櫛引(くしひき)八幡宮は、南部藩総鎮守(ちんじゅ)としての、大きな神社。
昔から、南部藩を守ってきた。
建物の多くは、重要文化財。
本殿には、見事な彫刻があった。
彫刻の中には伝説もあって、面白い。
特に、左甚五郎が関わる、メドツの伝説。
メドツは、普通のカッパと、ちょっと違っていた。
最後に見たのは、国宝館。
こんなに美しい鎧(よろい)があるのか、と思った。
国宝、赤糸縅鎧(あかいと おどしよろい)。
この鎧の寄進者は、長慶(ちょうけい)天皇と、伝わっている。
南北朝時代の、南朝の天皇。
簡単には、信じられない。
※ 2日後、二戸市にある天台寺に行く。 瀬戸内寂聴さんの寺。
そこに何と、長慶天皇の墓があった。
※ 他に、南部煎餅(せんべい)も、長慶天皇が伝えたと。
最後の、道の駅の所で、少し。
南部の地に、偶然、3つの伝説。
こんなことも知った。
山梨県の最南部に、南部町がある。
東北の南部氏は、そこから来ていた。
初めて知った。
櫛引八幡宮は、多くの歴史を秘めていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、市街地のはずれに。 ここは昔、櫛引村だった。

駐車場から、石畳の参道を来ると、赤い鳥居。 広い広場。 初詣の人が多いからか。

左に、変わった建物があった。 明治記念館。
明治14年に、明治天皇が東北に行幸した。 その時の、休憩所。
説明の行在所は、あんざいしょ、と読む。 行は、行灯(あんどん)、行火(あんか)と、同じ読み方。
胴蛇腹と軒蛇腹は、〇の部分かなと。 こんな胴蛇腹なら、分かりやすい。

※ 明治14年の巡幸は、この辺りは北に行って、秋田の方は南に下った。 左回りで。
きみまち阪 ~恋文の町~ 他 (2009/09/17)
鳥居を過ぎて、太鼓橋。

国宝が、2つある。
※ 青森県にある国宝は、これだけ。 ここより北には、函館市に1つ。 中空土偶。
全体が、読みにくい。

正門(せいもん)。 お寺の門のよう。
※ 京都の八坂神社の正門は、赤いから神社っぽいか。(祇園の方でない、南にある方。 南楼門)

池にはコイ。 子供が餌をやったら、群れが暴れた。 河童もいる。
乳金具(ちかなぐ)と、六葉の文様。

乳金具と六葉は、ここに。 分かりますね。 触りにくい。
※ 余談ですが、垣内は「かいと」と読みますね。 読めなかったので、調べました。
神社の中の意味。 「かきうち」が、「かいと」に変化したよう。(音変化)

門の中から、振り返った。

拝殿です。 大きい。 ※ 広角のレンズのカメラで、やっと、全体が入った。

拝殿の前から。 右は、同じ場所から、広角レンズで。

ここでお参り。
中には、こんなのや、こんな像があった。 写真撮ったけど・・・。
※ 自分はそのつもり、といっても、その自分が信用できない。
矢印の順に、紹介。

右は、合祀殿(ごうしでん)。 他から来た神社を、ここに。
※ 建物が廃屋になった時なども、神様を、どこかの神社に移す。
左は、神明宮(しんめいぐう)。 小さいけど、重要文化財。

神明宮。 先日、七戸の城跡にあったのも、神明宮。
この名前がつけば、伊勢神宮と関わりがあるよう。
伊勢神宮外宮。 古市参宮街道を通って、内宮へ。 おかげ横丁。~伊勢市~ 他 (2013/4/29)
屋根が前に、美しく流れている。 特徴。
300年前の建物にしては、新しいですね。 きっと、解体修理が終わっている。

1間四方の大きさ。 畳2枚分。 基礎が、自然の石の上。 こんなの初めて。
いよいよ本殿。 重要文化財。 神様は、こっちにいる。

その前に、拝殿の横。 この馬を、よく見る。 八幡馬(やわたうま)。
700年前に、この地方で生まれたそう。 八幡がつくから、この神社と関係ありそう。
小さな祠の前に、この石像。
誰もおいらを撮ってくれないんだよ~って泣くから、分かった分かったって・・。
うれしそうに、わらった。

さっきの小さな神明宮と同じ造りですね。 流れ造り。(流造)

