龍馬は、自由に動くために、夢をかなえるために、脱藩した。
ルートは、土佐、梼原(ゆすはら)、韮(にら)ヶ峠、大洲、長浜、海を渡って下関。
捕まったら死罪。 命がけ。
韮ヶ峠を越えたら、土佐を出て、脱藩。
梼原で、力を溜め、一気に越えた。
1862年の3月26日のこと。
今日は、梼原の市街地を通る、脱藩の道を歩いた。
最後に、維新の門の像を見て。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
梼原は、四国の山の中。
車は、役場に駐車できる。 ありがたい。
向かい側に、歴史民俗資料館。
写真の人に、韮が峠までの道について、教えてもらった。
途中までは、この車でも行けると分かった。 親切だった。
脱藩の道。
龍馬たち4人は、梼原を出たら、一気に韮ヶ峠を越え、伊予に出た。
この時が、脱藩。
大きな〇から、左回りで歩く。 3年前に、一度歩いている。
脱藩した者、8名の紹介。 梼原に関係のある者か。
2名は、禁門の変で、3名は天誅組に入って、亡くなる。
まず、向こうの道を上がっていく。
茶堂(ちゃどう)。 龍馬もこの道を通って、梼原に入って来た。 梼原の市街地への、入口。
この地方では、時々見る。
向こうは、高知方面。 道は、山沿いに。
正面の林の中に、龍馬が道案内してもらう、那須俊平・信吾の家がある。 前回行った。
茶堂の少し街寄りを上がっていくと、梼原出身の6名の墓がある。
8名の内、龍馬と澤村は土佐から来たので、無い。 6名。
脱藩の道を、街に下りて行く。
市街地の左側。 城が見える。 そこに、維新の門の像。
脱藩の道は、正面を行って、右の山の向こうへか。
右側。 一旦、向こうに行く。
こんな道を。
少し行くと、吉村虎太郎庄屋屋敷跡。 虎太郎の生家は、別の所。 遠くない。
辞世の歌がすごい。 吉野の鷲家口で、壮絶な死。 ※ 関連ブログは、最後に。
少し高い所に、中平龍之介の墓があった。 京都御所で死ぬ。
山を下りて、三嶋神社。
屋根付き橋の、神幸(みゆき)橋。 ※ 韮ヶ峠を越えた所にあるのは、御幸(みゆき)の橋。
楽しむ橋でしょうか。 川の上は涼しいので。 休み場所を作って。 この地方に多い。
龍馬の時代は、どんな橋だったのか。
三嶋神社。 ハリモミの木があって、朝鮮から持ってきたと云われる。 朝鮮出兵で。
市街地を抜け、山に入って行く。
山道を。
寺の中に来た。 桜が満開。
梼原の市街地。 右遠くに、茶堂。
スズランかなと思って。
途中で、道を間違えたのか。 こんな所に。
脱藩の道は、市街地から離れるので、自分は、城の所に行く。
和田城。 維新の門の像(群像)を見る。 これがいい。
山を途中まで下りたら、脱藩の道。 行かない。
中平善之進という人の墓。 脱藩と関係ないが、この人の名前は、よく見る。
一揆の責任を取らされて、打ち首になった。
来ました。 維新の門と名付けた。 維新への旅立ちの門か。
みんなそれぞれのポーズ。
時代や人物の思想を調べつくして、作ったって感じる。 作者は、浜田浩造という彫刻家。
左から
前田繁馬 那須信吾(前) 吉村虎太郎(後) 中平龍之介(低い姿勢) 掛橋和泉(一番後) 澤村惣之丞 坂本龍馬 那須俊平
説明があったので、再度載せます。
若い者たちは、颯爽(さっそう)としている。 時代を駆け抜けた。
先頭は那須信吾。 龍馬を韮ヶ峠まで送って、戻る。 義父の那須俊平は、もっと先まで。
未来は、倒幕の先にあると考えている。
中平龍之介ですね。 御所に散った。
表情がいいので、載せます。
いい像です。 いい群像。
脱藩に失敗して、龍馬たちが動けなかったら、時代は変わっていた。
像をつくった意味が書いてある。
店で買い物をして、買物袋を下げて戻った。
途中、お母さんと子ども3人に出会った。
お母さんが、挨拶をしてくれた。 そうしたら、一番上の子も。
子供たちは、感じよく賢く育っていくなって、感じた。
心軽やかになって、いい一日。
今日は、維新の門の像を見たくて、もう一度やってきました。
やはり、いい像だなって思いました。
韮ヶ峠に行きたいです。
詳しく聞かなかったので、少し不安。
何とかなるでしょう。
【関連ブログ】
天誅組終焉の地、鷲家口(わしかぐち)を訪ねて。 最後のニホンオオカミ。~東吉野村~ 他 (2013/4/15)
龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
本尊山に登る 海に一番近い下灘駅(?) 伊予長浜を歩く ~伊予市・大洲市~ 他 (2011/2/13)
坂本龍馬脱藩の道を歩く 屋根のある御幸の橋 ~大洲市 川辺町~ 他 (2011/2/4)
【今日の歌】 西島三重子 花吹雪ひゅうひゅう 桜の花びらが舞ったので。
【道の駅】 ゆすはら 市街地から近い。
【明日の予定】 韮が峠を考えている。 片道、6㌔歩くことに。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ルートは、土佐、梼原(ゆすはら)、韮(にら)ヶ峠、大洲、長浜、海を渡って下関。
捕まったら死罪。 命がけ。
韮ヶ峠を越えたら、土佐を出て、脱藩。
梼原で、力を溜め、一気に越えた。
1862年の3月26日のこと。
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車は、役場に駐車できる。 ありがたい。
向かい側に、歴史民俗資料館。
写真の人に、韮が峠までの道について、教えてもらった。
途中までは、この車でも行けると分かった。 親切だった。

