今日は、律令時代の面影を追って歩いた。
その時代に、日本は、1つの国としてまとまっていく。
奈良時代から、平安時代にかけてのこと。
最初は、国分寺跡。
奈良時代、聖武天皇は、全国に国分寺を作った。
国の繁栄を願い、人心を掌握するには、寺が必要と考えた。
国分寺跡の一角には、80番札所の國分寺があった。
律令時代、讃岐(さぬき)の国の政治の中心地は、讃岐国府。
そこを歩いた。
その場所は、崇徳天皇が讃岐に流され、住んだ場所でもあった。
今日の情報は、高松のMさんから。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高松市と坂出市の境目に、行く。
中央に、国分寺跡。 その中に、札所の國分寺。
上の方に、讃岐国府跡。
右は、昨年行った。 崇徳上皇の墓もある。
歩く地図を持ってないので、讃岐国分寺跡資料館に入った。 100円。
ここで、少しだけ、勉強。
律令時代、東北は、政治の影響が少ない様ですね。
国分寺の頂点が、東大寺。 知らなかった。 国分尼寺の頂点は、法華寺。 行ったことない。
東大寺大仏殿 興福寺阿修羅像 ~奈良市~ 他 (2010/5/30)
政治を行う者は、仏や神を利用しますね。
本人が言っても、信用してもらえないことが多い。
だから、仏や神が、言ってるとする。
仏が言うことに逆らうのかって、脅せる。
発掘して、出てきたもの。
国分寺跡は、場所が分かっている程度が、普通。
旅していて、たまに出会う。
讃岐の国分寺のように、詳しく分かっている所は、数少ない。
一部が見つかれば、全体が分かる。 そういうことなんですね。
七重塔。 五重塔ではなかった。 七重塔は、見たことがない。
本物は、どこかにあるのでしょうか。 分かりません。 小さいのなら、結構ある。
東大寺が復元を計画しているよう。 見たい。 武蔵国分寺にあるのは、10分の1のスケール。
左の建物は、復元されている。
国分寺跡を歩く。 左下に、札所の、國分寺。
復元した、僧坊。 国分寺の中心の建物。 僧が20人いた。
建物の柱は、石の上に載せる。 そうしないと、腐ってしまう。
この石が、発見されている。
右遠くに、塀を復元。
そうしてここは、第80番札所の國分寺。 山門(仁王門)。
※ 七重塔は、山門の右にあったそう。 石が残っている。
現在日本最大の、京都の東寺の五重塔より、大きかった。 (2010年に撮影)
隙間から。
正面に本堂。 国分寺跡の石が見える。
創建は奈良時代とある。
最後に、ここは国分寺跡ではなく、國分寺ですよと。 間違う人がいるからか。
國分寺の特徴は、境内に、石像がいっぱい。
札所なので、人が多い。 土曜日だからか、観光客もたくさん。
この後、3㌔ほど離れた、讃岐国跡へ。
香川県埋蔵文化財センターがあるけど、土曜日で休み。 車は、近くに停めた。
停められると、Mさんに聞いていた。
赤〇の所を、左回りで。 最後に、緑の〇を。
ここからスタート。
正面の森に、鼓岡(つづみがおか)神社。
保元の乱で敗れた、崇徳(すとく)上皇が暮らした場所。 最後に行く。
目の前の池は、開法寺池。 右の方に、開法寺があった。
少し歩いて、ここに、開法寺の塔が。
発掘で分かってきている。 ここは、坂出市。 さっきの、国分寺跡は、高松市に。
こんな道を、地図を見ながら歩く。 それだけで、楽しくなってくる。
