一度見てしまったら、登らないわけには、いかなくなった。
小さな尖がった山、本尊山(ほぞんさん)に行ってきた。
海に一番近い駅があるという。 間違いないかは、まだ調べてない。
龍馬は、肱川を船で下った。 そして、河口にある伊予長浜に上陸した。
その町を歩いて見た。
※ 動画がうまくいかない。 こまりました。
先日、駅から撮った山です。 本尊山。 ほぞんさん、と読む。 187㍍。 小さな山。 ○に鳥居。
(写真は、クリックで大きくなります)
危険な所があるから注意と、ネットにあった。
地図では、ここ。
道の駅から歩いて向かった。 神社があって、その裏に線路がある。 それを渡って登り始めた。
この山の上には、昔、由並城(ゆなみじょう)があった。 別名 本尊城。 秀吉の四国攻めで、落城。
山ごと燃やされたと言う。
今日は、予想していたよりずっと温かい。 うれしい。 上着は脱いで、腰に縛り付けた。
斜面には小さな畑があった。 イノシシの足跡も。 畑は、金網で囲ってあった。
細い葉っぱの笹が、道も占領するように生えていた。
20分ほど歩いたら、鳥居に着いた。 祠はない。 あるのは、鳥居だけ。 御神体は山か。
道の駅が見える。 私の車も待っている。 港も道路も必要なものだから、美しい。
歩いてみたくなる、里山。
5分ほどで、ここに来た。 ○の所の右は崖。 落ちた時、途中の木につかまれれば助かる。 そうでなければ、お終い。
道が、少し右に下がっている。 落ち葉の下の状態が分からない。 昨日の雨で、滑る時もある。
10分ほど、どうやって渡ればいいか、考えていた。 ○の手前まで行って。
※ こういう時、ロープがあればいいと思った。 それを工夫して、命綱にする。
※ 一番上の写真に、崖が見える。
最終的に、戻った。 そう思ったきっかけは、う回路があるのではと思ったから。
※ このように行かなかったのは、あれ以来か。 国東半島の修験の道。 中山仙境。
下の写真の、石の橋は渡れなかった。 止めた。 幅40㌢。 向こう側は、奈落の底のような崖。
う回路はあった。 そこからの景色。 斜面は急。 崖ではない。
何てことない、こっちが頂上への道だった。 さっきのは、次の山への道。
小さな標示があった。
こっちの風景しか見えない。 右の方に、白い所がある。 何か分からないけど、撮っておいた。
白いのは雪で、ここからパラグライダーで飛ぶ。 二人います。 ※ 調べてみたら、確かにそうでした。
山の上に広い場所はなく、お城の建物は、小さかったと思う。 中腹なら、畑もあったし、広い。
ただ、石垣の残骸があったのは、上の方だった。
花は水仙だけ。 それでも、山はいい。
山を下りたら、シラサギがいた。 汚れてない、真っ白。 この鳥はいつも、何かを考えている姿。
ここは、伊予上灘駅の隣の、下灘駅。 海に一番近い駅だと言う。
この感じですけど、どうでしょう。 鉄道と海との間に、国道がある。
※ 調べてみました。
昔は線路のすぐ下が海だった。 でも、今は海を埋め立てて道路が出来た。 その分遠くなった。
だから、正確には、日本一ではない。
現在、一般的に認知されているのは、新潟県の柏崎市にある、青海川(おうみがわ)駅。
直ぐ下が海です。
※ 私が今迄に行った、日本一の駅。
①日本一北に位置する鉄道駅 JR北海道宗谷本線 稚内駅(北海道稚内市)
②日本一東に位置する鉄道駅 JR北海道根室本線 東根室駅(北海道根室市) 黄色の○は、私の住んでいた家の車庫。 私が買った。(S.59~64)
③日本一高い所にある鉄道駅 立山黒部貫光 立山トンネルトロリーバス室堂駅(富山県中新川郡立山町)
駅舎の中に、花があった。
こう書いてあった。 「近ずきて」とあるから、まだ、近づいていない。
この後、伊予長浜で、停泊場所を探した。 こういう時、最近は、不安とか全くない。
港に広い空き地があった。 車を置いて、散歩。
イモを植えてる人がいた。 ダンシャク。 情報をいただいた。
開閉橋の長浜大橋に向かった。 古い家は、街の中に少しだけ残っていた。 橋が見ている。
右の家並みの、一番向こうが、坂本龍馬宿泊の地。
「宿泊の地」とあるから、当時の建物はないですね。
※ このことについては、Wikipediaには、下記のように。
現在の脱藩ルート説では、龍馬は宿間から川舟に乗り、大洲市長浜町の江湖(えご)という港に着き、港町の豪商宅で一夜を過ごし、
翌日、長浜港から船便で山口県上関町の港に渡り、そこで宿泊。
次の日には再び船で山口県防府市三田尻へと向かっている。
※ 宿間は、内子町市街地の少し南。
先日のブログに書いた、土佐から山を越えて、河辺村を通ったのは、1862年の3月26日。
あの日、内子町まで行って、27日に肱川を下る。 土佐の檮原(ゆすはら)からここまで、2日間で来た。
檮原から山越えを同行してくれた、沢村惣之丞と那須俊平とは別れている。
下関までの脱藩のルートと日程は、下の地図に。 (別冊歴史読本1989年8月)
これは、長浜大橋。
一目で、仕組みは分からない。
このように、はね上がる。
大洲市の市街地もそうだったが、ここも、霧が出る。 肱川嵐と呼ばれる。 初冬の朝に。
肱川上流方向。
右が上流。 向こう岸の、橋より少し上流、小さな港がある。 今は、工事中。
龍馬は、そこに上陸した。
新長浜大橋。
雲に沈んでいった。
小さな山だったけど、今年初めての山。
今年は夏前に、九州と四国の山を4つ位は登りたい。
天気次第では、春に登れないのか。
足を強くするために、どんな山でも、時々登りますね。
【停泊場所】 伊予長浜の港
【明日の予定】 海岸沿いに南に
【動画akkamui】 写真を少し小さくして、動画の画面が載るでしょうか。
北の岬 ※ 表示されなかったら、ここを。
乗りませんね。 安芸灘の風なら、載ります。 理由は何でしょう。
※ 載りましたね。 ※ だめですね。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ます。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は38位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
小さな尖がった山、本尊山(ほぞんさん)に行ってきた。
海に一番近い駅があるという。 間違いないかは、まだ調べてない。
龍馬は、肱川を船で下った。 そして、河口にある伊予長浜に上陸した。
その町を歩いて見た。
※ 動画がうまくいかない。 こまりました。
先日、駅から撮った山です。 本尊山。 ほぞんさん、と読む。 187㍍。 小さな山。 ○に鳥居。
(写真は、クリックで大きくなります)

