そぞろ歩きの出来る温泉街は、楽しい。
銀山温泉や、九州の黒川温泉は、特にいい。
そんなことで、また、行ってみた。
そぞろ歩きは、温泉街で物足りなかったら、滝を見に行ってもいい。
さらに奥には、銀山跡もある。
銀山温泉の名前は、昔、銀山があったから。
ひと汗かいたら、温泉。
昔ながらの、共同浴場がある。
これが、またいい。
銀山温泉の後、山刀伐(なたぎり)峠を越えた。
芭蕉が、苦労して通った道。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
銀山温泉は、尾花沢市街から、遠くない。
無料駐車場はある。 ただの空き地。 でこぼこ。
日帰り客を大事にするところから、取り組みはスタート、と思うけど。
3分ほど歩くと、低い谷に、温泉街は見えてくる。
こうです。 橋から向こうが、温泉街の中心。
遠くはこう。 足湯ですね。 そぞろ歩いている。
江戸時代の初めに、銀山。 1700年代の中ごろに、温泉が、ってある。
川の両側に温泉。 橋がいくつも。
地図。 左のは、左から歩く。 右のは、下から。
足湯です。 なんで、大きなリュックを持っているのでしょう。 山の帰りかな。
建物が、大正っぽい。 別世界に来た感じがする。
出窓ではなく、バルコニー。 木造で、3階とか4階。(3層とか4層)
絵が見える。
どれも、お目出度い。 鏝絵(こてえ)とは、違うよう。
振り返ると、こう。 大正から昭和にかけての建物。 モダンさを意識して、建てた感じ。
右向こうに、大きな旅館。 能登屋旅館。 きっと、職人と言われる人が建てた。
真ん中は、望楼。 川には、ニジマスか。
反対側。 御殿のよう。 ニシン御殿だって、こんなに華やかでない。
手前は、やなだ屋。 この旅館については、のちほど。
向こうから来た。 左に、共同浴場。 見終わってから入る。 300円。 箱に入れる。
再度、能登屋旅館。 国の、有形登録文化財。 重要文化財の、手前か。
反対側。 向こうから来た。 一泊いくらだろう。
旅に出てから、ホテルに泊まって、ご馳走を食べるのは、1年に1回。 旭川に近い、比布で。
※ 今年は、8月の何日かな。 旭川のMさんが、準備してくれている。
再び、能登屋旅館。 どこもそうだが、宿泊者の名前(苗字だけ)が、玄関前に、書いてある。
左に、絵が見える。 鏝絵(こてえ)のよう。 ふくらんで見えるので。
温泉街の奥に来た。 この地図では、左の方。 感じのいいお店の前を通って。
店の前を過ぎたら、ここに。 この辺の道は、はいからさん通りと、呼んでいる。
街灯も、おしゃれ。 ガスを燃やすのだったかな。
女の子3人は、ハイカラさん。 服装は、旅館にあるのかな。 いいながめです。
さらに奥へ。 少ししたら、滝がある。 みんな、そこまでは行く。
左の方に少し行ったら、坑道があった。
1㌔とかあるそうだが、100㍍と少しで、崩落している。
しっかりしているように見えても、崩れることが、あるんですね。
発破の無い時代。 みんな、手掘り。 鉱脈に沿って、掘ったのか。
1日に、どれくらい進めるのだろう。
奥の方で掘ってる時は、この辺りは、通路や排水に使いますね。
お堂の少し向こうは、滝つぼ。 滝は、左かげに。
栄えた時は、人口2万人。
立っているすぐ下は、こう。
白銀の滝。
穴の中に、鬼子母神(きしもじん)。 出産・育児の神。 高い所から、滝。
滝の上。 橋を通って、戻ることが出来る。
穴があちこちに。 寒いほどの風。 普通の風穴より、強い風。
鉱山跡に、向かう。 クマに注意とあった。 このあと、鈴をぶら下げる。
橋を渡って、向こうに。 外人さん。 どう写ったか、見ている。
左の道を、向こうから来た。 右奥に、斉藤茂吉の歌碑。
「蝉のこゑ ひヾかうころに 文殊谷 吾もわたりて 古へおもほゆ」
※ セミの声が響くころに文殊谷を渡ったら、銀がいっぱい採れた頃の、昔を思い出す。 こんな感じか。
カジカガエルの声が聞こえた。 清流でないと、いない。 濁りの無い、美しい声。
着くと、まず、公園があった。 この道を、1㌔ほど行くと、集落がある。 行ってみたいけど、根性と、時間が・・。
絵があった。 左は、今の冬。 豪雪地帯。
隣は、昭和の初期。 今の雰囲気がある。
その隣は、大正の初め。 洪水で流され、新しく建てた。
右端は、明治初期。 昔の人の雰囲気を見るのは、好き。
ここから入る。 銀鉱洞と呼んでいる。
