明智光秀が信長を討った本能寺の変は、1582年の6月2日。
光秀軍は、前日の夕方、亀山城を出発する。
兵は、13000。 列が長くなるので、3つのルートに分かれて。
一番北が、明智越(あけちごえ)と言われる道。
いつかは、歩かなければならない道。
山への入り口が分からないので、探しに行ってきた。
途中、文覚上人という名前に、出会った。
どんな人か、調べてみた。
面白い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日の場所は、保津川の北。
下の地図と変わらない、簡単な地図しか持っていない。
山の下に車を置いて、登りだした。
畑の人に聞いたら、文覚寺の方と、教えてくれた。
その文覚(もんがく)寺。
文覚(もんがく)上人ゆかりの、とある。
文覚上人を調べたら、大きな人だった。
この地で幼少のころ過ごしたために、この寺があった。
伊豆に流されて、頼朝と知り合う。
頼朝も流されていて、まだ、立ち上がっていない。
文覚上人は、立ち上がるよう促す。
頼朝は、流人の身だから難しいという。
文覚は、頼朝の父義朝の無念さを訴えた。
そうして、後白河法皇から、平氏打倒の院宣(許可証)を、ある人の協力のもと、手に入れる。
そのために、京都に行って。 院宣を、頼朝に渡す。
文覚がいて、頼朝は、世に出る決心をし、出ることが出来た。 (以上、平家物語による)
文覚は、寺の復興など、他の活躍もしている。
道は、こっちを行く。
亀岡市は、丹波の南の端。
はるか昔は、湖だった。 丹(あか)い波があって、丹波と呼ばれた。
北の高い部分は、昔から陸。
古い神社や寺は、この地域に集まっている。
家並みが、今も、何となくふるい。
狭い所に、集まっている。
分かれ道。 左に行ったら、水尾。 標識がある。 どっちだろう。
聞いたら、右だった。 右の壁の少し向こうに、書いてあった。
※ 左の道は、調べたら、林道で水尾につながっていた。
感じのいい道が続く。
愛宕(あたご)ってある。 この道は、昔から愛宕への道のよう。
愛宕山の愛宕でいいのか。 そこは、光秀が、本能寺の前にお参りに行った所。
その時も、明智越を通っている。
着いた。 ここだ。
深い山道。 途中で聞いた人は、みんな、今から行っても暗くなるからねと、言った。
水尾まで、2時間。 この距離なら、無理なく行けそう。
水尾の出口は、見たことがある。
これで安心。 天気のいい日に、必ず行く。
この地図に関するブログは、関連ブログで紹介しますね。
ここでは、前日の、午後10時出発とある。
私は、愛宕山に寄って、本能寺に行ったと思っていたが、そうでない考えが、主流のよう。
光秀は、どうして、信長を討ったのでしょう。
本能寺の変は、1582年6月。
この年の3月の、武田氏は、天目山で滅びる。
家康が活躍する。
信長は、安土城に家康を呼んで、接待する。 5月のこと。
接待の役を、光秀がする。
何かの失敗で、信長に咎められる。
この恨みで殺したとも。 でも、いろんな説がある。
別の道を戻った。 途中で、亀岡の市街地が。 右に、亀山城跡が見える。
小さな、亀の形の山に、亀山城はあった。
※ 亀岡市は、元々は、亀山だった。 明治に亀岡に変更。 伊勢の方にも、亀山があるので。
あそこから、光秀軍は出発。 ※ この写真の少し右に、保津川下りの出発点。
光秀が犯人だが、黒幕は誰でしょう。
一番もうけたのは、秀吉。 秀吉が怪しい。
次に、儲けたのは、家康。 秀吉の後だけど。
家康は、本能寺の変の後、自分も殺されると思った。
家康は、黒幕は、秀吉と思っていたかも知れない。
堺にいた家康は、一目散で、岡崎に戻る。
この時が、家康の一番の危機だったと、言われる。
馬堀地区。 左に、トロッコ列車の終点。
こんな道を通って。
時間があるので、請田(うけた)神社に。
10分ほど歩く。 この道をずっと行ったら、京都に。 以前歩いた。
着きました。
請田神社。 この地一帯の、開拓着工の鍬入れを受けたので、請田神社。 そんな説明が。
保津川をはさんで、手前は、トロッコ列車の線路。 鉄道は、直ぐトンネル。
列車が出てこないかなと思ったら、直ぐに出てきて、それにびっくり。
中央に、トロッコ駅の終点。
子どもが遊んでいる。 中学生か。
拝殿。
戻って、ここが、川下りの出発点。
ここで乗る。 こんなように。
今日は、明智越を歩くための、下準備でした。
歩けるなって、分かりました。
いつ行きましょう。
関連ブログを、いくつか載せますね。
亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~ ききょうの花(山崎ハコ) 他 (2012/6/25)
安土城跡は、信長の夢の跡。 安土城天主、信長の館。~近江八幡市~ 他 (2013/6/21)
愛宕山に登る。 保津峡駅~水尾~愛宕山~嵯峨嵐山駅。~京都市~ 他 (2013/4/11)
亀岡市、出雲大神宮の紅葉は、真っ赤だった。~亀岡市~ 他 (2013/11/20)
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
【今日の歌】
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 宇治平等院。 時間があれば、歩きたい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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光秀軍は、前日の夕方、亀山城を出発する。
兵は、13000。 列が長くなるので、3つのルートに分かれて。
一番北が、明智越(あけちごえ)と言われる道。
いつかは、歩かなければならない道。
山への入り口が分からないので、探しに行ってきた。
途中、文覚上人という名前に、出会った。
どんな人か、調べてみた。
面白い。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日の場所は、保津川の北。
下の地図と変わらない、簡単な地図しか持っていない。

