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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

自分の登山靴が、足に窮屈と分かって、鹿児島市内のモンベルに。
軽くて、靴擦れしそうにないのが、見つかった。
せっかく来たので、他にもいくつか買って、近くを散歩。

鹿児島城って、どんな城なんだろう。
行ってみたら、鶴丸城跡の名前で、石垣が残っていた。
島津氏は、1つの城より、出城を含めた、全体を大事にした。

城の後ろは、城山。
西南戦争で、西郷隆盛が、倒れた場所。

全部は見られなかったので、もう一度行かなければ、と感じた。
    ※    ※    ※    ※   ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

桜島へのフェリーは、すぐ近くから。   桜島は、活発に活動。
駐車場が広いので、鹿児島市に来たら、ここに停める。 

14年2月5日 (1)

モンベルに行くんだが、照国神社に向かえばいい。
そろそろ、中心街に入って行く感じ。 

真っ直ぐ、ずっと行けば、駅。  照国神社の参道は、途中から右へ。

右の石碑は、鹿児島大空襲の慰霊碑。
昭和20年の3月から、8回あった。  多くの人が亡くなった。
町は焼け野原。  このように

14年2月5日 (2) 

アメリカ軍は沖縄に上陸して、次はどこだとなったら、本土最南端の鹿児島になる。
また、特攻基地である、知覧や万世が近くにあったこともあり、厳しい空襲になった。

列車にも爆弾は落とされた。 下は、Wikipediaにある文です。

  太平洋戦争末期1945年(昭和20年)6月17日鹿児島大空襲の際に、超満員の乗客を乗せ停車中の列車3本に
  米空軍B29爆撃機から投下された、大型1トン爆弾数発が直撃命中し、公式には乗客職員死者420名以上重軽傷
  者650名以上とされている。  旧5番線ホームに犠牲者を悼む慰霊碑が建立されている。

少し行って、右に行く。  ここで右に曲がると、山形屋。 老舗のデパート。 帰りに寄る。

14年2月5日 (3)

この後、モンベルに行って、いろいろ見る。
考えていた登山靴は、紐の無いのだった。 (ダイヤルを回して、しめつける)
丁度いいサイズがなかったので、別のをはいた。 軽くで柔軟性のあるのが、あった。
履き心地がいいので、それにした。

他に、春秋の上着。 2年間、同じのを着ていたので。
登山の時の、カッパでもある。

ズボンのカッパも。 普段ははかないので、軽量のを。 小さくしたら、おにぎりくらい。
登山の時は、いつもリュックに。 突然の雨の時に。
以前のは、震災のボランティアで、破いていた。 裏から、布テープを張って使っていた。

他に、小物を少し。

2時間ほどいた。 店の人は、丁寧に付き合ってくれた。

照国神社に、向かった。 2人の像があった。

左は、伊地知 正治(いぢち まさはる)  右は、吉井 友実(よしい ともざね)

伊地知正治は、鹿児島藩士で、会津の白虎隊を倒すとき、指揮者として活躍する。
戦略家のよう。 白虎隊のドラマや映画では、この人が出て来る。 八重の桜でも。

14年2月5日 (4)

上の、吉井 友実について。  この人は、面白い。
孫は、吉井勇。  
ブログで何回も紹介している。 五足の靴や、祇園白川で。 
「いのち短し 恋せよ乙女」のゴンドラの唄の作詞者。
   京都祇園にある重伝建地区、祇園新橋 ~京都市~  しあわせ芝居(中島みゆき)  他  (2912/6/23)
   大江天主堂。  天草ロザリオ館。  五足の靴。  お万ヶ池の伝説~天草市天草町大江~  他  (2013/1/26) 

他に、吉井友実は、龍馬と親しかった。
寺田屋で襲われた後、龍馬は、ある所に隠れていた。 そこから、薩摩藩の藩邸まで無事に連れて行ったのは、彼。
また、龍馬は新婚旅行で、薩摩に来た。 その時、宿泊など、面倒を見たのも、吉井。
   龍馬とおりょうが歩いた道(その3)~塩浸温泉・犬飼の滝~   他  (2010/1/19)

最後にもう1つ。
西郷隆盛はの本名は、隆永(たかなが)。
ある時、西郷は、幕府を倒した事で、勲章として位階が与えられることになった。
位階は、従三位などと呼ぶ、あれ。
手続きは、親友の吉井がした。
ところが、吉井は、西郷の本名を忘れた。
仕方ないから、西郷の父の、隆盛を書いた。
西郷は、後に、その名前をずっと使うことになる。
西郷隆盛になってしまった。

おまけで1つ。
ある人に、マッチを作って売れって言ったのは、彼。
マッチ製造の祖は、今も、吉井友美。

照国神社の、大きな鳥居が見えた。

14年2月5日 (5)

祭神は、薩摩藩第11代藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)。
藩主が、神になった。

14年2月5日 (6)

