十勝平野の今は、日本の代表的な畑作地帯。
どこまでも続く畑。
大きなトラクターが動く、大規模農業。
開拓は、明治に入ってから。
苦難が続く。
その中身を、帯広百年記念館で、少しだけ勉強した。
帯広の市街地の少し南に、幸福駅。
鉄道がなくなった今も、人が訪れていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
帯広百年記念館は、旭川のMさんが行ってきたという。
それで、私も。 場所は、帯広の市街地に。
そばに動物園があった。
建物は、少し重たい感じ。
マンモスの展示。 十勝地方では、マンモスの骨が見つかっている。
下は、湿地に落ちてしまったマンモス。
人々が、湿地に追い込んだのか。
北海道は、北とつながっていた。 本州とは、ずっと昔から離れている。
※ いつの日か、マンモスを作り出すことが、きっと出来ますよ。
冷凍の細胞からの復元だったかな。
あと、冷凍の精子が見つかったら、それを利用して、像に子供を産ませる。
像とマンモスの中間が生まれる。
その次は、中間とマンモスの中間を作る。
それを繰り返すと、どんどん、マンモスに近づく。
十勝平野は広い。 寒いから、米は作らない。 畑作か酪農。
開拓は、明治10年代から。
開拓は、木を切って、根っこを取ることから、スタート。
晩成社(ばんせいしゃ)が、初めて、内陸に入ったとある。 明治16年。
※ ~~社と呼ばれる集団が、北海道の開拓では、活躍している。
他には、北見に入った北光社。 中心は、龍馬の姉の子の坂本直寛でしたね。
龍馬の夢は、本当に北海道開拓だったのか。 姉の子が、浦臼に。~浦臼町~ 他 (2914/8/7)
晩成社の中心は、依田勉三。
彼の活躍は、昔、小学校の高学年だったでしょうか、国語の教科書に載っていた。
Wikipediaに、彼のエピソードとして、下の文がある。
・開拓初期は生活が極端に苦しく、「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と称される、
客人が豚の餌と勘違いするほどの粗末な食事であった。
※ 上の文で、オベリベリに入ったとある。
この場所は、帯広の北東、3㌔ほどの場所。 今はその辺りに、オベリベリ温泉がある。
オベリベリの意味は、川が裂けているという意味。
帯広の地名は、これから。
場所は、下です。
国道38が通っている。
当時の住居。 小屋の感じ。
渡辺という人は、最初はオベリベリに。 後に、然別(しかりべつ・現在の音更町)に入った。
二宮尊徳の孫が、帯広の南東の豊頃町に入った。
上にある牛首別は、十勝川の下流に。
※ 上の地でも、二宮尊徳(金次郎)の考えが生かされている。
彼の考えには、福島県の相馬市で、出会っている。
十勝の地にも、もともとは、アイヌが住んでいた。
依田勉三は、強くアイヌを排除する姿勢では、なかったよう。 こんな写真があるので。
子供を背負っている写真が、珍しい。 頭にひも。 この方が楽なのか。 これも同じ。
見渡す限りの、畑。 長い間、畑作の主役は、馬。
幸福駅に寄った。
場所は、下。 空港に近い。
幸福駅は、旧広尾線にあった駅。
帯広寄りの、隣の隣に、愛国駅があった。 このように(線路図)
だから、「愛の国から幸福へ」って、言われた。
切符がいっぱい貼ってある。 店で、本物ではないが、売っている。
願いを書いてる人も。
鐘を鳴らす人も。
若い時、来たことがある。 その時は、列車が走っていた。 広尾線の廃止は、昭和62年。
観光マップ。
ここは、恋人の聖地。 それで、鐘がある。
※ 恋人の聖地は、日本全国に125か所。 たとえば、下の。
九州の北西端にある小さな岬、波戸岬 ~唐津市~ 他 (2012/1/2)
駅の周りは、どこまでも、豆畑。
帯広百年記念館も幸福駅も、大きな観光地ではないけど、行ってみました。
北海道の開拓は、どこも大変だった。
途中で、本州に戻った人も、多いと聞く。
日本は、近代になって、工業の発達に熱心になった。
もっと、農業や林業が大事にされていいでしょうね。
【その他】 ① 8月31日は、車の中の、最後の仕上げ。 洗車の時間はなかった。 少しずつ洗うことに。
② 9月1日は、帯広に向かおうと、Mさんの家に挨拶に行った。
そうしたら、引き止められてしまった。 晩には、巻き寿司。 美味しかった。
姉夫婦は、この日、北の方に、キャンプに行った。
③ 今日の朝は、Mさんの家から出発して、おふくろの顔を見て、おやじの墓参りをして、帯広に向かった。
おやじの墓には、花でなく、焼酎のワンカップを置いてきた。
【今日の歌】 時代 中島みゆき 彼女は、帯広出身。
先日、オールナイトニッポンを聞いて、彼女が一層好きになった。
はじけていた。 そんな人だと、知らなかった。
彼女は、現代の和泉式部なのか誰なのか、知りたい。
【道の駅】 なかさつない 幸福駅の少し南。 六花の森が、近くにある。
【明日の予定】 天馬街道を通って、浦河に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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どこまでも続く畑。
大きなトラクターが動く、大規模農業。
開拓は、明治に入ってから。
苦難が続く。
その中身を、帯広百年記念館で、少しだけ勉強した。
帯広の市街地の少し南に、幸福駅。
鉄道がなくなった今も、人が訪れていた。
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帯広百年記念館は、旭川のMさんが行ってきたという。
それで、私も。 場所は、帯広の市街地に。
そばに動物園があった。
建物は、少し重たい感じ。