ここへの途中、3人の女性に会った。 少し年配。
中は、幽霊が出そうで、怖かったよって、私に行った。
私を怖がらせているでしょう、って私は言った。
退屈だから、幽霊の人形でも、置けばいいのにと思っている。
ここが、一番広い空間。
この中で、多くの人が、ノミを打つ音を、鳴らした。 やっと見える、灯りの中で。
穴から出てきて、しばらく歩いた。 温泉神社への道があった。
行ったら、途中で、サルの集団。
襲われたら困るから、戻った。 あれは、持ってなかったし。 ※ あれ~撃退スプレー。クマの。
滝の上に出た。 滝の不動尊。
ここに、戻って来た。
日帰りの、家族風呂。
感じのいい店の横を通って。
一度紹介した、やなだ屋。
「銀の光にみちびかれ 山の地に存す」でいいでしょうか。
作者、梁田(やなだ)祐斉と。
この名前は、梁田家の誰かの、歌を作る時の、号なんでしょうね。
※ 梁田祐斉の名前は、ネット上には、出てこない。
ただ、山本勘助に関する、膨大な文の中に、同じ名前があるようだけど、見つけられない。
なぜこんな歌を詠んだかですが、こうですね。
1600年頃、 上方から、梁田八郎右ェ門という人が、この銀山に来ている。 (銀山温泉の歴史年表から)
この温泉の初代の人かな。
それがあるから。
しろがね湯。 私1人。 これが、理想。 かますと、ちょうどいい。 30分ほど。
人が減ったかな。 もう少しで、6時。 旅館に入ったか。
普通に食べる豆腐は、売り切れていた。 途中、小さな店で買った。
豆腐は、飽きない。 さっきの店は、豆腐で商い。
振り返って。 土曜日なら、暗くなって、花笠踊り。 橋の上で。
小さな子が、崖のうえにサルがいたって、指さしていた。
駐車場に戻った。
銀山温泉は、歩いて楽しい。 そぞろ歩き。
最後は、温泉に安く入れる。
駐車場と、遊歩道があと少し整備されたら、十分でしょうか。
また行ってもいいですね。
その時は、奥にある集落まで。
【その他】 下の写真は、山刀伐(なたぎり)峠の入り口。 峠まで、3㌔程。
前回来た時に、歩いている。
この峠は、松尾芭蕉が、平泉から尾花沢に向かう途中、山越えした道。
その道は細い道。 交差しながら、車道がある。 それを行ってみた。
芭蕉が通った峠の頂上は、ここより、少し高い所。
説明は、峠を下りたところに。 今は、通行止めのよう。
下りの車道は、狭かった。 マイクロバスは、ご遠慮くださいと、表示があった。
私も、ご遠慮しとけばよかった。 脱輪しないように、用心した。 下に降りたら、通行止めの標示が。
途中に、赤倉温泉。 一度、入ったことが。 湯船の底の岩から、湯が出ていた。
【今日の歌】 土曜の晩に行われる、花笠踊り。
【停泊場所】 封人(ほうじん)の家の駐車場
義経は黄色の道を歩いた。
芭蕉も、その道の予定だった。 嵐で封人の家で足止め。
遅れを取り戻すため、近道の峠越えに変更した。
※ 芭蕉は、西行と義経が好きだった。 だから、中尊寺に行った。
西行が象潟(きさかた)にも行ってるから行くことに。
奥の細道での、そこが、一番の奥。
【ブログ紹介】
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
山刀伐峠 封人の家 他 (2009/06/30)
奥の細道と尾花沢 芭蕉と義経 他 (2009/06/29)
【明日の予定】 鳴子温泉かな
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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銀山温泉や、九州の黒川温泉は、特にいい。
そんなことで、また、行ってみた。
そぞろ歩きは、温泉街で物足りなかったら、滝を見に行ってもいい。
さらに奥には、銀山跡もある。
銀山温泉の名前は、昔、銀山があったから。
ひと汗かいたら、温泉。
昔ながらの、共同浴場がある。
これが、またいい。
銀山温泉の後、山刀伐(なたぎり)峠を越えた。
芭蕉が、苦労して通った道。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
銀山温泉は、尾花沢市街から、遠くない。
無料駐車場はある。 ただの空き地。 でこぼこ。
日帰り客を大事にするところから、取り組みはスタート、と思うけど。
3分ほど歩くと、低い谷に、温泉街は見えてくる。