懐かしさを感じさせる、里山の風景。 北海道にはない。
讃岐国府跡。 国府の建物は散らばっていたが、中心の建物は、この辺りに。
今でいえば、香川県の県庁は、ここにあった。
奈良時代の少し前から、律令制度の整備が始まったんですね。
大宝律令を、まず作って。
※ これに大きくかかわったのが、藤原不比等。
昨日の、海女(あま)の玉取り伝説に出て来た人。
場所は、推定ですね。 地名とかでかな。
ここには、孔子を祀るお堂があったよう。
家の向こうに、鼓岡神社。
途中に、菊塚。
崇徳上皇には、子どもがいたと。
このことは、史実として、確かなよう。 Wikipediaには、下のように。
※ 崇徳院は、配流先の讃岐鼓岡木ノ丸御所で 国府役人の綾高遠の娘との間に
1男1女をもうけている。
崇徳天皇は、後白河天皇に負かされる。 清盛の時代でもあり、平安時代が間もなく終わる。
別の案内板。 鼓岡の後は、下の方の、古墳を見る。
鼓岡神社。 崇徳天皇は上皇となって、ここで暮らす。 その地に、神社が出来た。
崇徳上皇は、こんな人。 文人の雰囲気か。
それらしい建物が、隣にあった。
崇徳上皇が住んだ建物は、他に移されたとある。
その場所は、白峯寺の中に。
移された建物は、下のブログに。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
崇徳天皇の歌は、百人一首の中にある。 そのことでも、彼は有名。
末の意味は、あの世ですね。 今は別々になっても、あの世で一緒に・・・、かな。
向こうに行って、左の方の古墳に。
ずいぶんと歩いて、丘に登って、新宮(しんぐう)古墳。 小さい。 古墳時代の終わりころの。
この大きさなら、直ぐに、盗掘される。
そこから見た風景。
左端に、車。 赤〇をまず歩いた。 そして、大きな〇へ。
この一帯が、律令時代、讃岐(香川県)の中心地だった。
国分寺跡や国府跡は、今の時代に発掘され、整備されたものですね。
ところが、崇徳天皇に関わる史跡は、昔から知られていた。
西行の時代だって。
崇徳天皇は、この地を歩く魅力を、大きくしてくれている。
いい歌を残してくれて。
しかし、この地では、心細かった。
それで、こんな歌。
「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」
【今日の歌】 ビートルズで。
【道の駅】 滝宮
【明日の予定】 曼荼羅寺、西行庵、出釈迦寺、など。 Mさんからの情報で。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その時代に、日本は、1つの国としてまとまっていく。
奈良時代から、平安時代にかけてのこと。
最初は、国分寺跡。
奈良時代、聖武天皇は、全国に国分寺を作った。
国の繁栄を願い、人心を掌握するには、寺が必要と考えた。
国分寺跡の一角には、80番札所の國分寺があった。
律令時代、讃岐(さぬき)の国の政治の中心地は、讃岐国府。
そこを歩いた。
その場所は、崇徳天皇が讃岐に流され、住んだ場所でもあった。
今日の情報は、高松のMさんから。
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高松市と坂出市の境目に、行く。
中央に、国分寺跡。 その中に、札所の國分寺。
上の方に、讃岐国府跡。
右は、昨年行った。 崇徳上皇の墓もある。

