諫早公園の眼鏡橋は、石橋では、日本最初の重要文化財。
石橋の貴重さが、最初に認められた。
その特徴は、美しさと強さ。
諫早の城は、元々は、西郷氏。
秀吉の時代に、龍造寺氏が入って、2代目で諫早氏に改名。
公園の一部の桜が、満開だった。
どの花も、少し下を向て咲いている。
色は、ピンク。
初めて見る、大寒桜 (オオカンザクラ) だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
諫早市は、大きな半島が、くびれて細くなっている所に、ある。
交通の、要衝の地。 (地図がずれる)
地図に〇の中を歩く。 地図は後で見るので、適当に歩きだす。
諫早城跡の向こうに、眼鏡橋。 古くは、高城(たかしろ)城。
詩碑があった。 作者は、伊東静雄。 諫早出身。
「手にふるる野花は それをつみ 花とみづからを ささへつヽ 歩みをはこべ」
漢字に直すと、
「手に触るる野花は それを摘み 花と自らを 支えつつ 歩み運べ」
野花は、何に例えているのでしょう。
上に出ると、巨大クスノキ。
諫早の諫は、大きくすると、諫。 言べんに東ではない。
人を諫(いさ)める、のように使いますね。
諫早市は、公文書でないときは、諌でもいいことにしているそう。
諫早の町。 写真中央が、諫早駅。
上の写真の左。 雲仙の左の尾根が見えているのでしょうか。
諌早は、なぜ、大きな町になったのでしょう。
下は、長崎街道の地図。 (北九州市のHPからお借り)
永昌宿が、諌早。
諌早からは、雲仙の方に島原街道が、北へは海岸沿いに多良街道が、分岐している。
人も物も、諌早を通った。 要衝の地。
亀の塔。 高城城と云われた頃、ここは、亀城とも呼ばれた。
どこを歩いているのか、分からなくなってきた。
城の裏の方に来た。 この道は、逃げ道だそう。
戦国時代は、西郷氏が治めていた。 ※ 諫早の地は、ある地域の、西の郷だそう。
その頃は、高城城。
1587年に、龍造寺家晴に攻められる。
その時、上の写真の道を通って、逃げる。
この時代は、秀吉の天下。 攻めることは、秀吉が認めていた。
別の場所に、説明があった。
龍造寺家晴は、初代の領主となる。
第2代直孝が姓を「諫早」と改める。 この地は、伊佐早だった。 伊佐早を諫早にして。
この地に骨をうずめる覚悟が見える。
一国一城令で、城は壊すことに。
龍造寺氏の家系。
龍造寺氏は、佐賀を治めていたが、鍋島家に乗っ取られる。
下の家晴が、諌早に来て、生き延びていく。
龍造寺隆信が、時々見る名前。 (系図は、肥前龍造寺からお借り)
ちょっと、余談。
上の系図の左に、龍造寺家兼がいる。
彼は、龍造寺家がつぶれそうになった時、下の、蒲池鑑盛(かまちあきもり)に、助けてもらったことがある。
そのおかげで、お家が続いた。
蒲池鑑盛の孫に、応誉(おうよ)がいる。 系図の下の方に。 この人は、僧になる。
蒲池応誉の子孫に、蒲池法子(のりこ)がいる。 直系のよう。
以前、少しだけ書いたことがあるけど、彼女が、松田聖子。
彼女も知っている。
彼女の強さは、蒲池家の血か。 (系図は、柳川蒲池物語からお借り)
やっと眼鏡橋。
いらなくなって、壊されそうになったので、ここに移築。
眼鏡橋で、日本最初の、重要文化財。
美しいだけでなく、頑丈そう。 中央のふくらみは、水を分ける仕組みですね。
渡ってみました。
別方向から。 石は、ぴったりくっついている。
そばを流れている、本明川(ほんみょう)にあった。
洪水の時、流れてくるものが引っかかって、ダムみたいに。
氾濫して、多くの人が、なくなった。
それで、取り壊しの話が。
こうでした。 本当に、眼鏡の見える。
この像は、長崎と旭川で見たのと、同じ作者かな。 ※ 作者は、書いていなかった。
錆びを取らないと、美しくない。
いい橋です。
桜が満開。 何の桜でしょう。 小さな、眼鏡橋も。
大寒桜 (オオカンザクラ)と、書いてあった。
花が下を向いている。 それが、第一印象。
この桜には、早咲きの、カンヒザクラの血が入っていた。
※ カンヒザクラはこんなの。 (今年の2月2日、指宿のフラワーパークで)
いい花です。 やわらかな、ピンク。
近くに、御所院。 見学できる時間だが、門が閉まっていた。 外から撮影。
城の下のこの場所に、領主は住んでいた。
高城神社。 祭神は、伊佐早家初代の、龍造寺家晴。 ※ 2代から、諌早。
駐車場に戻って、隣にある、天祐寺の奥之院に。 諫早家の菩提寺。 歴代の領主の墓がある。
参道にある像が、この雰囲気。 インドっぽいのか。 何だろう。
ここが、奥之院の、虚空蔵堂(こくうぞうどう)。 墓地には、行かなかった。
中には、虚空菩薩があるという。 例えば、こんなの。
いらない物は、何の価値も無いように見える。
あの眼鏡橋にも、そんな時代があったんですね。
でも、誰かが、保存を言い出した。
そのおかげで、今は、諌早市の宝。
環境がいいので、大事にされているなって、感じました。
水面に映ったら、眼鏡橋は、本当に眼鏡に見える。
それを知りました。
【関連ブログ】 美しい石橋は、そんなになく、とびぬけて美しいのは、霊台橋でしょうか。
美里町で石橋を見る。 霊台橋、二股橋、他。~美里町~ 他 (2014/1/21)
【今日の歌】 Diễm Xưa 雨に消えたあなた 美しい昔とも
※ 作曲者の演奏を探しているのですが、見つからないので、これ。
【停泊場所】 大村公園の駐車場。 諫早市に、停泊場所がなかったので。
【明日の予定】 雨の予定。 大木を見に、山に入りたいが・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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石橋の貴重さが、最初に認められた。
その特徴は、美しさと強さ。
諫早の城は、元々は、西郷氏。
秀吉の時代に、龍造寺氏が入って、2代目で諫早氏に改名。
公園の一部の桜が、満開だった。
どの花も、少し下を向て咲いている。
色は、ピンク。
初めて見る、大寒桜 (オオカンザクラ) だった。
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諫早市は、大きな半島が、くびれて細くなっている所に、ある。
交通の、要衝の地。 (地図がずれる)
地図に〇の中を歩く。 地図は後で見るので、適当に歩きだす。

