「阿梅、城を出て、小十郎のもとに行け。 そして、大八を頼む」
父幸村は、娘の阿梅(おうめ)に、そう言った。
1615年5月6日、大阪城落城の前日の夕刻。
真田家の血を残すために。
次男大八を守るために、だった。
阿梅姫12歳、大八4歳。
この、真田家が血を残すというのは、関ヶ原から始まっていた。
幸村は、父と共に西軍。 兄の信之は、東軍。
阿梅姫と大八は、秘密裏に、無事に脱出。
片倉小十郎のもとに。 (2人が同時にでは、ないよう)
小十郎は、幸村から姫を預けられた責任の重さを両肩に感じ、体が震えた。
この阿梅姫は、のちに、小十郎の息子重長の妻になる。
彼女の美しさは、すべての難題を乗り越えさせた。
次の7日に、大阪城は落城。
父の幸村は、討死。
家康を仕留める、あと一歩の所まで行っていた。
この日で、戦国時代は終わった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白石(しろいし)市は、仙台の南に。 左に、米沢や山形がある。
※ しろいし、と読むことは、昔から知っていた。 訳は、後で。
赤〇は、奥州街道。 北へのメイン街道。
オレンジは、分岐して、羽州(うしゅう)街道。
分岐点は桑折(くわおり)で、上山(かみのやま)、そして、山形へ。

観光客に、広い駐車場が、用意してあった。 白石市は、優しい。
坂道を行く。 柿はまだ食べてない。 食べたら、鐘が鳴ってくれるか。

折り返して、この道。 人のいる辺りに、昔は門があった。

明治に入って、城は取り壊し。 売れるものは、売った。 まだ持ち主は、幕府関係。
ここで問題。 売って手に入ったお金は、何に使ったでしょう。
ヒントは、今までの文にあります。 むずかしいかな。 答えは、写真の下に。
門はよその寺に、今はある。 寺は、決して、手放さないでしょうね。
白石城には、昔のままのものがない。 ここにあれば、どれだけ大きな価値か。

※ 答えは、北海道への移住に使った。
仙台藩白石城主・片倉氏家中と、その家族約400名。 札幌近郊に、開拓に入った。 白石村とした。
1871年のこと。 白石村は、現在、札幌市白石区。
左右で、石の積み方が違った。 左は、古くからの、野面積み。 のづらづみ。
右は、江戸時代に入ってからの積み方。 切込み積みでいいかな。

城が見えてきた。 片倉小十郎の名前が。 江戸時代を通して、片倉家の居城。
ここは、仙台藩(伊達藩とも)。 藩に2つの城は、特別。 (白石城の天守は、天守でないことにする)
この紋は、先日見たのと同じ。

阿梅(おうめ)姫です。
彼女は、父の幸村と別れる時、何を言ったでのしょう。
大河ドラマで、どうなるか、楽しみ。 誰が演じるのかな。

白石城。 仙台藩に2つ目の城だから、本丸とは呼ばなかった。
木造での復元。 これがすごい。 ※ 木造の再建だけ、復元と呼んでいい。(文科省)

※ 戦後、100位城が作られた。
その中で、昔の通りに、しかも、木造で作ったのは、たったの3つ。 この3つだけが、復元天守。
(昔のまま残っていたら、現存天守。 全国に12。 国宝になってるものが多い)
復元天守は、ここ白石城と、掛川城と、大洲城。 白石市は、すごい。 これを勧めて人がいたんですね。
木造で天守を再建した、掛川城 ~山内一豊が10年間城主だった。 掛川市~ 他 (2011/11/11)
伊予の小京都、大洲の町並みを歩く ~大洲城、おはなはん通り、臥龍山荘 他~ 他 (2011/2/2)
町の案内図。 〇の所を歩くことにする。 歩いて楽しい道は、少ないかな。 後で知る。
どう作るかが、今後の課題でしょうか。

左向こうから来た。
黒っぽい石垣が、元々のかなと。 明治に入って、石垣も壊された。
大手二階門から入る。 ※ 大手門は、城の正門。 二階門は、上が家っぽい。 櫓(やぐら)門とも。

