倒幕に燃えた、薩摩藩。
なぜ、あそこまでに。 幕府に恨みでもあったのでしょうか。
川内川の下流に作った、長崎堤防。
高い土木技術がなければ、作れません。
幕府への恨みの遠因は、長崎堤防から生まれます。
近くに、石橋がありました。
種山石工の中心的人物が作ったものでした。
岩永三五郎。
先日見た霊台橋も、矢部にある通潤橋も、彼の作った橋が手本になりました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
橋は、黑之瀬戸大橋。 色の塗り替えが、あと少し。
こっちが長島。 向こうが、九州本土。
道の駅 阿久根から、北方面を。 阿久根市の市街地が、遠くに。
山に入ると、小さな温泉が、たくさんある。 高城(たき)温泉とか。 どこも安い。
長崎堤防を、社長さんに教えていただいた。
川内(せんだい)川の、左側にある。
川沿いの道を走った。 道はよく、駐車場も広い。
遠くに、川内河口大橋。 橋の向こう、1㌔ちょっとで、海。
堤防の碑があった。
これが長崎堤防。 ギザギザに、なっている。 石垣なので、古いと分かる。
1600年代に、作られた。 中心になったのは、小野仙右衛門。
3平方㌔の田んぼが、生まれた。 それに、袈裟姫伝説。
3平方㌔っていえば、広いですね。 長崎新田と呼ばれた。
写真の堤防の向こうが、その新田。 ちゃんと写真を撮らなかった。
長崎堤防が出来た後も、洪水では苦しんだよう。
川内川の本流以外の水にも、悩まされたんでしょうね。
それで、八間(はっけん)川とかを作る。
※ このあと、その川の石橋を見に行く。
なぜギザギザにしたのか。
堤防沿いに流れる水の勢いが、弱まるなって、予想は出来ます。
ネット上に、科学的な理由を探したが、見つかりません。
※ 信玄堤(しんげんづつみ)に、似ています。
信玄堤は、田んぼに、静かになら、水が来てもいいという考えですね。
作っても流されるから、大変な工事。
こっちは上流。 この一帯は、半分海。 漁が盛ん。
河口近くの、川内河口大橋。
なぜ、長崎堤防と呼ぶかが分からない。 長崎と関係があるのか。
市の説明にもない。
そうしたら、近くに、長崎公民館があることが分かった。
地名ではないかと疑ったが、ヤフーの地図にはない。
ところが、グーグルの地図にはあった。
それが下の。
上の地図には、どこにあるか分からなかった、小野神社も載っていた。
幕府は、薩摩藩の治水工事における高い技術を知っていた。
それで、尾張の濃尾平野の治水工事を命じた。
薩摩藩の財政力を落とすのが、目的。
薩摩藩は、元々、外様だから、大事にはされない。
藩の中には、幕府に逆らって、反乱を起こす考えも多かった。
でも従った。
工事を始めても、幕府の嫌がらせがあり、苦労する。
多くの犠牲者を出す。
宝暦治水事件を引き起こすことになる。
この事件は、杉本苑子が、『孤愁の岸』として、小説にまとめる。
「マーちゃんの数独日記」というサイトに、感想文が載っています。
分かり易いので、紹介します。
倒幕に燃えるのには、他の要因もあったでしょうが、
上の100年後に、恨みを晴らすことになる。
石橋の案内があったので、何かなって見ることに。
場所は、長崎堤防の上流に。
小さな祠に、お地蔵さん。
江之口橋。 人口の川。 排水のために作った。 幅が8間(けん)なので、八間川。
作ったのは、岩永三五郎(いわながさんごろう)。
※ 岩永三五郎は、種山石工。
種山石工の祖は、藤原林七。 この人は、ブログで紹介したことがある。
岩永三五郎の妻は、藤原林七の長女。
先日行った美里町に、岩永三五郎の石橋が、霊台橋の近くに山の中にあった。
雄亀滝橋(おけだけばし)。
霊台橋も通潤橋も、この橋が手本となって、岩永三五郎の弟子たちが作り上げた。
眼鏡橋ですね。
彼は、肥後から薩摩に来て、甲突川五石橋も作る。
薩摩を詳しく知りすぎたので、工事の後、殺されそうになる。
堤防側から。 川内川の水が増したら、水門を閉じる。 ポンプで水を流す。
別方向から。
明日また行ってきます。
小野神社とかに。 珍しい物があるよう。
また、袈裟姫伝説についてと、岩永三五郎が暗殺されそうになったことについて、もう少し調べてみます。
面白い話がありそう。
【関連ブログ】 川内戦国村、川内原子力発電所展示館 ~薩摩川内市~ 他 (2010/2/15)
※ 上のブログは、2010年の2月。
この中で、原子力発電所を見学して、こう書いた。
原子力発電については、良く分からない。
事故が起きた時に、隠そうとする体質があることは、以前から感じていた。
一番危険性を知っているのは、発電所自身かもしれない。
危険性の全てを、私たちは、知っていない可能性もある。
約1年後に、震災があり、福島が起きます。
東京電力は、疑っていた通りでした。
【今日の歌】 Whispering Hope - Hayley Westenra (希望のささやき ヘイリー)
【道の駅】 樋脇 市比野温泉にあります。
【明日の予定】 もう一度、昨日の所へ。 小野神社や撮り忘れたのを撮りに。
車の中を、少し変えます。 それに時間を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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なぜ、あそこまでに。 幕府に恨みでもあったのでしょうか。
川内川の下流に作った、長崎堤防。
高い土木技術がなければ、作れません。
幕府への恨みの遠因は、長崎堤防から生まれます。
近くに、石橋がありました。
種山石工の中心的人物が作ったものでした。
岩永三五郎。
先日見た霊台橋も、矢部にある通潤橋も、彼の作った橋が手本になりました。
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橋は、黑之瀬戸大橋。 色の塗り替えが、あと少し。
こっちが長島。 向こうが、九州本土。

