雪で、旅の日程が、ずれています。
去年の今頃は、九州の薩摩川内(せんだい)の山の中にいた。
天草諸島を見終わって、バンクーバーまで、あと10日となっていた。
2月の半ばだから、雪のことは忘れていた。
今日は、今後の天気予報、今現在の四国の内陸の道路状況を調べた。
幹線の国道だけ、走れることが分かった。
今は、宇和島にいるが、明日は梅を見て、明後日、内陸に向かう。
気温は急に上がった。 車の中は、暖房なしで18度。
明日も気温は高い。
そういう状況で、今は雨が降っている。 明日も一日雨。
これは、いい雨だ。 一気に雪をとかしてくれる。
今後のコースも決めたので、最後に紹介します。
今日は時間がなかったので「吉田ふれあい 国安の郷」を、少しの時間見ただけです。
ただ、面白そうなことを発見しました。
「よしだ ふれあい国安の郷」は、ここ。
宇和島市吉田町にある。 合併する前は、単独で、吉田町。
昔は、吉田藩だったので、当時の家などを集めて、この場所に復元した。
吉田藩は、宇和島藩の分家の感じ。 (地図は、武左衛門一揆のHPより)
城のない藩は、殿様や家来の住む所を塀で囲った。 それを陣屋と言う。
吉田の街は、陣屋を中心に、陣屋町として発展した。
残っていた建物を、ここに集めて、復元した。 だから、道は昔の道ではない。
全国によくある、時代村の感じ。
武家屋敷の庭。 梅が咲いている。 梅の木は、桜と違って、ごつごつしていますね。
つぼみがあるから、満開ではない。 満開まで、何日くらいでしょう。
資料館の中にあった絵。
垣根が、真っ直ぐでない。 それがいいのかな。
正面から撮る写真は、むずかしい。 これは、適当。
この家は、庄屋さんの住まいでしょうか。 立派。
農民がどんな家に住んでいたか、そんなのを展示したらと思うんだが。
江戸時代の農民が、どのくらいの生活が出来たのか、それが知りたい。
藩によっても違うでしょうが。 また、飢饉の時でない、普通の時で。
調べても、はっきりしないが、こんなのがあった。
自分の土地の広さで出来る収穫の半分を、税として庄屋に納める。 庄屋は、そのうちの6割を幕府に出す。
土地の広さを、実際より狭く申告していたそう。 だから、半分より多く自分の物になった。
これだと、教科書で習ったより、生活はよさそうだ。
とにかく、貧しかった者を含めた、全体の展示を見たいですね。 見たことはない。
家の中。
吉田藩を調べていたら、昔、吉田騒動という一揆があった。 一揆の指導者の名前をとって、武左衛門一揆とも。
詳しいことは、宇和島市の山の中の町に、資料館がある。 行って見ようと思う。
この一揆は、中学校の教科書に載ったこともあるようだ。
調べたら面白かった。 2つの点で。
① 武左衛門は、どのようにして、仲間を増やしたか。
② 藩は、首謀者をどのように見つけたか。
左の建物は、商家。 国安の郷の目玉とも言える。 これだけ大きな建物の復元は、少ないと思う。
吉田騒動については、資料館に行って、中身の整理が出来たら、書きますね。
今回は、上の①と②について。 (武左衛門一揆のHPから)
① 彼は貧しい浄瑠璃(じょうるり)語りになりすまし、信頼できる人物を探し歩いた。
こうして三年間の内に24人の同志を得たと伝えられている。
※ なるほど、これだと、どこに行っても不審がられない。
② 吉田藩は懸命に指導者を探したが、農民は誰もその名を明かさない。
そこで、河川修理に来た役人は、働く百姓たちに例年よりはるかに米を支給し、酒を振る舞った。
そして、一揆の指導者を武士に取り立てたいものだとほめたたえた。
酔った百姓の口から、武左衛門の名が出ると、その夜の内に捕らえ、ただちに打ち首にした。(伝承)
実際は、武左衛門は取り調べの後、処刑された。
※ 武士に取り立てたい、の部分がなかなかですね。
ここに座って、指示を出したり、お客と対応するのかな。
太い柱です。 ここは、2階。
最近の傾向として、こういう建物を、集会なんかに、使用させる所が出てきましたね。
見せるだけでは、もったいない。
作る時から、利用を考えて復元する。
どんな利用があるでしょうか。 考えられる物。
① 会議や集会。 お茶やお花など何でも。 ミニコンサートも。
子供たちは、夏休み、集まって勉強。 子供は無料。(子供の管理は、ボランティアの方が)
② 5時まで展示なら、それ以降は、宿泊できるように。
③ 物置代わり。 展示の形で。 ここは、現在そうなっている。
④ 資料館などが、子供たちの学習の場になるように。(郷土資料室)
⑤ 年に何回か、イベント。
※ それから、人を呼べるのは、花ですね。 これも、ボランティア。(花壇に名前を表示)
お年寄りの生きがいにつなげる。
利用が増えると価値が高まったことになりますね。
少しでも、収益を上げることも大事でしょうか。 その収益で、環境整備。
せっかく作った施設を、もてあましている所がありますね。
※ 作るだけが目的だった所は、そうなりやすいでしょうか。
昔は、そんな建物がいっぱい。 今は、ないかな。
梅のつぼみは、丸く膨らんで大きくなって、最後にぱっと開く。
桜と違いますね。 桜は、小さなつぼみのまま、少しだけ膨らんで、ぱっと。
祭り展示館の中。 左側のは、七つ鹿。
七つ鹿踊り(YouTube) ※ 貼れない。 長いので、少しだけでも。
山の斜面。 ミカン畑。 菜の花も咲いている。
上にあった、商家。
椿の花がなかったら、冬はさびしい。
最初に梅を撮った家。
今後のコースは、こうです。
① 四万十川の中流に行く。
② 少し戻って、檮原(ゆすはら)に。
③ 小薮(おやぶ)温泉のあった肱川に抜け、大洲を通って佐田岬半島へ。 そして九州。
今日調べていて、偶然こんなことが分かりました。
石原裕次郎と慎太郎の父の出身は、先日いた、伊予長浜。
さらに、おじいちゃんは、昨日いた、保内の出身。
立派な庫裡だった、龍潭寺(りょうたんじ)は先祖の墓がある所だった。
※ 慎太郎は行ったことがあるようだ。
昔、保内に、おばさんがいて入院していた。
裕次郎がお見舞いに行った。 病院内は、大騒ぎになった。
ということです。
【その他】 昨日、西予市の卯之町にいた。 そこには、伝建地区の町並みがあった。
一昨年の暮れに見たので、行かなかった。
坊ちゃん劇場で「鶴姫伝説」を見た前日。 雪のかずら橋を見た後、雪のため、南周りで向かった。
「卯之町の街並み 開明学校~現存する西日本最古の小学校~ (2009/12/19)」
【道の駅】 うわじま きさいや広場
【明日の予定】 南楽園という所で、梅の花を見ます。 国安の郷で教えてもらいました。
山の中へは、1日遅れで。
【動画akkamui】 吉田ふれあい国安の郷へ ※ ガラスが、きたない。
【今日の歌】 夕陽の丘(YouTube) 裕次郎と浅丘ルリ子 ※ 吉永小百合が、画像に少しだけ。
※ この曲について、下に面白いことが書いてあります。
私も、似たことをブログに書いている。 「北の岬」の曲の原点は、そこにある。
そのブログは、酒に酔って書いた。 いつか消そうと思っていた。 でも、消せないでまだある。
「 二木紘三のうた物語 夕陽の丘」
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は39位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
去年の今頃は、九州の薩摩川内(せんだい)の山の中にいた。
天草諸島を見終わって、バンクーバーまで、あと10日となっていた。
2月の半ばだから、雪のことは忘れていた。
今日は、今後の天気予報、今現在の四国の内陸の道路状況を調べた。
幹線の国道だけ、走れることが分かった。
今は、宇和島にいるが、明日は梅を見て、明後日、内陸に向かう。
気温は急に上がった。 車の中は、暖房なしで18度。
明日も気温は高い。
そういう状況で、今は雨が降っている。 明日も一日雨。
これは、いい雨だ。 一気に雪をとかしてくれる。
今後のコースも決めたので、最後に紹介します。
今日は時間がなかったので「吉田ふれあい 国安の郷」を、少しの時間見ただけです。
ただ、面白そうなことを発見しました。
「よしだ ふれあい国安の郷」は、ここ。
宇和島市吉田町にある。 合併する前は、単独で、吉田町。
昔は、吉田藩だったので、当時の家などを集めて、この場所に復元した。