天守です。 ※ 幕府に対しては、大櫓ということにしていた。 天守がないから、本物の城ではないということに。

この一帯広くに、二の丸。 ここにみんな住んでいた。 阿梅姫も。

今は新しくても、復元天守だけは、いつかは価値がでる。

別方向から。 いいですね。

見学料は、300円。 城だから、入城料にすれば。 1階部分。
300年は、普通に、持ちこたえる。

何だろうと思って、近づいてみた。

片倉小十郎が、大阪に行く前に、京都の愛宕(あたご)神社に、戦勝祈願したんですね。
無事に勝ったので、お礼に、絵馬を奉納した。
それだった。 ここにあるのは、写真を印刷したもの。
本物も、古くなったので、修復したり、江戸時代に再度作って奉納したり。
下絵を撮って、スクリーンに写したのが、ここにある。
絵は、愛宕神社ゆかりの内容。 愛宕太郎坊。

※ 上の説明には、慶長20年とある。
でも、絵馬には、元和(げんな)元年5月24日とある。
正式には、元和は、7月13日から。
夏の陣が5月15日に終わった。
世に中、戦いが終わったので、和の文字を入れた、元和に改元することになった。
正確には、7月13日からだけど、 実際は、元和にする情報は、出回った。
絵馬を作るとき、世の中は変わったということを示すために、慶長でなく、あえて元和にした。
こんな風に、想像します。
愛宕寺へ行くことは、愛宕山への登山と同じだった。 標高差、840㍍。~京都市~ 他 (2012/11/25)
※ 愛宕山には、明智光秀も、行ってますね。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
※ 上の絵馬の復元の取り組みがあった。 上は、その時に撮った写真と、思われる。
詳しくは、下に。
上への階段。 城の階段は、どこも急。

2階に上がった。 そっちの部分は、城の石垣から、はみ出ている。
床を開いて、石を落す。 小さな窓からは、鉄砲や弓矢。

2階から、3階へ。 小十郎や、阿姫に関する資料はない。 置いてほしい。 売っていたが。

最上階。 ここからの見晴らしがいい。 城の魅力。

芝生の辺りに、二の丸があった。

見える家並みは、白石市の中心街。

中心街の、北方面。

遠くに、蔵王連峰。 蔵王山は、手前の山の向こう。 見えてるのは、不忘山(ふぼうさん)。
白石市の人たちは、この山に、親しみを持っているよう。 校歌には、この山が登場。
山の右に、遠刈田(とおがった)温泉。
遠刈田温泉~蔵王の東麓に位置し、金売吉次によって開かれたとも・・~ 他 (2011/4/23)

城を出て、反対側から見た。

別の道を下りて、武家屋敷に。 武家の家並みかどうかは、分からない。
左から、下りてきた。 右を行ったら、神明社。

この神社が、誰に大事にされたかが、書いてある。
まず、藤原秀衡。 奥州藤原氏4代の3代目ですね。
そして、蒲生氏郷(がもううじさと)。 この人は、会津若松。 松阪にいたことも。
松阪を歩く。(松阪城跡~駅) 空は 悲しいまで晴れていた。~松阪市~ 他 (2013/4/24)
それから、甘糟 景継。 米沢藩の、上杉景勝の家臣。
※ 直江兼続は、景勝の家臣。 同じ時代を共に生きた。
この人が白石城の城主としていたときに、油断して、伊達政宗に城を取られた。
その後は、正宗の家臣の小十郎が、城主になる。

こんな道を歩いて。 バラが咲いていた。 秋のバラ。

着きました。 左側です。 右に、受付。 200円。
武家屋敷の通りではなかった。

片倉家中武家屋敷。 ※ 家中は、家臣か。
260年前の建物。 家臣の小関家の家。

もちろん、解体修理が終わっている。

広い土間があって、そこから撮影。 豪農の住宅のようでも。

ここで食事。 夜は、 終わってもここに。 どんな会話でしょう。 聞いてみたい。
健康に生きられることを、今の時代より、当たり前には思っていなかったでしょうね。

武士だから、剣の鍛錬か。

反対方向から。 向こうに、花。

水の流れと花がいい。
ヒイラギナンテン。 メギ(目木)属の木だそう。 初めて見る。
葉っぱがヒイラギ(柊)、実がナンテン(南天)に似ているので、この名前。
借り物でない名前にしてあげればいい。

表側の庭から。

門から入ったところの、盆栽。

この後、地図のおすすめのコースを歩く。 川は、沢端川(さわばたがわ)。
水の管理はよくなく、濁っている。 白石市は、このままには、しないでしょうね。
コイがいた。 水が冷たくなってきた。 コイの楽しみは・・・。
楽しみや生き甲斐がないと不満を口にするのは、人間だけかな。

