今の姿は、今しか見られない。
そう思って、行ってきた。
タウシュベツ川橋梁は、この季節、いつも湖の中。
今年は雨が少ないからか、姿を現した。
それも、全体が。
昔のように、自由に見学できない。
ゲートの鍵を、借りなければならない。
少しずつ朽ちて、いつかは、崩れるのかなって、感じた。
遠い昔、人も木材も夢も、列車がこの橋を通って、みんな運んだ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、糠平湖の東岸。
黒石平の地名が見える。
糠平温泉から、上士幌町の市街地まで24㌔。
十勝西武森林管理署、東大雪支所まで行って、ゲートの鍵を借りてきた。
見学の手続きをして。
ゲートが、国道から、林道に入った所にある。
ここから、3㌔。 バイクの人は、歩いた。
糠平湖の周りの、クマの目撃情報は、半端でない。
道には、クマの糞。 駐車場から、300㍍程歩く。 右の写真がそれ。 線路跡。
道の木材は、満水の時に、入り込んだ。
中央に、橋の上部が、見えた。 人が、2人。
望遠で撮った。 全長130㍍の、橋の上全体が見えている。
右に、ダムの上流部。 遠くの山は、ニペソツ山。
2012㍍。 日本の一番東にある、2000㍍を越える山。
横からの姿が、見えてきた。
こうです。 橋脚全部が見える。
上流部の、奥。 石狩岳。
11連の、コンクリート製アーチ橋。
士幌線のこの橋は、昭和14年に完成。 戦争が始まる、きびしい時代ですね。
2年前に、帯広・糠平間が開通していた。
タウシュベツ川橋梁が出来て、帯広・十勝三股間が、全線開通。
6年前に見た時は、橋脚の下は、見えなかった。
造られてから、75年。 まだ、それだけ。
石に比べて、コンクリートの寿命は、短い。 熊本県にある、石橋の霊台橋は、167年経った。 まだ、通れる。
橋が出来て、16年が経った時、糠平ダムが出来た。 橋は、ダム湖の中に。
新しい線路は、対岸に。
右の図の、タウシュベツ川橋梁のある方は、最初の16年だけ、使われた。
※ 橋が使われなくなり、その32年後の昭和62年に、士幌線は、廃線。
※ 昭和は、64年の1月7日まで。 士幌線は、昭和と共にあった。
士幌線全体は、このように。 糠平湖の辺りの線路は、こう。
木材の魅力は、どれほど大きなものだったのでしょう。
終点の十勝三股は、木材で栄える。
造るのに、今の何倍もの、苦労がありましたね。 大きな機械がない。
まるで、遺跡。
列車に乗っていたら、橋脚を渡る時、音が変わる。
夜、十勝三股・幌加に戻る人は、橋を渡る音を聞いて、間もなく幌加駅、って感じた。
幌加駅で降りる人は、切符を手にする。
大きな谷に、大きな橋。
この橋を通って、故郷を離れる人もいた。
もう一度、この橋を渡る時はあるだろうかって、思った。
橋は、鉄道の、一里塚。
仕組みが分かる。 内部は、砂利。 この方が、安上がり。
1㌔以上、ほぼ真っ直ぐ進む。(地図によると)
ここを過ぎて、しばらく行ったら、糠平駅。 ダムが出来て、駅は、湖の右に。
当時、道はなかった。 鉄道は、唯一の交通網。
線路だけが、帯広、そして、札幌とつながっていた。
人も、物も、行き来した。
十勝三股に住む子供たちは、線路でつながる遠くの町に、夢を見た。
満水の時は、こうなって、消えていく。
水位は、発電との関係があるよう。 また、音更川の水をゼロには出来ないから、流しますね。
雨が少ない今年は、この状態。
中央向こうに、ニペソツ山。
このように、朽ちていく。
士幌線の、当初の計画は、帯広から上川まで。
予算の問題や、車の時代が見えてきたことにより、中止。
反対側に来た。 鉄橋って、狭い。
木を組んで、枠を作って。 鉄道建設では、どこでも、事故が多かった。
この高さなら、落ちたら大変。 (写真は、橋の保存をしている組織のHPからお借り。 下の方のも)
タウシュベツ川橋梁を、列車が通る写真は、見つからない。 見たい。
高い所に上がってきた。
上と下の写真は、同じ場所から。 山の形が同じですね。
ロープが張ってあって、橋の上にも、橋の下にも、近づけない。
関係なく、撮る人もいる。 こんな人だって、いますから。
黒石平って地名が見える。 黒石は、十勝石ですね。 黒曜石のこと。 いくらでも、落ちている。
タウシュベツ川の河原に下りた。
鉄道には、道にはない魅力があるのか。 時々、乗りたくなる。
※ 廃線になりそうと分かっていたら、それも、乗ることにしている。
2014年のタウシュベツ川橋梁。 10年後は、姿が変わっていますね。
橋は、残骸に見える。
でも、発展に向かってみんなが努力した、懐かしい時代を、思い出させてくれる。
ルピナスの花も、そんな感じ。
この橋を、列車で渡ったことのある人は、どんな思いで、見るでしょう。
産業遺産は、静かに朽ちていくままにする。
保存するなら、保存。
どちらでもいいかなって、思う。
線路跡の道を通って、戻った。
糠平温泉にある、ひがし大雪自然館に行ってみた。 無料。
ミユビゲラは、どうなっているのでしょう。 簡単に見つかってはいない状態。
この鳥については、また、別の機会に書きますね。
※ 資料を見せてもいただいて、写真に撮っています。
温泉街を少し散歩。 ※ 糠平温泉は、ぬかびら源泉峡と呼んでいる。
フウロソウかと思ったら、違った。
ネモフィラ・マクラタという、まったく別の花だった。
タウシュベツ川橋梁を、いろんな方向から、撮れました。
それが、よかったです。
橋は、そんな時代があったと、思い出させてくれます。
先人が苦労して、汗した時代です。
すっかり忘れ去るのは、その時代を生きた人に、冷たい感じがします。
橋は、役立っていますね。
【関連ブログ】
旧国鉄、コンクリートアーチ橋梁 白糠から大雪湖までの道 幻のキツツキ、ミユビゲラ ~上士幌町 他~ 他 (2012/8/18)
タウシュベツ川橋梁は水の中・・(涙) 他 (2009/08/04)
【今日の歌】 James Last - Gypsy Melodies
【停泊場所】 昨晩に同じ。 ぬかびら源泉峡の空き地。 道路をはさんで、ひがし大雪自然館がある。
【明日の予定】 ラワンブキのあるところに行って、コロポックルになる。
そして、オンネトーを見て、阿寒に。
然別湖は、この次に。
今は花の季節。 厚岸に急ぎます。
その後、十勝の海沿いの道を南下。 初めての道がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そう思って、行ってきた。
タウシュベツ川橋梁は、この季節、いつも湖の中。
今年は雨が少ないからか、姿を現した。
それも、全体が。
昔のように、自由に見学できない。
ゲートの鍵を、借りなければならない。
少しずつ朽ちて、いつかは、崩れるのかなって、感じた。
遠い昔、人も木材も夢も、列車がこの橋を通って、みんな運んだ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、糠平湖の東岸。
黒石平の地名が見える。
糠平温泉から、上士幌町の市街地まで24㌔。
十勝西武森林管理署、東大雪支所まで行って、ゲートの鍵を借りてきた。
見学の手続きをして。
ゲートが、国道から、林道に入った所にある。
ここから、3㌔。 バイクの人は、歩いた。
糠平湖の周りの、クマの目撃情報は、半端でない。

