仇(かたき)を討つことしか、考えていない男がいた。
生き方は、それだけ。 他は見つからない。
明治の初めのこと。
名前は、臼井六郎。 ※ うすい ろくろう。
父と母と妹が、殺されていた。
六郎の仇討を、助けた男がいた。
剣の腕を、上達させるために。
山岡鉄舟(てっしゅう)。
龍馬や勝海舟と共に、幕末を、動かした男。 ※ ブログに何度も、登場している。
臼井六郎は、最後は、本懐を遂げる。
仇討に成功する。
今日の一番の目的は、六郎の墓にお参りすること。
秋月は、城下町であり、小京都とも呼ばれる。
しっとりした町並みを、歩いた。
途中、采蘋(さいひん)という、江戸時代の漢詩人に出会った。
(写真は、今日から、新しいカメラです。 最後の2枚は、小さなカメラ)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
秋月は、今は朝倉市に。 昔は、秋月町。 合併して合併して、今に。
江戸時代は、福岡藩の支藩。 秋月藩。 領地より、上でしょうか。
ここから歩き始める。 10分ほどで着く。
正面の谷に、町並みが。
町の入り口。 目鏡橋(めがねばし)。 眼鏡でなく目鏡。 辞書にない。
長崎で眼鏡橋を見た者が、ふる里の秋月にも、と思った。
技術者を呼んで、数年かかった。
上部が、割に薄いことと、長い石を使っているのが、特徴。 石の花崗岩も。
橋のたもとに、お店。 いい感じ。
こんな風景を見るのが好き。 センスいいな~って、感じるので。
左回りで歩く。 一度来ているので、道は、だいたい分かる。
伝建地区です。 これになったら、町並みは残る。 そうでなかったら、次第に古い家は、消える。
この近くに、秋月の乱の蜂起の地が。
道を曲がった。 正面に、桜。 咲き始めた。
左に、大根。 桜と大根の組み合わせは、見たことない。
西念寺。 秀吉の一言で、出来た。
この寺には、次に出て来る、采蘋(さいひん)の墓がある。
歩いていたら、アンティークなお店。 そこの庭に、この像。
名前は、原 采蘋(さいひん)。 蘋の字の意味は、うきくさ。
江馬細香・梁川紅蘭らとならぶ、江戸後期の女性漢詩人の代表的人物。
男装の女流詩人として知られる。(Wikipedia)
肖像画を見たいけど、ネット上にはないですね。
上に書いた3人の本が出ている。
代表的作品を探したが、見つからない。 ちょっとしたのがあったので、載せます。
彼女は、放浪の旅を続ける。
采蘋の采は、~のよう、って意味。 浮草のようだから、采蘋としたのか。
こういう人が酒を飲むと、酒をこよなく愛した、と云われる。
私達が飲んだら、ただの飲ん兵衛ってしか・・。 酒に溺(おぼ)れたとも。
※ 酔裏(すいり)は、酔っている間、酔いながら、という意味。
酒を飲んだ方が、詩が浮かぶのか。
古い家にやって来た。
武家屋敷、久野邸。 ここは、城下町。
見所の中心の、城跡の方に。
秋月城跡の前に来た。 長屋門への石段。
秋月の地は、秋月氏が治めていたが、秀吉の力を見誤って、島津と一緒に、逆らった。
当然、負けた。
珍しい、楢柴肩衝(ならしばかたつき)という茶器を渡して、打ち首はのがれた。
高鍋藩に移された。
以来、この地は、黒田氏が治める。
登った向こうは、秋月中学校の敷地。
神社への石段。 小雨なので、行かなかった。
道・水路は、昔のままとある。 伝建地区の説明。
戻って来た。 土日は、桜祭りなのか、出店の準備。 桜が咲き始めている。
そのうち、水が張らさりますね。 以前来た時は、水だった。
道が広くなっている辺りのこと。
島原の乱の鎮圧に、駆り出された。
※ この写真は、右はこの場所での出陣の様子。 左は、島原での様子。
「戦うしか生きる道はない」と・・~天草切支丹館~ 激戦の跡と祇園橋 他 (2010/2/4)
明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他 (5月7日 晩)
この道は、正門への道。 瓦が敷き詰めてあるので、瓦坂。 土などが、流れないように。
城跡の前から、この橋から出る。 左に、おしゃれなお店。
振り返るとこう。
こんなお店。 黒川温泉も湯布院も、お店の中は、どこも現代風なセンス。