酒造会社。 小十郎とある。

屋敷が見えたけど、戻る。

お店に、こんな絵。 白石市は、温麺(うーめん)で知られる。
油なしの素麺の感じだそう。 こんなの。 食べたことはない。 しょっぱくなければ、体にやさしそう。

この後、駐車場に戻る。
なお、阿梅姫については、知ることが出来なかったので、調べたことを、下に。
彼女は、白石城の二の丸に育った。
小十郎の妻に気に入られる。
5年後の1620年に、重長の側室となる。
※ 暮らす場所は、ここだけでなく、江戸屋敷でも。
その6年後の1626年、妻である正室が亡くなる。 阿梅に妻となるように頼んで。
阿梅は、重長の後妻となる。
1648年に父・幸村を弔うために月心院を建立。
1659年、小十郎死亡。
1681年、阿梅死亡。 77歳。 墓は、市内の当信寺に。
阿梅姫はどんな人かって、漫画では、こう。
また、大八は、多くの人の世話になり、仙台藩真田家の始祖になる。
大八であることを隠し通した。
途中で、幕府は知っていたよう。 もう名乗っていいって、許した感じ。
城が2つのことも、大八のことも、伊達政宗の力の大きさを、感じさせる。
詳しくは、ここに。
阿梅姫のことも、大八のことも、大河ドラマを面白くさせてくれる、予感。
白石城に行って、多くのことを知りました。
ここまでの城とは、知らなかった。
※ 付け足し
ブログによく登場する、北海道の浦河の、Tさんの母方は、小十郎の家臣と分かっています。
北海道の、現在の伊達に入植。 そっち方面のTさんの親せきには、町長さんや教育長さんがいる。
代々、その町での名士なのか。
【関連ブログ】 下のブログを書いた時は、幸村が大河ドラマになることは、決まっていない。
信州上田は、真田幸隆・昌幸・幸村、3代の郷。 上田城跡。 他。~上田市~ 他 (2013/5/28)
【今日の歌】 バラを見たので。
【道の駅】 那須野が原博物館

【今後の予定】 14日は、川俣温泉。 奥鬼怒温泉郷。 最奥の八丁湯には、以前行っている。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
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父幸村は、娘の阿梅(おうめ)に、そう言った。
1615年5月6日、大阪城落城の前日の夕刻。
真田家の血を残すために。
次男大八を守るために、だった。
阿梅姫12歳、大八4歳。
この、真田家が血を残すというのは、関ヶ原から始まっていた。
幸村は、父と共に西軍。 兄の信之は、東軍。
阿梅姫と大八は、秘密裏に、無事に脱出。
片倉小十郎のもとに。 (2人が同時にでは、ないよう)
小十郎は、幸村から姫を預けられた責任の重さを両肩に感じ、体が震えた。
この阿梅姫は、のちに、小十郎の息子重長の妻になる。
彼女の美しさは、すべての難題を乗り越えさせた。
次の7日に、大阪城は落城。
父の幸村は、討死。
家康を仕留める、あと一歩の所まで行っていた。
この日で、戦国時代は終わった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白石(しろいし)市は、仙台の南に。 左に、米沢や山形がある。
※ しろいし、と読むことは、昔から知っていた。 訳は、後で。
赤〇は、奥州街道。 北へのメイン街道。
オレンジは、分岐して、羽州(うしゅう)街道。
分岐点は桑折(くわおり)で、上山(かみのやま)、そして、山形へ。

観光客に、広い駐車場が、用意してあった。 白石市は、優しい。
坂道を行く。 柿はまだ食べてない。 食べたら、鐘が鳴ってくれるか。


折り返して、この道。 人のいる辺りに、昔は門があった。

明治に入って、城は取り壊し。 売れるものは、売った。 まだ持ち主は、幕府関係。
ここで問題。 売って手に入ったお金は、何に使ったでしょう。
ヒントは、今までの文にあります。 むずかしいかな。 答えは、写真の下に。
門はよその寺に、今はある。 寺は、決して、手放さないでしょうね。
白石城には、昔のままのものがない。 ここにあれば、どれだけ大きな価値か。


※ 答えは、北海道への移住に使った。
仙台藩白石城主・片倉氏家中と、その家族約400名。 札幌近郊に、開拓に入った。 白石村とした。
1871年のこと。 白石村は、現在、札幌市白石区。
左右で、石の積み方が違った。 左は、古くからの、野面積み。 のづらづみ。
右は、江戸時代に入ってからの積み方。 切込み積みでいいかな。

