磨崖仏(まがいぶつ)と云えば、大分県の臼杵(うすき)磨崖仏。
時の権力者が作り、国宝に指定されている。
一方、清水磨崖仏は、小さな権力者、また庶民の願いが岩に刻まれた、磨崖仏。
平安時代末期から明治までのが、あった。
五輪塔や梵字(ぼんじ)などの、線刻が多いのが、特徴。
大きな五輪塔も。
岩にへばりついて彫ったんだろうけど、どんな願いがあったのでしょう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
南九州市は、合併してできた、新しい市。
ここは、その中の、川辺町。
一帯は、清水(きよみず)岩屋公園になっている。 広い駐車場。 近くに道の駅。
公園の中に、磨崖仏と清水の湧水がある。
向こうの橋を渡って、左奥に磨崖仏。
花園橋。 山茶花の木が、まるい。
万之瀬川(まのせがわ)。
昔は、万之瀬川のこの辺りは、清水(きよみず)川、と呼んでいた。
それで、今も、清水の磨崖仏。 湧水は、清水の湧水。 清水という地名も。
正面の崖に、磨崖仏。
こうです。 左にずっと続く。 左に行くほど、古い。
清水川のほとり。 200基。 平安時代の初めの、文字が。
さあ見るぞ、と思ったら、通行止め。 せっかく来たのに。
川の対岸から見学できると、あった。 近くでは見られない。
磨崖仏の写真が、ちゃんと撮れないかも知れないから、公園の写真を撮りだした。
金閣寺に似ている。
花壇の花は元気だけど、自然の花は、まだまだ。
橋に戻って来た。 渡ってすぐに、右に行く。
川のこっちから見ている。 何とか、写真は撮れる。
肉眼では、少し遠い。
〇の部分の、説明があった。
一番新しい磨崖仏の紹介。 吉田知山という人が彫った。 明治。
右端のが、どこにあるか、分からなかった。
宝篋印塔と、十一面観音像(中央右)。 十一面観音は、奈良の長谷寺のと同じと説明に。
仏像を彫ってるのは少ない。 仏像には表情があるので、難しいのでしょうか。
16枚の板碑。 鎌倉時代の物。 亡くなった人の供養のためにと。
右です。 四角の中。
左の3枚が、はっきりしている。
次は、大きな梵字(ぼんじ)。 直径は、人の背丈ほど。
下から、10㍍程。 足場を作ったのでしょうか。 梯子(はしご)の上では、不安。
梵字を彫るのは、仏を彫るのと同じこと。 それで彫るんですね。
※ 月輪の意味ですが、辞書では、こう。
完全に円形の月。
仏の智徳が欠けることなく円満であること,衆生の菩提心などの象徴とされることが多い。
がつりん。げつりん。
京都の愛宕山の麓に、月輪(つきのわ)寺があった。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
今はお墓にすることが多いけど、昔は、お経を収めていた。 和泉式部の墓も、宝篋印塔。(京都誠心院)
中央です。 小さな仏塔も、いっぱい。
※ なぜ宝篋印塔を彫るかですね。
供養で彫ったんですが、輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあったんですね。
死んでも、また生まれて来ることが出来る。 死ぬことと生まれることの繰り返し。
またこの世に戻って来られると考えたら、死ぬ不安は、小さくなりますね。
今だって昔だって、死ぬということは、大きな不安であり、大変なこと。
川沿いの道を行きます。
大五輪塔。 高さ11㍍。 日本一。
中央左の岩。 大きな板碑の中に、五輪塔。 周りには、墨で梵字が書いてあったそう。
読めないけど、赤外線では読めると言う。
このようなものは、亡くなった人の、供養にためにつくる。
先祖を思う気持ちは、昔と今は、違いがあるのでしょうか。
※ 私なんか、旭川に戻った時、おやじの墓に行くのを、忘れることが多い。
磨崖仏は、対岸に、ずっと続く。
五輪塔が並ぶ。 これなら、誰でもが彫れそう。
石橋を渡って、向こうに。 石橋だけど、手作り感がない。
橋の上から。 あっちの崖を眺めてきた。
古いからか、消えかかっている。
岩の質が違うのか、鮮明。
彫る間所を決めたら、そこを、まっ平らにするんですね。
そうして、掘り始める。
今見てきたのは、鎌倉時代。
初期のは、そんなに高い場所でない。
この宝篋印塔は、見つからなかった。 木の陰か。
さっきの宝篋印塔もそうだけど、平家幸という人が、彫らせていますね。
鎌倉時代だから、壇ノ浦の後。
平家の落人でしょうか。 九州は多いですから、あってもおかしくはないですね。
久連子古代の里。 鬼山御前の祠。 伝説は、歴史の残り火か。~八代市五家荘~ 他 (2013/2/27)
五家荘、平家の里。 鬼山御前。 梅の木轟の滝。~八代市泉町五家荘~ 他 (2013/2/25)
平家落人伝説の里、五家荘。 末裔の屋敷、緒方家。 樅木の吊橋。~八代市~ 他 (2013/2/24)
橋の下に、清水の湧水。
飲んでみたら、冷たさが弱く感じた。 甘露水と呼ばれる感じの水。
明日、汲む。
岩の切り立つ谷に、岩を打つ金槌の音が、響いた時代があった。
どんな風景だったでしょう。
彫り終わった時、これで願いが叶うと、満足したでしょうね。
願うしか方法がなかった時代。
それが、昔かな。
願うことは、優しさでもあるか。
【今日の歌】 いそがしい踊り。
【道の駅】 川辺やすらぎの里
【明日の予定】 知覧で武家屋敷を見ます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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時の権力者が作り、国宝に指定されている。
一方、清水磨崖仏は、小さな権力者、また庶民の願いが岩に刻まれた、磨崖仏。
平安時代末期から明治までのが、あった。
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大きな五輪塔も。
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南九州市は、合併してできた、新しい市。
ここは、その中の、川辺町。
一帯は、清水(きよみず)岩屋公園になっている。 広い駐車場。 近くに道の駅。
公園の中に、磨崖仏と清水の湧水がある。
向こうの橋を渡って、左奥に磨崖仏。