島津斉彬は、どんなすごい人だったのか。  Wikipediaには、こう。
 「薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人である。 西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てた」

日本にとってはともかく、薩摩にとっては、神のような偉人だった。

14年2月5日 (7)

祭神としての像が、隣にあった。

14年2月5日 (8)

少し歩いたら、西郷隆盛の像。

14年2月5日 (9)

下の地図を、歩いている。  地図は、割烹山映さんのHPからお借り。

map_sanpoppm

西郷隆盛の像を、離れて見ることに。  
陸橋の上から。  左手に、鶴丸城跡。   
正確に場所が分からなかったので、適当に撮った。 もっと左を撮ればよかった。

14年2月5日 (10)

中央公園。

14年2月5日 (11)

こうです。 後ろの山は、城山。   西郷の、終焉の地。  戦いで倒れ、自刃。

14年2月5日 (12)

左に、城跡。  低い石垣。  役に立つのか。

14年2月5日 (13)

アコウの木。  木に巻き付いたら、木を締め殺す。 石は固すぎる。

14年2月5日 (14)

石垣が続きます。

14年2月5日 (15)

ここが、入口。  
明治の30年代に入って、鹿児島大学の前身の、第七高等学校造士館の校地として使用されていた。

14年2月5日 (16)

まだまだある。

14年2月5日 (17)


城の説明。

「薩摩は人をもって城となす」

どこかで、聞いたことがある。 風林火山ですね。 信玄の言葉。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

薩摩は、大きな城を作らないで、出城を各地に作って、それによって薩摩を守った。

薩摩は、関ケ原では、西軍に味方した。
それでも、家康は、つぶさなかった。
大きな城を作ると、幕府を刺激するかもしれない。

薩摩は外様だから、幕府から冷たくされることも多かった。

14年2月5日 (18)

ここも城跡だけど、私学校の跡地でもある。

14年2月5日 (20)

西郷は、西南戦争で、祭り上げられたようなことが、書いてある。
銃弾の跡があることも。

14年2月5日 (19)

この辺りの石垣が、穴だらけ。

14年2月5日 (21)

この穴は、普通のピストルではないですね。 どんな銃でしょう。
人間なら、助かりそうにない、威力。

14年2月5日 (22)

城山の登り口に、薩摩義士碑があった。
先日のブログで紹介した、木曽川の治水工事での犠牲者の碑。
薩摩の人たちは、決して忘れない。

14年2月5日 (23)

上の義士碑の左に、薄墨桜の木がある。 同じ木が、後で行く、城跡の中にもあった。
薄墨桜は、岐阜県の本巣市にある、エドヒガンの古木。
それの苗を育てたので、エドヒガンだけど、淡墨桜と呼んでいる。

エドヒガンの大きな木は、全国にありますね。    これは四国の剣山の近くの、吉良のエドヒガン(昨年)。

ここのが咲くと、このようになります

後ろに、義士碑があった。  この後、城跡の中へ。

14年2月5日 (24)

篤姫の像。   薩摩では、どこに行っても人気。

14年2月5日 (25)

中は広く、誰が歩いてもいい。

14年2月5日 (26)

この子も、機嫌よく散歩。

14年2月5日 (27)

第七高等学校造士館の、祭歌ってある。

14年2月5日 (28)



そして、竜舌蘭。   蘭の仲間ではない。

14年2月5日 (29) 

咲いたら、こんな花。   何十年かに1回しか咲かない。    天にも届くほど。

中央公園を通って、戻った。
寒い一日。

14年2月5日 (30)

この後、山形屋に行った。
昨日見た、ペリドットを見るため。

ありました。  いい色でした。  オリーブグリーン。
安くて、1万円。  買えません。   こんな感じの

駐車場に戻って、樋脇まで走った。
  ※ いつだか、酒を抱えて遊びに来た、一宮の方が、喜入に来ていた。
    電話が来た。 1日動くのが、私は早かった。

晩に、車の整理をした。
いらないものを、洗い出して、捨てる物をまとめた。
気づいたら、朝の3時。  あす、大変。

※ どんなに捜しても、見つからないものが。
  小さな山ラジオと、薄いウィンドジャケット。 

【今日の歌】    とんぼ   長淵剛   鹿児島出身ですね。

  ※ 1番の最後の歌詞は、こうです。

         「ああ しあわせのとんぼが ほら 舌を出して笑ってらあ」

        薩摩藩は、幕府に従順なふりをしていただけで、本当は、陰で舌を出していたのでは。
        その結果が、西南戦争へと・・。

 

【道の駅】  樋脇

【明日の予定】  雨が止むのを待って、近くを。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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鹿児島市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。

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  • 鹿児島市街地を歩く。  鶴丸城(鹿児島城)跡。  私学校石垣の銃弾の跡。~鹿児島市~ 他 (2014/2/5)
  • 2014年02月06日 (木)
  • 12時31分29秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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