諫早城跡の向こうに、眼鏡橋。 古くは、高城(たかしろ)城。

詩碑があった。 作者は、伊東静雄。 諫早出身。
「手にふるる野花は それをつみ 花とみづからを ささへつヽ 歩みをはこべ」
漢字に直すと、
「手に触るる野花は それを摘み 花と自らを 支えつつ 歩み運べ」
野花は、何に例えているのでしょう。

上に出ると、巨大クスノキ。

諫早の諫は、大きくすると、諫。 言べんに東ではない。
人を諫(いさ)める、のように使いますね。
諫早市は、公文書でないときは、諌でもいいことにしているそう。
諫早の町。 写真中央が、諫早駅。

上の写真の左。 雲仙の左の尾根が見えているのでしょうか。

諌早は、なぜ、大きな町になったのでしょう。
下は、長崎街道の地図。 (北九州市のHPからお借り)
永昌宿が、諌早。
諌早からは、雲仙の方に島原街道が、北へは海岸沿いに多良街道が、分岐している。
人も物も、諌早を通った。 要衝の地。

亀の塔。 高城城と云われた頃、ここは、亀城とも呼ばれた。

どこを歩いているのか、分からなくなってきた。

城の裏の方に来た。 この道は、逃げ道だそう。

戦国時代は、西郷氏が治めていた。 ※ 諫早の地は、ある地域の、西の郷だそう。
その頃は、高城城。
1587年に、龍造寺家晴に攻められる。
その時、上の写真の道を通って、逃げる。
この時代は、秀吉の天下。 攻めることは、秀吉が認めていた。

別の場所に、説明があった。


龍造寺家晴は、初代の領主となる。
第2代直孝が姓を「諫早」と改める。 この地は、伊佐早だった。 伊佐早を諫早にして。
この地に骨をうずめる覚悟が見える。
一国一城令で、城は壊すことに。
龍造寺氏の家系。
龍造寺氏は、佐賀を治めていたが、鍋島家に乗っ取られる。
下の家晴が、諌早に来て、生き延びていく。
龍造寺隆信が、時々見る名前。 (系図は、肥前龍造寺からお借り)

