今の八幡浜市は、保内町と八幡浜市が合併して、新しく出来ていた。
旧保内町は、今は、八幡市保内町。
保内町は、明治時代、産業が盛んだった。 中心は、紡績。
昨日のブログに、電気も銀行も、八幡浜市が愛媛県で一番はやかったと書いたが、それは、ここ保内町のことだった。
保内町は、ここ。 佐田岬半島の付け根。
旧白石和太郎洋館。 向かいに駐車場があるため、まずここに来た。
古い建物で、洋風だったら、明治っぽい。 そんな感じがしますね。
管理人さんがいた。 この建物は、観光案内所の役割も果たしていた。
丁寧に説明していただいた。
洋風の建物だが、細かな工夫やデザインが、いっぱい。
例えば、下の窓は上にあがる。 錘(おもり)があるため軽い。 どこでも止まる。
屋根には、波の模様。
家を見たり、町並みを歩く楽しみは、知らない物に出会うこと。
だから、この家は退屈しない。
これは、こて絵というよりは、漆喰(しっくい)のレリーフの感じですね。
※ 内子町で見た、漆喰 と レリーフ。
このドア、向こうに開いた。 ところが、こっちにも開く。 仕組みの説明は面倒なので、考えてくださいね。
この建物のスタートは、白石紡績所の事務所、また客を迎える所、として建てられた。
昭和25年から平成元年まで、川之石ドレスメーカー女学院として使用された。
ドレメと呼ばれた。 なつかしい響きの言葉。 そんな時代もあった。
柱の上が、大英博物館の柱の上と同じ、と管理人さんが教えてくれた。 ※ 大英博物館(庭仕事時々読書さんより)
そう言えば、この町は、当時四国のマンチェスターと言われていた。
マンチェスターはイギリスだたら、産業の技術は、イギリスから来たということですね。
※ 産業革命は1800年前後。 マンチェスターはその中心。
これも、変わっている。 世界地図。 そして、右の柱の上の部分も普通でない。
地図の日本の所に、こう。 本の字が、台湾に近い。 台湾は、明治27年に日本の物になっている。
ということは、この建物は、それ以降のものですね。
天井の灯りが、籠の中に入ってる。
この写真は、撮ったのを、逆さまにした。
※ コウモリのように、天井からぶら下がらないと、撮れないので。 コウモリ(伊豆)
隣の家。 明治34年に完成。 珍しい形の「うだつ」がある。 耳の形のよう。
※ 普通のうだつは、こんな形。 脇町のうだつ(徳島県)
地図で、歩くコースを教えていただき、スタート。
影が出来ると言うことは、晴れてる証拠。(あたりまえだけど、うれしい)
一番左の、慈眼庵までいく。
見てください、この石垣。 なぜこの積み方なのか。 デザインの他に理由があるのか。
石が薄いので、全部横に積んだら、崩れやすいのか。 それとも、割れるのか。
石は青く、緑泥片岩というそう。 片岩だから、薄い(?) ※ 破片の片だし。
※ 緑泥片岩は、蛇紋岩と同じ仲間のよう。 変成岩と言われるもの。
※ 蛇紋岩は、カンラン岩とも近い。 アポイ岳や早池峰山が、これらの岩で出来た山だった。
植物が、他の山と、全く違った。 ハヤチネウスユキソウ や ヒダカトウヒレン。
ミカン畑だから、石垣が見えない。 ここの石垣の広さは、圧倒的と言っていいくらい。 四方八方の山全部。
※ もし畑だったら、石垣が見える。 遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑。
橋は、地図にある美名瀬橋。
昭和7年の工事。 この時の橋を平成10年に改修して、今も使っている。
建物は、旧東洋紡績赤レンガ倉庫。 工場はその左側に並んでいた。 今は、中学校。
その工場の写真。 写真の右の○の中に、白石和太郎洋館が写っている。
東洋紡績川之石工場、と読める。
うっすらと、読めます。
地図の左に、数分歩いたら、桐万長酒造。 いい水があれば、酒屋さんは出来ますね。
愛媛養蚕。 いまもやっている。
こんな道を歩いていました。 旧街道。
龍譚寺(りょうたんじ)。 左の建物は庫裡と言って、住職さんの住まい。
本堂より立派。 住職さんは、つつましく生活しているのかと思っていた。
手すりがあって、出っ張ってる所がある。 月見楼だそう。 ここでの酒は、月見酒ですね。
※ 山頭火は、いつも月見が出来た。 こんな句が。
「 月からひらりと 柿の葉いちまい 」 「 月が酒が 私ひとりの秋かよ 」
ソ~レって、山門の上で、みんなで逆立ち。
古い建物をいろいろ見ながら、もう少しで、慈眼庵(じげんあん)。
見えてきました。 ○の中に、目的の物が。
こうです。 ここは、保内町の雨井地区。 昔、海運業で栄えたそう。 建物は、慈眼庵(じげんあん)。
灯明台のデザイン。 ※灯明台~小さな灯台の役割。
光も表現しているように、見えますが・・・。 遊び心ですね。 ※ そんな心に出会ったことななかったかな。
水仙の季節です。
左は湾の奥。
左の山の陰から来た。 お地蔵さんに、水仙を持たせて撮ればよかったかな。
朧月(おぼろづき)です。 いつか、菜の花といっしょに撮りますね。
江戸時代の町並みは、似ている所が多い。
でも、今日は明治だったので、新鮮な感じで歩き、また見ました。
説明していただいたお陰で、細かな所も分かりました。
最後に見た灯明台があると知って、保内町に来ると決めました。 遊び心は、おもしろい。
【停泊場所】 西予市にあるどんぶり館の第3駐車場 (教えていただいていた)
【明日の予定】 山に入って行けなかったら、この町を。
※ 今は、「 分け入っても 分け入っても 青い山 」 (山頭火)でなく、白い山。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【今日の歌】 ① 朧月夜(YouTube) ※ ブログにに貼れないのもある。 倍賞千恵子です。 いいですよ。
② エジプトの革命は、うまく進んでいるでしょうか。
この曲は、久しぶりです。 ※ 載るかどうか、心配。
「Nathalie Cardone Comandante Che Guevara Hasta Siempre 」 ナタリーは歌手名。 最後の部分が、曲名です。
動画に登場する人の、表情が好きです。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は39位です。
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旧保内町は、今は、八幡市保内町。
保内町は、明治時代、産業が盛んだった。 中心は、紡績。
昨日のブログに、電気も銀行も、八幡浜市が愛媛県で一番はやかったと書いたが、それは、ここ保内町のことだった。
保内町は、ここ。 佐田岬半島の付け根。
旧白石和太郎洋館。 向かいに駐車場があるため、まずここに来た。
古い建物で、洋風だったら、明治っぽい。 そんな感じがしますね。