道の駅 阿久根から、北方面を。 阿久根市の市街地が、遠くに。

山に入ると、小さな温泉が、たくさんある。 高城(たき)温泉とか。 どこも安い。
長崎堤防を、社長さんに教えていただいた。
川内(せんだい)川の、左側にある。
川沿いの道を走った。 道はよく、駐車場も広い。
遠くに、川内河口大橋。 橋の向こう、1㌔ちょっとで、海。
堤防の碑があった。

これが長崎堤防。 ギザギザに、なっている。 石垣なので、古いと分かる。

1600年代に、作られた。 中心になったのは、小野仙右衛門。
3平方㌔の田んぼが、生まれた。 それに、袈裟姫伝説。

3平方㌔っていえば、広いですね。 長崎新田と呼ばれた。
写真の堤防の向こうが、その新田。 ちゃんと写真を撮らなかった。

長崎堤防が出来た後も、洪水では苦しんだよう。
川内川の本流以外の水にも、悩まされたんでしょうね。
それで、八間(はっけん)川とかを作る。
※ このあと、その川の石橋を見に行く。

なぜギザギザにしたのか。
堤防沿いに流れる水の勢いが、弱まるなって、予想は出来ます。
ネット上に、科学的な理由を探したが、見つかりません。
※ 信玄堤(しんげんづつみ)に、似ています。
信玄堤は、田んぼに、静かになら、水が来てもいいという考えですね。
作っても流されるから、大変な工事。

こっちは上流。 この一帯は、半分海。 漁が盛ん。

河口近くの、川内河口大橋。

なぜ、長崎堤防と呼ぶかが分からない。 長崎と関係があるのか。
市の説明にもない。
そうしたら、近くに、長崎公民館があることが分かった。
地名ではないかと疑ったが、ヤフーの地図にはない。
ところが、グーグルの地図にはあった。
それが下の。

上の地図には、どこにあるか分からなかった、小野神社も載っていた。
幕府は、薩摩藩の治水工事における高い技術を知っていた。
それで、尾張の濃尾平野の治水工事を命じた。
薩摩藩の財政力を落とすのが、目的。
薩摩藩は、元々、外様だから、大事にはされない。
藩の中には、幕府に逆らって、反乱を起こす考えも多かった。
でも従った。
工事を始めても、幕府の嫌がらせがあり、苦労する。
多くの犠牲者を出す。
宝暦治水事件を引き起こすことになる。
この事件は、杉本苑子が、『孤愁の岸』として、小説にまとめる。
「マーちゃんの数独日記」というサイトに、感想文が載っています。
分かり易いので、紹介します。

倒幕に燃えるのには、他の要因もあったでしょうが、
上の100年後に、恨みを晴らすことになる。
石橋の案内があったので、何かなって見ることに。
場所は、長崎堤防の上流に。

小さな祠に、お地蔵さん。


江之口橋。 人口の川。 排水のために作った。 幅が8間(けん)なので、八間川。
作ったのは、岩永三五郎(いわながさんごろう)。

※ 岩永三五郎は、種山石工。
種山石工の祖は、藤原林七。 この人は、ブログで紹介したことがある。
岩永三五郎の妻は、藤原林七の長女。
先日行った美里町に、岩永三五郎の石橋が、霊台橋の近くに山の中にあった。
雄亀滝橋(おけだけばし)。
霊台橋も通潤橋も、この橋が手本となって、岩永三五郎の弟子たちが作り上げた。
眼鏡橋ですね。

彼は、肥後から薩摩に来て、甲突川五石橋も作る。
薩摩を詳しく知りすぎたので、工事の後、殺されそうになる。
堤防側から。 川内川の水が増したら、水門を閉じる。 ポンプで水を流す。

別方向から。

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また、袈裟姫伝説についてと、岩永三五郎が暗殺されそうになったことについて、もう少し調べてみます。
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この中で、原子力発電所を見学して、こう書いた。
原子力発電については、良く分からない。
事故が起きた時に、隠そうとする体質があることは、以前から感じていた。
一番危険性を知っているのは、発電所自身かもしれない。
危険性の全てを、私たちは、知っていない可能性もある。
約1年後に、震災があり、福島が起きます。
東京電力は、疑っていた通りでした。
【今日の歌】 Whispering Hope - Hayley Westenra (希望のささやき ヘイリー)
【道の駅】 樋脇 市比野温泉にあります。
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