こうです。 橋から向こうが、温泉街の中心。

遠くはこう。 足湯ですね。 そぞろ歩いている。
江戸時代の初めに、銀山。 1700年代の中ごろに、温泉が、ってある。


川の両側に温泉。 橋がいくつも。

地図。 左のは、左から歩く。 右のは、下から。


足湯です。 なんで、大きなリュックを持っているのでしょう。 山の帰りかな。


建物が、大正っぽい。 別世界に来た感じがする。
出窓ではなく、バルコニー。 木造で、3階とか4階。(3層とか4層)
絵が見える。


どれも、お目出度い。 鏝絵(こてえ)とは、違うよう。




振り返ると、こう。 大正から昭和にかけての建物。 モダンさを意識して、建てた感じ。

右向こうに、大きな旅館。 能登屋旅館。 きっと、職人と言われる人が建てた。

真ん中は、望楼。 川には、ニジマスか。



反対側。 御殿のよう。 ニシン御殿だって、こんなに華やかでない。
手前は、やなだ屋。 この旅館については、のちほど。

向こうから来た。 左に、共同浴場。 見終わってから入る。 300円。 箱に入れる。

再度、能登屋旅館。 国の、有形登録文化財。 重要文化財の、手前か。

反対側。 向こうから来た。 一泊いくらだろう。
旅に出てから、ホテルに泊まって、ご馳走を食べるのは、1年に1回。 旭川に近い、比布で。
※ 今年は、8月の何日かな。 旭川のMさんが、準備してくれている。

再び、能登屋旅館。 どこもそうだが、宿泊者の名前(苗字だけ)が、玄関前に、書いてある。
左に、絵が見える。 鏝絵(こてえ)のよう。 ふくらんで見えるので。


温泉街の奥に来た。 この地図では、左の方。 感じのいいお店の前を通って。


店の前を過ぎたら、ここに。 この辺の道は、はいからさん通りと、呼んでいる。
街灯も、おしゃれ。 ガスを燃やすのだったかな。
女の子3人は、ハイカラさん。 服装は、旅館にあるのかな。 いいながめです。


さらに奥へ。 少ししたら、滝がある。 みんな、そこまでは行く。

左の方に少し行ったら、坑道があった。
1㌔とかあるそうだが、100㍍と少しで、崩落している。
しっかりしているように見えても、崩れることが、あるんですね。
発破の無い時代。 みんな、手掘り。 鉱脈に沿って、掘ったのか。
1日に、どれくらい進めるのだろう。
奥の方で掘ってる時は、この辺りは、通路や排水に使いますね。


お堂の少し向こうは、滝つぼ。 滝は、左かげに。
栄えた時は、人口2万人。


立っているすぐ下は、こう。

白銀の滝。

穴の中に、鬼子母神(きしもじん)。 出産・育児の神。 高い所から、滝。


滝の上。 橋を通って、戻ることが出来る。
穴があちこちに。 寒いほどの風。 普通の風穴より、強い風。


鉱山跡に、向かう。 クマに注意とあった。 このあと、鈴をぶら下げる。

橋を渡って、向こうに。 外人さん。 どう写ったか、見ている。

左の道を、向こうから来た。 右奥に、斉藤茂吉の歌碑。
「蝉のこゑ ひヾかうころに 文殊谷 吾もわたりて 古へおもほゆ」
※ セミの声が響くころに文殊谷を渡ったら、銀がいっぱい採れた頃の、昔を思い出す。 こんな感じか。