管理人さんがいた。 この建物は、観光案内所の役割も果たしていた。
丁寧に説明していただいた。
洋風の建物だが、細かな工夫やデザインが、いっぱい。
例えば、下の窓は上にあがる。 錘(おもり)があるため軽い。 どこでも止まる。
屋根には、波の模様。

家を見たり、町並みを歩く楽しみは、知らない物に出会うこと。
だから、この家は退屈しない。
これは、こて絵というよりは、漆喰(しっくい)のレリーフの感じですね。
※ 内子町で見た、漆喰 と レリーフ。

このドア、向こうに開いた。 ところが、こっちにも開く。 仕組みの説明は面倒なので、考えてくださいね。

この建物のスタートは、白石紡績所の事務所、また客を迎える所、として建てられた。
昭和25年から平成元年まで、川之石ドレスメーカー女学院として使用された。
ドレメと呼ばれた。 なつかしい響きの言葉。 そんな時代もあった。
柱の上が、大英博物館の柱の上と同じ、と管理人さんが教えてくれた。 ※ 大英博物館(庭仕事時々読書さんより)
そう言えば、この町は、当時四国のマンチェスターと言われていた。
マンチェスターはイギリスだたら、産業の技術は、イギリスから来たということですね。
※ 産業革命は1800年前後。 マンチェスターはその中心。

これも、変わっている。 世界地図。 そして、右の柱の上の部分も普通でない。

地図の日本の所に、こう。 本の字が、台湾に近い。 台湾は、明治27年に日本の物になっている。
ということは、この建物は、それ以降のものですね。

天井の灯りが、籠の中に入ってる。
この写真は、撮ったのを、逆さまにした。
※ コウモリのように、天井からぶら下がらないと、撮れないので。 コウモリ(伊豆)