拝殿と本殿の間。 八幡馬がいる。 狛犬みたいに。

本殿の正面。 見所が書いてある。

中央に、六葉の透かし彫り。 これがどうして、六葉なのか。 普通はこうなのに。
右は、楓(かえで)に鳳凰。 鳳凰の顔は、上に。

梅に鶏太鼓。 意味は、説明の通りですね。
ただ、太鼓に鳥が止まるのには、別の意味もありますね。
世の中平穏の意味が。 諫鼓鳥(かんこどり)が鳴く、で。 ※ 普通は、閑古鳥が鳴くと書く。
ここに、詳しく。
右は、獅子。 上の方で一度出てきてる。

反対側。

鷹にメドツ(河童)の話。

鷹が河童を踏みつけている。
7月7日から10日間、勘弁して、川に戻してやる。 旧暦のお盆。
その時は、川に河童がいるから、川に行ったら、ダメ。
それで、お盆は、河童がいるから、川に入ったらダメ。
話はこうだけど、河童は改心したとある。
改心した河童は、悪さをしない。 そうだったら、お盆だって、川に入って大丈夫なはず。
堅いことは、言わないで。

※ メドツは、メドチとも。 また、ミズチ(蛟)とも。
ニコニコ大百科に、こんな説明が。

八戸市には、まじめに、こんな看板がある。
次は、御室(おむろ)。 この穴から、白狐が出たそう。
どんな白狐だろう。 こんなのかな。 こんなのだったら、どうしよう。

こっちに来たら、右に春日社。

さっき見た、神明宮と同じ。

お前が白ければ、白狐。
そばに、小さな悶破稲荷神社(もんぱいなりじんじゃ)がある。
悶々とした気持ちを、すっきりさせてくれる。 右は、拝殿の正面。

夫婦杉と八幡馬の唄。

※ 八幡馬の唄は、こんなの。 いいですよ。
国宝館のロビーにあったもの。

系図の、義家は、頼朝や義経の父。
南部家は、義経がやられてしまう戦いで、手柄を立てた。
そして、甲斐(かい)の南部郷という田舎から、こっちの広い土地を与えられた。
その土地は、南部と言われるようになる。
そういうことだったと、初めて知った。

これが、 国宝、赤糸縅鎧(おどしよろい)。 鎧を美しいと思ってみたのは、初めて。 (パンフレットを撮影)
長慶天皇が寄進したと、伝わっている。
それが本当なら、歴史の闇に光が差すほどの、大きなこと。

※ 二戸の天台寺には、長慶天皇の墓があった。
どんな史実があるのでしょう。
長慶天皇の晩年は、よく分かっていない。
全国を旅したという情報がある。
この地に来たということがあったのか。
それが事実であれば、鎧のことも、墓のことも、ただの伝説ではなくなる。
長慶天皇の墓は、全国にある。
宮内庁は、それらの調査を行っている。
しかし、裏付けになる資料の発見は出来なかった。
天皇の墓は、裏付けが取れたときに、宮内庁の管理になる。
天台寺の墓は、そうはなっていなかった。
長慶天皇の墓は、次のブログで紹介しますね。
宮内庁管轄になると、墓の管理は、完璧。
例えば、京都の水尾の、清和天皇の墓。 清和天皇は、義経の先祖。
清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~ ききょうの花(山崎ハコ) 他 (2012/6/25)
青森県に国宝は、2つだけ。
2つとも、今日の櫛引八幡宮に。
並の国宝ではなく、いいものだった。
特に、赤糸縅鎧(おどしよろい)。
そんなことでした。
※ 付け足し 縅鎧(おどしよろい)の意味について。
鎧は、小さな板のようなのを、ひもでつなぎ合わせて作る。
ひものことを、緒(お)と言う。
緒を通して、つなぐので、緒通し。 おどおし。
これが、おどし になって、威(おど)し。
しかし、これだと、このやろうっていう威しなので、糸偏を付けた。
縅の漢字になった。
日本で作った漢字なので、和製漢字。
縅鎧(おどしよろい)は、そんな意味でした。
恐ろしい意味ではなかったですね。
【今日の歌】 ラストワルツ 森田童子です。 久しぶり。
【道の駅】 さんのへ

