日米和親条約で、下田と函館が開港した。
この時、長く続いた鎖国が終わった。
※ 実際は、長崎で、オランダとの貿易が続いていた。
黒船がやってきたのは、下田。
ペリーロードと呼ばれる石畳の道は、幕末ロマンの漂う小道だった。
唐人お吉(きち)という人に、出会った。
ハリスの世話をした、という関わりで、唐人と蔑(さげす)まされ、つらい人生を送った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
下田は、湾の中にある、良港なんですね。 それで、選ばれた。 開国にですね。
古い町並みの方を、歩く。
道の駅の建物。 複合施設の感じ。 車での、下田観光の拠点。
向こうに行く。
建物の上から、上の写真の反対側。 黒船が見える。 観光船。
川のようであり、海のようでも。
橋を渡って向こうに。 なまこ壁の家が目立つ。
中心街に入って、宝福寺。
こんなのが。 龍馬の写真ではない。 右は、唐人お吉。
ハリスが来た時、病に伏せた。 世話人が必要となった。 お吉がその役を。
日本側は、お妾さんとして出した。 アメリカ側は、病の看護をする人として、受けた。
言葉を訳すときに、ずれが出た。
お吉は、やめて戻ってきても、外人の妾になった女として、冷たい目で見られる。
唐人は、人を蔑(さげす)む時に使った言葉。
下の動画の中で、唐人お吉は、ハリスを悪く思っていない。
つまり、本人は妾を覚悟で行ったけど、ハリスはそんな扱いはしなかった。
それへの感謝で、この表現かなと。
下の動画、何回見ても、涙が出る。 芸なんだけど、それを忘れる。
彼女の深い悲しみが、分かる。
※ 彼女について、詳しくはここに。(Wikipedia) 写真については、はっきりしないとある。
龍馬への脱藩の許しが、藩主がこの寺にいる時に出したことで、龍馬が大きく登場。
でも、龍馬は脱藩した段階で、許しなんか考えてなかったと思う。
勝海舟は、許してもらっておけば、土佐藩の刺客に襲われないか、と考えたのか。
大政奉還まで、あと4年という時。
観光に、目いっぱい利用しようという姿勢が、見受けられるでしょうか。
※ 藩主の山内容堂は、のん兵衛。
それはいいとして、彼は、龍馬の仲間の武市瑞山(半平太)を殺している。
それを、彼は生涯後悔する。 生きていたら、明治を動かしたかもしれない人物。
瑞山は、那須俊平と、藩主の部下の吉田東洋を暗殺している。 それがあったからか。
(那須俊平は、龍馬の脱藩を助けた男。 韮ヶ峠まで送った)
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
※ 寺にある、唐人お吉の写真は、違うかも知れない。
調べている人がいる。 もしかしたら、上の説明の右の人かも。
この人にしても美人。 賢そうで、気が強そう。
お吉は、うりざね顔だったと言われている。 (面長、受け口、色白など)
この人なら、合う。
詳しくは、ここに。
少し歩いて、八幡神社。 ちょっと、のぞいてみた。 お祭りの準備をしている人がいた。
門に、変わった像があった。 あばら骨が見えている。 見たことない、形相。
鳥居のそばに、太鼓橋があって、横に池。 金魚と亀がいた。
2年生くらいの女の子がいた。 亀と金魚に、エサをやっていた。
お吉は小さい時、こんな子だったかも知れない。
賢そうに見えたその表情が、そう思わせた。
彼女は、何かをちぎってやっていたが、それがなくなった。
私は、パンを持っていた。 小さなのを、1つあげた。
2人で、亀と金魚に、細かくしてやった。
金魚は食べるけど、亀は食べない。
彼女は、どうして食べないのかを、考えていた。
私は、どうしてだろうって、口にした。
彼女は、見えてないのかも知れない、と言った。
自分の考えを持とうとすること、それが、賢さなんですね。
右写真は、サヨナラをした後に。 誰と分かる写真は、撮れない。 一輪車がそばに。
※ 上の一番右の写真は、この場所。
当時、撮る時、10分くらい動かないでいた。 これは、そうしたんだろうか。
こんな道を歩く。
昔からの商店街の雰囲気。 向こうでなく、立っている後ろに行く。
密航を企て、自首した吉田松陰は、ここにあった寺に、監禁されていた。
松陰は、幕府に対して、毅然とした態度を取る。 いつでも、殺してくれと。
※ 上の歌の、賤はせんと読むのか。 自分のことの意味。 賤ヶ岳(しずがたけ)の賤の字。
開国博物館。 どこも高いので、入れない。 商業的な観光施設が、目立つ。
