地図を持たないと、大変。 迷う。
三滝渓谷を登り、三滝山の頂上まで、2時間もかかった。
小さな山だし、ちょっと散歩のつもりが。
今日は、どこにいたかというと、
土佐から伊予に抜ける、古い街道の山の中。
西予(せいよ)市、城山町。
もう少し北には、韮(にら)ヶ峠を越える、土佐から伊予への道がある。
これが、龍馬の脱藩の道。
今日も、歩き疲れた1日。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高知と愛媛の県境に、山があって、峠がある。
道を右上に行くと、峠。 そこは、大茅(おおがや)峠。
※ 龍馬は、どこの峠を通ったか、はっきりしない時代があった。
峠の手前は、大茅地区。 そこの人の中には、大茅峠と思っていた人も。
地図の下の、パーキングに。
上の方の三滝神社まで、往復2時間のコース。
歌碑を見ながら歩いた。 持統天皇。 百人一首第2番。
春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の
衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)
※ 下のは、上と、少し違う。
屋根付き橋が見えた。 四国には時々ある。 西の方に。
三滝渓谷は、公園になっている。 この谷を行く。
歩いて、右から上がって来た。 少し向こうに。 ここが三滝渓谷の入り口。
※ ここへの車道は細かったので、来なかった。
滝が続いた。 特徴は、滝つぼがどこも、大きいこと。
滝は集落に近いので、伝説がいっぱいあった。 城があった時代に生まれている。
滝つぼというより、淵(ふち)でしょうか。
滝を上から。
急な渓谷だから、滝の連続。
茶堂に着いた。 この茶堂も、よく見る。 歩く人でも誰でも、ここで一休み。
道は、車道と遊歩道に分かれていた。
遊歩道を歩くことに。 最初に見た地図は、忘れている。
滝に沿っての遊歩道を登って行ったら、車道に出た。
その道を行ったら、民家に。 15分ほど歩いたろうか。
子供が3人遊んでいた。
先に行っても何もないという。 下って、左に行ったら、大きなイチョウがあると。
どこの学校に通っているのと、聞いた。
ここからでなく、別の家からと言った。
ここは、お母さんの実家のよう。 遊びに来ていた。
※ 最初に車を停めた所に、昔は学校があった。 窪野小学校。
この家の人たちは、そこへ通った。 私は、ここへ来るまで50分。 そんな距離。
地図にあった、トイレの場所に来た。 案内があった。
ここを上がって来た。 左上の道を行く。
※ 少し前、上の写真の車のそばで、年配の女性の方に会った。
その人は、道の脇のごみを掃いていた。
20年前まで、この場所の上の方に、住んでいた。
たまに、今も、松山からやって来る。
その女性は、ここにお嫁に来る前は、大茅(おおがや)地区に住んでいた。
大茅峠の手前。 学校まで遠かった。 毎日、十数㌔。
脱藩の道は、大茅から近いよねって、私は言った。
龍馬は大茅峠を越えたという話を、昔聞いたと言った。
(定説となっている脱藩の道は、少し北の、韮ヶ峠を越える。 行ってみたい。 道さえよければ)
分岐の所に、地図があった。
簡単な地図だが、実際は、たくさんのカーブがある。
15分歩いたら、何かが、見えた。 右に。
下に、大きなイチョウの木があった。
城主の、紀 親安が亡くなったのは、1583年。 430年前。
当時、この木は100年を過ぎていて、大きくなっていた。
※ 彼は、波川清宗の娘を嫁にもらう。 どちらも、土佐の長曾我部の家臣。
ところが、波川清宗が謀反を起こす。
紀親安も疑われて、城は落とされる。
辞世の句は、生きている間に、作っておくのでしょうか。
急には作れないので。
反対側に、三滝神社の鳥居。 右に、石段が見える。
もう疲れているので、大変。 一気には、登れない。
登った所に標識。 トレッキングコースは、ここでお終い。 真っ直ぐ来たら、ここまで3㌔。
頂上まで、あと、500㍍。 行くしかない。
三滝神社。 ※ 三滝川、三滝渓谷、三滝神社、三滝山、三滝城、・・、全部三滝。
紀親安を、祀っている。
10分ほど登ったら、着いた。
山の上に作った、山城。 桜が咲き始めた。 ※ 山の下は、散り始めた。
天守があったかどうかは、分からないが、その一番高い所から。
木があるために、下は、少しだけ。 こっちの斜面は、急と分かる。
碑があった。
上の説明にある、八つ鹿踊りは、下に。
三滝神社からは、車道を下った。
途中に、参道が。 別の地区から来た人は、これを使うのか。
※ 八つ鹿踊りをする地区は、三滝渓谷の下ではなく、渓谷の左の方。
三滝神社の鳥居に、戻って来た。 右に、大イチョウ。 左に石段。
左の建物は、林庭院。 紀親安の廟(びょう)。 墓。
距離は長くなっても、ずっと、車道を戻った。 谷の下に、滝が続く。
屋根付き橋に、戻って来た。
歌を見ながら、戻った。
窪川地区。 右の道は、梼原(ゆすはら)に続く。 大茅峠を通って。
戻って来た。 城川町の中心街。 この中に、道の駅が。
渓谷と城跡があると分かって、行ってみた。
街道の匂いがする、古い集落の中も走った。
今の時代、小さな街は寂れていくけど、昔は、どこもにぎやかだった。
貧しくても、いい時代だった。
今日くらい歩けば、いい運動になっているでしょうか。
【今日の歌】 星めぐり
【道の駅】 きなはい屋しろかわ
【明日の予定】 梼原(ゆすはら)かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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三滝渓谷を登り、三滝山の頂上まで、2時間もかかった。
小さな山だし、ちょっと散歩のつもりが。
今日は、どこにいたかというと、
土佐から伊予に抜ける、古い街道の山の中。
西予(せいよ)市、城山町。
もう少し北には、韮(にら)ヶ峠を越える、土佐から伊予への道がある。
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道を右上に行くと、峠。 そこは、大茅(おおがや)峠。
※ 龍馬は、どこの峠を通ったか、はっきりしない時代があった。
峠の手前は、大茅地区。 そこの人の中には、大茅峠と思っていた人も。
地図の下の、パーキングに。
上の方の三滝神社まで、往復2時間のコース。