歩く地図を持ってないので、讃岐国分寺跡資料館に入った。 100円。

ここで、少しだけ、勉強。
律令時代、東北は、政治の影響が少ない様ですね。
国分寺の頂点が、東大寺。 知らなかった。 国分尼寺の頂点は、法華寺。 行ったことない。
東大寺大仏殿 興福寺阿修羅像 ~奈良市~ 他 (2010/5/30)


政治を行う者は、仏や神を利用しますね。
本人が言っても、信用してもらえないことが多い。
だから、仏や神が、言ってるとする。
仏が言うことに逆らうのかって、脅せる。
発掘して、出てきたもの。
国分寺跡は、場所が分かっている程度が、普通。
旅していて、たまに出会う。
讃岐の国分寺のように、詳しく分かっている所は、数少ない。

一部が見つかれば、全体が分かる。 そういうことなんですね。

七重塔。 五重塔ではなかった。 七重塔は、見たことがない。
本物は、どこかにあるのでしょうか。 分かりません。 小さいのなら、結構ある。
東大寺が復元を計画しているよう。 見たい。 武蔵国分寺にあるのは、10分の1のスケール。
左の建物は、復元されている。

国分寺跡を歩く。 左下に、札所の、國分寺。

復元した、僧坊。 国分寺の中心の建物。 僧が20人いた。

建物の柱は、石の上に載せる。 そうしないと、腐ってしまう。
この石が、発見されている。
右遠くに、塀を復元。

そうしてここは、第80番札所の國分寺。 山門(仁王門)。
※ 七重塔は、山門の右にあったそう。 石が残っている。
現在日本最大の、京都の東寺の五重塔より、大きかった。 (2010年に撮影)

隙間から。


正面に本堂。 国分寺跡の石が見える。

創建は奈良時代とある。
最後に、ここは国分寺跡ではなく、國分寺ですよと。 間違う人がいるからか。

國分寺の特徴は、境内に、石像がいっぱい。

札所なので、人が多い。 土曜日だからか、観光客もたくさん。

この後、3㌔ほど離れた、讃岐国跡へ。
香川県埋蔵文化財センターがあるけど、土曜日で休み。 車は、近くに停めた。
停められると、Mさんに聞いていた。
赤〇の所を、左回りで。 最後に、緑の〇を。

ここからスタート。
正面の森に、鼓岡(つづみがおか)神社。
保元の乱で敗れた、崇徳(すとく)上皇が暮らした場所。 最後に行く。
目の前の池は、開法寺池。 右の方に、開法寺があった。

少し歩いて、ここに、開法寺の塔が。

発掘で分かってきている。 ここは、坂出市。 さっきの、国分寺跡は、高松市に。

こんな道を、地図を見ながら歩く。 それだけで、楽しくなってくる。
懐かしさを感じさせる、里山の風景。 北海道にはない。

讃岐国府跡。 国府の建物は散らばっていたが、中心の建物は、この辺りに。
今でいえば、香川県の県庁は、ここにあった。

奈良時代の少し前から、律令制度の整備が始まったんですね。
大宝律令を、まず作って。
※ これに大きくかかわったのが、藤原不比等。
昨日の、海女(あま)の玉取り伝説に出て来た人。
場所は、推定ですね。 地名とかでかな。

ここには、孔子を祀るお堂があったよう。

家の向こうに、鼓岡神社。

途中に、菊塚。

崇徳上皇には、子どもがいたと。
このことは、史実として、確かなよう。 Wikipediaには、下のように。
※ 崇徳院は、配流先の讃岐鼓岡木ノ丸御所で 国府役人の綾高遠の娘との間に
1男1女をもうけている。

崇徳天皇は、後白河天皇に負かされる。 清盛の時代でもあり、平安時代が間もなく終わる。
別の案内板。 鼓岡の後は、下の方の、古墳を見る。

鼓岡神社。 崇徳天皇は上皇となって、ここで暮らす。 その地に、神社が出来た。

崇徳上皇は、こんな人。 文人の雰囲気か。

それらしい建物が、隣にあった。
崇徳上皇が住んだ建物は、他に移されたとある。
その場所は、白峯寺の中に。

移された建物は、下のブログに。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
崇徳天皇の歌は、百人一首の中にある。 そのことでも、彼は有名。

末の意味は、あの世ですね。 今は別々になっても、あの世で一緒に・・・、かな。


向こうに行って、左の方の古墳に。

ずいぶんと歩いて、丘に登って、新宮(しんぐう)古墳。 小さい。 古墳時代の終わりころの。

この大きさなら、直ぐに、盗掘される。

そこから見た風景。

左端に、車。 赤〇をまず歩いた。 そして、大きな〇へ。
この一帯が、律令時代、讃岐(香川県)の中心地だった。

国分寺跡や国府跡は、今の時代に発掘され、整備されたものですね。
ところが、崇徳天皇に関わる史跡は、昔から知られていた。
西行の時代だって。
崇徳天皇は、この地を歩く魅力を、大きくしてくれている。
いい歌を残してくれて。
しかし、この地では、心細かった。
それで、こんな歌。
「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」
【今日の歌】 ビートルズで。
【道の駅】 滝宮
【明日の予定】 曼荼羅寺、西行庵、出釈迦寺、など。 Mさんからの情報で。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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