了仙寺に来た。 高い所の建物に行きたい。 (道はあったが、通行止めだった)
当時、下田には、大きな建物は、寺くらいしかなかった。
黒船がやって来た時、どこのお寺も、さまざまに使われた。
寺の後ろに、洞窟があると・・。 花は、アメリカジャスミン。 名前は、後で知った。
穴の中は、墓地だった。 はるか昔のこと。
少し歩いて、長楽寺。
日露和親条約は、この寺で。 ※ 間違いなく、ここで。 調べてみた。
北方領土の4島は、ここで決まった。
※ 北方領土は、日本の島でもロシアの島でも、なかった。
住んでいたのは、原住民。 彼らの島だった。
今は、原住民はいなくなった。
元々、どっちの島でもないから、半分半分の、引き分けでいいかも。 プーチンの言うように。
納沙布岬から見た北方領土。 一番近い島はどれ? ~根室市~ 根室のお盆は7月。 他 (2012/7/20)
ペリー通り。 了仙寺に、ここを通って来た。 下田で、一番風情のあるのは、この通り。
お店。 白い所が、ナマコに似ている。
こんなお店も。 他の町と違う。 下田の個性かな。
旧澤村邸。 無料で公開。
猫が、暑いからなのか。 スキありって、ポンと叩いてみたい。 いたくない棒で。
山アジサイが飾ってあった。 普通のと違う。
下田公園に行く途中、振り返った。 左に、旧澤村邸。 真っ直ぐ、ペリー通り。
上に上がってきた。 下岡蓮杖(れんじょう)の碑。 龍馬を撮った、長崎の上野彦馬も古い。
他にもいるので、この人は、写真の祖の1人。
有名な人を撮ってないか探したが、見つからない。
※ 彼が描いた函館戦争の絵は、こんなの。
佐藤惣之助の詩碑。 いい詩かなって。 題の詩の一部のよう。
天辺は、てっぺん。 鴉は、カラス。 こうも書くよう。 戀しいは、恋しい。
歌の詞も、いっぱい書いている。 下田には友達がいて、よく来たそう。
開国記念碑。
記念碑の下は、広場。 アジサイ祭りが始まった。 咲き始めた状態。
湊が見えた、港が見える、ですね。 林芙美子のように。
右の方。 小さな島が見える。 今日はあそこに行ってお終いと、決めた。
駐車場の人が、行っても何もないという。 やめた。
ここをのぞいて。
途中、ローソンで、缶ビールを3つ買った。
それをぶら下げながら、歩いた。 小さなお店で、キュウリを5本買った。
気付いたら、缶ビール1つと、キュウリ1本が、消えていた。
この写真の、右のどこかから、出て来た。
和服を着た女性が歩いていた。 写真は、間に合わなかった。
※ 上の写真は、橋の上から。
左に、稲生沢(いのうざわ)川の下流が見える。
お吉は、もっと上流の淵に、身を投げている。
明治23年(1890)3月27日のこと。
身も心もぼろぼろになって。
お吉、50歳。
その淵は、『お吉ケ淵』と、呼ばれているそう。
(下田駅の1つ上に、蓮台寺駅がある。 その少し上に、お吉ヶ淵の名が見える)
道の駅の建物の上の通りで、ストリートライブ。 裸の人は、いい機嫌。
開国の歴史を、少し感じながら、風情のある町並みを歩く。
高台にある、下田公園に登って、下田の町並みと、港を眺める。
下田の魅力は、そこにありました。
温泉と、海の幸も。
唐人お吉の話は、悲しすぎる。
自分達と違う者に、みんな冷たくする。 これが、日本人。
日本人の、多くの人達が持っている、気質。
学校からいじめが消えない遠因も、ここにある。
でも、悲しい思いをする人間に、温かく接する人間が必ず出る。 これも、日本人。
日本人の、気質なんですね。
【関連ブログ】
函館の坂道を歩く 函館山からの夜景 ~チャーミーグリーンの坂 宝石箱を・・・~ 他 (2010/8/3)
【道の駅】 開国下田みなと
【明日の予定】 もう1日下田に。 明後日、天城山へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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この時、長く続いた鎖国が終わった。
※ 実際は、長崎で、オランダとの貿易が続いていた。
黒船がやってきたのは、下田。
ペリーロードと呼ばれる石畳の道は、幕末ロマンの漂う小道だった。
唐人お吉(きち)という人に、出会った。
ハリスの世話をした、という関わりで、唐人と蔑(さげす)まされ、つらい人生を送った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
下田は、湾の中にある、良港なんですね。 それで、選ばれた。 開国にですね。
古い町並みの方を、歩く。