歌碑を見ながら歩いた。 持統天皇。 百人一首第2番。
春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の
衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)
※ 下のは、上と、少し違う。

屋根付き橋が見えた。 四国には時々ある。 西の方に。

三滝渓谷は、公園になっている。 この谷を行く。

歩いて、右から上がって来た。 少し向こうに。 ここが三滝渓谷の入り口。
※ ここへの車道は細かったので、来なかった。

滝が続いた。 特徴は、滝つぼがどこも、大きいこと。
滝は集落に近いので、伝説がいっぱいあった。 城があった時代に生まれている。


滝つぼというより、淵(ふち)でしょうか。

滝を上から。

急な渓谷だから、滝の連続。

茶堂に着いた。 この茶堂も、よく見る。 歩く人でも誰でも、ここで一休み。

道は、車道と遊歩道に分かれていた。
遊歩道を歩くことに。 最初に見た地図は、忘れている。

滝に沿っての遊歩道を登って行ったら、車道に出た。
その道を行ったら、民家に。 15分ほど歩いたろうか。

子供が3人遊んでいた。
先に行っても何もないという。 下って、左に行ったら、大きなイチョウがあると。
どこの学校に通っているのと、聞いた。
ここからでなく、別の家からと言った。
ここは、お母さんの実家のよう。 遊びに来ていた。
※ 最初に車を停めた所に、昔は学校があった。 窪野小学校。
この家の人たちは、そこへ通った。 私は、ここへ来るまで50分。 そんな距離。
地図にあった、トイレの場所に来た。 案内があった。

ここを上がって来た。 左上の道を行く。

※ 少し前、上の写真の車のそばで、年配の女性の方に会った。
その人は、道の脇のごみを掃いていた。
20年前まで、この場所の上の方に、住んでいた。
たまに、今も、松山からやって来る。
その女性は、ここにお嫁に来る前は、大茅(おおがや)地区に住んでいた。
大茅峠の手前。 学校まで遠かった。 毎日、十数㌔。
脱藩の道は、大茅から近いよねって、私は言った。
龍馬は大茅峠を越えたという話を、昔聞いたと言った。
(定説となっている脱藩の道は、少し北の、韮ヶ峠を越える。 行ってみたい。 道さえよければ)
分岐の所に、地図があった。
簡単な地図だが、実際は、たくさんのカーブがある。

15分歩いたら、何かが、見えた。 右に。

下に、大きなイチョウの木があった。
城主の、紀 親安が亡くなったのは、1583年。 430年前。
当時、この木は100年を過ぎていて、大きくなっていた。


※ 彼は、波川清宗の娘を嫁にもらう。 どちらも、土佐の長曾我部の家臣。
ところが、波川清宗が謀反を起こす。
紀親安も疑われて、城は落とされる。
辞世の句は、生きている間に、作っておくのでしょうか。
急には作れないので。

反対側に、三滝神社の鳥居。 右に、石段が見える。

もう疲れているので、大変。 一気には、登れない。


登った所に標識。 トレッキングコースは、ここでお終い。 真っ直ぐ来たら、ここまで3㌔。
頂上まで、あと、500㍍。 行くしかない。

三滝神社。 ※ 三滝川、三滝渓谷、三滝神社、三滝山、三滝城、・・、全部三滝。
紀親安を、祀っている。

10分ほど登ったら、着いた。

山の上に作った、山城。 桜が咲き始めた。 ※ 山の下は、散り始めた。

天守があったかどうかは、分からないが、その一番高い所から。

木があるために、下は、少しだけ。 こっちの斜面は、急と分かる。


碑があった。


上の説明にある、八つ鹿踊りは、下に。
三滝神社からは、車道を下った。
途中に、参道が。 別の地区から来た人は、これを使うのか。
※ 八つ鹿踊りをする地区は、三滝渓谷の下ではなく、渓谷の左の方。

三滝神社の鳥居に、戻って来た。 右に、大イチョウ。 左に石段。
左の建物は、林庭院。 紀親安の廟(びょう)。 墓。

距離は長くなっても、ずっと、車道を戻った。 谷の下に、滝が続く。

屋根付き橋に、戻って来た。

歌を見ながら、戻った。

窪川地区。 右の道は、梼原(ゆすはら)に続く。 大茅峠を通って。

戻って来た。 城川町の中心街。 この中に、道の駅が。

渓谷と城跡があると分かって、行ってみた。
街道の匂いがする、古い集落の中も走った。
今の時代、小さな街は寂れていくけど、昔は、どこもにぎやかだった。
貧しくても、いい時代だった。
今日くらい歩けば、いい運動になっているでしょうか。
【今日の歌】 星めぐり
【道の駅】 きなはい屋しろかわ
【明日の予定】 梼原(ゆすはら)かな。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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