危険な所があるから注意と、ネットにあった。
地図では、ここ。
道の駅から歩いて向かった。 神社があって、その裏に線路がある。 それを渡って登り始めた。

この山の上には、昔、由並城(ゆなみじょう)があった。 別名 本尊城。 秀吉の四国攻めで、落城。
山ごと燃やされたと言う。

今日は、予想していたよりずっと温かい。 うれしい。 上着は脱いで、腰に縛り付けた。
斜面には小さな畑があった。 イノシシの足跡も。 畑は、金網で囲ってあった。
細い葉っぱの笹が、道も占領するように生えていた。
20分ほど歩いたら、鳥居に着いた。 祠はない。 あるのは、鳥居だけ。 御神体は山か。

道の駅が見える。 私の車も待っている。 港も道路も必要なものだから、美しい。

歩いてみたくなる、里山。

5分ほどで、ここに来た。 ○の所の右は崖。 落ちた時、途中の木につかまれれば助かる。 そうでなければ、お終い。
道が、少し右に下がっている。 落ち葉の下の状態が分からない。 昨日の雨で、滑る時もある。
10分ほど、どうやって渡ればいいか、考えていた。 ○の手前まで行って。
※ こういう時、ロープがあればいいと思った。 それを工夫して、命綱にする。
※ 一番上の写真に、崖が見える。
最終的に、戻った。 そう思ったきっかけは、う回路があるのではと思ったから。

※ このように行かなかったのは、あれ以来か。 国東半島の修験の道。 中山仙境。
下の写真の、石の橋は渡れなかった。 止めた。 幅40㌢。 向こう側は、奈落の底のような崖。

う回路はあった。 そこからの景色。 斜面は急。 崖ではない。

何てことない、こっちが頂上への道だった。 さっきのは、次の山への道。

小さな標示があった。

こっちの風景しか見えない。 右の方に、白い所がある。 何か分からないけど、撮っておいた。

白いのは雪で、ここからパラグライダーで飛ぶ。 二人います。 ※ 調べてみたら、確かにそうでした。

山の上に広い場所はなく、お城の建物は、小さかったと思う。 中腹なら、畑もあったし、広い。
ただ、石垣の残骸があったのは、上の方だった。

花は水仙だけ。 それでも、山はいい。
山を下りたら、シラサギがいた。 汚れてない、真っ白。 この鳥はいつも、何かを考えている姿。

ここは、伊予上灘駅の隣の、下灘駅。 海に一番近い駅だと言う。

この感じですけど、どうでしょう。 鉄道と海との間に、国道がある。

※ 調べてみました。
昔は線路のすぐ下が海だった。 でも、今は海を埋め立てて道路が出来た。 その分遠くなった。
だから、正確には、日本一ではない。
現在、一般的に認知されているのは、新潟県の柏崎市にある、青海川(おうみがわ)駅。
直ぐ下が海です。
※ 私が今迄に行った、日本一の駅。
①日本一北に位置する鉄道駅 JR北海道宗谷本線 稚内駅(北海道稚内市)
②日本一東に位置する鉄道駅 JR北海道根室本線 東根室駅(北海道根室市) 黄色の○は、私の住んでいた家の車庫。 私が買った。(S.59~64)
③日本一高い所にある鉄道駅 立山黒部貫光 立山トンネルトロリーバス室堂駅(富山県中新川郡立山町)
駅舎の中に、花があった。