花園橋。 山茶花の木が、まるい。

万之瀬川(まのせがわ)。
昔は、万之瀬川のこの辺りは、清水(きよみず)川、と呼んでいた。
それで、今も、清水の磨崖仏。 湧水は、清水の湧水。 清水という地名も。
正面の崖に、磨崖仏。

こうです。 左にずっと続く。 左に行くほど、古い。

清水川のほとり。 200基。 平安時代の初めの、文字が。

さあ見るぞ、と思ったら、通行止め。 せっかく来たのに。
川の対岸から見学できると、あった。 近くでは見られない。

磨崖仏の写真が、ちゃんと撮れないかも知れないから、公園の写真を撮りだした。
金閣寺に似ている。


花壇の花は元気だけど、自然の花は、まだまだ。

橋に戻って来た。 渡ってすぐに、右に行く。

川のこっちから見ている。 何とか、写真は撮れる。
肉眼では、少し遠い。
〇の部分の、説明があった。

一番新しい磨崖仏の紹介。 吉田知山という人が彫った。 明治。
右端のが、どこにあるか、分からなかった。

宝篋印塔と、十一面観音像(中央右)。 十一面観音は、奈良の長谷寺のと同じと説明に。
仏像を彫ってるのは少ない。 仏像には表情があるので、難しいのでしょうか。


16枚の板碑。 鎌倉時代の物。 亡くなった人の供養のためにと。

右です。 四角の中。

左の3枚が、はっきりしている。

次は、大きな梵字(ぼんじ)。 直径は、人の背丈ほど。

下から、10㍍程。 足場を作ったのでしょうか。 梯子(はしご)の上では、不安。
梵字を彫るのは、仏を彫るのと同じこと。 それで彫るんですね。

※ 月輪の意味ですが、辞書では、こう。
完全に円形の月。
仏の智徳が欠けることなく円満であること,衆生の菩提心などの象徴とされることが多い。
がつりん。げつりん。
京都の愛宕山の麓に、月輪(つきのわ)寺があった。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
今はお墓にすることが多いけど、昔は、お経を収めていた。 和泉式部の墓も、宝篋印塔。(京都誠心院)