隣の家。 明治34年に完成。 珍しい形の「うだつ」がある。 耳の形のよう。
※ 普通のうだつは、こんな形。 脇町のうだつ(徳島県)

地図で、歩くコースを教えていただき、スタート。
影が出来ると言うことは、晴れてる証拠。(あたりまえだけど、うれしい)

一番左の、慈眼庵までいく。

見てください、この石垣。 なぜこの積み方なのか。 デザインの他に理由があるのか。
石が薄いので、全部横に積んだら、崩れやすいのか。 それとも、割れるのか。
石は青く、緑泥片岩というそう。 片岩だから、薄い(?) ※ 破片の片だし。
※ 緑泥片岩は、蛇紋岩と同じ仲間のよう。 変成岩と言われるもの。
※ 蛇紋岩は、カンラン岩とも近い。 アポイ岳や早池峰山が、これらの岩で出来た山だった。
植物が、他の山と、全く違った。 ハヤチネウスユキソウ や ヒダカトウヒレン。

ミカン畑だから、石垣が見えない。 ここの石垣の広さは、圧倒的と言っていいくらい。 四方八方の山全部。
※ もし畑だったら、石垣が見える。 遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑。

橋は、地図にある美名瀬橋。

昭和7年の工事。 この時の橋を平成10年に改修して、今も使っている。

建物は、旧東洋紡績赤レンガ倉庫。 工場はその左側に並んでいた。 今は、中学校。
その工場の写真。 写真の右の○の中に、白石和太郎洋館が写っている。

東洋紡績川之石工場、と読める。

うっすらと、読めます。

地図の左に、数分歩いたら、桐万長酒造。 いい水があれば、酒屋さんは出来ますね。

愛媛養蚕。 いまもやっている。

こんな道を歩いていました。 旧街道。

龍譚寺(りょうたんじ)。 左の建物は庫裡と言って、住職さんの住まい。
本堂より立派。 住職さんは、つつましく生活しているのかと思っていた。
手すりがあって、出っ張ってる所がある。 月見楼だそう。 ここでの酒は、月見酒ですね。
※ 山頭火は、いつも月見が出来た。 こんな句が。
「 月からひらりと 柿の葉いちまい 」 「 月が酒が 私ひとりの秋かよ 」

ソ~レって、山門の上で、みんなで逆立ち。

古い建物をいろいろ見ながら、もう少しで、慈眼庵(じげんあん)。

見えてきました。 ○の中に、目的の物が。

こうです。 ここは、保内町の雨井地区。 昔、海運業で栄えたそう。 建物は、慈眼庵(じげんあん)。

灯明台のデザイン。 ※灯明台~小さな灯台の役割。
光も表現しているように、見えますが・・・。 遊び心ですね。 ※ そんな心に出会ったことななかったかな。

水仙の季節です。

左は湾の奥。

左の山の陰から来た。 お地蔵さんに、水仙を持たせて撮ればよかったかな。

朧月(おぼろづき)です。 いつか、菜の花といっしょに撮りますね。

江戸時代の町並みは、似ている所が多い。
でも、今日は明治だったので、新鮮な感じで歩き、また見ました。
説明していただいたお陰で、細かな所も分かりました。
最後に見た灯明台があると知って、保内町に来ると決めました。 遊び心は、おもしろい。
【停泊場所】 西予市にあるどんぶり館の第3駐車場 (教えていただいていた)
【明日の予定】 山に入って行けなかったら、この町を。
※ 今は、「 分け入っても 分け入っても 青い山 」 (山頭火)でなく、白い山。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【今日の歌】 ① 朧月夜(YouTube) ※ ブログにに貼れないのもある。 倍賞千恵子です。 いいですよ。
② エジプトの革命は、うまく進んでいるでしょうか。
この曲は、久しぶりです。 ※ 載るかどうか、心配。
「Nathalie Cardone Comandante Che Guevara Hasta Siempre 」 ナタリーは歌手名。 最後の部分が、曲名です。
動画に登場する人の、表情が好きです。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は39位です。
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