幌新温泉に行く目的は、2つ。
1つは、ホタルが見られるかも知れない。
もう1つは、タウシュベツ川橋梁の記事で、コメントを頂いていたことに関して。
コメントの方は、沼田町にあるダムの、ダム湖に沈んだ町に、住んでいたことがある、と。
行ってみたら、分かるかも知れないと、思って。
幌新温泉は、ホタルで確かに有名だった。
でも、そのホタルは、ゲンジボタル。
北海道のブルーリストに入っている。(育ててはいけないことに)
自治体が進めているので、やっかい。
可愛い機関車があった。
炭鉱があった時代に、使われた。
劉 連仁(りゅう れんじん)という中国人がいた。
戦前に、連れて来られて、沼田町の炭鉱で働かされた。
でも、逃げた。 13年間、、戦争が終わったとは知らず、山の中で暮らした。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
幌新温泉はここ。 ここを見学したら、札幌に近づくことに。
この一帯は、昔、留萌炭田があった。 今日知ったこと。
北海道の炭田。 石狩炭田が、一番大きい。 夕張も、この中に。 (北海道ファンマガジンからお借り)
最初に、沼田ダムを見た。 ここのダムの谷は、深くない。
ダムの近くは、土が貯まったのか、山になっている。 集めたのか。 水はない。
少し走って、展望所から。 水が見える。
上流の方。 ダムが出来る前、この谷には、炭鉱が2つあった。 一部は、ダム湖(ポロピリ湖)の底に。
湖に下りてみることに。 クマ対策はしていない。 歌を歌って。
歩いていて、左手が、左太ももに触れた。
違和感を感じた。 見てみた。 ダニがくっ付いていた。 こんな感じで。(ネットの写真)
頭は完全に、めり込んでいた。
手で取ろうとしたら、千切れた。 見学の後、車で取ることに。
少ないけど、水はある。
ここの水は、田んぼや畑に使う。
車に戻って、取ることに。 針を、ライターの火で焼いた。
先っぽで、ひっかいて取ろうとした。 とげぬきも、使って。
顔との距離が、30㌢はある。 はっきり見えない。 取れない。
今日は、旭川に戻ることにした。 旅の日程の変更。
展望台に、記念碑などが。 昭和地区の地図。
この谷の奥に、昭和炭鉱があった。
鉄道が見える。 住宅街。
今いる場所の、少し向こうに、浅野炭鉱があった。 留萌炭田では、一番大きかった。
この炭田は、全体ではないが、ダム湖に沈んだ。
※ コメントを頂いた方の集落は、浅野炭鉱のことと思われる。
全景。 昭和43年11月20日まで操業していた。 数千人が、暮らしていた。
炭鉱の町には、全てがあった。 病院だって、映画館だって、学校だって。
貧しくはないから、活気もあった。
昭和40年代に入ったら、石炭は、石油に代わっていく。
まだ、どこも砂利道の時代。
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今いる場所はここ。
ダム湖の奥に、行ってみた。 ※ 昭和炭鉱跡への道は、行かれないよう。
温泉に戻って来た。 近くに、いくつかの施設が。
沼田町化石体験館。 有料。
可愛い機関車。 建物は、さっきの炭鉱の建物に、似ている。
個性的な形。
クラウス15号とある。 恵比島と昭和の間に、鉄道があった。 留萌線。 (Website 61℃ からお借り)
この機関車は、九州で働いたり、ここの後も、他へ行ったり。
最後は、戻って来た。
明治22年に、ドイツで作られた。
左の方で、暗くなったら、ホタルが飛ぶ。
駐車場で、少し調べたら、ゲンジボタルだった。
元々は、北海道にはいない。
本来、放すのは、まずい。 生態系を壊すので。
北海道ブルーリストに、入っている。
自治体がしているので、止めるのは、難しいのか。
もし、そうだとしたら、おかしな話。
そんなことだったので、暗くなっての見学は、やめにした。
炭鉱資料館の見学。
明日萌駅。 モデルは、留萌線の起点の、恵比島駅。
浅野炭鉱の閉山。
機関車が見える。 番号は、17。 これは現在、那珂川清流鉄道保存会で、保存している。
15が見える。 運ばれるところかな。
ほろしん温泉。 ダニに刺されて、入れない。
こんな新聞記事が。 中国の新聞の日本語訳か。
山の中で、どうやって暮らしたのか。
逃げたら、捕まる。
もし、強制連行でなかったら、やめたい時に、やめていい。
みんな命がけで逃げたのは、強制連行の証拠か。
実際はそうであっても、強制連行はなかったとする考えがある。
歴史の真実は、今の時代に、どれだけ正確に、伝わっているのでしょう。
ホタルは、ヘイケボタルに出来ないのか。
これなら、昔から、北海道にいた。
先日、西神楽で見たのは、ヘイケボタルだった。
自治体がやってることに、大きな問題を感じるでしょうか。
今日は、北海道の炭鉱について、少し学びました。
【今日の歌】 この歌の時代に、炭鉱は消えていったのかな。
【停泊場所】 姉の家の前。
【明日の予定】 病院に行く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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1つは、ホタルが見られるかも知れない。
もう1つは、タウシュベツ川橋梁の記事で、コメントを頂いていたことに関して。
コメントの方は、沼田町にあるダムの、ダム湖に沈んだ町に、住んでいたことがある、と。
行ってみたら、分かるかも知れないと、思って。
幌新温泉は、ホタルで確かに有名だった。
でも、そのホタルは、ゲンジボタル。
北海道のブルーリストに入っている。(育ててはいけないことに)
自治体が進めているので、やっかい。
可愛い機関車があった。
炭鉱があった時代に、使われた。
劉 連仁(りゅう れんじん)という中国人がいた。
戦前に、連れて来られて、沼田町の炭鉱で働かされた。
でも、逃げた。 13年間、、戦争が終わったとは知らず、山の中で暮らした。
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幌新温泉はここ。 ここを見学したら、札幌に近づくことに。
この一帯は、昔、留萌炭田があった。 今日知ったこと。
北海道の炭田。 石狩炭田が、一番大きい。 夕張も、この中に。 (北海道ファンマガジンからお借り)

