江戸時代が始まる前、大村を治めていたのは、大村純忠(すみただ)。
日本最初のキリシタン大名。
領内での布教を、熱心に応援する。
長崎などに港を開き、南蛮貿易に力を入れる。
キリスト教の布教を進める、イエズス会と結びつくことは、南蛮貿易を有利にやれる条件。
本質は、キリスト教の魅力より、貿易での儲けの魅力の方が大きかった。
結果、領民のほとんどが、キリシタンに。
約6万人。
全国のキリシタンは15万人だから、その4割に当たる。
ところが、秀吉、家康は、キリスト教は気に食わないと、なっていく。
キリスト教の弾圧が始まる。
信仰は禁止され、捨てなければ、迫害される。
そうやって、時は過ぎ、島原の乱の20年後の1657年のこと。
藩主は、領内に、キリシタンはいないと思っていた。
ところが、あることで、隠れキリシタンが発覚。
芋づる式に見つかる。
その結果、406人が、斬首。
悲劇が起きた。
今日は、その、悲しみの歴史跡を歩いてみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
玖島城から、北に向かう。 一番遠いところまで、6㌔。
途中、空港の方に行くので、今日は15㌔ほど歩く。
左が北。 この地図の、下の方を見る。
3時頃出発。 明るいうちに、何とか戻ってくる。
国道34を歩き出した。 予報は雨だったが、降らない。
時々川がある。 川は小さい。
大村市も諫早市も、赤の〇の中は、半島に見える。 大きな川は、出来ない。
暖かい。 上着は着ていない。
この後、カメラのキタムラを見つける。
入ってみたら、検討しているカメラがある。 展示品の他に、在庫もある。
ちょっとと思っているうちに、時間が過ぎる。
明るいうちには、戻れそうになくなった。
小路に入って、妻子別れの石。
手前の、半分埋まっている石。
ここは、処刑場の入り口。 親子、兄弟、ここでお別れ。
処刑場は、今日最後に行く場所。
ここで別れたのは、131名。 今生の別れ。
隠れキリシタンが見つかったのを、郡崩れと呼んでいる。 詳しくは、後で。
捕まっても、死罪にならない者もいた。
キリスト教を捨てれば、助かったのか。
殉教(じゅんきょう)という考えがある。
自分の命より、宗教を大事にする者も多い。 その人達は、死を選ぶ。
※ 殉教の考えは、上から、命を捨てても宗教は捨てるな、と教えているように感じるかな。
歩いていたら、白いモクレン。
どう撮っても、収まりが悪い。 思い切って斜めにしてみた。 不思議と、落ち着いた。
殉教者獄門所跡。
処刑された者の中には、子供もいたのだろうか。
聖母像が、亡くなった人たちを、慰めている。
ここは、処刑場から、そんなに遠くない。
131の首が、ここに曝(さら)された。
塩漬けにされた首は、20日間ここに。 見せしめ。
次の所に。 右に行ったら、先日の、棚田や多良岳。 もう少し行って右に行けば、恨みの滝。
胴塚跡。 胴体を、ここに埋めた。
神様は、信者を守れなかったのかな。
説明と地図。 内容と地図は、どこも一緒。
郡村を中心に、隠れ(潜伏)キリシタンがいたんですね。
次から次と見つかったので、郡崩れと呼ばれる。
603人が捕まって、406人が打ち首(斬首)。 この地では、131名。
地名の場所は、下で説明。
郡村は、今日歩いている所の少し北。
この村の、百姓平作が漏らした。 告げ口というか。
矢次の里に少年がいて、萱瀬(かやぜ)の岩穴に隠し持っているとある。
矢次の地名は見つからないが、矢次橋がある。 この辺りかなと。
