岐阜県の、右下の隅っこに来た。
恵那市、上矢作(かみやはぎ)町。 矢作川の上流。
大船山(おおぶねさん)という、山がある。
頂上の少し下に、大船神社。
そこには、巨大な弁慶杉も。
参道の松並木があったんだが、通行止めなどで、それは見られなかった。
弁慶杉は、義経と一緒に来た弁慶が、小枝を地面に刺し、それが育ったという。
義経がここに来た可能性はあるのか、知りたいところ。
往復12㌔だが、おまけの4㌔が付いて、16㌔。
右足は、疲れました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
目指すところは、大船神社。
※ ここの大船山は、おおぶねさん。
九州の坊ガツルにある大船山は、たいせんざん。
坊ガツル、大船山(たいせんざん)、そして 法華院温泉へ ~竹田市~ 坊がつる讃歌(芹洋子) 他 (2012/4/5)
道の状態がはっきりしないので、車を山の下に置いた。
ここから歩く。
少し歩いて、案内。 大船神社は、大船山の頂上に近い。
距離があった。 入口まで、5.9㌔。 2時間かな。 登りだから。
新緑の道は、快適。 クマに対する準備は、完璧。 大きな音の鈴(鐘)と、スプレー。
鳥が鳴きました。 調べたら、ツツドリでした。 北海道で昨年聴いていました。
花の季節になっている。
1時間半歩いて、ここに。 右に2㌔行ったら、松並木とある。 これも見たかったので、行くことに。
アジサイではないみたい。
小坊主林道。 小坊主が、歩くの嫌だとか、何か言ったのか。
20分ほど来たら、ここに。 下からの参道があって、この場所に。
これを行っても、大船神社に着く。 参道なんだから。
通行止めだった。 ※ 後で調べて、ここから1㌔ほどだった。
1.5㌔ほどを戻って、2.4㌔を歩かなければならない。 大変。
ずっと上る。 道は悪くなく、車でも大丈夫だった。
通行止めから1時間歩いてここに。 参道が、ここに来ていた。 もうすぐ。
少し歩くと、下が見えた。 上矢作町の市街地より奥。
後で、ここを右から左に通って、長野県の平谷村に行く。
見えました。 説明もある。
※ 小野篁(たかむら)が、関わっている。
この人は、力のある官僚で、小町の祖父とも言われている。(はっきりしない部分があるが)
※ 義経のことが。 ここを通っている可能性はありますね。
義経が頼朝に追われ、吉野から伊勢を通って美濃を通って平泉に行っている。
細かな道ははっきりしないが、この辺りを通っている。
義経は、吉野で静御前と別れた。 静御前は、下の歌を。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
杉の小枝については、後で。
※ 焼かれたとあるけど、この年のは、焼いたのは信玄ですね。
※ 立川という人については、後で。
260㍍程登る。 もうすぐ。 大きな杉の木。
見えました。 着きました。
大船神社。 弁慶杉はどこにあるのだろう。 この時は、分からない。 左奥に、写っている。
※ ブログを読む人は、この時見た。
私は分かってないから、ブログを読む人の方が、私より先に見た。
私は、一緒がいいと思っている。 だから、見えましたとか、書く。
案内があった。 大船山の頂上まで、遠くない。 でも、途中で時間を使ったので、行けない。
幹の感じも、太いだけでなく、他と違う。 すらっとしてない。
太いです。 中央の白っぽい所の、しめ縄までの高さが、人の高さ。
どんな仕組みで、あの高さまで水が上がるのでしょう。 電動のポンプは無い。
推定2500年。 500年くるっても、2000年。
弁慶が枝を刺したのは、950年前の話。
義経たちは来たかも知れないが、枝をさしたのは、全くの事実ではない。
伝説は、江戸時代に作られたと思う。
つくった人は、ばれてしまうとは、思わなかったでしょうね。
ということで、伝説全体が、少し怪しくなった。
長生きできるなら、人間より木の方がいいでしょうか。 木に木いてみたい。
私は、人間だな。 木は、動けない。 放浪できない。
天にも届けと。 中央の幹は、途中で無くなっている。
本殿。 この中に、立派な彫刻がある。 外の建物は新しいので、鞘(さや)堂かな。 中に本物。
立川彫刻とある。 調べたら、諏訪辺りを中心に栄えたよう。
本殿の中には、こんなのが。
この後、戻る。 下からの参道の入り口にも、通行止め。
危険な所の手前まで行こうと、行ってみた。
なかなか、松の木は見えてこない。 この1本を見て、戻った。
クマ以外、何か出てこないかなって、橋の下をのぞいたりしながら、歩いた。 サンショウウオとか見たい。
この林道は、暗井沢林道。 暗くなるのが早そう。
里山に出て来た。
2時間ほど歩いて、着いた。
最初に見ていた、新田の桜。 エドヒガンの巨木。 こんな花を咲かす。
この後、長野県の平谷村に向かった。 峠の途中に、湧水。
入れ物みんなに汲んだ。 ※ 入れ物みんな憎んだ、ではなく。
下から、参道を登る方法があった。
でも、それでは、通行止めまで行った時、どこに行けばいいか、きっと困った。
今日は、これで良かったことにする。
何時かこっちに来た時、参道を登ってみようと思う。 大船山の、頂上目指して。
合併しない小さな村がいくつかある。
どうやって生き延びているのでしょう。
美濃の端っこと、信州の最南端に来ています。
【今日の歌】 ギターの演奏が好きです。 彼女の旦那様。
【道の駅】 信州平谷 地図には、村が3つ。
【明日の予定】 この近く
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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恵那市、上矢作(かみやはぎ)町。 矢作川の上流。
大船山(おおぶねさん)という、山がある。
頂上の少し下に、大船神社。
そこには、巨大な弁慶杉も。
参道の松並木があったんだが、通行止めなどで、それは見られなかった。
弁慶杉は、義経と一緒に来た弁慶が、小枝を地面に刺し、それが育ったという。
義経がここに来た可能性はあるのか、知りたいところ。
往復12㌔だが、おまけの4㌔が付いて、16㌔。
右足は、疲れました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
目指すところは、大船神社。
※ ここの大船山は、おおぶねさん。
九州の坊ガツルにある大船山は、たいせんざん。
坊ガツル、大船山(たいせんざん)、そして 法華院温泉へ ~竹田市~ 坊がつる讃歌(芹洋子) 他 (2012/4/5)
道の状態がはっきりしないので、車を山の下に置いた。
ここから歩く。

