石橋は、手作りの感じがする。 それが魅力。
なぜ必要になったのか、誰が動いたのかなど、裏に人間模様が垣間見える。
九州には石橋が多い。
その中でも、熊本県から大分県にかけては、特に多い。
なぜ多いのか、そんなことも、考えてみたい。
今日見た、霊台(れいだい)橋は、美しく大きな石橋では、日本一。
間違いない。 美しく撮れたでしょうか。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
九州の南北の中間に、東西に九州を横断する道がある。 国道218。
左は熊本県、右は宮崎県。 宮崎県側の山の中の、218沿いに高千穂峡がある。
美里町は、218沿いにある、小さな町。 石橋がいっぱい。
車は、石段の郷佐俣の湯の駐車場に停めさせてもらって、歩き出した。
国道の隣に、もう1つ橋。
年祢(としね)橋。 ※ 年禰橋とも。
左に、釈迦院(しゃかいん)川と表示。
この釈迦院川の上流の山の上に、釈迦院というお寺がある。
その寺の参道の石段が、3333段。 明日行く予定。
昔は、この橋を車が通った。
まるい所は、いくつだろう。 大きなのが1つ。 小さなのが手前に1つ。 向こうに、2つ。
4連アーチ橋でいいのかな。 大きな橋です。
少し行くと、小さな川。 そこに、小筵(こむしろ)橋。 小さい。
小さいけど、美しい。
軽自動車なら、通っていいことになっている。
右の橋の欄干が、落ちそう。 この川には、この橋しかない時代があった。
役割を終えて、ひっそり。 それでも、現役です。
国道を渡って、釈迦院川の下流に。
石橋が見えてきた。 家の石垣も立派。
石橋が2つ見える。 2つを、二股橋と呼んでいる。 右の川が、釈迦院川。
ここは、恋人の聖地になっているので、右向こうにハート。 鐘がある。
右の橋を上流から。
小さな石橋は、結構、荒っぽく積んでいる。
下のまるい部分は、きっと緻密。
手前の下の石を、1個外したら、橋はどこまで壊れるのでしょう。
もしかしたら、全部かも。
上の橋の下から、最初に見た、年祢(としね)橋。
丸の部分は、円に見えますね。
橋の下から、別の橋を。 まるい所は、円ではないようにも。 円を広げた感じ。 だ円だろうか。
※ 調べてみたけど、時間がなく、調べきれません。 だ円もあるよう。
岩国の錦帯橋は、カテナリー曲線と分かっています。 ひもを手に持って、ゆるめた形。
河原から2つ一緒に。 左に新しい橋も。 右の奥に、2つあるから、全部で5つ。
それで、ここの橋を、二股五橋と言われる。
もう少ししたら、200年経ちます。 長持ちします。 コンクリートより、ずっと。
橋の下が流されない工夫が、見られます。 いろんな工夫が、美しさなんですね。
5橋が、全部見えています。
さあ、上流へ、7~8㌔走ります。 霊台橋です。
ここを上がると、展望台。 小さな石橋。
全体が撮れる場所がない。 木が育ってしまって。
木のそばの手すりに登って、やっとこの場所から。 手を伸ばして。
少し盛り上がっている。 上部にしようとしたのでしょうか。 美しい曲線の橋。
橋の下の方には、流されないための工夫ですね。
全国の石橋のほとんどは九州にあって、半分以上は、熊本県と大分県にある。
なぜでしょう。 福岡県や鹿児島県に比べたら、深い谷が多いでしょうか。
木の橋では、流されるから、石の橋に。
でも、本州の深い谷に、石橋はない。 困りました。 どうして、ここに、ですね。
糞がありました。 太さ1㎝。 長さ、5㎝くらい。 イタチですね。
体重2㌔程。 猫よりずっと小さい。 でも、きかない。 鶏だってウサギだって、やっつける。
フクロウや狐には、かなわないが。
霊台橋の橋のたもとに。 左に、新しい橋。
新しい橋から見たら、こう。
石碑の周りに、苦労が書いてあった。
水が増えたら、船でも渡れない。 事故は、必ずある。
荷物を持って、川岸まで下り、また登るのも大変。
1人では、作れない。 多くの人の力が、まとまらないとできない。
九州人の気質として、自分だけでなく、みんなのためにって考えが、あるのかも知れない。
お金のある人は出す。 働ける人は、橋の工事に参加する。
※ 本州の松本に近い山の中に、昔、雑炊橋があった。
農民が橋を望んでも、庄屋や金持ちは動かない。
仕方ないから、農民は雑炊を食べて我慢して、みんなでお金を貯めた。
そのお金で、橋を作った。 名前を雑炊橋に。
上流側。 新しい橋が出来るまで、バスもトラックも通っていた。 驚くほどの丈夫さ。
そのときは、上を平らにしていた。 今の姿は、元に戻している。 国の重要文化財。
下流側。 明治以前の、穴が1つの単アーチ橋では、日本一の大きさ。
後に、大分県で、日本一を目指して、これ以上大きい石橋を作る。
そこは、ただ大きいだけで、霊台橋のような美しさはない。
だから、厳密には、日本一の大きさではない。
でも、大きくて美しい橋では、日本一。
橋から上流の下を見た。 整備されている。 夏には、子供たちは、泳ぐでしょうね。
橋に近い集落は、向こうにある。 橋を作った人たちの、子孫か。
説明がありましたあ。 中ごろに、種山石工とあります。
この石工の集団は、ここより少し南西の、東陽町に住んでいました。 ※ 今は、八代市東陽町。
石橋はヨーロッパから長崎に伝わり、種山石工の人たちは、長崎で学んでいる。
これで解決しましたね。 どうして、熊本県一帯に石橋が多いかが。
谷が多いこと、協力できる力があったこと、高い技術を持った作れる人がいたこと、
これらがあって、作れたんですね。
東陽石匠館 ~種山石工発祥の地~ 明日から、天草探訪。 他 (2010/1/29)
河原から撮影。 小さい橋より、石の積み方が緻密。 隙間に、紙は入らない。
美里町近辺には、他にも、石橋はいっぱい。
いつの日か、また来ていいですね。
石橋の石は、みんなで押し合って、下に落ちない。
不思議で、面白い。
※ 今まで見た珍しい石橋を紹介したいけど、時間がないので、夕方時間があれば。
今日の橋は、アーチ式。 石橋で、そうでないのもある。 天草で見ています。
【今日の歌】 昨日のブログで、與田(与田)準一を紹介しました。
彼には息子がいて、本名は、与田準介。
父の血を引き、作詞家に。
作詞家としての名前は、橋本淳。
彼の詩の曲を、数日間紹介。
【停泊場所】 美里町のパーキング
【明日の予定】 石段を登ります。 3333段。 一応日本1。
石段の美しさとかでは、羽黒山とかには、まったくかなわないが。 足の訓練。
山の上に建物がある。 普通は、片道1時間半。 往復、4時間かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、3位です。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
なぜ必要になったのか、誰が動いたのかなど、裏に人間模様が垣間見える。
九州には石橋が多い。
その中でも、熊本県から大分県にかけては、特に多い。
なぜ多いのか、そんなことも、考えてみたい。
今日見た、霊台(れいだい)橋は、美しく大きな石橋では、日本一。
間違いない。 美しく撮れたでしょうか。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
九州の南北の中間に、東西に九州を横断する道がある。 国道218。
左は熊本県、右は宮崎県。 宮崎県側の山の中の、218沿いに高千穂峡がある。
美里町は、218沿いにある、小さな町。 石橋がいっぱい。
車は、石段の郷佐俣の湯の駐車場に停めさせてもらって、歩き出した。
国道の隣に、もう1つ橋。