道の駅から、名久井(なくい)岳が見えた。
登山道が分かったので、この次、こっちに来たら登る。

あの山の向こうは、南部町。
そこに、長谷寺がある。 長慶天皇が、そこに寄った時に、南部煎餅は生まれた。
いろんな説があるが、これが説の中心。
【今後の予定】 3日に、天台寺に行く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
昔から、南部藩を守ってきた。
建物の多くは、重要文化財。
本殿には、見事な彫刻があった。
彫刻の中には伝説もあって、面白い。
特に、左甚五郎が関わる、メドツの伝説。
メドツは、普通のカッパと、ちょっと違っていた。
最後に見たのは、国宝館。
こんなに美しい鎧(よろい)があるのか、と思った。
国宝、赤糸縅鎧(あかいと おどしよろい)。
この鎧の寄進者は、長慶(ちょうけい)天皇と、伝わっている。
南北朝時代の、南朝の天皇。
簡単には、信じられない。
※ 2日後、二戸市にある天台寺に行く。 瀬戸内寂聴さんの寺。
そこに何と、長慶天皇の墓があった。
※ 他に、南部煎餅(せんべい)も、長慶天皇が伝えたと。
最後の、道の駅の所で、少し。
南部の地に、偶然、3つの伝説。
こんなことも知った。
山梨県の最南部に、南部町がある。
東北の南部氏は、そこから来ていた。
初めて知った。
櫛引八幡宮は、多くの歴史を秘めていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、市街地のはずれに。 ここは昔、櫛引村だった。

駐車場から、石畳の参道を来ると、赤い鳥居。 広い広場。 初詣の人が多いからか。

左に、変わった建物があった。 明治記念館。
明治14年に、明治天皇が東北に行幸した。 その時の、休憩所。
説明の行在所は、あんざいしょ、と読む。 行は、行灯(あんどん)、行火(あんか)と、同じ読み方。
胴蛇腹と軒蛇腹は、〇の部分かなと。 こんな胴蛇腹なら、分かりやすい。


※ 明治14年の巡幸は、この辺りは北に行って、秋田の方は南に下った。 左回りで。
きみまち阪 ~恋文の町~ 他 (2009/09/17)
鳥居を過ぎて、太鼓橋。

国宝が、2つある。
※ 青森県にある国宝は、これだけ。 ここより北には、函館市に1つ。 中空土偶。
全体が、読みにくい。


正門(せいもん)。 お寺の門のよう。
※ 京都の八坂神社の正門は、赤いから神社っぽいか。(祇園の方でない、南にある方。 南楼門)

池にはコイ。 子供が餌をやったら、群れが暴れた。 河童もいる。
乳金具(ちかなぐ)と、六葉の文様。


乳金具と六葉は、ここに。 分かりますね。 触りにくい。
※ 余談ですが、垣内は「かいと」と読みますね。 読めなかったので、調べました。
神社の中の意味。 「かきうち」が、「かいと」に変化したよう。(音変化)


門の中から、振り返った。

拝殿です。 大きい。 ※ 広角のレンズのカメラで、やっと、全体が入った。

拝殿の前から。 右は、同じ場所から、広角レンズで。


ここでお参り。
中には、こんなのや、こんな像があった。 写真撮ったけど・・・。
※ 自分はそのつもり、といっても、その自分が信用できない。
矢印の順に、紹介。


右は、合祀殿(ごうしでん)。 他から来た神社を、ここに。
※ 建物が廃屋になった時なども、神様を、どこかの神社に移す。
左は、神明宮(しんめいぐう)。 小さいけど、重要文化財。

神明宮。 先日、七戸の城跡にあったのも、神明宮。
この名前がつけば、伊勢神宮と関わりがあるよう。
伊勢神宮外宮。 古市参宮街道を通って、内宮へ。 おかげ横丁。~伊勢市~ 他 (2013/4/29)
屋根が前に、美しく流れている。 特徴。
300年前の建物にしては、新しいですね。 きっと、解体修理が終わっている。

1間四方の大きさ。 畳2枚分。 基礎が、自然の石の上。 こんなの初めて。


いよいよ本殿。 重要文化財。 神様は、こっちにいる。

その前に、拝殿の横。 この馬を、よく見る。 八幡馬(やわたうま)。
700年前に、この地方で生まれたそう。 八幡がつくから、この神社と関係ありそう。
小さな祠の前に、この石像。
誰もおいらを撮ってくれないんだよ~って泣くから、分かった分かったって・・。
うれしそうに、わらった。


さっきの小さな神明宮と同じ造りですね。 流れ造り。(流造)