ちょっといいものが置いてありそう、って感じる作りが、大事でしょうか。
※ 新しいカメラの特徴は、色合いがやわらかいことかな。
このレンズとの組み合わせは、いいかもしれないって、感じています。
透明感はレンズが、立体感は両方で、でしょうか。
(カメラは、XT1。 レンズは、23㍉、F1.4。 どっちも、フジフイルム)
間もなく満開。 土日は、人であふれますね。
ここに、稽古館という藩校があった。
学問と武術。 耳を澄ますと、稽古の声が聞こえてきそう、って書きたくなる。
直線の道は、あと少し。
古心寺に向かっている。
この道は、歴史街道と呼んでる道。 九州にはいっぱい。
秋月の良さは、歩けることですね。 見どころが、散らばっている。
大凉寺。 奥の方に、秋月氏の墓がある。
古心寺に着いた。 このお堂の右に、臼井六郎の墓がある。
お堂の後ろから撮影。 左の3つ並んでる墓の、右端が、六郎。
苦節13年とある。 父母と妹が殺されたのは、明治元年。
真ん中は、父母。 左が、臼井六郎。
復讐の概要はこう。(Wikipedia)
秋に明治元年となる慶応4年。
秋月藩執政臼井亘理は、大久保利通からも嘱望されるほどの、開明派であったが、
守旧派の反感を買い、国家老吉田悟助の命を受けた干城隊の襲撃を受け、妻ともども残忍に殺害される。
藩の裁定は臼井殺害の犯人を罰せず、かえって臼井家を罰する不合理なもので、
亘理の息子臼井六郎は 周囲の反対にもかかわらず、敵討ちの決意を固める。
そうして、13年後に、仇討を果たす。
死刑にはならなかった。
無期懲役。 途中で出る。(恩赦)
下に詳しく。
青春の城下町。 【日本最後の仇討ち】明治13年(1880)12月17日】
この仇討については、銀河宙太さんが詳しい。
同人誌にまとめている。
テレビドラマにもなっている。 下は、全体ではないが、山岡鉄舟が出て来る。
復讐の成功を願っている。
面白いです。 時間のある時に、ぜひ。
【遺恨あり 明治十三年 最後の仇討】
ドラマの中で六郎は、出所後、もう1人を狙う。
止めるように言われるが、復讐しか考えたことないから、どう生きたらいいか分からないという。
狙われてるもう1人の男は、六郎に追われている恐怖で、気が狂う。 首を吊る。
この後、戻る。
石橋を渡って。
秋月には、臼井六郎や采蘋(さいひん)などの歴史もある。
書かなかったけど、秋月の乱も。
他に、染め物や食べ物の魅力も、あるようです。
魅力を捜し歩いたら、まる1日かかりそう。
またいつか、天気のいい日に歩いてみたいです。
九州は、間もなく、桜が満開。
いい季節に入ります。
【今日の歌】 秋月が、詩の中にいっぱい入る方が好き。 鞆の浦慕情のように。
【道の駅】 原鶴
【明日の予定】 雨の予報。 外は歩けないかも知れない。 午後遅くには止むか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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生き方は、それだけ。 他は見つからない。
明治の初めのこと。
名前は、臼井六郎。 ※ うすい ろくろう。
父と母と妹が、殺されていた。
六郎の仇討を、助けた男がいた。
剣の腕を、上達させるために。
山岡鉄舟(てっしゅう)。
龍馬や勝海舟と共に、幕末を、動かした男。 ※ ブログに何度も、登場している。
臼井六郎は、最後は、本懐を遂げる。
仇討に成功する。
今日の一番の目的は、六郎の墓にお参りすること。
秋月は、城下町であり、小京都とも呼ばれる。
しっとりした町並みを、歩いた。
途中、采蘋(さいひん)という、江戸時代の漢詩人に出会った。
(写真は、今日から、新しいカメラです。 最後の2枚は、小さなカメラ)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
秋月は、今は朝倉市に。 昔は、秋月町。 合併して合併して、今に。
江戸時代は、福岡藩の支藩。 秋月藩。 領地より、上でしょうか。
ここから歩き始める。 10分ほどで着く。
正面の谷に、町並みが。