年祢(としね)橋。 ※ 年禰橋とも。
左に、釈迦院(しゃかいん)川と表示。
この釈迦院川の上流の山の上に、釈迦院というお寺がある。
その寺の参道の石段が、3333段。 明日行く予定。

昔は、この橋を車が通った。
まるい所は、いくつだろう。 大きなのが1つ。 小さなのが手前に1つ。 向こうに、2つ。
4連アーチ橋でいいのかな。 大きな橋です。

少し行くと、小さな川。 そこに、小筵(こむしろ)橋。 小さい。

小さいけど、美しい。

軽自動車なら、通っていいことになっている。
右の橋の欄干が、落ちそう。 この川には、この橋しかない時代があった。
役割を終えて、ひっそり。 それでも、現役です。

国道を渡って、釈迦院川の下流に。
石橋が見えてきた。 家の石垣も立派。

石橋が2つ見える。 2つを、二股橋と呼んでいる。 右の川が、釈迦院川。
ここは、恋人の聖地になっているので、右向こうにハート。 鐘がある。

右の橋を上流から。

小さな石橋は、結構、荒っぽく積んでいる。
下のまるい部分は、きっと緻密。
手前の下の石を、1個外したら、橋はどこまで壊れるのでしょう。
もしかしたら、全部かも。

上の橋の下から、最初に見た、年祢(としね)橋。
丸の部分は、円に見えますね。

橋の下から、別の橋を。 まるい所は、円ではないようにも。 円を広げた感じ。 だ円だろうか。
※ 調べてみたけど、時間がなく、調べきれません。 だ円もあるよう。
岩国の錦帯橋は、カテナリー曲線と分かっています。 ひもを手に持って、ゆるめた形。