道の駅の建物。 複合施設の感じ。 車での、下田観光の拠点。
向こうに行く。

建物の上から、上の写真の反対側。 黒船が見える。 観光船。

川のようであり、海のようでも。

橋を渡って向こうに。 なまこ壁の家が目立つ。

中心街に入って、宝福寺。

こんなのが。 龍馬の写真ではない。 右は、唐人お吉。


ハリスが来た時、病に伏せた。 世話人が必要となった。 お吉がその役を。
日本側は、お妾さんとして出した。 アメリカ側は、病の看護をする人として、受けた。
言葉を訳すときに、ずれが出た。
お吉は、やめて戻ってきても、外人の妾になった女として、冷たい目で見られる。
唐人は、人を蔑(さげす)む時に使った言葉。
下の動画の中で、唐人お吉は、ハリスを悪く思っていない。
つまり、本人は妾を覚悟で行ったけど、ハリスはそんな扱いはしなかった。
それへの感謝で、この表現かなと。
下の動画、何回見ても、涙が出る。 芸なんだけど、それを忘れる。
彼女の深い悲しみが、分かる。
※ 彼女について、詳しくはここに。(Wikipedia) 写真については、はっきりしないとある。
龍馬への脱藩の許しが、藩主がこの寺にいる時に出したことで、龍馬が大きく登場。
でも、龍馬は脱藩した段階で、許しなんか考えてなかったと思う。
勝海舟は、許してもらっておけば、土佐藩の刺客に襲われないか、と考えたのか。
大政奉還まで、あと4年という時。
観光に、目いっぱい利用しようという姿勢が、見受けられるでしょうか。


※ 藩主の山内容堂は、のん兵衛。
それはいいとして、彼は、龍馬の仲間の武市瑞山(半平太)を殺している。
それを、彼は生涯後悔する。 生きていたら、明治を動かしたかもしれない人物。
瑞山は、那須俊平と、藩主の部下の吉田東洋を暗殺している。 それがあったからか。
(那須俊平は、龍馬の脱藩を助けた男。 韮ヶ峠まで送った)
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
※ 寺にある、唐人お吉の写真は、違うかも知れない。
調べている人がいる。 もしかしたら、上の説明の右の人かも。
この人にしても美人。 賢そうで、気が強そう。
お吉は、うりざね顔だったと言われている。 (面長、受け口、色白など)
この人なら、合う。
詳しくは、ここに。
少し歩いて、八幡神社。 ちょっと、のぞいてみた。 お祭りの準備をしている人がいた。

門に、変わった像があった。 あばら骨が見えている。 見たことない、形相。



鳥居のそばに、太鼓橋があって、横に池。 金魚と亀がいた。
2年生くらいの女の子がいた。 亀と金魚に、エサをやっていた。
お吉は小さい時、こんな子だったかも知れない。
賢そうに見えたその表情が、そう思わせた。
彼女は、何かをちぎってやっていたが、それがなくなった。
私は、パンを持っていた。 小さなのを、1つあげた。
2人で、亀と金魚に、細かくしてやった。
金魚は食べるけど、亀は食べない。
彼女は、どうして食べないのかを、考えていた。
私は、どうしてだろうって、口にした。
彼女は、見えてないのかも知れない、と言った。
自分の考えを持とうとすること、それが、賢さなんですね。
右写真は、サヨナラをした後に。 誰と分かる写真は、撮れない。 一輪車がそばに。