こう書いてあった。 「近ずきて」とあるから、まだ、近づいていない。

この後、伊予長浜で、停泊場所を探した。 こういう時、最近は、不安とか全くない。
港に広い空き地があった。 車を置いて、散歩。
イモを植えてる人がいた。 ダンシャク。 情報をいただいた。

開閉橋の長浜大橋に向かった。 古い家は、街の中に少しだけ残っていた。 橋が見ている。
右の家並みの、一番向こうが、坂本龍馬宿泊の地。

「宿泊の地」とあるから、当時の建物はないですね。

※ このことについては、Wikipediaには、下記のように。
現在の脱藩ルート説では、龍馬は宿間から川舟に乗り、大洲市長浜町の江湖(えご)という港に着き、港町の豪商宅で一夜を過ごし、
翌日、長浜港から船便で山口県上関町の港に渡り、そこで宿泊。
次の日には再び船で山口県防府市三田尻へと向かっている。
※ 宿間は、内子町市街地の少し南。
先日のブログに書いた、土佐から山を越えて、河辺村を通ったのは、1862年の3月26日。
あの日、内子町まで行って、27日に肱川を下る。 土佐の檮原(ゆすはら)からここまで、2日間で来た。
檮原から山越えを同行してくれた、沢村惣之丞と那須俊平とは別れている。
下関までの脱藩のルートと日程は、下の地図に。 (別冊歴史読本1989年8月)

これは、長浜大橋。

一目で、仕組みは分からない。

このように、はね上がる。

大洲市の市街地もそうだったが、ここも、霧が出る。 肱川嵐と呼ばれる。 初冬の朝に。

肱川上流方向。

右が上流。 向こう岸の、橋より少し上流、小さな港がある。 今は、工事中。
龍馬は、そこに上陸した。

新長浜大橋。

雲に沈んでいった。

小さな山だったけど、今年初めての山。
今年は夏前に、九州と四国の山を4つ位は登りたい。
天気次第では、春に登れないのか。
足を強くするために、どんな山でも、時々登りますね。
【停泊場所】 伊予長浜の港
【明日の予定】 海岸沿いに南に
【動画akkamui】 写真を少し小さくして、動画の画面が載るでしょうか。
北の岬 ※ 表示されなかったら、ここを。

乗りませんね。 安芸灘の風なら、載ります。 理由は何でしょう。
※ 載りましたね。 ※ だめですね。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ます。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は38位です。
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コメント
山口県小郡の其中庵
Re: 山口県小郡の其中庵
湯田温泉に行った時、其中庵のことは説明にあったかな。 気付かなかった。
山口では、瑠璃光寺の五重塔に夢中だったこともあるけど。
こういうことが言えますね。
どこもそうだけど、湯田温泉は、山頭火については、湯田温泉にいた時のことしか説明しない。
基本は自分の所だけ。
それは松山も同じで、仕方ないのか。
そう考えたら、山頭火の生涯を学べるところはどこでしょう。
山頭火の一番の拠点はどこなんだろう。 放浪していたから、むずかしいのか。
> 山口県小郡の[其中庵](ごちゅうあん)。これは山頭火が一草庵の前に、定住していた庵です。ここは竹下登内閣のふるさと創生金の一億円で、その庵を復元しています。ここも立派な建物でした。山頭火の本に、この二つの庵は必ず出てきます。
> 動画はうまくいきませんか。今まで順調だった用でしたが。
山口では、瑠璃光寺の五重塔に夢中だったこともあるけど。
こういうことが言えますね。
どこもそうだけど、湯田温泉は、山頭火については、湯田温泉にいた時のことしか説明しない。
基本は自分の所だけ。
それは松山も同じで、仕方ないのか。
そう考えたら、山頭火の生涯を学べるところはどこでしょう。
山頭火の一番の拠点はどこなんだろう。 放浪していたから、むずかしいのか。
> 山口県小郡の[其中庵](ごちゅうあん)。これは山頭火が一草庵の前に、定住していた庵です。ここは竹下登内閣のふるさと創生金の一億円で、その庵を復元しています。ここも立派な建物でした。山頭火の本に、この二つの庵は必ず出てきます。
> 動画はうまくいきませんか。今まで順調だった用でしたが。
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動画はうまくいきませんか。今まで順調だった用でしたが。