マンモスの展示。 十勝地方では、マンモスの骨が見つかっている。
下は、湿地に落ちてしまったマンモス。
人々が、湿地に追い込んだのか。

北海道は、北とつながっていた。 本州とは、ずっと昔から離れている。

※ いつの日か、マンモスを作り出すことが、きっと出来ますよ。
冷凍の細胞からの復元だったかな。
あと、冷凍の精子が見つかったら、それを利用して、像に子供を産ませる。
像とマンモスの中間が生まれる。
その次は、中間とマンモスの中間を作る。
それを繰り返すと、どんどん、マンモスに近づく。
十勝平野は広い。 寒いから、米は作らない。 畑作か酪農。
開拓は、明治10年代から。


開拓は、木を切って、根っこを取ることから、スタート。

晩成社(ばんせいしゃ)が、初めて、内陸に入ったとある。 明治16年。


※ ~~社と呼ばれる集団が、北海道の開拓では、活躍している。
他には、北見に入った北光社。 中心は、龍馬の姉の子の坂本直寛でしたね。
龍馬の夢は、本当に北海道開拓だったのか。 姉の子が、浦臼に。~浦臼町~ 他 (2914/8/7)
晩成社の中心は、依田勉三。
彼の活躍は、昔、小学校の高学年だったでしょうか、国語の教科書に載っていた。
Wikipediaに、彼のエピソードとして、下の文がある。
・開拓初期は生活が極端に苦しく、「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と称される、
客人が豚の餌と勘違いするほどの粗末な食事であった。


※ 上の文で、オベリベリに入ったとある。
この場所は、帯広の北東、3㌔ほどの場所。 今はその辺りに、オベリベリ温泉がある。
オベリベリの意味は、川が裂けているという意味。
帯広の地名は、これから。
場所は、下です。
国道38が通っている。
当時の住居。 小屋の感じ。
渡辺という人は、最初はオベリベリに。 後に、然別(しかりべつ・現在の音更町)に入った。


二宮尊徳の孫が、帯広の南東の豊頃町に入った。

上にある牛首別は、十勝川の下流に。
※ 上の地でも、二宮尊徳(金次郎)の考えが生かされている。
彼の考えには、福島県の相馬市で、出会っている。
十勝の地にも、もともとは、アイヌが住んでいた。
依田勉三は、強くアイヌを排除する姿勢では、なかったよう。 こんな写真があるので。

子供を背負っている写真が、珍しい。 頭にひも。 この方が楽なのか。 これも同じ。

見渡す限りの、畑。 長い間、畑作の主役は、馬。

幸福駅に寄った。

場所は、下。 空港に近い。
幸福駅は、旧広尾線にあった駅。

帯広寄りの、隣の隣に、愛国駅があった。 このように(線路図)
だから、「愛の国から幸福へ」って、言われた。

切符がいっぱい貼ってある。 店で、本物ではないが、売っている。
願いを書いてる人も。


鐘を鳴らす人も。

若い時、来たことがある。 その時は、列車が走っていた。 広尾線の廃止は、昭和62年。

観光マップ。

ここは、恋人の聖地。 それで、鐘がある。
※ 恋人の聖地は、日本全国に125か所。 たとえば、下の。
九州の北西端にある小さな岬、波戸岬 ~唐津市~ 他 (2012/1/2)

駅の周りは、どこまでも、豆畑。

帯広百年記念館も幸福駅も、大きな観光地ではないけど、行ってみました。
北海道の開拓は、どこも大変だった。
途中で、本州に戻った人も、多いと聞く。
日本は、近代になって、工業の発達に熱心になった。
もっと、農業や林業が大事にされていいでしょうね。
【その他】 ① 8月31日は、車の中の、最後の仕上げ。 洗車の時間はなかった。 少しずつ洗うことに。
② 9月1日は、帯広に向かおうと、Mさんの家に挨拶に行った。
そうしたら、引き止められてしまった。 晩には、巻き寿司。 美味しかった。
姉夫婦は、この日、北の方に、キャンプに行った。
③ 今日の朝は、Mさんの家から出発して、おふくろの顔を見て、おやじの墓参りをして、帯広に向かった。
おやじの墓には、花でなく、焼酎のワンカップを置いてきた。
【今日の歌】 時代 中島みゆき 彼女は、帯広出身。
先日、オールナイトニッポンを聞いて、彼女が一層好きになった。
はじけていた。 そんな人だと、知らなかった。
彼女は、現代の和泉式部なのか誰なのか、知りたい。
【道の駅】 なかさつない 幸福駅の少し南。 六花の森が、近くにある。
【明日の予定】 天馬街道を通って、浦河に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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