ちょっと、余談。
上の系図の左に、龍造寺家兼がいる。
彼は、龍造寺家がつぶれそうになった時、下の、蒲池鑑盛(かまちあきもり)に、助けてもらったことがある。
そのおかげで、お家が続いた。
蒲池鑑盛の孫に、応誉(おうよ)がいる。 系図の下の方に。 この人は、僧になる。
蒲池応誉の子孫に、蒲池法子(のりこ)がいる。 直系のよう。
以前、少しだけ書いたことがあるけど、彼女が、松田聖子。
彼女も知っている。
彼女の強さは、蒲池家の血か。 (系図は、柳川蒲池物語からお借り)

やっと眼鏡橋。

いらなくなって、壊されそうになったので、ここに移築。
眼鏡橋で、日本最初の、重要文化財。

美しいだけでなく、頑丈そう。 中央のふくらみは、水を分ける仕組みですね。

渡ってみました。

別方向から。 石は、ぴったりくっついている。

そばを流れている、本明川(ほんみょう)にあった。
洪水の時、流れてくるものが引っかかって、ダムみたいに。
氾濫して、多くの人が、なくなった。
それで、取り壊しの話が。

こうでした。 本当に、眼鏡の見える。

この像は、長崎と旭川で見たのと、同じ作者かな。 ※ 作者は、書いていなかった。
錆びを取らないと、美しくない。
いい橋です。

桜が満開。 何の桜でしょう。 小さな、眼鏡橋も。

大寒桜 (オオカンザクラ)と、書いてあった。
花が下を向いている。 それが、第一印象。

この桜には、早咲きの、カンヒザクラの血が入っていた。
※ カンヒザクラはこんなの。 (今年の2月2日、指宿のフラワーパークで)
いい花です。 やわらかな、ピンク。

近くに、御所院。 見学できる時間だが、門が閉まっていた。 外から撮影。
城の下のこの場所に、領主は住んでいた。

高城神社。 祭神は、伊佐早家初代の、龍造寺家晴。 ※ 2代から、諌早。

駐車場に戻って、隣にある、天祐寺の奥之院に。 諫早家の菩提寺。 歴代の領主の墓がある。

参道にある像が、この雰囲気。 インドっぽいのか。 何だろう。

ここが、奥之院の、虚空蔵堂(こくうぞうどう)。 墓地には、行かなかった。

中には、虚空菩薩があるという。 例えば、こんなの。

いらない物は、何の価値も無いように見える。
あの眼鏡橋にも、そんな時代があったんですね。
でも、誰かが、保存を言い出した。
そのおかげで、今は、諌早市の宝。
環境がいいので、大事にされているなって、感じました。
水面に映ったら、眼鏡橋は、本当に眼鏡に見える。
それを知りました。
【関連ブログ】 美しい石橋は、そんなになく、とびぬけて美しいのは、霊台橋でしょうか。
美里町で石橋を見る。 霊台橋、二股橋、他。~美里町~ 他 (2014/1/21)
【今日の歌】 Diễm Xưa 雨に消えたあなた 美しい昔とも
※ 作曲者の演奏を探しているのですが、見つからないので、これ。
【停泊場所】 大村公園の駐車場。 諫早市に、停泊場所がなかったので。
【明日の予定】 雨の予定。 大木を見に、山に入りたいが・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
地震には気づきませんでした。
恥ずかしい話。
今年の九州は、けしけし祭りまでとなりました。
それで、のんびりと見て歩いています。
自分は、どこを見ていないのか、それを整理するのが大変です。
計画的に見学していないので。
けしけし祭りを楽しみにしています。
恥ずかしい話。
今年の九州は、けしけし祭りまでとなりました。
それで、のんびりと見て歩いています。
自分は、どこを見ていないのか、それを整理するのが大変です。
計画的に見学していないので。
けしけし祭りを楽しみにしています。
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諫早に着かれましたね。野呂邦暢(のろくにのぶ)の出身地です。「諫早菖蒲日記」などを書き残している芥川賞作家です。市内に文学碑があります。ゆっくり諫早を見学してください。
暖かったり、寒かったりの連続で体調維持が大変です。お体をご自愛ください。
けしけし祭りまで、あと9日間。その頃は桜も咲いていることでしょう。お待ちしています。