し軽く。

北大手門。

ここを行って、東大手門。 元の所に。 左に、お土産屋さんも。

出て来ました。 正面に地下鉄の駅。
道は、堀川通。 1本左は、油小路。 昨日紹介した、油小路事件の場所。
右前方遠くに、京都駅。

正月は、普通京都にはいない。 寒いですから。
今回チャンスと思って、見てみました。
さすが幕府が建てた城。
全てに、規模の大きさを感じました。
【関連ブログ】
二条城ライトアップ。 桜の園、清流園、二の丸御殿、他。~京都市~ 他 (2013/3/31)
【今日の歌】 James Last - Gypsy Melodies
※ ジェームス・ラスト(1929年4月17日 - )は、ドイツ生まれの作曲家。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 間に合えば、八坂神社のかるた初め式。(13:00~)
その後、清水寺。 最近夜しか行っていない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、7位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1275-b429f27e