城が見えてきた。 片倉小十郎の名前が。 江戸時代を通して、片倉家の居城。
ここは、仙台藩(伊達藩とも)。 藩に2つの城は、特別。 (白石城の天守は、天守でないことにする)
この紋は、先日見たのと同じ。

阿梅(おうめ)姫です。
彼女は、父の幸村と別れる時、何を言ったでのしょう。
大河ドラマで、どうなるか、楽しみ。 誰が演じるのかな。


白石城。 仙台藩に2つ目の城だから、本丸とは呼ばなかった。
木造での復元。 これがすごい。 ※ 木造の再建だけ、復元と呼んでいい。(文科省)

※ 戦後、100位城が作られた。
その中で、昔の通りに、しかも、木造で作ったのは、たったの3つ。 この3つだけが、復元天守。
(昔のまま残っていたら、現存天守。 全国に12。 国宝になってるものが多い)
復元天守は、ここ白石城と、掛川城と、大洲城。 白石市は、すごい。 これを勧めて人がいたんですね。
木造で天守を再建した、掛川城 ~山内一豊が10年間城主だった。 掛川市~ 他 (2011/11/11)
伊予の小京都、大洲の町並みを歩く ~大洲城、おはなはん通り、臥龍山荘 他~ 他 (2011/2/2)
町の案内図。 〇の所を歩くことにする。 歩いて楽しい道は、少ないかな。 後で知る。
どう作るかが、今後の課題でしょうか。



左向こうから来た。
黒っぽい石垣が、元々のかなと。 明治に入って、石垣も壊された。
大手二階門から入る。 ※ 大手門は、城の正門。 二階門は、上が家っぽい。 櫓(やぐら)門とも。


天守です。 ※ 幕府に対しては、大櫓ということにしていた。 天守がないから、本物の城ではないということに。

この一帯広くに、二の丸。 ここにみんな住んでいた。 阿梅姫も。

今は新しくても、復元天守だけは、いつかは価値がでる。

別方向から。 いいですね。

見学料は、300円。 城だから、入城料にすれば。 1階部分。
300年は、普通に、持ちこたえる。

何だろうと思って、近づいてみた。

片倉小十郎が、大阪に行く前に、京都の愛宕(あたご)神社に、戦勝祈願したんですね。
無事に勝ったので、お礼に、絵馬を奉納した。
それだった。 ここにあるのは、写真を印刷したもの。
本物も、古くなったので、修復したり、江戸時代に再度作って奉納したり。
下絵を撮って、スクリーンに写したのが、ここにある。
絵は、愛宕神社ゆかりの内容。 愛宕太郎坊。


※ 上の説明には、慶長20年とある。
でも、絵馬には、元和(げんな)元年5月24日とある。
正式には、元和は、7月13日から。
夏の陣が5月15日に終わった。
世に中、戦いが終わったので、和の文字を入れた、元和に改元することになった。
正確には、7月13日からだけど、 実際は、元和にする情報は、出回った。
絵馬を作るとき、世の中は変わったということを示すために、慶長でなく、あえて元和にした。
こんな風に、想像します。
愛宕寺へ行くことは、愛宕山への登山と同じだった。 標高差、840㍍。~京都市~ 他 (2012/11/25)
※ 愛宕山には、明智光秀も、行ってますね。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
※ 上の絵馬の復元の取り組みがあった。 上は、その時に撮った写真と、思われる。
詳しくは、下に。
上への階段。 城の階段は、どこも急。

2階に上がった。 そっちの部分は、城の石垣から、はみ出ている。
床を開いて、石を落す。 小さな窓からは、鉄砲や弓矢。

2階から、3階へ。 小十郎や、阿姫に関する資料はない。 置いてほしい。 売っていたが。

最上階。 ここからの見晴らしがいい。 城の魅力。

芝生の辺りに、二の丸があった。

見える家並みは、白石市の中心街。

中心街の、北方面。

遠くに、蔵王連峰。 蔵王山は、手前の山の向こう。 見えてるのは、不忘山(ふぼうさん)。
白石市の人たちは、この山に、親しみを持っているよう。 校歌には、この山が登場。
山の右に、遠刈田(とおがった)温泉。
遠刈田温泉~蔵王の東麓に位置し、金売吉次によって開かれたとも・・~ 他 (2011/4/23)