道には、クマの糞。 駐車場から、300㍍程歩く。 右の写真がそれ。 線路跡。
道の木材は、満水の時に、入り込んだ。


中央に、橋の上部が、見えた。 人が、2人。

望遠で撮った。 全長130㍍の、橋の上全体が見えている。


右に、ダムの上流部。 遠くの山は、ニペソツ山。
2012㍍。 日本の一番東にある、2000㍍を越える山。

横からの姿が、見えてきた。

こうです。 橋脚全部が見える。

上流部の、奥。 石狩岳。

11連の、コンクリート製アーチ橋。

士幌線のこの橋は、昭和14年に完成。 戦争が始まる、きびしい時代ですね。
2年前に、帯広・糠平間が開通していた。
タウシュベツ川橋梁が出来て、帯広・十勝三股間が、全線開通。
6年前に見た時は、橋脚の下は、見えなかった。


造られてから、75年。 まだ、それだけ。
石に比べて、コンクリートの寿命は、短い。 熊本県にある、石橋の霊台橋は、167年経った。 まだ、通れる。


橋が出来て、16年が経った時、糠平ダムが出来た。 橋は、ダム湖の中に。
新しい線路は、対岸に。
右の図の、タウシュベツ川橋梁のある方は、最初の16年だけ、使われた。
※ 橋が使われなくなり、その32年後の昭和62年に、士幌線は、廃線。
※ 昭和は、64年の1月7日まで。 士幌線は、昭和と共にあった。


士幌線全体は、このように。 糠平湖の辺りの線路は、こう。
木材の魅力は、どれほど大きなものだったのでしょう。
終点の十勝三股は、木材で栄える。
造るのに、今の何倍もの、苦労がありましたね。 大きな機械がない。


まるで、遺跡。

列車に乗っていたら、橋脚を渡る時、音が変わる。
夜、十勝三股・幌加に戻る人は、橋を渡る音を聞いて、間もなく幌加駅、って感じた。
幌加駅で降りる人は、切符を手にする。
大きな谷に、大きな橋。

この橋を通って、故郷を離れる人もいた。
もう一度、この橋を渡る時はあるだろうかって、思った。
橋は、鉄道の、一里塚。
仕組みが分かる。 内部は、砂利。 この方が、安上がり。