吉田藩は、宇和島藩の分家の感じ。 (地図は、武左衛門一揆のHPより)

城のない藩は、殿様や家来の住む所を塀で囲った。 それを陣屋と言う。
吉田の街は、陣屋を中心に、陣屋町として発展した。
残っていた建物を、ここに集めて、復元した。 だから、道は昔の道ではない。
全国によくある、時代村の感じ。

武家屋敷の庭。 梅が咲いている。 梅の木は、桜と違って、ごつごつしていますね。

つぼみがあるから、満開ではない。 満開まで、何日くらいでしょう。

資料館の中にあった絵。

垣根が、真っ直ぐでない。 それがいいのかな。

正面から撮る写真は、むずかしい。 これは、適当。
この家は、庄屋さんの住まいでしょうか。 立派。
農民がどんな家に住んでいたか、そんなのを展示したらと思うんだが。

江戸時代の農民が、どのくらいの生活が出来たのか、それが知りたい。
藩によっても違うでしょうが。 また、飢饉の時でない、普通の時で。
調べても、はっきりしないが、こんなのがあった。
自分の土地の広さで出来る収穫の半分を、税として庄屋に納める。 庄屋は、そのうちの6割を幕府に出す。
土地の広さを、実際より狭く申告していたそう。 だから、半分より多く自分の物になった。
これだと、教科書で習ったより、生活はよさそうだ。
とにかく、貧しかった者を含めた、全体の展示を見たいですね。 見たことはない。