カジカガエルの声が聞こえた。 清流でないと、いない。 濁りの無い、美しい声。
着くと、まず、公園があった。 この道を、1㌔ほど行くと、集落がある。 行ってみたいけど、根性と、時間が・・。


絵があった。 左は、今の冬。 豪雪地帯。
隣は、昭和の初期。 今の雰囲気がある。
その隣は、大正の初め。 洪水で流され、新しく建てた。
右端は、明治初期。 昔の人の雰囲気を見るのは、好き。




ここから入る。 銀鉱洞と呼んでいる。


ここへの途中、3人の女性に会った。 少し年配。
中は、幽霊が出そうで、怖かったよって、私に行った。
私を怖がらせているでしょう、って私は言った。


退屈だから、幽霊の人形でも、置けばいいのにと思っている。
ここが、一番広い空間。
この中で、多くの人が、ノミを打つ音を、鳴らした。 やっと見える、灯りの中で。


穴から出てきて、しばらく歩いた。 温泉神社への道があった。
行ったら、途中で、サルの集団。
襲われたら困るから、戻った。 あれは、持ってなかったし。 ※ あれ~撃退スプレー。クマの。
滝の上に出た。 滝の不動尊。


ここに、戻って来た。

日帰りの、家族風呂。

感じのいい店の横を通って。


一度紹介した、やなだ屋。
「銀の光にみちびかれ 山の地に存す」でいいでしょうか。
作者、梁田(やなだ)祐斉と。
この名前は、梁田家の誰かの、歌を作る時の、号なんでしょうね。
※ 梁田祐斉の名前は、ネット上には、出てこない。
ただ、山本勘助に関する、膨大な文の中に、同じ名前があるようだけど、見つけられない。
なぜこんな歌を詠んだかですが、こうですね。
1600年頃、 上方から、梁田八郎右ェ門という人が、この銀山に来ている。 (銀山温泉の歴史年表から)
この温泉の初代の人かな。
それがあるから。


しろがね湯。 私1人。 これが、理想。 かますと、ちょうどいい。 30分ほど。


人が減ったかな。 もう少しで、6時。 旅館に入ったか。

普通に食べる豆腐は、売り切れていた。 途中、小さな店で買った。
豆腐は、飽きない。 さっきの店は、豆腐で商い。


振り返って。 土曜日なら、暗くなって、花笠踊り。 橋の上で。
小さな子が、崖のうえにサルがいたって、指さしていた。

駐車場に戻った。


銀山温泉は、歩いて楽しい。 そぞろ歩き。
最後は、温泉に安く入れる。
駐車場と、遊歩道があと少し整備されたら、十分でしょうか。
また行ってもいいですね。
その時は、奥にある集落まで。
【その他】 下の写真は、山刀伐(なたぎり)峠の入り口。 峠まで、3㌔程。
前回来た時に、歩いている。
この峠は、松尾芭蕉が、平泉から尾花沢に向かう途中、山越えした道。
その道は細い道。 交差しながら、車道がある。 それを行ってみた。

芭蕉が通った峠の頂上は、ここより、少し高い所。
説明は、峠を下りたところに。 今は、通行止めのよう。
下りの車道は、狭かった。 マイクロバスは、ご遠慮くださいと、表示があった。
私も、ご遠慮しとけばよかった。 脱輪しないように、用心した。 下に降りたら、通行止めの標示が。


途中に、赤倉温泉。 一度、入ったことが。 湯船の底の岩から、湯が出ていた。

【今日の歌】 土曜の晩に行われる、花笠踊り。
【停泊場所】 封人(ほうじん)の家の駐車場
義経は黄色の道を歩いた。
芭蕉も、その道の予定だった。 嵐で封人の家で足止め。
遅れを取り戻すため、近道の峠越えに変更した。
※ 芭蕉は、西行と義経が好きだった。 だから、中尊寺に行った。
西行が象潟(きさかた)にも行ってるから行くことに。
奥の細道での、そこが、一番の奥。

【ブログ紹介】
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
山刀伐峠 封人の家 他 (2009/06/30)
奥の細道と尾花沢 芭蕉と義経 他 (2009/06/29)
【明日の予定】 鳴子温泉かな
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
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