河原から2つ一緒に。 左に新しい橋も。 右の奥に、2つあるから、全部で5つ。
それで、ここの橋を、二股五橋と言われる。

もう少ししたら、200年経ちます。 長持ちします。 コンクリートより、ずっと。


橋の下が流されない工夫が、見られます。 いろんな工夫が、美しさなんですね。

5橋が、全部見えています。

さあ、上流へ、7~8㌔走ります。 霊台橋です。
ここを上がると、展望台。 小さな石橋。

全体が撮れる場所がない。 木が育ってしまって。
木のそばの手すりに登って、やっとこの場所から。 手を伸ばして。

少し盛り上がっている。 上部にしようとしたのでしょうか。 美しい曲線の橋。
橋の下の方には、流されないための工夫ですね。

全国の石橋のほとんどは九州にあって、半分以上は、熊本県と大分県にある。
なぜでしょう。 福岡県や鹿児島県に比べたら、深い谷が多いでしょうか。
木の橋では、流されるから、石の橋に。
でも、本州の深い谷に、石橋はない。 困りました。 どうして、ここに、ですね。
糞がありました。 太さ1㎝。 長さ、5㎝くらい。 イタチですね。
体重2㌔程。 猫よりずっと小さい。 でも、きかない。 鶏だってウサギだって、やっつける。
フクロウや狐には、かなわないが。

霊台橋の橋のたもとに。 左に、新しい橋。

新しい橋から見たら、こう。

石碑の周りに、苦労が書いてあった。
水が増えたら、船でも渡れない。 事故は、必ずある。
荷物を持って、川岸まで下り、また登るのも大変。

1人では、作れない。 多くの人の力が、まとまらないとできない。
九州人の気質として、自分だけでなく、みんなのためにって考えが、あるのかも知れない。
お金のある人は出す。 働ける人は、橋の工事に参加する。
※ 本州の松本に近い山の中に、昔、雑炊橋があった。
農民が橋を望んでも、庄屋や金持ちは動かない。
仕方ないから、農民は雑炊を食べて我慢して、みんなでお金を貯めた。
そのお金で、橋を作った。 名前を雑炊橋に。
上流側。 新しい橋が出来るまで、バスもトラックも通っていた。 驚くほどの丈夫さ。
そのときは、上を平らにしていた。 今の姿は、元に戻している。 国の重要文化財。

下流側。 明治以前の、穴が1つの単アーチ橋では、日本一の大きさ。
後に、大分県で、日本一を目指して、これ以上大きい石橋を作る。
そこは、ただ大きいだけで、霊台橋のような美しさはない。
だから、厳密には、日本一の大きさではない。
でも、大きくて美しい橋では、日本一。

橋から上流の下を見た。 整備されている。 夏には、子供たちは、泳ぐでしょうね。

橋に近い集落は、向こうにある。 橋を作った人たちの、子孫か。

説明がありましたあ。 中ごろに、種山石工とあります。
この石工の集団は、ここより少し南西の、東陽町に住んでいました。 ※ 今は、八代市東陽町。
石橋はヨーロッパから長崎に伝わり、種山石工の人たちは、長崎で学んでいる。
これで解決しましたね。 どうして、熊本県一帯に石橋が多いかが。
谷が多いこと、協力できる力があったこと、高い技術を持った作れる人がいたこと、
これらがあって、作れたんですね。
東陽石匠館 ~種山石工発祥の地~ 明日から、天草探訪。 他 (2010/1/29)

河原から撮影。 小さい橋より、石の積み方が緻密。 隙間に、紙は入らない。

美里町近辺には、他にも、石橋はいっぱい。
いつの日か、また来ていいですね。
石橋の石は、みんなで押し合って、下に落ちない。
不思議で、面白い。
※ 今まで見た珍しい石橋を紹介したいけど、時間がないので、夕方時間があれば。
今日の橋は、アーチ式。 石橋で、そうでないのもある。 天草で見ています。
【今日の歌】 昨日のブログで、與田(与田)準一を紹介しました。
彼には息子がいて、本名は、与田準介。
父の血を引き、作詞家に。
作詞家としての名前は、橋本淳。
彼の詩の曲を、数日間紹介。
【停泊場所】 美里町のパーキング
【明日の予定】 石段を登ります。 3333段。 一応日本1。
石段の美しさとかでは、羽黒山とかには、まったくかなわないが。 足の訓練。
山の上に建物がある。 普通は、片道1時間半。 往復、4時間かな。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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