1㌔以上、ほぼ真っ直ぐ進む。(地図によると)

ここを過ぎて、しばらく行ったら、糠平駅。 ダムが出来て、駅は、湖の右に。

当時、道はなかった。 鉄道は、唯一の交通網。
線路だけが、帯広、そして、札幌とつながっていた。
人も、物も、行き来した。
十勝三股に住む子供たちは、線路でつながる遠くの町に、夢を見た。


満水の時は、こうなって、消えていく。


水位は、発電との関係があるよう。 また、音更川の水をゼロには出来ないから、流しますね。
雨が少ない今年は、この状態。
中央向こうに、ニペソツ山。

このように、朽ちていく。


士幌線の、当初の計画は、帯広から上川まで。
予算の問題や、車の時代が見えてきたことにより、中止。

反対側に来た。 鉄橋って、狭い。


木を組んで、枠を作って。 鉄道建設では、どこでも、事故が多かった。
この高さなら、落ちたら大変。 (写真は、橋の保存をしている組織のHPからお借り。 下の方のも)


タウシュベツ川橋梁を、列車が通る写真は、見つからない。 見たい。

高い所に上がってきた。

上と下の写真は、同じ場所から。 山の形が同じですね。

ロープが張ってあって、橋の上にも、橋の下にも、近づけない。
関係なく、撮る人もいる。 こんな人だって、いますから。
黒石平って地名が見える。 黒石は、十勝石ですね。 黒曜石のこと。 いくらでも、落ちている。


タウシュベツ川の河原に下りた。

鉄道には、道にはない魅力があるのか。 時々、乗りたくなる。
※ 廃線になりそうと分かっていたら、それも、乗ることにしている。

2014年のタウシュベツ川橋梁。 10年後は、姿が変わっていますね。

橋は、残骸に見える。
でも、発展に向かってみんなが努力した、懐かしい時代を、思い出させてくれる。
ルピナスの花も、そんな感じ。

この橋を、列車で渡ったことのある人は、どんな思いで、見るでしょう。


産業遺産は、静かに朽ちていくままにする。
保存するなら、保存。
どちらでもいいかなって、思う。
線路跡の道を通って、戻った。

糠平温泉にある、ひがし大雪自然館に行ってみた。 無料。

ミユビゲラは、どうなっているのでしょう。 簡単に見つかってはいない状態。
この鳥については、また、別の機会に書きますね。
※ 資料を見せてもいただいて、写真に撮っています。


温泉街を少し散歩。 ※ 糠平温泉は、ぬかびら源泉峡と呼んでいる。
フウロソウかと思ったら、違った。
ネモフィラ・マクラタという、まったく別の花だった。


タウシュベツ川橋梁を、いろんな方向から、撮れました。
それが、よかったです。
橋は、そんな時代があったと、思い出させてくれます。
先人が苦労して、汗した時代です。
すっかり忘れ去るのは、その時代を生きた人に、冷たい感じがします。
橋は、役立っていますね。
【関連ブログ】
旧国鉄、コンクリートアーチ橋梁 白糠から大雪湖までの道 幻のキツツキ、ミユビゲラ ~上士幌町 他~ 他 (2012/8/18)
タウシュベツ川橋梁は水の中・・(涙) 他 (2009/08/04)
【今日の歌】 James Last - Gypsy Melodies
【停泊場所】 昨晩に同じ。 ぬかびら源泉峡の空き地。 道路をはさんで、ひがし大雪自然館がある。
【明日の予定】 ラワンブキのあるところに行って、コロポックルになる。
そして、オンネトーを見て、阿寒に。
然別湖は、この次に。
今は花の季節。 厚岸に急ぎます。
その後、十勝の海沿いの道を南下。 初めての道がある。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
コメント、ありがとうございます。
沼田には、ダム湖がありますね。
コロンのままさんがいたころは、鉄道があった。
少し調べてみたら、鉄道が無くなる頃、ダムができた。
鉄道の思い出もありますね。
炭鉱が消えて、鉄道も消えていった。
そんなことなんでしょうか。
貧しくても、子どもたちがいっぱいいて、楽しかった時代がありましたね。
いつか、幌新温泉に行ってみましょうか。
その時は、情報を。
沼田には、ダム湖がありますね。
コロンのままさんがいたころは、鉄道があった。
少し調べてみたら、鉄道が無くなる頃、ダムができた。
鉄道の思い出もありますね。
炭鉱が消えて、鉄道も消えていった。
そんなことなんでしょうか。
貧しくても、子どもたちがいっぱいいて、楽しかった時代がありましたね。
いつか、幌新温泉に行ってみましょうか。
その時は、情報を。
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この橋もいつか朽ちてしまうのでしょうか?古代の遺跡のようなものが あるのですね!驚きの写真ばかり・・・。
私は昔,沼田方面のダム湖に沈んだマチに住んでたことがあり,このような景色に感慨深いものがあります。
これからの旅も どうぞお気をつけて!