家の中。

吉田藩を調べていたら、昔、吉田騒動という一揆があった。 一揆の指導者の名前をとって、武左衛門一揆とも。
詳しいことは、宇和島市の山の中の町に、資料館がある。 行って見ようと思う。
この一揆は、中学校の教科書に載ったこともあるようだ。
調べたら面白かった。 2つの点で。
① 武左衛門は、どのようにして、仲間を増やしたか。
② 藩は、首謀者をどのように見つけたか。
左の建物は、商家。 国安の郷の目玉とも言える。 これだけ大きな建物の復元は、少ないと思う。

吉田騒動については、資料館に行って、中身の整理が出来たら、書きますね。
今回は、上の①と②について。 (武左衛門一揆のHPから)
① 彼は貧しい浄瑠璃(じょうるり)語りになりすまし、信頼できる人物を探し歩いた。
こうして三年間の内に24人の同志を得たと伝えられている。
※ なるほど、これだと、どこに行っても不審がられない。
② 吉田藩は懸命に指導者を探したが、農民は誰もその名を明かさない。
そこで、河川修理に来た役人は、働く百姓たちに例年よりはるかに米を支給し、酒を振る舞った。
そして、一揆の指導者を武士に取り立てたいものだとほめたたえた。
酔った百姓の口から、武左衛門の名が出ると、その夜の内に捕らえ、ただちに打ち首にした。(伝承)
実際は、武左衛門は取り調べの後、処刑された。
※ 武士に取り立てたい、の部分がなかなかですね。
ここに座って、指示を出したり、お客と対応するのかな。

太い柱です。 ここは、2階。

最近の傾向として、こういう建物を、集会なんかに、使用させる所が出てきましたね。
見せるだけでは、もったいない。

作る時から、利用を考えて復元する。
どんな利用があるでしょうか。 考えられる物。
① 会議や集会。 お茶やお花など何でも。 ミニコンサートも。
子供たちは、夏休み、集まって勉強。 子供は無料。(子供の管理は、ボランティアの方が)
② 5時まで展示なら、それ以降は、宿泊できるように。
③ 物置代わり。 展示の形で。 ここは、現在そうなっている。
④ 資料館などが、子供たちの学習の場になるように。(郷土資料室)
⑤ 年に何回か、イベント。
※ それから、人を呼べるのは、花ですね。 これも、ボランティア。(花壇に名前を表示)
お年寄りの生きがいにつなげる。
利用が増えると価値が高まったことになりますね。
少しでも、収益を上げることも大事でしょうか。 その収益で、環境整備。
せっかく作った施設を、もてあましている所がありますね。
※ 作るだけが目的だった所は、そうなりやすいでしょうか。
昔は、そんな建物がいっぱい。 今は、ないかな。
梅のつぼみは、丸く膨らんで大きくなって、最後にぱっと開く。
桜と違いますね。 桜は、小さなつぼみのまま、少しだけ膨らんで、ぱっと。

祭り展示館の中。 左側のは、七つ鹿。

七つ鹿踊り(YouTube) ※ 貼れない。 長いので、少しだけでも。
山の斜面。 ミカン畑。 菜の花も咲いている。

上にあった、商家。

椿の花がなかったら、冬はさびしい。

最初に梅を撮った家。

今後のコースは、こうです。
① 四万十川の中流に行く。
② 少し戻って、檮原(ゆすはら)に。
③ 小薮(おやぶ)温泉のあった肱川に抜け、大洲を通って佐田岬半島へ。 そして九州。
今日調べていて、偶然こんなことが分かりました。
石原裕次郎と慎太郎の父の出身は、先日いた、伊予長浜。
さらに、おじいちゃんは、昨日いた、保内の出身。
立派な庫裡だった、龍潭寺(りょうたんじ)は先祖の墓がある所だった。
※ 慎太郎は行ったことがあるようだ。
昔、保内に、おばさんがいて入院していた。
裕次郎がお見舞いに行った。 病院内は、大騒ぎになった。
ということです。
【その他】 昨日、西予市の卯之町にいた。 そこには、伝建地区の町並みがあった。
一昨年の暮れに見たので、行かなかった。
坊ちゃん劇場で「鶴姫伝説」を見た前日。 雪のかずら橋を見た後、雪のため、南周りで向かった。
「卯之町の街並み 開明学校~現存する西日本最古の小学校~ (2009/12/19)」
【道の駅】 うわじま きさいや広場
【明日の予定】 南楽園という所で、梅の花を見ます。 国安の郷で教えてもらいました。
山の中へは、1日遅れで。
【動画akkamui】 吉田ふれあい国安の郷へ ※ ガラスが、きたない。
【今日の歌】 夕陽の丘(YouTube) 裕次郎と浅丘ルリ子 ※ 吉永小百合が、画像に少しだけ。
※ この曲について、下に面白いことが書いてあります。
私も、似たことをブログに書いている。 「北の岬」の曲の原点は、そこにある。
そのブログは、酒に酔って書いた。 いつか消そうと思っていた。 でも、消せないでまだある。
「 二木紘三のうた物語 夕陽の丘」
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は39位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/146-2ef1ee48