道の駅から、宇和島城は、小さな山の上に見えた。
案内所で、地図をいただいた。
歩いて行くつもりだった。
ところが、道先案内人というボランティアガイドの方がいて、全て案内してくれた。
それも、城の下まで、車で・・・。
いつの間にか、四国の西の端に来ましたね。
宇和島は、ここです。
乗用車に載せていただいて、関係者しか行けない所まで、登った。
今日は寒いからか、いそがしくないと言うことで、案内人の方は2人。
この石垣を登って、もう一つ登ったら、天守閣。
写真の石垣の、左下が少し膨らんでいるのが分かるでしょうか。
傷んできていて、崩れるかもしれない、とのこと。
石垣は、簡単には傷まないと思っていた。
(写真は、クリックで大きくなります)
見えました。 かわいい城です。
撮影スポットは、この変の様です、と教えてくれた。 今日は、楽。
あと、数歩下がって撮ったら、城がもうちょっと上がりましたね。
緑が少ないから、空の青もだいじ。
市街地の真ん中に山があって、城がある。
天守と、下にある「上り立ち門」以外は、取り壊したり、焼けたりしてない。
これはこれでいいけど、桜が咲くと変わりますね。 新緑のやわらかな緑もいい。
ここは、天守のある本丸。
石垣の上の部分は、石垣より少し、小さい。 ※ 内側に入っている。
それが特徴と、教えていただいた。 他の城は、そうなっていない。 例えば、弘前城。
他に、壁に横線があったり、戦いに関係ないものもある。
つまり、この城は、江戸時代に入って、もう戦いはないとの見通しのもとで建てられた。
太い木の切株があった。 この山も石の山。 木の根は横にのびる。 石垣にとっても良くない。
だから、切った。 切ったとしても、それは、元に戻したことですね。
城の入り口。 玄関のよう。 これも、ここだけと言う。
そう言えば、入り口は、ふつう目立たない。 弘前城の入り口はこう。 これが、普通かな。
その玄関の上に、模様。
竹二雀紋。(パンフレットにこう表示。 二は「に」のこと) 宇和島伊達家の家紋の一つ。
よく見たら、左右の竹もスズメも、同じ(対称)でない。
一目、古いと感じる。
この城の創建は藤堂高虎だが、宇和島2代藩主の宗利が、今の形に再建した。
それが、今に残っている。
障子がある。 これも、宇和島城の特徴。
10分の1の模型。 模型を作って城を作ったのではなく、後で作った物。
精巧なもので、これがあれば全く同じように再建できるそう。(ガイドさんの説明) ※ 城と一緒に焼けたらダメ。
最上階。 周りに廊下はない。
天守の解体修理は、昭和35年から行われた。
これは、使えなくなった部分。 柱のある部分は、このようになってしまった。
※ 今の城は、古い柱と新しい柱が、混ざっている。 他の部分も。
時には、1本の柱の半分が古い場合もある。
解体修理前の写真。 これだったら、いつか崩壊するかもしれない。
黒門矢倉という建物。 明治32年頃取り壊した。 撮影は、明治25年頃。
※ 古い物の価値を、誰もが分かっていた時代ではなかったよう。
宇和島湾が見える。 手前は、宇和島港。 左側後ろの山は、島。 九島。
北東方面。 闘牛場が見えると言う。 小さな山の上かな。 円い屋根。
南東。 こちらは山。 昨日今日と、四国にしては寒い。 小さな山でも、上は雪。 白い。
NHKの取材班が、城を撮影したり、観光客にインタビューしていた。 ※ NHKから委託されている業者。
私もこの後、インタビューを受けた。 ※ 事前に話があり、了解しておいた。
城の魅力は何ですか、いつの季節の城が好きですか、など、5分くらい。
答えたのは、建物が美しい、時代を感じる、新緑の頃が好き、など思いついたことを。
※ 私は、何でも見て歩いている。 特別に城が好きなわけでないから、少し困った。
いい部分があれば使われる。 簡単には、使われない。 そう思います。
番組名は、「新日本風土記 春のSP “城”」 4月上旬に放映。 90分番組で、全国版。
天守の他に唯一焼け残った、上(のぼ)り立ち門。
隣の像は、児島惟謙(これかた)と言う人。 この町の出身。
明治24年に、ロシア皇帝の皇太子が襲われた、暗殺未遂事件があった。(大津事件)
この人が、この事件を裁いた。
※ Wikipediaの説明はこう。(概略)
時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は、法治国家として法は遵守されなければならない
とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。
事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して
無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。
国は、ロシアの反発を恐れて、死刑にしてほしかったが、その圧力に屈しなかった。
それが立派だと言うことで、像がある。
最後は、宇和島市立伊達博物館に案内してくれた。
昔はこの土地に、伊達家の屋敷があったと言う。
宇和島城は、大きくはないけど、品と風格のある城だった。
道先案内人の方には、お世話になってしまった。
私が知りたいだろうと思うことを、丁寧に説明していただいた。
感謝します。
※ 現存天守のある城は12。 見たことないのは、丸岡城、犬山城、備中松山城の3つ。 今年見られるでしょうか。
今まで行った、いくつかを紹介してお終い。 松山城 姫路城 丸亀城 松本城
【道の駅】 みなとオアシスうわじま「きさいや広場}
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑(ゆずみずがうらのだんばた)へ。
夜中から、雪が降り始めた。 困りました。
【動画】
道の駅 みなとオアシスうわじまへ
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【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は33位です。
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案内所で、地図をいただいた。
歩いて行くつもりだった。
ところが、道先案内人というボランティアガイドの方がいて、全て案内してくれた。
それも、城の下まで、車で・・・。
いつの間にか、四国の西の端に来ましたね。
宇和島は、ここです。
乗用車に載せていただいて、関係者しか行けない所まで、登った。
今日は寒いからか、いそがしくないと言うことで、案内人の方は2人。
この石垣を登って、もう一つ登ったら、天守閣。
写真の石垣の、左下が少し膨らんでいるのが分かるでしょうか。
傷んできていて、崩れるかもしれない、とのこと。
石垣は、簡単には傷まないと思っていた。
(写真は、クリックで大きくなります)