脱藩の道。
龍馬たち4人は、梼原を出たら、一気に韮ヶ峠を越え、伊予に出た。
この時が、脱藩。


大きな〇から、左回りで歩く。 3年前に、一度歩いている。

脱藩した者、8名の紹介。 梼原に関係のある者か。
2名は、禁門の変で、3名は天誅組に入って、亡くなる。


まず、向こうの道を上がっていく。

茶堂(ちゃどう)。 龍馬もこの道を通って、梼原に入って来た。 梼原の市街地への、入口。

この地方では、時々見る。

向こうは、高知方面。 道は、山沿いに。
正面の林の中に、龍馬が道案内してもらう、那須俊平・信吾の家がある。 前回行った。

茶堂の少し街寄りを上がっていくと、梼原出身の6名の墓がある。


8名の内、龍馬と澤村は土佐から来たので、無い。 6名。


脱藩の道を、街に下りて行く。

市街地の左側。 城が見える。 そこに、維新の門の像。
脱藩の道は、正面を行って、右の山の向こうへか。

右側。 一旦、向こうに行く。

こんな道を。

少し行くと、吉村虎太郎庄屋屋敷跡。 虎太郎の生家は、別の所。 遠くない。

辞世の歌がすごい。 吉野の鷲家口で、壮絶な死。 ※ 関連ブログは、最後に。

少し高い所に、中平龍之介の墓があった。 京都御所で死ぬ。


山を下りて、三嶋神社。
屋根付き橋の、神幸(みゆき)橋。 ※ 韮ヶ峠を越えた所にあるのは、御幸(みゆき)の橋。

楽しむ橋でしょうか。 川の上は涼しいので。 休み場所を作って。 この地方に多い。

龍馬の時代は、どんな橋だったのか。

三嶋神社。 ハリモミの木があって、朝鮮から持ってきたと云われる。 朝鮮出兵で。

市街地を抜け、山に入って行く。

山道を。

寺の中に来た。 桜が満開。

梼原の市街地。 右遠くに、茶堂。

スズランかなと思って。

途中で、道を間違えたのか。 こんな所に。
脱藩の道は、市街地から離れるので、自分は、城の所に行く。
和田城。 維新の門の像(群像)を見る。 これがいい。

山を途中まで下りたら、脱藩の道。 行かない。

中平善之進という人の墓。 脱藩と関係ないが、この人の名前は、よく見る。
一揆の責任を取らされて、打ち首になった。


来ました。 維新の門と名付けた。 維新への旅立ちの門か。

みんなそれぞれのポーズ。
時代や人物の思想を調べつくして、作ったって感じる。 作者は、浜田浩造という彫刻家。

左から
前田繁馬 那須信吾(前) 吉村虎太郎(後) 中平龍之介(低い姿勢) 掛橋和泉(一番後) 澤村惣之丞 坂本龍馬 那須俊平


説明があったので、再度載せます。


若い者たちは、颯爽(さっそう)としている。 時代を駆け抜けた。
先頭は那須信吾。 龍馬を韮ヶ峠まで送って、戻る。 義父の那須俊平は、もっと先まで。


未来は、倒幕の先にあると考えている。


中平龍之介ですね。 御所に散った。

表情がいいので、載せます。






いい像です。 いい群像。

脱藩に失敗して、龍馬たちが動けなかったら、時代は変わっていた。
像をつくった意味が書いてある。

店で買い物をして、買物袋を下げて戻った。
途中、お母さんと子ども3人に出会った。
お母さんが、挨拶をしてくれた。 そうしたら、一番上の子も。
子供たちは、感じよく賢く育っていくなって、感じた。
心軽やかになって、いい一日。

今日は、維新の門の像を見たくて、もう一度やってきました。
やはり、いい像だなって思いました。
韮ヶ峠に行きたいです。
詳しく聞かなかったので、少し不安。
何とかなるでしょう。
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龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
本尊山に登る 海に一番近い下灘駅(?) 伊予長浜を歩く ~伊予市・大洲市~ 他 (2011/2/13)
坂本龍馬脱藩の道を歩く 屋根のある御幸の橋 ~大洲市 川辺町~ 他 (2011/2/4)
【今日の歌】 西島三重子 花吹雪ひゅうひゅう 桜の花びらが舞ったので。
【道の駅】 ゆすはら 市街地から近い。
【明日の予定】 韮が峠を考えている。 片道、6㌔歩くことに。
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