山の下に車を置いて、登りだした。
畑の人に聞いたら、文覚寺の方と、教えてくれた。
その文覚(もんがく)寺。

文覚(もんがく)上人ゆかりの、とある。

文覚上人を調べたら、大きな人だった。
この地で幼少のころ過ごしたために、この寺があった。
伊豆に流されて、頼朝と知り合う。
頼朝も流されていて、まだ、立ち上がっていない。
文覚上人は、立ち上がるよう促す。
頼朝は、流人の身だから難しいという。
文覚は、頼朝の父義朝の無念さを訴えた。
そうして、後白河法皇から、平氏打倒の院宣(許可証)を、ある人の協力のもと、手に入れる。
そのために、京都に行って。 院宣を、頼朝に渡す。
文覚がいて、頼朝は、世に出る決心をし、出ることが出来た。 (以上、平家物語による)
文覚は、寺の復興など、他の活躍もしている。
道は、こっちを行く。
亀岡市は、丹波の南の端。
はるか昔は、湖だった。 丹(あか)い波があって、丹波と呼ばれた。
北の高い部分は、昔から陸。
古い神社や寺は、この地域に集まっている。
家並みが、今も、何となくふるい。
狭い所に、集まっている。

分かれ道。 左に行ったら、水尾。 標識がある。 どっちだろう。
聞いたら、右だった。 右の壁の少し向こうに、書いてあった。
※ 左の道は、調べたら、林道で水尾につながっていた。

感じのいい道が続く。

愛宕(あたご)ってある。 この道は、昔から愛宕への道のよう。
愛宕山の愛宕でいいのか。 そこは、光秀が、本能寺の前にお参りに行った所。
その時も、明智越を通っている。


着いた。 ここだ。
深い山道。 途中で聞いた人は、みんな、今から行っても暗くなるからねと、言った。

水尾まで、2時間。 この距離なら、無理なく行けそう。
水尾の出口は、見たことがある。
これで安心。 天気のいい日に、必ず行く。
この地図に関するブログは、関連ブログで紹介しますね。

ここでは、前日の、午後10時出発とある。
私は、愛宕山に寄って、本能寺に行ったと思っていたが、そうでない考えが、主流のよう。

光秀は、どうして、信長を討ったのでしょう。
本能寺の変は、1582年6月。
この年の3月の、武田氏は、天目山で滅びる。
家康が活躍する。
信長は、安土城に家康を呼んで、接待する。 5月のこと。
接待の役を、光秀がする。
何かの失敗で、信長に咎められる。
この恨みで殺したとも。 でも、いろんな説がある。
別の道を戻った。 途中で、亀岡の市街地が。 右に、亀山城跡が見える。

小さな、亀の形の山に、亀山城はあった。
※ 亀岡市は、元々は、亀山だった。 明治に亀岡に変更。 伊勢の方にも、亀山があるので。
あそこから、光秀軍は出発。 ※ この写真の少し右に、保津川下りの出発点。

光秀が犯人だが、黒幕は誰でしょう。
一番もうけたのは、秀吉。 秀吉が怪しい。
次に、儲けたのは、家康。 秀吉の後だけど。
家康は、本能寺の変の後、自分も殺されると思った。
家康は、黒幕は、秀吉と思っていたかも知れない。
堺にいた家康は、一目散で、岡崎に戻る。
この時が、家康の一番の危機だったと、言われる。
馬堀地区。 左に、トロッコ列車の終点。

こんな道を通って。


時間があるので、請田(うけた)神社に。
10分ほど歩く。 この道をずっと行ったら、京都に。 以前歩いた。

着きました。

請田神社。 この地一帯の、開拓着工の鍬入れを受けたので、請田神社。 そんな説明が。

保津川をはさんで、手前は、トロッコ列車の線路。 鉄道は、直ぐトンネル。
列車が出てこないかなと思ったら、直ぐに出てきて、それにびっくり。

中央に、トロッコ駅の終点。

子どもが遊んでいる。 中学生か。

拝殿。

戻って、ここが、川下りの出発点。

ここで乗る。 こんなように。

今日は、明智越を歩くための、下準備でした。
歩けるなって、分かりました。
いつ行きましょう。
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亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~ ききょうの花(山崎ハコ) 他 (2012/6/25)
安土城跡は、信長の夢の跡。 安土城天主、信長の館。~近江八幡市~ 他 (2013/6/21)
愛宕山に登る。 保津峡駅~水尾~愛宕山~嵯峨嵐山駅。~京都市~ 他 (2013/4/11)
亀岡市、出雲大神宮の紅葉は、真っ赤だった。~亀岡市~ 他 (2013/11/20)
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
【今日の歌】
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 宇治平等院。 時間があれば、歩きたい。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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