フェリーが次の日になった。
近くに、秋田城跡があるので、行くことに。
ただ、これは、普通の城ではない。
古代の、柵で囲まれただけの城で、政治を行った国府の役割の時も、あった。
道の駅にある、ポートタワーセリオンに上がって、秋田市の街を眺めた。
いつもお世話になってる、東風さんが、カンボジアに行ってきた。
18日から22日までの日程で、学校を視察してきた。
子供たちの生活は楽ではない。
でも、みんな、一生懸命生きている。
写真を、何枚か紹介。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
じっとしてる訳にもいかないので、行ってみる。
歩いていたら、何か発見があると思って。
秋田城は、秋田市の市街地の中にある。
秋田のお城と言えば、普通は久保田城。
中心街にある、秋田藩(久保田藩)のお城。
駐車場から、山の上の方に歩く。 何となく、時計回りで。
説明で分かったが、古代の城だった。
左に、古四王神社(こしおうじんじゃ)。 秋田市の中では、中心的な神社。 見てきた。
齶田浦神(あぎたのうらのかみ)が、はるか昔に、祀られている。 この「あぎた」が、「あきた」になったとも。
※ 齶(あぎ)は、歯茎のことのよう。
少し向こうに、駐車場があった。
上の写真の、道路の向かいに、2つの案内。
左は、鳥居前にあった、茶屋。 (詳しくは、最後に動画で)
菅江江真澄は、この土地の人ではないが、晩年は、秋田藩(久保田藩)から、出なかった。
※ 彼を初めて知ったのは、手這坂(てはいざか)で。
撮りましたよ。 マムシです。 手這坂茅葺集落 他 (2009/09/16)
歩いていたら、人形を作っている家があった。
調べてみたら、土崎みなと曳山祭りの、人形だった。
土崎みなとは、道の駅がある所。 広く、秋田港だが、その中に、土崎港。
※ こんな祭であり、こんなんでも。 あと1ヶ月。 東北の人は、祭に燃える。
お米屋さんの入り口に、小野小町。 百人一首の歌。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
※ 花(桜)の色は、変わってしまった。
雨が降って、眺めてる間に。
自分も年を取って、すっかり変わってしまった。
月日が経(ふ)る間に。
※ 上の写真について。 私は、この小町が好き。 ネット上にあった。 (たまたま、私のだった)
秋田美人の典型は、このような、少し、うりざね顔。
綾小路(あやこうじ)跡。 昔、ここに赴任した役人が、京都を懐かしんで、こう呼んだ。
綾小路通は、四条通の上の、細い道。
※ 京都の中央上あたりに、大内裏(だいだいり)があった。 天皇がいて、政治の中心。
役人は、その南辺りに住んで、そこにあったのが、綾小路通り。
やっと案内が見えてきた。
秋田城は、こんな塀で囲まれていた。 一部を復元。
城は、塀で広く囲む。 だいじな部分は、さらに囲む。
奈良時代からの話。 普通の城とは、全く違う。 別な呼び名に、できないのか。
穴のあるところは、土の質が違うので、分かるんですね。
塀の外は、このように。 広く公園になっていて、池もある。 外から見た塀。
塀の中に入って、城の中にいる。 そうしたら、また塀があった。
この塀で囲まれた部分が、城の中心。 政庁って呼んでる。
政庁の模型。 時代と共に、変化している。
東北を支配するためにつくった。 そのために、どのくらいの数の兵士がいたのでしょう。
力のない者に、誰も従わない。
政庁の内部。 塀は、一部を復元。
柱の跡は、こうだったということですね。
防衛の拠点だったので、城跡と呼ぶよう。
政治の中心なら、国府跡になりますね。 これなら、全国に、いくつもある。 ※ 後で紹介。
ここも、国府の役割をした時代があるそう。
城跡は、神社になることが多い。 ここは、護国神社。
変わった建物があった。 齊(さい)館。 何に使われたかは、分からない。
斎場と関係あるのか。 齊院なら、京都にあったが・・。 (天皇に代わって、伊勢に)
立派な神社。
さざれ石。 伊吹山に多い。 石灰質の何かで、石がくっ付いた。
池のあった方を通って、戻った。
途中に、古代の水洗トイレ。
道の駅に戻って、上に上がった。 エレベーターで。
展望室は、高さ100㍍。 無料。
下に、秋田港。 昔の雄物川の河口。 今の河口は、ずっと向こう。 右に海が少し見える。
市街地の中心は、中央左。
壁に風が当たっても、大丈夫なのか。 不安。 風速、40㍍の突風とか。