最初に、沼田ダムを見た。 ここのダムの谷は、深くない。
ダムの近くは、土が貯まったのか、山になっている。 集めたのか。 水はない。

少し走って、展望所から。 水が見える。

上流の方。 ダムが出来る前、この谷には、炭鉱が2つあった。 一部は、ダム湖(ポロピリ湖)の底に。

湖に下りてみることに。 クマ対策はしていない。 歌を歌って。
歩いていて、左手が、左太ももに触れた。
違和感を感じた。 見てみた。 ダニがくっ付いていた。 こんな感じで。(ネットの写真)
頭は完全に、めり込んでいた。
手で取ろうとしたら、千切れた。 見学の後、車で取ることに。
少ないけど、水はある。

ここの水は、田んぼや畑に使う。

車に戻って、取ることに。 針を、ライターの火で焼いた。
先っぽで、ひっかいて取ろうとした。 とげぬきも、使って。
顔との距離が、30㌢はある。 はっきり見えない。 取れない。
今日は、旭川に戻ることにした。 旅の日程の変更。
展望台に、記念碑などが。 昭和地区の地図。


この谷の奥に、昭和炭鉱があった。

鉄道が見える。 住宅街。


今いる場所の、少し向こうに、浅野炭鉱があった。 留萌炭田では、一番大きかった。
この炭田は、全体ではないが、ダム湖に沈んだ。
※ コメントを頂いた方の集落は、浅野炭鉱のことと思われる。