見えました。 かわいい城です。
撮影スポットは、この変の様です、と教えてくれた。 今日は、楽。
あと、数歩下がって撮ったら、城がもうちょっと上がりましたね。
緑が少ないから、空の青もだいじ。

市街地の真ん中に山があって、城がある。
天守と、下にある「上り立ち門」以外は、取り壊したり、焼けたりしてない。

これはこれでいいけど、桜が咲くと変わりますね。 新緑のやわらかな緑もいい。

ここは、天守のある本丸。
石垣の上の部分は、石垣より少し、小さい。 ※ 内側に入っている。
それが特徴と、教えていただいた。 他の城は、そうなっていない。 例えば、弘前城。
他に、壁に横線があったり、戦いに関係ないものもある。
つまり、この城は、江戸時代に入って、もう戦いはないとの見通しのもとで建てられた。

太い木の切株があった。 この山も石の山。 木の根は横にのびる。 石垣にとっても良くない。
だから、切った。 切ったとしても、それは、元に戻したことですね。

城の入り口。 玄関のよう。 これも、ここだけと言う。
そう言えば、入り口は、ふつう目立たない。 弘前城の入り口はこう。 これが、普通かな。

その玄関の上に、模様。

竹二雀紋。(パンフレットにこう表示。 二は「に」のこと) 宇和島伊達家の家紋の一つ。
よく見たら、左右の竹もスズメも、同じ(対称)でない。

一目、古いと感じる。
この城の創建は藤堂高虎だが、宇和島2代藩主の宗利が、今の形に再建した。
それが、今に残っている。
障子がある。 これも、宇和島城の特徴。

10分の1の模型。 模型を作って城を作ったのではなく、後で作った物。
精巧なもので、これがあれば全く同じように再建できるそう。(ガイドさんの説明) ※ 城と一緒に焼けたらダメ。

最上階。 周りに廊下はない。

天守の解体修理は、昭和35年から行われた。
これは、使えなくなった部分。 柱のある部分は、このようになってしまった。
※ 今の城は、古い柱と新しい柱が、混ざっている。 他の部分も。
時には、1本の柱の半分が古い場合もある。