※ 上の一番右の写真は、この場所。
当時、撮る時、10分くらい動かないでいた。 これは、そうしたんだろうか。
こんな道を歩く。

昔からの商店街の雰囲気。 向こうでなく、立っている後ろに行く。

密航を企て、自首した吉田松陰は、ここにあった寺に、監禁されていた。
松陰は、幕府に対して、毅然とした態度を取る。 いつでも、殺してくれと。



※ 上の歌の、賤はせんと読むのか。 自分のことの意味。 賤ヶ岳(しずがたけ)の賤の字。
開国博物館。 どこも高いので、入れない。 商業的な観光施設が、目立つ。

了仙寺に来た。 高い所の建物に行きたい。 (道はあったが、通行止めだった)

当時、下田には、大きな建物は、寺くらいしかなかった。
黒船がやって来た時、どこのお寺も、さまざまに使われた。

寺の後ろに、洞窟があると・・。 花は、アメリカジャスミン。 名前は、後で知った。


穴の中は、墓地だった。 はるか昔のこと。

少し歩いて、長楽寺。

日露和親条約は、この寺で。 ※ 間違いなく、ここで。 調べてみた。
北方領土の4島は、ここで決まった。

※ 北方領土は、日本の島でもロシアの島でも、なかった。
住んでいたのは、原住民。 彼らの島だった。
今は、原住民はいなくなった。
元々、どっちの島でもないから、半分半分の、引き分けでいいかも。 プーチンの言うように。
納沙布岬から見た北方領土。 一番近い島はどれ? ~根室市~ 根室のお盆は7月。 他 (2012/7/20)
ペリー通り。 了仙寺に、ここを通って来た。 下田で、一番風情のあるのは、この通り。

お店。 白い所が、ナマコに似ている。

こんなお店も。 他の町と違う。 下田の個性かな。

旧澤村邸。 無料で公開。

猫が、暑いからなのか。 スキありって、ポンと叩いてみたい。 いたくない棒で。

山アジサイが飾ってあった。 普通のと違う。


下田公園に行く途中、振り返った。 左に、旧澤村邸。 真っ直ぐ、ペリー通り。

上に上がってきた。 下岡蓮杖(れんじょう)の碑。 龍馬を撮った、長崎の上野彦馬も古い。
他にもいるので、この人は、写真の祖の1人。
有名な人を撮ってないか探したが、見つからない。
※ 彼が描いた函館戦争の絵は、こんなの。


佐藤惣之助の詩碑。 いい詩かなって。 題の詩の一部のよう。
天辺は、てっぺん。 鴉は、カラス。 こうも書くよう。 戀しいは、恋しい。

歌の詞も、いっぱい書いている。 下田には友達がいて、よく来たそう。
開国記念碑。


記念碑の下は、広場。 アジサイ祭りが始まった。 咲き始めた状態。



湊が見えた、港が見える、ですね。 林芙美子のように。

右の方。 小さな島が見える。 今日はあそこに行ってお終いと、決めた。
駐車場の人が、行っても何もないという。 やめた。

ここをのぞいて。

途中、ローソンで、缶ビールを3つ買った。
それをぶら下げながら、歩いた。 小さなお店で、キュウリを5本買った。


気付いたら、缶ビール1つと、キュウリ1本が、消えていた。
この写真の、右のどこかから、出て来た。
和服を着た女性が歩いていた。 写真は、間に合わなかった。

※ 上の写真は、橋の上から。
左に、稲生沢(いのうざわ)川の下流が見える。
お吉は、もっと上流の淵に、身を投げている。
明治23年(1890)3月27日のこと。
身も心もぼろぼろになって。
お吉、50歳。
その淵は、『お吉ケ淵』と、呼ばれているそう。
(下田駅の1つ上に、蓮台寺駅がある。 その少し上に、お吉ヶ淵の名が見える)

道の駅の建物の上の通りで、ストリートライブ。 裸の人は、いい機嫌。
開国の歴史を、少し感じながら、風情のある町並みを歩く。
高台にある、下田公園に登って、下田の町並みと、港を眺める。
下田の魅力は、そこにありました。
温泉と、海の幸も。
唐人お吉の話は、悲しすぎる。
自分達と違う者に、みんな冷たくする。 これが、日本人。
日本人の、多くの人達が持っている、気質。
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日本人の、気質なんですね。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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