拝殿と本殿の間。 八幡馬がいる。 狛犬みたいに。


本殿の正面。 見所が書いてある。


中央に、六葉の透かし彫り。 これがどうして、六葉なのか。 普通はこうなのに。
右は、楓(かえで)に鳳凰。 鳳凰の顔は、上に。


梅に鶏太鼓。 意味は、説明の通りですね。
ただ、太鼓に鳥が止まるのには、別の意味もありますね。
世の中平穏の意味が。 諫鼓鳥(かんこどり)が鳴く、で。 ※ 普通は、閑古鳥が鳴くと書く。
ここに、詳しく。
右は、獅子。 上の方で一度出てきてる。


反対側。

鷹にメドツ(河童)の話。


鷹が河童を踏みつけている。
7月7日から10日間、勘弁して、川に戻してやる。 旧暦のお盆。
その時は、川に河童がいるから、川に行ったら、ダメ。
それで、お盆は、河童がいるから、川に入ったらダメ。
話はこうだけど、河童は改心したとある。
改心した河童は、悪さをしない。 そうだったら、お盆だって、川に入って大丈夫なはず。
堅いことは、言わないで。


※ メドツは、メドチとも。 また、ミズチ(蛟)とも。
ニコニコ大百科に、こんな説明が。

八戸市には、まじめに、こんな看板がある。
次は、御室(おむろ)。 この穴から、白狐が出たそう。
どんな白狐だろう。 こんなのかな。 こんなのだったら、どうしよう。


こっちに来たら、右に春日社。

さっき見た、神明宮と同じ。


お前が白ければ、白狐。
そばに、小さな悶破稲荷神社(もんぱいなりじんじゃ)がある。
悶々とした気持ちを、すっきりさせてくれる。 右は、拝殿の正面。


夫婦杉と八幡馬の唄。


※ 八幡馬の唄は、こんなの。 いいですよ。
国宝館のロビーにあったもの。

系図の、義家は、頼朝や義経の父。
南部家は、義経がやられてしまう戦いで、手柄を立てた。
そして、甲斐(かい)の南部郷という田舎から、こっちの広い土地を与えられた。
その土地は、南部と言われるようになる。
そういうことだったと、初めて知った。


これが、 国宝、赤糸縅鎧(おどしよろい)。 鎧を美しいと思ってみたのは、初めて。 (パンフレットを撮影)
長慶天皇が寄進したと、伝わっている。
それが本当なら、歴史の闇に光が差すほどの、大きなこと。

※ 二戸の天台寺には、長慶天皇の墓があった。
どんな史実があるのでしょう。
長慶天皇の晩年は、よく分かっていない。
全国を旅したという情報がある。
この地に来たということがあったのか。
それが事実であれば、鎧のことも、墓のことも、ただの伝説ではなくなる。
長慶天皇の墓は、全国にある。
宮内庁は、それらの調査を行っている。
しかし、裏付けになる資料の発見は出来なかった。
天皇の墓は、裏付けが取れたときに、宮内庁の管理になる。
天台寺の墓は、そうはなっていなかった。
長慶天皇の墓は、次のブログで紹介しますね。
宮内庁管轄になると、墓の管理は、完璧。
例えば、京都の水尾の、清和天皇の墓。 清和天皇は、義経の先祖。
清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~ ききょうの花(山崎ハコ) 他 (2012/6/25)
青森県に国宝は、2つだけ。
2つとも、今日の櫛引八幡宮に。
並の国宝ではなく、いいものだった。
特に、赤糸縅鎧(おどしよろい)。
そんなことでした。
※ 付け足し 縅鎧(おどしよろい)の意味について。
鎧は、小さな板のようなのを、ひもでつなぎ合わせて作る。
ひものことを、緒(お)と言う。
緒を通して、つなぐので、緒通し。 おどおし。
これが、おどし になって、威(おど)し。
しかし、これだと、このやろうっていう威しなので、糸偏を付けた。
縅の漢字になった。
日本で作った漢字なので、和製漢字。
縅鎧(おどしよろい)は、そんな意味でした。
恐ろしい意味ではなかったですね。
【今日の歌】 ラストワルツ 森田童子です。 久しぶり。
【道の駅】 さんのへ

道の駅から、名久井(なくい)岳が見えた。
登山道が分かったので、この次、こっちに来たら登る。

あの山の向こうは、南部町。
そこに、長谷寺がある。 長慶天皇が、そこに寄った時に、南部煎餅は生まれた。
いろんな説があるが、これが説の中心。
【今後の予定】 3日に、天台寺に行く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1523-c7205f8e