遠くに、市街地の中心が。
久保田城が見えている。 千秋公園でも。
千秋公園 ねぶり流し館 狐の行列 ~秋田市~ 他 (2011/10/8)
国道7号線。 何度も通った道。 7号線と8号線で、京都に行く。
北方面。
すぐ下に、フェリーターミナル。
下に降りたら、地図があった。 昔の様子も。
今日は、時間つぶしの感じもあったけど、歩けば、何かに出会う。
秋田城を拠点に、本州の北部を治めたんですね。
具体的に、何が出来たのでしょう。
年貢を集めたとすれば、ちゃんとした組織は、あったのでしょうか。
私のおじいちゃんは、秋田市の出身。 私が生まれた時には、いないけど。
おやじが生きてる間に、ちゃんと聞いておくんだった。
詳しいことは、何も分からない。
※ そう言えば、今日は、おやじの命日だった。
【東風さんが、カンボジアへ行ってきた】
東風さんの会社を引退した社長さんが、npoで、カンボジアのコンポントムで、学校を作るプロジェクトを行っている。
そんな関係で、東風さんの職場の人たちが、視察に行ってきた。
旅のコースは、下の地図。 青の線は、陸路。
目的地が、コンポン・トム。
東風さんからのメールの文の一部はこう。
カンボジアは、ポルポト政権の影響で、まだまだ後進国。
田舎はとても貧乏で、子供たちは満足な教育が受けられません。
読み書きができない成人も多く、田舎には学校もなく、
ましてや学校へ行かせる余裕など、ない状況だそうです。
こんな学校です。
建ててそれで終わりなら、どうなっているかの視察なんか、しませんね。
ポルポトはひどかった。 30年以上前の話。
政権を維持するために、知識層を始め、徹底的に殺した。
結果、14歳以下が、国民の85%も占めることになった。(Wikipedia)
日本を始め、世界が監視の役割を果たせないから、カンボジア国民は、苦しむしかなかった。
小さな子供がいる。 左右どちらかの子が、面倒を見ている。 だから一緒に、学校。
こんな姿は、昔の日本でもあった。
※ 上の写真で、教師をどのように育てているかが気になります。
物をつくることは、目に見えます。 ニュースになり易い。
でも、教師を育てるのは、難しいプロジェクト。
幸せは十分でない、という表情の子も、多いでしょうか。
ただ、目つきが純粋。 日本の子供と、少し違うでしょうか。
この子達が、幸せをつかめたら、カンボジアのこれからは、合格と言えますね。
右の写真は、お店でしょうか。
歴史上、血迷った権力者は、いっぱいいる。
ルーマニアの、チャウシェスクもそう。 一緒の写真がある。
中央右は、ポルポト。 左が、チャウシェスク。
秋に、東風さんに会ったら、子どもたちの様子を、詳しく聞いてみたい。
【ブログ紹介】
讃岐国分寺跡。 第80番札所國分寺。 讃岐国府跡を歩く。~高松市・坂出市~ 他 (2014/4/19)
道の駅 ふたみ で一休み ~暴風雨で動けず 伊予市~ 徒然 (2011/2/12)(チャウシェスクから逃げる、コマネチ)
【動画の紹介】
【道の駅】 あきた港
【明日の予定】 朝7時のフェリーで、苫小牧に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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旅行をクリックすると、旅行全体のが。
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近くに、秋田城跡があるので、行くことに。
ただ、これは、普通の城ではない。
古代の、柵で囲まれただけの城で、政治を行った国府の役割の時も、あった。
道の駅にある、ポートタワーセリオンに上がって、秋田市の街を眺めた。
いつもお世話になってる、東風さんが、カンボジアに行ってきた。
18日から22日までの日程で、学校を視察してきた。
子供たちの生活は楽ではない。
でも、みんな、一生懸命生きている。
写真を、何枚か紹介。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
じっとしてる訳にもいかないので、行ってみる。
歩いていたら、何か発見があると思って。
秋田城は、秋田市の市街地の中にある。
秋田のお城と言えば、普通は久保田城。
中心街にある、秋田藩(久保田藩)のお城。
駐車場から、山の上の方に歩く。 何となく、時計回りで。
説明で分かったが、古代の城だった。