萱瀬は、学校名も、ダムも萱瀬ダム。 この辺り。
庶民は大変。
信じれと言われて信じた。
やめろと言われても、殉教の考えがあるから、やめられない。 生きられない。
次が、間もなく。
首塚跡。
腰に縄。 十字架。 手を合わせて、首を差し出したのか。 天国に行けると考えて。
※ 天国は、元々、地球上にあった訳ではない。 雲の上とかに。
人間が考えて生み出したもの。 見た人は、誰もいない。
小さな聖母の像を、誰かが。
説明は同じ。
空港の入り口に向かっている。 天正遣欧使節の像を見るため。
私は少し前に、地図を落としてしまった。 脇に挟んでいて。 しょっちゅう。
ここを行ったら橋。 その向こうに、長崎空港。
左の森の中にあったが、この時は分からない。
市のHPからお借り。 出発とかは、長崎だが、大村純忠の関係で、ここに。
これがあったので、代わりに。 黒丸踊。
郡川の河口辺りが、黒丸地区。 郡村と考えてよさそう。
室町時代の芸能の姿とある。
去年の夏の。 背中に、大きなものを。
)
戻る途中に、処刑場。 放虎原(ほうこばる)殉教地。 刑場の露に消えたって云うのですね。
宗教であっても何であっても、死なせたらダメだと思うかな。
裏側にあった絵。
この後、戻る。
時間がないので、大村家墓碑群には行かない。
下は、市のHPから。 石塔が大きい。
この後、またキタムラに寄った。 店から出たら、暗かった。 雨も降って来た。
まだまだ、遠い。
ホッピーは、飲んだことあるかな。
ひつまぶし。 ウナギ料理ですね。
島原の乱のように、反乱を起こしたわけでもないのに、きびしいお沙汰。
誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと信じていただけなのに。
※ 406人のうちの、131人は、この地で。
他の、275人は、他でです。
調べてないので分かりませんが、この人たちも、大変な思いをしましたね。
今日は、悲しみの歴史跡を歩いてみました。
【今日の歌】 昨日と同じ曲です。
)
【停泊場所】 玖島城パーキング
【明日の予定】 諫早市の石橋かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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日本最初のキリシタン大名。
領内での布教を、熱心に応援する。
長崎などに港を開き、南蛮貿易に力を入れる。
キリスト教の布教を進める、イエズス会と結びつくことは、南蛮貿易を有利にやれる条件。
本質は、キリスト教の魅力より、貿易での儲けの魅力の方が大きかった。
結果、領民のほとんどが、キリシタンに。
約6万人。
全国のキリシタンは15万人だから、その4割に当たる。
ところが、秀吉、家康は、キリスト教は気に食わないと、なっていく。
キリスト教の弾圧が始まる。
信仰は禁止され、捨てなければ、迫害される。
そうやって、時は過ぎ、島原の乱の20年後の1657年のこと。
藩主は、領内に、キリシタンはいないと思っていた。
ところが、あることで、隠れキリシタンが発覚。
芋づる式に見つかる。
その結果、406人が、斬首。
悲劇が起きた。
今日は、その、悲しみの歴史跡を歩いてみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
玖島城から、北に向かう。 一番遠いところまで、6㌔。
途中、空港の方に行くので、今日は15㌔ほど歩く。