中央です。 小さな仏塔も、いっぱい。

※ なぜ宝篋印塔を彫るかですね。
供養で彫ったんですが、輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあったんですね。
死んでも、また生まれて来ることが出来る。 死ぬことと生まれることの繰り返し。
またこの世に戻って来られると考えたら、死ぬ不安は、小さくなりますね。
今だって昔だって、死ぬということは、大きな不安であり、大変なこと。
川沿いの道を行きます。

大五輪塔。 高さ11㍍。 日本一。

中央左の岩。 大きな板碑の中に、五輪塔。 周りには、墨で梵字が書いてあったそう。
読めないけど、赤外線では読めると言う。


このようなものは、亡くなった人の、供養にためにつくる。
先祖を思う気持ちは、昔と今は、違いがあるのでしょうか。
※ 私なんか、旭川に戻った時、おやじの墓に行くのを、忘れることが多い。
磨崖仏は、対岸に、ずっと続く。

五輪塔が並ぶ。 これなら、誰でもが彫れそう。


石橋を渡って、向こうに。 石橋だけど、手作り感がない。

橋の上から。 あっちの崖を眺めてきた。

古いからか、消えかかっている。

岩の質が違うのか、鮮明。
彫る間所を決めたら、そこを、まっ平らにするんですね。
そうして、掘り始める。

今見てきたのは、鎌倉時代。

初期のは、そんなに高い場所でない。


この宝篋印塔は、見つからなかった。 木の陰か。
さっきの宝篋印塔もそうだけど、平家幸という人が、彫らせていますね。
鎌倉時代だから、壇ノ浦の後。
平家の落人でしょうか。 九州は多いですから、あってもおかしくはないですね。
久連子古代の里。 鬼山御前の祠。 伝説は、歴史の残り火か。~八代市五家荘~ 他 (2013/2/27)
五家荘、平家の里。 鬼山御前。 梅の木轟の滝。~八代市泉町五家荘~ 他 (2013/2/25)
平家落人伝説の里、五家荘。 末裔の屋敷、緒方家。 樅木の吊橋。~八代市~ 他 (2013/2/24)

橋の下に、清水の湧水。

飲んでみたら、冷たさが弱く感じた。 甘露水と呼ばれる感じの水。
明日、汲む。


岩の切り立つ谷に、岩を打つ金槌の音が、響いた時代があった。
どんな風景だったでしょう。
彫り終わった時、これで願いが叶うと、満足したでしょうね。
願うしか方法がなかった時代。
それが、昔かな。
願うことは、優しさでもあるか。
【今日の歌】 いそがしい踊り。
【道の駅】 川辺やすらぎの里
【明日の予定】 知覧で武家屋敷を見ます。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
川辺は、いい所ですね。
今回は、2度目でした。
赤い橋を渡った、公園の雰囲気も、好きです。
磨崖仏は、他にはない、川辺だけの魅力のものですね。
今回は、2度目でした。
赤い橋を渡った、公園の雰囲気も、好きです。
磨崖仏は、他にはない、川辺だけの魅力のものですね。
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実家からは4キロの所にあるこの場所には桜のお花見によく行きました。
訪れて頂いてとてもうれしいです。
2/1、2と川辺で二日市が開催されます。江戸時代の頃から続いている市だそうで 閑散期の数少ない楽しみだったと思われます。
よかったら立ち寄って下さいね。