解体修理前の写真。 これだったら、いつか崩壊するかもしれない。

黒門矢倉という建物。 明治32年頃取り壊した。 撮影は、明治25年頃。
※ 古い物の価値を、誰もが分かっていた時代ではなかったよう。

宇和島湾が見える。 手前は、宇和島港。 左側後ろの山は、島。 九島。

北東方面。 闘牛場が見えると言う。 小さな山の上かな。 円い屋根。

南東。 こちらは山。 昨日今日と、四国にしては寒い。 小さな山でも、上は雪。 白い。

NHKの取材班が、城を撮影したり、観光客にインタビューしていた。 ※ NHKから委託されている業者。
私もこの後、インタビューを受けた。 ※ 事前に話があり、了解しておいた。
城の魅力は何ですか、いつの季節の城が好きですか、など、5分くらい。
答えたのは、建物が美しい、時代を感じる、新緑の頃が好き、など思いついたことを。
※ 私は、何でも見て歩いている。 特別に城が好きなわけでないから、少し困った。
いい部分があれば使われる。 簡単には、使われない。 そう思います。
番組名は、「新日本風土記 春のSP “城”」 4月上旬に放映。 90分番組で、全国版。

天守の他に唯一焼け残った、上(のぼ)り立ち門。
隣の像は、児島惟謙(これかた)と言う人。 この町の出身。
明治24年に、ロシア皇帝の皇太子が襲われた、暗殺未遂事件があった。(大津事件)
この人が、この事件を裁いた。
※ Wikipediaの説明はこう。(概略)
時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は、法治国家として法は遵守されなければならない
とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。
事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して
無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。
国は、ロシアの反発を恐れて、死刑にしてほしかったが、その圧力に屈しなかった。
それが立派だと言うことで、像がある。

最後は、宇和島市立伊達博物館に案内してくれた。
昔はこの土地に、伊達家の屋敷があったと言う。

宇和島城は、大きくはないけど、品と風格のある城だった。
道先案内人の方には、お世話になってしまった。
私が知りたいだろうと思うことを、丁寧に説明していただいた。
感謝します。
※ 現存天守のある城は12。 見たことないのは、丸岡城、犬山城、備中松山城の3つ。 今年見られるでしょうか。
今まで行った、いくつかを紹介してお終い。 松山城 姫路城 丸亀城 松本城
【道の駅】 みなとオアシスうわじま「きさいや広場}
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑(ゆずみずがうらのだんばた)へ。
夜中から、雪が降り始めた。 困りました。
【動画】
道の駅 みなとオアシスうわじまへ
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は33位です。
記事は役立ったでしょうか。
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コメント
宇和島城
Re: 宇和島城
復元でも、木造で復元ならいいですね。
いつの時代かには、価値が出てくる。
コンクリートで作ったら、価値は出ない。
また、100年もしないうちに、ダメになる。
大洲城に行ってみますね。
いつの時代かには、価値が出てくる。
コンクリートで作ったら、価値は出ない。
また、100年もしないうちに、ダメになる。
大洲城に行ってみますね。
宇和島城
どのお城にも歴史があり、なにか時空を超えた感動があります。お城回りは好きです。弘前城は、10年
ほど前に行ったことがあります。宇和島城はまだ行っていません。四国で行ったのは、松山城だけです。ここも風格のある、大きなお城でした。
ほど前に行ったことがあります。宇和島城はまだ行っていません。四国で行ったのは、松山城だけです。ここも風格のある、大きなお城でした。
Re: 宇和島城
城の魅力は、そこでしょうね。
歴史を感じる時、何か昔の物がある方がいい。
お寺より、ドラマがある感じもします。
宇和島城は、最も南で、最も西。 現存天守ではですね。
松山城の魅力は、大きいと思います。
歴史を感じる時、何か昔の物がある方がいい。
お寺より、ドラマがある感じもします。
宇和島城は、最も南で、最も西。 現存天守ではですね。
松山城の魅力は、大きいと思います。
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この近くにある大洲城が近年、木造で復元されているので行ってみて下さい。
今日は宇和島方面、雪かもしれませんね。