左に、古四王神社(こしおうじんじゃ)。 秋田市の中では、中心的な神社。 見てきた。
齶田浦神(あぎたのうらのかみ)が、はるか昔に、祀られている。 この「あぎた」が、「あきた」になったとも。
※ 齶(あぎ)は、歯茎のことのよう。
少し向こうに、駐車場があった。

上の写真の、道路の向かいに、2つの案内。
左は、鳥居前にあった、茶屋。 (詳しくは、最後に動画で)
菅江江真澄は、この土地の人ではないが、晩年は、秋田藩(久保田藩)から、出なかった。
※ 彼を初めて知ったのは、手這坂(てはいざか)で。
撮りましたよ。 マムシです。 手這坂茅葺集落 他 (2009/09/16)


歩いていたら、人形を作っている家があった。
調べてみたら、土崎みなと曳山祭りの、人形だった。
土崎みなとは、道の駅がある所。 広く、秋田港だが、その中に、土崎港。
※ こんな祭であり、こんなんでも。 あと1ヶ月。 東北の人は、祭に燃える。


お米屋さんの入り口に、小野小町。 百人一首の歌。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
※ 花(桜)の色は、変わってしまった。
雨が降って、眺めてる間に。
自分も年を取って、すっかり変わってしまった。
月日が経(ふ)る間に。

※ 上の写真について。 私は、この小町が好き。 ネット上にあった。 (たまたま、私のだった)
秋田美人の典型は、このような、少し、うりざね顔。
綾小路(あやこうじ)跡。 昔、ここに赴任した役人が、京都を懐かしんで、こう呼んだ。
綾小路通は、四条通の上の、細い道。
※ 京都の中央上あたりに、大内裏(だいだいり)があった。 天皇がいて、政治の中心。
役人は、その南辺りに住んで、そこにあったのが、綾小路通り。


やっと案内が見えてきた。

秋田城は、こんな塀で囲まれていた。 一部を復元。

城は、塀で広く囲む。 だいじな部分は、さらに囲む。
奈良時代からの話。 普通の城とは、全く違う。 別な呼び名に、できないのか。
穴のあるところは、土の質が違うので、分かるんですね。



塀の外は、このように。 広く公園になっていて、池もある。 外から見た塀。


塀の中に入って、城の中にいる。 そうしたら、また塀があった。
この塀で囲まれた部分が、城の中心。 政庁って呼んでる。

政庁の模型。 時代と共に、変化している。

東北を支配するためにつくった。 そのために、どのくらいの数の兵士がいたのでしょう。
力のない者に、誰も従わない。


政庁の内部。 塀は、一部を復元。

柱の跡は、こうだったということですね。
防衛の拠点だったので、城跡と呼ぶよう。
政治の中心なら、国府跡になりますね。 これなら、全国に、いくつもある。 ※ 後で紹介。
ここも、国府の役割をした時代があるそう。

城跡は、神社になることが多い。 ここは、護国神社。
変わった建物があった。 齊(さい)館。 何に使われたかは、分からない。
斎場と関係あるのか。 齊院なら、京都にあったが・・。 (天皇に代わって、伊勢に)
立派な神社。


さざれ石。 伊吹山に多い。 石灰質の何かで、石がくっ付いた。


池のあった方を通って、戻った。
途中に、古代の水洗トイレ。

道の駅に戻って、上に上がった。 エレベーターで。
展望室は、高さ100㍍。 無料。
下に、秋田港。 昔の雄物川の河口。 今の河口は、ずっと向こう。 右に海が少し見える。
市街地の中心は、中央左。

壁に風が当たっても、大丈夫なのか。 不安。 風速、40㍍の突風とか。


遠くに、市街地の中心が。

久保田城が見えている。 千秋公園でも。
千秋公園 ねぶり流し館 狐の行列 ~秋田市~ 他 (2011/10/8)