左が北。 この地図の、下の方を見る。

3時頃出発。 明るいうちに、何とか戻ってくる。
国道34を歩き出した。 予報は雨だったが、降らない。

時々川がある。 川は小さい。

大村市も諫早市も、赤の〇の中は、半島に見える。 大きな川は、出来ない。

暖かい。 上着は着ていない。

この後、カメラのキタムラを見つける。
入ってみたら、検討しているカメラがある。 展示品の他に、在庫もある。
ちょっとと思っているうちに、時間が過ぎる。
明るいうちには、戻れそうになくなった。
小路に入って、妻子別れの石。

手前の、半分埋まっている石。

ここは、処刑場の入り口。 親子、兄弟、ここでお別れ。
処刑場は、今日最後に行く場所。
ここで別れたのは、131名。 今生の別れ。
隠れキリシタンが見つかったのを、郡崩れと呼んでいる。 詳しくは、後で。

捕まっても、死罪にならない者もいた。
キリスト教を捨てれば、助かったのか。
殉教(じゅんきょう)という考えがある。
自分の命より、宗教を大事にする者も多い。 その人達は、死を選ぶ。
※ 殉教の考えは、上から、命を捨てても宗教は捨てるな、と教えているように感じるかな。
歩いていたら、白いモクレン。
どう撮っても、収まりが悪い。 思い切って斜めにしてみた。 不思議と、落ち着いた。

殉教者獄門所跡。

処刑された者の中には、子供もいたのだろうか。
聖母像が、亡くなった人たちを、慰めている。

ここは、処刑場から、そんなに遠くない。
131の首が、ここに曝(さら)された。
塩漬けにされた首は、20日間ここに。 見せしめ。


次の所に。 右に行ったら、先日の、棚田や多良岳。 もう少し行って右に行けば、恨みの滝。

胴塚跡。 胴体を、ここに埋めた。

神様は、信者を守れなかったのかな。


説明と地図。 内容と地図は、どこも一緒。

郡村を中心に、隠れ(潜伏)キリシタンがいたんですね。
次から次と見つかったので、郡崩れと呼ばれる。
603人が捕まって、406人が打ち首(斬首)。 この地では、131名。
地名の場所は、下で説明。


郡村は、今日歩いている所の少し北。
この村の、百姓平作が漏らした。 告げ口というか。

矢次の里に少年がいて、萱瀬(かやぜ)の岩穴に隠し持っているとある。
矢次の地名は見つからないが、矢次橋がある。 この辺りかなと。
萱瀬は、学校名も、ダムも萱瀬ダム。 この辺り。

庶民は大変。
信じれと言われて信じた。
やめろと言われても、殉教の考えがあるから、やめられない。 生きられない。
次が、間もなく。

首塚跡。

腰に縄。 十字架。 手を合わせて、首を差し出したのか。 天国に行けると考えて。
※ 天国は、元々、地球上にあった訳ではない。 雲の上とかに。
人間が考えて生み出したもの。 見た人は、誰もいない。


小さな聖母の像を、誰かが。


説明は同じ。

空港の入り口に向かっている。 天正遣欧使節の像を見るため。
私は少し前に、地図を落としてしまった。 脇に挟んでいて。 しょっちゅう。

ここを行ったら橋。 その向こうに、長崎空港。
左の森の中にあったが、この時は分からない。

市のHPからお借り。 出発とかは、長崎だが、大村純忠の関係で、ここに。

これがあったので、代わりに。 黒丸踊。
郡川の河口辺りが、黒丸地区。 郡村と考えてよさそう。

室町時代の芸能の姿とある。

去年の夏の。 背中に、大きなものを。
)
戻る途中に、処刑場。 放虎原(ほうこばる)殉教地。 刑場の露に消えたって云うのですね。

宗教であっても何であっても、死なせたらダメだと思うかな。

裏側にあった絵。

この後、戻る。
時間がないので、大村家墓碑群には行かない。

下は、市のHPから。 石塔が大きい。

この後、またキタムラに寄った。 店から出たら、暗かった。 雨も降って来た。
まだまだ、遠い。
ホッピーは、飲んだことあるかな。

ひつまぶし。 ウナギ料理ですね。

島原の乱のように、反乱を起こしたわけでもないのに、きびしいお沙汰。
誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと信じていただけなのに。
※ 406人のうちの、131人は、この地で。
他の、275人は、他でです。
調べてないので分かりませんが、この人たちも、大変な思いをしましたね。
今日は、悲しみの歴史跡を歩いてみました。
【今日の歌】 昨日と同じ曲です。
)
【停泊場所】 玖島城パーキング
【明日の予定】 諫早市の石橋かな。
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