少し歩いて、案内。 大船神社は、大船山の頂上に近い。


距離があった。 入口まで、5.9㌔。 2時間かな。 登りだから。



新緑の道は、快適。 クマに対する準備は、完璧。 大きな音の鈴(鐘)と、スプレー。

鳥が鳴きました。 調べたら、ツツドリでした。 北海道で昨年聴いていました。
花の季節になっている。


1時間半歩いて、ここに。 右に2㌔行ったら、松並木とある。 これも見たかったので、行くことに。

アジサイではないみたい。


小坊主林道。 小坊主が、歩くの嫌だとか、何か言ったのか。

20分ほど来たら、ここに。 下からの参道があって、この場所に。
これを行っても、大船神社に着く。 参道なんだから。

通行止めだった。 ※ 後で調べて、ここから1㌔ほどだった。

1.5㌔ほどを戻って、2.4㌔を歩かなければならない。 大変。
ずっと上る。 道は悪くなく、車でも大丈夫だった。

通行止めから1時間歩いてここに。 参道が、ここに来ていた。 もうすぐ。


少し歩くと、下が見えた。 上矢作町の市街地より奥。
後で、ここを右から左に通って、長野県の平谷村に行く。


見えました。 説明もある。
※ 小野篁(たかむら)が、関わっている。
この人は、力のある官僚で、小町の祖父とも言われている。(はっきりしない部分があるが)
※ 義経のことが。 ここを通っている可能性はありますね。
義経が頼朝に追われ、吉野から伊勢を通って美濃を通って平泉に行っている。
細かな道ははっきりしないが、この辺りを通っている。
義経は、吉野で静御前と別れた。 静御前は、下の歌を。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
杉の小枝については、後で。
※ 焼かれたとあるけど、この年のは、焼いたのは信玄ですね。
※ 立川という人については、後で。


260㍍程登る。 もうすぐ。 大きな杉の木。

見えました。 着きました。

大船神社。 弁慶杉はどこにあるのだろう。 この時は、分からない。 左奥に、写っている。
※ ブログを読む人は、この時見た。
私は分かってないから、ブログを読む人の方が、私より先に見た。
私は、一緒がいいと思っている。 だから、見えましたとか、書く。

案内があった。 大船山の頂上まで、遠くない。 でも、途中で時間を使ったので、行けない。

幹の感じも、太いだけでなく、他と違う。 すらっとしてない。

太いです。 中央の白っぽい所の、しめ縄までの高さが、人の高さ。

どんな仕組みで、あの高さまで水が上がるのでしょう。 電動のポンプは無い。

推定2500年。 500年くるっても、2000年。
弁慶が枝を刺したのは、950年前の話。
義経たちは来たかも知れないが、枝をさしたのは、全くの事実ではない。
伝説は、江戸時代に作られたと思う。
つくった人は、ばれてしまうとは、思わなかったでしょうね。
ということで、伝説全体が、少し怪しくなった。


長生きできるなら、人間より木の方がいいでしょうか。 木に木いてみたい。
私は、人間だな。 木は、動けない。 放浪できない。

天にも届けと。 中央の幹は、途中で無くなっている。



本殿。 この中に、立派な彫刻がある。 外の建物は新しいので、鞘(さや)堂かな。 中に本物。

立川彫刻とある。 調べたら、諏訪辺りを中心に栄えたよう。
本殿の中には、こんなのが。


この後、戻る。 下からの参道の入り口にも、通行止め。
危険な所の手前まで行こうと、行ってみた。
なかなか、松の木は見えてこない。 この1本を見て、戻った。

クマ以外、何か出てこないかなって、橋の下をのぞいたりしながら、歩いた。 サンショウウオとか見たい。

この林道は、暗井沢林道。 暗くなるのが早そう。

里山に出て来た。

2時間ほど歩いて、着いた。

最初に見ていた、新田の桜。 エドヒガンの巨木。 こんな花を咲かす。

この後、長野県の平谷村に向かった。 峠の途中に、湧水。
入れ物みんなに汲んだ。 ※ 入れ物みんな憎んだ、ではなく。

下から、参道を登る方法があった。
でも、それでは、通行止めまで行った時、どこに行けばいいか、きっと困った。
今日は、これで良かったことにする。
何時かこっちに来た時、参道を登ってみようと思う。 大船山の、頂上目指して。
合併しない小さな村がいくつかある。
どうやって生き延びているのでしょう。
美濃の端っこと、信州の最南端に来ています。
【今日の歌】 ギターの演奏が好きです。 彼女の旦那様。
【道の駅】 信州平谷 地図には、村が3つ。
【明日の予定】 この近く
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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