城を出て、反対側から見た。

別の道を下りて、武家屋敷に。 武家の家並みかどうかは、分からない。
左から、下りてきた。 右を行ったら、神明社。

この神社が、誰に大事にされたかが、書いてある。
まず、藤原秀衡。 奥州藤原氏4代の3代目ですね。
そして、蒲生氏郷(がもううじさと)。 この人は、会津若松。 松阪にいたことも。
松阪を歩く。(松阪城跡~駅) 空は 悲しいまで晴れていた。~松阪市~ 他 (2013/4/24)
それから、甘糟 景継。 米沢藩の、上杉景勝の家臣。
※ 直江兼続は、景勝の家臣。 同じ時代を共に生きた。
この人が白石城の城主としていたときに、油断して、伊達政宗に城を取られた。
その後は、正宗の家臣の小十郎が、城主になる。


こんな道を歩いて。 バラが咲いていた。 秋のバラ。


着きました。 左側です。 右に、受付。 200円。
武家屋敷の通りではなかった。

片倉家中武家屋敷。 ※ 家中は、家臣か。
260年前の建物。 家臣の小関家の家。

もちろん、解体修理が終わっている。

広い土間があって、そこから撮影。 豪農の住宅のようでも。

ここで食事。 夜は、 終わってもここに。 どんな会話でしょう。 聞いてみたい。
健康に生きられることを、今の時代より、当たり前には思っていなかったでしょうね。


武士だから、剣の鍛錬か。

反対方向から。 向こうに、花。

水の流れと花がいい。
ヒイラギナンテン。 メギ(目木)属の木だそう。 初めて見る。
葉っぱがヒイラギ(柊)、実がナンテン(南天)に似ているので、この名前。
借り物でない名前にしてあげればいい。


表側の庭から。

門から入ったところの、盆栽。

この後、地図のおすすめのコースを歩く。 川は、沢端川(さわばたがわ)。
水の管理はよくなく、濁っている。 白石市は、このままには、しないでしょうね。
コイがいた。 水が冷たくなってきた。 コイの楽しみは・・・。
楽しみや生き甲斐がないと不満を口にするのは、人間だけかな。


酒造会社。 小十郎とある。


屋敷が見えたけど、戻る。

お店に、こんな絵。 白石市は、温麺(うーめん)で知られる。
油なしの素麺の感じだそう。 こんなの。 食べたことはない。 しょっぱくなければ、体にやさしそう。

この後、駐車場に戻る。
なお、阿梅姫については、知ることが出来なかったので、調べたことを、下に。
彼女は、白石城の二の丸に育った。
小十郎の妻に気に入られる。
5年後の1620年に、重長の側室となる。
※ 暮らす場所は、ここだけでなく、江戸屋敷でも。
その6年後の1626年、妻である正室が亡くなる。 阿梅に妻となるように頼んで。
阿梅は、重長の後妻となる。
1648年に父・幸村を弔うために月心院を建立。
1659年、小十郎死亡。
1681年、阿梅死亡。 77歳。 墓は、市内の当信寺に。
阿梅姫はどんな人かって、漫画では、こう。
また、大八は、多くの人の世話になり、仙台藩真田家の始祖になる。
大八であることを隠し通した。
途中で、幕府は知っていたよう。 もう名乗っていいって、許した感じ。
城が2つのことも、大八のことも、伊達政宗の力の大きさを、感じさせる。
詳しくは、ここに。
阿梅姫のことも、大八のことも、大河ドラマを面白くさせてくれる、予感。
白石城に行って、多くのことを知りました。
ここまでの城とは、知らなかった。
※ 付け足し
ブログによく登場する、北海道の浦河の、Tさんの母方は、小十郎の家臣と分かっています。
北海道の、現在の伊達に入植。 そっち方面のTさんの親せきには、町長さんや教育長さんがいる。
代々、その町での名士なのか。
【関連ブログ】 下のブログを書いた時は、幸村が大河ドラマになることは、決まっていない。
信州上田は、真田幸隆・昌幸・幸村、3代の郷。 上田城跡。 他。~上田市~ 他 (2013/5/28)
【今日の歌】 バラを見たので。
【道の駅】 那須野が原博物館

【今後の予定】 14日は、川俣温泉。 奥鬼怒温泉郷。 最奥の八丁湯には、以前行っている。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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