国道7号線。 何度も通った道。 7号線と8号線で、京都に行く。

北方面。

すぐ下に、フェリーターミナル。

下に降りたら、地図があった。 昔の様子も。



今日は、時間つぶしの感じもあったけど、歩けば、何かに出会う。
秋田城を拠点に、本州の北部を治めたんですね。
具体的に、何が出来たのでしょう。
年貢を集めたとすれば、ちゃんとした組織は、あったのでしょうか。
私のおじいちゃんは、秋田市の出身。 私が生まれた時には、いないけど。
おやじが生きてる間に、ちゃんと聞いておくんだった。
詳しいことは、何も分からない。
※ そう言えば、今日は、おやじの命日だった。
【東風さんが、カンボジアへ行ってきた】
東風さんの会社を引退した社長さんが、npoで、カンボジアのコンポントムで、学校を作るプロジェクトを行っている。
そんな関係で、東風さんの職場の人たちが、視察に行ってきた。
旅のコースは、下の地図。 青の線は、陸路。


目的地が、コンポン・トム。

東風さんからのメールの文の一部はこう。
カンボジアは、ポルポト政権の影響で、まだまだ後進国。
田舎はとても貧乏で、子供たちは満足な教育が受けられません。
読み書きができない成人も多く、田舎には学校もなく、
ましてや学校へ行かせる余裕など、ない状況だそうです。
こんな学校です。
建ててそれで終わりなら、どうなっているかの視察なんか、しませんね。

ポルポトはひどかった。 30年以上前の話。
政権を維持するために、知識層を始め、徹底的に殺した。
結果、14歳以下が、国民の85%も占めることになった。(Wikipedia)
日本を始め、世界が監視の役割を果たせないから、カンボジア国民は、苦しむしかなかった。
小さな子供がいる。 左右どちらかの子が、面倒を見ている。 だから一緒に、学校。
こんな姿は、昔の日本でもあった。

※ 上の写真で、教師をどのように育てているかが気になります。
物をつくることは、目に見えます。 ニュースになり易い。
でも、教師を育てるのは、難しいプロジェクト。
幸せは十分でない、という表情の子も、多いでしょうか。
ただ、目つきが純粋。 日本の子供と、少し違うでしょうか。

この子達が、幸せをつかめたら、カンボジアのこれからは、合格と言えますね。
右の写真は、お店でしょうか。


歴史上、血迷った権力者は、いっぱいいる。
ルーマニアの、チャウシェスクもそう。 一緒の写真がある。
中央右は、ポルポト。 左が、チャウシェスク。
秋に、東風さんに会ったら、子どもたちの様子を、詳しく聞いてみたい。
【ブログ紹介】
讃岐国分寺跡。 第80番札所國分寺。 讃岐国府跡を歩く。~高松市・坂出市~ 他 (2014/4/19)
道の駅 ふたみ で一休み ~暴風雨で動けず 伊予市~ 徒然 (2011/2/12)(チャウシェスクから逃げる、コマネチ)
【動画の紹介】
【道の駅】 あきた港
【明日の予定】 朝7時のフェリーで、苫小牧に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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今回陸路で、シェムリアップ~コンポントム~プノンペンとランドクルザーで走りましたが、カンボジアはとても広大な国でした。
北海道のような田園と荒地にポツンと小さな村があり人々は生活しています。
当然、生活水準は低い訳でとても何百キロも離れた学校へは通えるはずもありませんしお金もありません。
そんな中いろいろな方々がNPO等で各地に学校を作り教育の支援をしているそうです。今回訪問したNPOでは12校の学校をカンボシアで運営しています。
今回訪問した学校では、生徒一人一人にノートと鉛筆をプレゼントしましたが、きちんと手を合わせて受け取り、「オークン」
(ありがとう)と、とてもお行儀よく受け取ってくれたのが印象的で配っている最中に目頭が熱くなり涙が出できました。
こんな劣悪な環境の中で力強く明るく生きている子供達に感動すると共に元気と勇気を貰ったような気がします。
ポルポトの悲しい歴史が幕を閉じ生き残った人達が新しい命に夢を託して愛情を注ぎ夢と希望をかけて育てているのを感じました。
また機会があったら是非もう一度訪れてみたいコンポントムでした。