全景。 昭和43年11月20日まで操業していた。 数千人が、暮らしていた。

炭鉱の町には、全てがあった。 病院だって、映画館だって、学校だって。
貧しくはないから、活気もあった。


昭和40年代に入ったら、石炭は、石油に代わっていく。

まだ、どこも砂利道の時代。

今いる場所はここ。

ダム湖の奥に、行ってみた。 ※ 昭和炭鉱跡への道は、行かれないよう。

温泉に戻って来た。 近くに、いくつかの施設が。
沼田町化石体験館。 有料。

可愛い機関車。 建物は、さっきの炭鉱の建物に、似ている。

個性的な形。

クラウス15号とある。 恵比島と昭和の間に、鉄道があった。 留萌線。 (Website 61℃ からお借り)
この機関車は、九州で働いたり、ここの後も、他へ行ったり。
最後は、戻って来た。
明治22年に、ドイツで作られた。


左の方で、暗くなったら、ホタルが飛ぶ。
駐車場で、少し調べたら、ゲンジボタルだった。
元々は、北海道にはいない。
本来、放すのは、まずい。 生態系を壊すので。
北海道ブルーリストに、入っている。
自治体がしているので、止めるのは、難しいのか。
もし、そうだとしたら、おかしな話。
そんなことだったので、暗くなっての見学は、やめにした。

炭鉱資料館の見学。

明日萌駅。 モデルは、留萌線の起点の、恵比島駅。


浅野炭鉱の閉山。

機関車が見える。 番号は、17。 これは現在、那珂川清流鉄道保存会で、保存している。

15が見える。 運ばれるところかな。

ほろしん温泉。 ダニに刺されて、入れない。

こんな新聞記事が。 中国の新聞の日本語訳か。
山の中で、どうやって暮らしたのか。
逃げたら、捕まる。
もし、強制連行でなかったら、やめたい時に、やめていい。
みんな命がけで逃げたのは、強制連行の証拠か。
実際はそうであっても、強制連行はなかったとする考えがある。
歴史の真実は、今の時代に、どれだけ正確に、伝わっているのでしょう。

ホタルは、ヘイケボタルに出来ないのか。
これなら、昔から、北海道にいた。
先日、西神楽で見たのは、ヘイケボタルだった。
自治体がやってることに、大きな問題を感じるでしょうか。
今日は、北海道の炭鉱について、少し学びました。
【今日の歌】 この歌の時代に、炭鉱は消えていったのかな。
【停泊場所】 姉の家の前。
【明日の予定】 病院に行く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
その地に町があったこと。
人が住んでいたこと。
全部忘れてしまうのは、冷たい感じがしますね。
コメントにある、上渚滑も、中湧別も、懐かしい町です。
中湧別は、リンゴの町。
上渚滑は、昔は、上渚滑村だった。
映画館でも、何でもあったんですよね。
人が住んでいたこと。
全部忘れてしまうのは、冷たい感じがしますね。
コメントにある、上渚滑も、中湧別も、懐かしい町です。
中湧別は、リンゴの町。
上渚滑は、昔は、上渚滑村だった。
映画館でも、何でもあったんですよね。
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私は閉山の年までの ほんの2~3年間を浅野で過ごしました。実は 上渚滑から父の転勤で浅野へ行ったのです。(出身は中湧別)幼かったのに ここでの暮らしは とても記憶に残っています。炭鉱のマチ独特の雰囲気か,厳しい冬の気候か,親も慣れないものが あったのも・・・。最近では かつての住人ですとか 廃坑マニアの方のblog等で このへんの情報もたまに見かけるようになりました。今では何もない この山奥のダム湖に たくさんの人の暮らしが実際あり,自分もここに居た!というのが不思議なんです。夕張や美唄も 同じようなところがあるようですが,炭鉱の歴史ですね・・・。詳しい写真をありがとうございます。
それにしても,ダニは災難でした・・・。病院で取ってもらえて良かったです (^_^;)
今後もどうぞお気をつけ下さい!