町の入り口。 目鏡橋(めがねばし)。 眼鏡でなく目鏡。 辞書にない。

長崎で眼鏡橋を見た者が、ふる里の秋月にも、と思った。
技術者を呼んで、数年かかった。
上部が、割に薄いことと、長い石を使っているのが、特徴。 石の花崗岩も。

橋のたもとに、お店。 いい感じ。
こんな風景を見るのが好き。 センスいいな~って、感じるので。

左回りで歩く。 一度来ているので、道は、だいたい分かる。

伝建地区です。 これになったら、町並みは残る。 そうでなかったら、次第に古い家は、消える。
この近くに、秋月の乱の蜂起の地が。

道を曲がった。 正面に、桜。 咲き始めた。
左に、大根。 桜と大根の組み合わせは、見たことない。

西念寺。 秀吉の一言で、出来た。

この寺には、次に出て来る、采蘋(さいひん)の墓がある。

歩いていたら、アンティークなお店。 そこの庭に、この像。
名前は、原 采蘋(さいひん)。 蘋の字の意味は、うきくさ。
江馬細香・梁川紅蘭らとならぶ、江戸後期の女性漢詩人の代表的人物。
男装の女流詩人として知られる。(Wikipedia)


肖像画を見たいけど、ネット上にはないですね。
上に書いた3人の本が出ている。
代表的作品を探したが、見つからない。 ちょっとしたのがあったので、載せます。


彼女は、放浪の旅を続ける。
采蘋の采は、~のよう、って意味。 浮草のようだから、采蘋としたのか。
こういう人が酒を飲むと、酒をこよなく愛した、と云われる。
私達が飲んだら、ただの飲ん兵衛ってしか・・。 酒に溺(おぼ)れたとも。
※ 酔裏(すいり)は、酔っている間、酔いながら、という意味。
酒を飲んだ方が、詩が浮かぶのか。
古い家にやって来た。

武家屋敷、久野邸。 ここは、城下町。

見所の中心の、城跡の方に。

秋月城跡の前に来た。 長屋門への石段。

秋月の地は、秋月氏が治めていたが、秀吉の力を見誤って、島津と一緒に、逆らった。
当然、負けた。
珍しい、楢柴肩衝(ならしばかたつき)という茶器を渡して、打ち首はのがれた。
高鍋藩に移された。
以来、この地は、黒田氏が治める。

登った向こうは、秋月中学校の敷地。

神社への石段。 小雨なので、行かなかった。

道・水路は、昔のままとある。 伝建地区の説明。

戻って来た。 土日は、桜祭りなのか、出店の準備。 桜が咲き始めている。

そのうち、水が張らさりますね。 以前来た時は、水だった。

道が広くなっている辺りのこと。
島原の乱の鎮圧に、駆り出された。
※ この写真は、右はこの場所での出陣の様子。 左は、島原での様子。

「戦うしか生きる道はない」と・・~天草切支丹館~ 激戦の跡と祇園橋 他 (2010/2/4)
明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他 (5月7日 晩)
この道は、正門への道。 瓦が敷き詰めてあるので、瓦坂。 土などが、流れないように。


城跡の前から、この橋から出る。 左に、おしゃれなお店。

振り返るとこう。

こんなお店。 黒川温泉も湯布院も、お店の中は、どこも現代風なセンス。
ちょっといいものが置いてありそう、って感じる作りが、大事でしょうか。

※ 新しいカメラの特徴は、色合いがやわらかいことかな。
このレンズとの組み合わせは、いいかもしれないって、感じています。
透明感はレンズが、立体感は両方で、でしょうか。
(カメラは、XT1。 レンズは、23㍉、F1.4。 どっちも、フジフイルム)

間もなく満開。 土日は、人であふれますね。

ここに、稽古館という藩校があった。
学問と武術。 耳を澄ますと、稽古の声が聞こえてきそう、って書きたくなる。

直線の道は、あと少し。

古心寺に向かっている。

この道は、歴史街道と呼んでる道。 九州にはいっぱい。

秋月の良さは、歩けることですね。 見どころが、散らばっている。

大凉寺。 奥の方に、秋月氏の墓がある。

古心寺に着いた。 このお堂の右に、臼井六郎の墓がある。

お堂の後ろから撮影。 左の3つ並んでる墓の、右端が、六郎。

苦節13年とある。 父母と妹が殺されたのは、明治元年。

真ん中は、父母。 左が、臼井六郎。

復讐の概要はこう。(Wikipedia)
秋に明治元年となる慶応4年。
秋月藩執政臼井亘理は、大久保利通からも嘱望されるほどの、開明派であったが、
守旧派の反感を買い、国家老吉田悟助の命を受けた干城隊の襲撃を受け、妻ともども残忍に殺害される。
藩の裁定は臼井殺害の犯人を罰せず、かえって臼井家を罰する不合理なもので、
亘理の息子臼井六郎は 周囲の反対にもかかわらず、敵討ちの決意を固める。
そうして、13年後に、仇討を果たす。
死刑にはならなかった。
無期懲役。 途中で出る。(恩赦)
下に詳しく。
青春の城下町。 【日本最後の仇討ち】明治13年(1880)12月17日】
この仇討については、銀河宙太さんが詳しい。
同人誌にまとめている。
テレビドラマにもなっている。 下は、全体ではないが、山岡鉄舟が出て来る。
復讐の成功を願っている。
面白いです。 時間のある時に、ぜひ。
【遺恨あり 明治十三年 最後の仇討】
ドラマの中で六郎は、出所後、もう1人を狙う。
止めるように言われるが、復讐しか考えたことないから、どう生きたらいいか分からないという。
狙われてるもう1人の男は、六郎に追われている恐怖で、気が狂う。 首を吊る。
この後、戻る。

石橋を渡って。

秋月には、臼井六郎や采蘋(さいひん)などの歴史もある。
書かなかったけど、秋月の乱も。
他に、染め物や食べ物の魅力も、あるようです。
魅力を捜し歩いたら、まる1日かかりそう。
またいつか、天気のいい日に歩いてみたいです。
九州は、間もなく、桜が満開。
いい季節に入ります。
【今日の歌】 秋月が、詩の中にいっぱい入る方が好き。 鞆の浦慕情のように。
【道の駅】 原鶴
【明日の予定】 雨の予報。 外は歩けないかも知れない。 午後遅くには止むか。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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